■モブ臨注意







暗い夜空から唐突に降ってきた雨を避けるために、近くにあったカフェに入る。
案の定、雨宿り目的の人間でごった返していて、店内はひどく混んでいた。
適当にコーヒーを注文して、空いたばかりの椅子に座る。ケータイを取り出していくつかメールを返信していると、「前いいですか」と相席の同意を求められた。
ふと目線を上げれば仕事帰りのどこにでもいるようなスーツ姿のサラリーマンが、トレーにコーヒーとサンドウィッチを乗せて立っていた。「どうぞ」と、いつものよそ行き用の笑顔で答えると、むこうもにこりと笑ってお礼を言いながら前の座席に座った。


それがきっかけ。
ただ、偶然に見せかけてはいるけれど、彼が俺の席に近づいたのがナンパ目的だっていうのはなんとなく感じてた。


『このあと時間空いてます?』

サンドウィッチを食べて、コーヒーを啜って。食欲が満たされた彼は、今度は別の欲を満たすために声を掛けてきた。俺はいつもの黒いコートに黒のズボンで、女に見えるということはないだろうから、彼は男が好きか、男女ともいける両刀なのだろう。

さわやかな笑顔でさらりと誘うから、仕事を終えて新宿に帰ろうとしていた俺は暇つぶしにでもいいか、とその誘いに乗ることにした。

二人一緒にカフェを出る。弱まってはいるものの未だに雨は降っていた。どうせすぐ脱ぐのだからと服が濡れるのもかまわずホテルを目指す。彼の名前は教えてもらったけど、記憶に留まることはなかった。人間愛を叫ぶ俺にとって、一個人の情報はこんな行きずりの関係性では特に必要なかったから。

ラブホテル――ではなく、それなりに高めのホテルに入った。彼は何度か利用したことがあるのだろう、男二人、仕事の出張で来ているように装って受付をすませる。まぁ、俺がスーツじゃないから、少し違和感あったけどね。
彼はサラリーマンの中でも、高給取りらしく、スーツもよくよく見ればいいものを着ていた。
部屋に入るなり、ベッドに押し倒された。さっきまでのさわやかさは、どこへ行ったのか、というくらい荒々しいキスをされる。その豹変振りが面白くて、やっぱり人間は飽きないなぁ、とつくづく思った。ここに来るまでの会話で、仕事が忙しくてプライベートがおざなりになっていたらしいから、きっとSEXが久しぶりなのだろう。そういえば俺も前回したのがいつだったか思い出せないくらい、こういった行為と縁がなかったことに気づく。

明かりも消さずにお互いが一糸纏わず姿になって、体を貪りあう。
彼はそれなりにうまかったし、体の相性も悪くなかった。俺の顔が気に入ったのか、最中では「よく顔を見せて」と、懇願されたけども。

こういった関係は好きだ。目的が明確で無駄がなくて楽。逆に、恋して、付き合って、ぐちゃぐちゃの感情を織り交ぜにした色恋沙汰は面倒で苦手だった。

汗と体液で汚れた体をシャワーで流す。それなりに楽しい暇つぶしができたことに俺は上機嫌だった。抱かれてる間、一瞬目の前が霞んだけれど、気のせいだろう。
全身に熱めの湯をかけて、浴室から出た。備え付けのバスローブを着て部屋に戻る。
濡れた服を乾かさないとなぁって、ぼんやり思っていると鼻に嫌な臭いが過ぎった。

臭いの元からはゆらゆらと紫煙が漂ってくる。


―――――最悪だ。


内心舌打ちをして、瞬時に気分は急降下した。
男はタバコを吸いながら、窓の外の夜景を見ていた。
テーブルの上にはミント色と赤いパッケージのタバコが無造作に置かれている。

あまりメジャーではないそのタバコは、とても見慣れたものだった。


蓋をした記憶が蘇って、心の奥底がじくりと軋んだ。


―――ああ、


やっぱり俺は忘れられないんだな。


自嘲の笑みすらこぼれる。




最後に交わした言葉は「じゃあな」。


僅かな期間恋人だった、金髪にバーテン服の男が脳裏に浮かんだ。


flavor...
(嫌いで忘れられないあいつの匂い)



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