■死ネタ注意
■暗め






それは三月だと言うのに降り出した季節外れの雪の日だった。

雪を避けようと早々に家路についた人々のせいで、いつもは深夜でさえもその喧騒は止まない池袋の街は、ひっそりと静かに存在していた。

その街の路地裏で、息も絶え絶えな黒いコートを着た男とそれを後ろから抱えるようにして雑居ビルの冷たいコンクリートの壁に身を預けて座る金髪の男。

「し……ちゃ………」

「バカ。しゃべんな」

はあはあと苦しそうに顔を歪ませながら自分の名を呼ぶ黒いコートの男―――折原臨也を金髪バーテン服の平和島静雄が嗜める。
臨也の左脇腹には銃創によって開いた穴からどくどくと真っ赤な血が流れていた。
臨也の右手が傷口を押さえるように置かれ、さらにその手を大きな静雄の手が包み込んでいるが大した意味は成さなかった。

大嫌いなノミ蟲の臭いを鼻先でキャッチして、人気のない通りまで来るとうっすらと積もってきた雪の上に点々と続く赤い染みが目に入った。ざわざわと胸騒ぎがして、急いでそれを追って路地裏に足を踏み込めば、臨也が血まみれで倒れており、すぐそばにはその原因であると思われる拳銃が落ちていた。

目の前の光景に慌てて近寄ると、まだ臨也は息をしており、やさしく抱き上げる。
すぐさま病院へ、と救急車を呼ぶためポケットからケータイを取り出して119番とディスプレイに表示されたところで血によって真っ赤に染められた臨也の手がそれを制止した。ぬるりと生暖かい感触に寒気がする。

「!? 手前、すぐ病院に―――――」

「はは む……り……だよ。もう手お……く……れ……」

臨也はそれだけ言うと、力なく静雄のケータイから手を離した。

「誰がやった!?なんですぐ助けを呼ばねぇ!?」

静雄が若干の怒りを含ませて問えば、わずかに笑って臨也が答える。

「わかん……な……。ケー……タイ……もってかれちゃ……げほっ!」

喋り終える前に赤い血が口から吐かれた。顔色も異常なほど真っ白で、もう長くはないことを窺わせて嫌な汗が流れる。

「臨也!!」

静雄は今にも力尽きそうな臨也の体をぎゅうっと抱きしめた。

「し……ちゃん あったかい……。お……れ………し……ちゃ………に  つたえ……い……ことが………」

「もういいからしゃべんなよ!!」

いがみ合っていた自分に伝えたい言葉とはなんなのか。それは長年自分が待ち望んでいた言葉ではないかと思うも、今は聞きたくなんかなかった。
こんな最後の別れだからと覚悟しておしえてもらうのはごめんなのに………
臨也の首に顔をうずめた静雄の耳に幽かな声が入ってくる。

「すき……すき  おれ………しずちゃんのこと………だいすき………」

「!!」

囁かれた言葉はずっと求めていたものだったのにうれしくない。

「な……んで 手前は、んなこと今言うんだよ………ふざけんな……っざけんな……!」

苛立ちとわけのわからない恐怖に襲われて、ぽろぽろと耐え切れなくなった涙が溢れてくる。臨也を見れば、同じように赤い瞳からとめどなく涙が流れていた。そんな瞳とかち合うと、臨也はゆっくりと目を細めて最後のお願いをする。

「ね………キ……ス………し…て?」

そう弱々しく呟かれて、胸が震えた。じっと臨也の顔を見つめていれば、早く、とでも言うように臨也の手が、静雄の顔に触れる。赤い血が頬についた。
ゆっくりと二人の顔が近づいて、静雄が瞼を閉じれば、また涙が零れていった。


二人の唇が触れる。


臨也の唇は想像してたのよりはるかに冷たかったけど、やわらかくて。
叶わないとわかっていても、このまま時が止まればいいのに、と願った。
触れたときと同じようにゆっくり唇を離すと、臨也の腕がだらりと垂れて、そのまま体は動かなくなった。
まるでキスをしたことによって静雄に魂が抜かれたかのように、もう息をすることはなかった。その現実を理解して静雄は絶望を感じる。

「なんで手前は……」

次に湧き上がったのは怒りだった。ずっと追いかけてやっと手に入れたと思った瞬間にまた自分の手からすり抜けていく。本当にムカつく野郎だ。臨也が逃げて、それを追うことはもう己の人生から手放せるものではなくて。それを失った自分のこれからにいっきに興味が失せた。だから―――――

静雄は臨也の体を抱えたまま、手を伸ばす。伸ばして掴んだものは、臨也を撃った拳銃だった。静雄には過去に撃たれたことがある。同時に二発ぶち込まれたのに、闇医者のもとまで自力で歩いていけた。そのときほど、自分が化け物だと思い知らされたことはない。自分は何で死ぬのか。どうやればこの息を止められるのか。そんなことを一度だけ考えたことがあるが答えは出なかった。
そして今。もしかしたら、さすがに自分にも死が訪れるのではないかと思う場所へ銃口を向ける。頭にぴったりとつけたまま、腕の中に眠る臨也に視線を落とす。

「臨也」

「あいしてる」

名前を呼んで、そのあとに続く言葉は声にはならなかった。
唇を動かすのと同時に引き金をひく。その瞬間、彼の望んだ死が彼を襲った。
銃声は響かなかった。それは、銃に細工された機能のためか、降り積もった雪がその音を吸収したのかわからない。

しんしんと降る雪はまるで寄り添う二人の体をこの世界から隠すようにその上にやさしく降り積もっていった。

翌日、雑居ビルに入っていた中華料理屋の店主によって、二体の遺体が発見される。

彼らをよく知る人たちはさめざめと二人の死を儚んだ。
臨也を撃った犯人は見つからず、またなぜ静雄の頭が撃たれていたのかわからない。自殺であると言われても、彼らしくもないその最後にみんな首を傾げた。
―――――ただ、彼ら二人の数少ない友人であった闇医者と帽子を目深にかぶった人物は二人のほのかな思いを知っていたから、二人が一緒にこの世から消えたことに心の中で密かに納得した。



その後、新宿の情報屋・折原臨也と池袋最強の平和島静雄が死んだというニュースが池袋の街を騒ぎ立てた。多くの人々がその真実を知ることなく、人から人へと語り継がれた話は滑稽なまでに無意味で無価値で低俗だった。


折原臨也が死んだ。
平和島静雄も死んだ。
どうやら、本当に殺し合いをしたらしい。
折原がロシアのマフィアから拳銃を取り寄せたとか。
頭を撃たれてもなお平和島は生きていたとか。
いや、二人は本当は愛し合っていて、心中を図ったらしい……とか。

新たに生まれた街の噂は、真相をわずかに内包しながらも人々の緩慢たる興味と飽和した日常からの脱却への踏み台として、その形を現すことなく今日もまた蠢いている。


―――――二人の魂がその後どうなったかなんて、誰も知らない。


WHITE HEAVEN


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■補足

新宿の情報屋・折原臨也氏が先日亡くなったことは、マイナーながらも人々の情報や噂への探究心を満たす程度に役立っている御誌にて、それなりにビッグニュースでの掲載により多くの読者が既に知り得ている事だろう。また、池袋最強・もしくは自動喧嘩人形と揶揄される平和島静雄氏の死亡の記事も同じように取り扱われていたが、今回はあくまで折原氏がなぜ、”殺されたか”についての原因解明のみ言及しようと思う。
まず、御誌がスクープだと折原氏の殺された原因をおもしろおかしく記事に書き上げたことは、彼の友人である私として甚だ不快である。しかし、そちらの雑誌名から鑑みても、低俗で所謂何も知らない一般人へ向けて単なる噂話を誇大表現にて情報を植えつけることが御誌の主旨であり、また読者の求めることであるからそのことに関しては、今は置いておくことにする。

御誌が拙い情報源(ただ街の人々に聞いて回ったものをまとめただけだろうと推測するが)を伝って手に入れたと思われる殺された理由の三つのうち二つを私の所有する情報から分析・解明した結果、非常に安易でその裏付けも軽薄であると判断し、内容について抗議させていただくものとする。 

殺された理由その@:折原氏が怨恨によって殺害されたというもの

これについて、折原氏がその仕事柄、多くの怨恨をその身に受けていたことは簡単に推測されるが、今回の事件においてその線は”NO”であると強くいえる。彼は優秀であったから彼を使う者には重宝したものの、その反面彼の情報収集能力、延いては情報操作能力の特化により彼を敵とするものにとっては脅威であったといえる。それ故、過去に彼が何者かから脇腹を刺され、入院する事態となったことは記憶に新しい。しかし、そんな経験を踏まえ、自らがアンダーグラウンド、闇社会で暗躍することを誰よりも認識し、自己防衛の観点で慎重に対策を立てていた彼は常に気を張り巡らせており、その隙をつくことは難しいだろう。つまり”怨み辛み”によって出来た安直な殺意などは事前に察知して防ぐことは彼にとっては容易く、そんな安っぽい感情で振るわれた暴力に彼は屈服などしない。

殺された理由そのA:折原氏が仕事でのミステイクにより殺害されたというもの

これは先にも述べたように彼は非常に優秀であったから、受けた仕事において失敗を犯したことは私の知る限り一度たりとて無い。私の預かり知らぬところであるのでは?と、疑問に思うのも無理は無いが、こと彼に関して私の情報に穴があることは絶対にないと誓って言えるし、それほどまでに私は彼の事を知っていると自負する。故にこの殺害理由についても、”NO”である。

さて、提示されていた案件について私の解釈をつらつらと書かせていただいたわけだが、ではなぜ殺されたかというと、何度も繰り返しお伝えしているように彼が非常に優秀であった為としか言いようがない。然るに、何処かの機密情報を入手し、その情報を外部の人間の手に渡ることを恐れた何者かが彼を殺害したのではないだろうか。(現に彼の携帯電話は未だに発見されていない。)これは、あくまで私の情報から推測されたもので絶対だとは言い切れず、こういったことは既に彼が故人である為に公表することは必要ではないと判断する。『誰が』彼を殺し、『何の為に』彼を殺したのか知ることは私にとって安易であり、その犯人検挙にも繋がるなら、いち市民として国家権力に情報提供することは義務であると考えるが、それをしたところで彼が生き返るものではないし、実のところは国家間における非常にデリケートな問題であるため、私が動くことは賢明ではないだろう。

提示されていた三つ目の理由である、『平和島氏との心中説』については私の情報分析結果ではありえないこだと示されるのだが、実際忌み嫌いあっていた二人が同時刻に同じ場所で亡くなっていたことに、何かロマンスらしきものを一部の人間が妄想もしくはそうであればいいとの願望によって作られたものだろうと推測する。が、そんな噂があっても噂の定義として存分に成り立つものであるから、密やかに語り継がれるのも面白いかもしれない。

以上で、大して労力を使わずに書かれ、雑誌の主旨を大きく逸脱した五流ゴシップネタの御誌の記事と私の見解との不一致を指摘させていただく。

最後に、折原氏のご冥福を祈るとともに、彼のいち友人として彼がその人生の最後を遂げようとした瞬間が安らかなものであったことを切に願う。

―――――さようなら、折原臨也。


(『月刊☆うわさの真相』5月号に掲載された折原氏が殺害された理由に対して、数多くの風俗評論の著書を手懸る九十九屋真一の抗議文にて)


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