「三郎、このデスクライト、三郎の部屋に持って行けばいい?っていうかこれ、すごいお洒落だね」

この春、僕は初めて引っ越しという物を経験した。正確には現世で生まれて初めて。前世では、棲み家を特定されないためにしょっちゅう引っ越しをしていたっけ。

「ああ。これと一緒に自分で運ぶから、そこの段ボールに入れたままでいい。それより雷蔵の方が荷物多いんだから、そっち手伝う」
「三郎の荷物が少なすぎるんだよ」

そうして実家から送った自分の荷物そっちのけで、僕の段ボールの中身を整理し出す。そんな彼を見て、人の世話を焼きたがる癖は今も昔も変わらないと思った。
三郎と付き合い出してから一年ちょっと。僕たちは大学生になり、進学と同時に実家を出て同じ部屋に住むことにした。高校の親しい友人数名は僕たちの関係を知っていて、みんな応援してくれている。周りの理解があるのは幸せなことだ。お互いの両親にははっきり言っていないけれど、僕の母さんは薄々気付いているようで、それでもそっと見守ってくれている。
三郎自身は相変わらず僕への独占欲を大いに発揮している。ちょっとでも僕が他の人を褒めようものなら不機嫌になるし、誰かが僕の肩に触れようものなら親の仇を見るような鋭い目で相手を睨む。二人きりだと、「ずっと一緒にいよう」とか、「雷蔵、ずっと俺のこと好きだって約束して」なんて甘い言葉を常に囁く。それを言いたいのは僕の方だ。僕は三郎の手を握り返し、「うん、僕もずっと好きだよ」と返す。「本当に?」なんて心配しなくたって僕のずっとは、本物のずっとだよ、三郎。

「三郎?」
「ん?」

ソファに座って僕は読書を、三郎は膝の上に載せたパソコンに向かって課題のレポートを書いている。そんな何でもないひと時に、隣からの視線を感じて、僕は三郎の方を振り返る。すると、彼は僕をじっと見ていたことに、彼自身もその時初めて気づいたようだった。ちょっと気まずそうに微笑み、何でもないと言った後で、「雷蔵が可愛いから」と僕の頭を撫でる。その言葉が嘘じゃないことは三郎の目を見ればわかる。でも、そんな理由で僕を見ていた訳じゃない筈だ。最近、三郎はこんな風にぼんやりと考え事をすることが増えた。それは僕みたいに毎日隣にいなければ気付かない変化だろうけど、その違和感は僕を堪らなく不安にさせる。

「三郎だって、世界で一番可愛いよ」

三郎の頭を引き寄せて抱き締めると、三郎は何故か期待を込めた表情で僕を見上げる。キスして欲しいのかな。そう思った僕は三郎の唇に軽くキスを落とした。でも、三郎は物足りなさそうに曖昧に笑う。何がいけないのか、自分に何が足りないのか、悩みの尽きない日々だ。



「最近どうだ?……その、どうだって言うのは、お前たちの話だけど」
「え?」

彼にしては珍しい、含みを持たせた言い方に、僕はまじまじと竹谷の顔を見返した。

「僕と三郎のこと?」

大学に入学して三ヶ月。高校より長い時間の講義形式にも慣れて、バイトとサークルを始め、それは大学生らしい学生生活を送っている。そんな折、僕は突然、高校時代三年間同じクラスだった竹谷に呼び出された。竹谷も僕と同じく、エスカレーター組。そもそも高校の同級生は半数以上がそのまま学園の大学へ進学するから、キャンパス内を歩いていると見知った顔によく出くわす。

「いや、うまく行ってるんだったらいいんだ」

竹谷は実直な性格で回りくどいことを基本的に言わない。そんな彼の性格をわかっているからこそ、わざわざ三郎が講義に行っていて、僕が空き時間に一人でいるタイミングにこうして呼び出すなんて、何かあると思った。

「じゃあ、もしうまく行ってないって言ったら?」

そう言うと、竹谷は途端に悲し気な顔で僕を見る。

「雷蔵。俺は真面目に訊いてるんだ。お前たちの関係に口を挟むつもりはない。でも、その、どこまで本気なのかどうかってことを聞いておきたいんだ。つまり、三郎はお前にすごく入れ込んでるからさ……」
「まるで、僕が三郎のこと遊びみたいに言うんだね」

僕はあまり癇癪を起こすことはない人間だと自分でも思っている。でも、三郎ことになるとどうしても感情を抑えられないことがある。この時ばかりは沸き上がる怒りがあって、とても自分では止められそうになかった。どれだけの思いで、日々、僕が三郎を大事にしようと思っているか。彼に執着して、縋るような思いで三郎に好かれる自分でいようと思っているか、他人にわかる筈がないのだ。人を非難することを殆どしない竹谷に言われたというのも大きかった。彼なら、友人として僕の気持ちをわかってくれている筈と信じていた。そして、僕と三郎のどちらかなら、現世で友人でいる年数が長い僕の味方になってくれると思い込んでいた。

「いや、そういう意味じゃない。雷蔵、頼むから怒らないでくれ」

僕が視線を外すと竹谷は困った声を出す。外は気持ちの良い青空が広がり、キャンパスを彩る瑞々しい新緑が美しい。でも、そんな清々しい景色も今は僕の気持ちを逆撫でする物でしかない。

「怒ってなんかいないよ」

その言いぶりがいかにも子どもっぽくて、自分で自分が嫌になる。

「雷蔵が三郎と軽い気持ちで付き合ってるなんて、これっぽっちも思ってない。でも、三郎は雷蔵なしでは生きていけない奴なんだ。そんなことわかってるって思うだろう?でも、本当に文字通り生きていけない。雷蔵だって、あいつのあんな姿を見たら、きっと」
「それってどういうこと?三郎がどうしたの?」

僕は違和感を覚えて竹谷を見た。彼の瞳が揺れる。うっかり口を滑らせた、という顔をしている。誰かがこういう顔をしていることを僕は昔どこかで見たことがあるような気がする。

「その、言い間違えただけだ。だから、つまり」

いくら口でそう言ったって、顔を見れば嘘だとわかる。僕は学食のテーブルの縁を強く握った。彼はそんな僕の手元に不安気に視線を送る。

「僕に対する不満を三郎が竹谷に言ってるのなら教えてほしい」

竹谷が知っていて、僕が知らない三郎の気持ち。彼に一番近いのは、恋人である僕の筈なのに、どうして僕自身に言ってくれなかったんだろう。体の奥で薄暗い気持ちと悔しさが渦巻いた。

「俺が言いたいのは、二度とあいつの前から姿を消すなってことだ」
「二度と……?」
「あ、いや、この先決してって、そういうことを言いたかったんだよ」
「ねぇ、さっきから言い方が何か変だよ」
「それは、その……」

竹谷は僕に何か嘘をついている。僕は確信を得るためにその目の動きを慎重に観察する。

「十歳の時、君は木の上に登ってたね」
「ん?」
「巣から落ちた鳥の雛を巣に戻そうとして、木の幹に腹這いになって小さな雛を手を載せた手を伸ばしてた」
「俺、そんな小学生の頃の話、したことあったっけ……」

竹谷と僕が知り合ったのは中学に入学してからだ。彼は僕の話しぶりに違和感を覚えるだろう。問題は竹谷が覚えているかどうかだ。

「三郎と僕と兵助と勘右衛門は、危ないから気をつけろって下から叫んでた。結局、雛を何とか巣に置いて君は戻ろうとしたんだけど、その拍子に枝を大きく揺らしてしまって、また雛が巣から落ちてしまうと焦った君はバランスを崩して枝から落ちてしまったんだ。下にいた僕たちは慌てて受け止めようとして、みんなで地面に倒れ込んだよね。その時、君のボサボサの長い髪に枯れ葉があまりにも沢山付いているものだから、みんなで笑ったのをよく覚えているよ」

僕は今の竹谷の幼い頃を知らないけれど、たぶん、肩に付くほど髪が長かったことはなかったんじゃないだろうか。何の話をしてるのかと問われたら、どうやって誤魔化そうかなんてことを、僕は今更のろのろと考え始めた。

「……ははっ!そんなこともあったな。それは俺も忘れてたよ」

ところが、竹谷は笑った。そして、硬かった表情が綻んだ。僕たちはそれ以上言わなくても、お互いにかつての記憶があることを悟った。

「勘右衛門は前に、君は覚えていないって言ってたから、僕はてっきりそうなんだと思ってた」
「はっきりと思い出すようになったのは、そうだな、一年くらい前からだな。そうか、勘右衛門は先に知ってたのか……。いつから?」
「兵助と勘右衛門は小学生の頃にはもうぼんやりと記憶があったって」

竹谷は嬉しそうに、「それじゃあ、今度二人ともその話をしなくちゃな」と微笑んだ。

「ねぇ。もしかして君には、僕が知らない、三郎との記憶がある?」

彼は穏やかな顔で僕の目を見据える。今の彼の姿である男子大学生としての顔というよりは、より人生を長く歩んできた人のような落ち着きがあった。彼が前世で何歳まで生き延びたのか知らない。僕は三郎以外の人とは誰も、さよならを言えずに別れてしまったから。

「俺にとっては雷蔵も三郎も大切な親友だ。三郎のためにも、できることならお前に全部話したい。でも、これは三郎自身が雷蔵に伝えるべきことだから、俺は遠回しにしか言えない。俺も全部の事情を知ってる訳じゃないしな。ただ、あいつがいつ自分から言うかもわからないから、俺からちょっとだけ話をさせてもらう」
「うん」

僕は椅子の上で小さく身動ぎし、居住まいを正した。座面がプラスチックでできた椅子は居心地の悪い音を立てる。

「俺は風の便りに、お前たちが行方不明だと聞いた。お前たちは城の雇われだったが、俺は狩人をしながら、忍者の仕事も半分やる自由な身だった。だから、同業だって友人としてお前たちの安否を確かめたいと思った。でも、お前たちを探すのは簡単なことじゃなかった。卒業後にそれぞれ別の道に進んだから、お互いに連絡は敢えて絶っていただろう?」
「まぁ、仕事の性質上、当たり前のことだったけどね。旧友が敵だったらやりづらい」
「ああ。でも、俺はお前たちを探さなくちゃいけないって思いに駆られたんだ。何かあったに違いないって、俺の勘が強く訴えてた。俺は仕事をしながら情報を集めて、一つ一つ町や山を移りながらお前たちを探した。そうして漸く、人里離れた山奥の廃寺に一人で暮らす三郎を見つけた。三郎が俺の知らない人物に変装していたら簡単にはわからなかったかもしれない。でも、俺があいつを見つけた時、あいつは雷蔵の姿だったんだ。三郎に雷蔵がいない訳を訊ねても"雷蔵が、自分のことは忘れて生きろって言うんだ"って言って泣くばかりでさ。見てるこっちが、こいつはこのまま死んじまうんじゃないかって思うくらいで。一人にして欲しいって言われて、俺はその場を去ったんだが、どうしても放っておけなくて、暫くしてまたすぐに様子を見に行った。そして、次に会った時には、不自然なくらいの笑顔で、どうしたって訊いても答えない。どうも様子がおかしくて、雷蔵は戻ってきたのかって言ったら、首を傾げて自分が雷蔵だって言うんだ。それも雷蔵そっくりの声でな。でも、学園にいる間、六年間二人を見て来た俺には三郎と雷蔵の違いくらいわかる。だから、悪い冗談だと思った俺は、何言ってるんだって声を荒げた。何があった!雷蔵がどこかへ行ってしまったなら、二人で探すしかないだろ、しっかりしろって怒ったんだよ。そうしたら雷蔵そっくりの表情と声で、どうしたの、何を言ってるんだって心底驚いたみたいな顔で言うんだよ。それを見て俺は嫌な予感がしたんだ。三郎の名前を怒鳴りつけるみたいにして呼んで、雷蔵はどうしたって、俺は三郎の襟を掴んで揺さぶったよ。それがあいつにとってどれだけ酷な質問か、わかってはいたんだ。俺の方が泣いてるのを見て、三郎の目の色が一瞬だけ正気に戻ったんだ。でも、次の瞬間にはまたぼんやりした表情に戻って微笑んだまま俺の質問には答えなかった。その時、こいつが生きるには自分が雷蔵になり切って、雷蔵自身として生きるしか道がなかったんだって俺は悟ったんだ。三郎がお前の後を追わなかったのは、お前があいつに生きろとかそういうことをって言ってあったからなんだろ。でも、それは結局あいつにとって、死ぬよりつらいことだったかもな」

僕は、自分が想像していたよりも遥かに酷な人生を彼に押し付けてしまっていた。あまりのことに、涙も出なかった。悲しくて、悔しくて、自分自身が情けなくて、三郎が哀れで、彼に申し訳なくて身が張り裂けそうな痛みが胸に走った。君は、僕を愛さなければ、自分を失くす程に心を痛めることはなかったんじゃないだろうか。今世だって、もしかしたら。

「お前のやるべきことはただ一つだ。今、この世にいる誰よりも三郎を幸せにするって、四百年以上も前からお前たちの旧友である俺に、この場で固く約束しろ」
「君は、僕の考えてることも、三郎の考えていることも、何もかもお見通しなんだね」

僕が何を考えているか、すぐ察したのだろう。それを強く押し留めるように、竹谷は低い声で言った。僕を軽く睨む竹谷を見て初めて、自分の片方の目からほろりと熱い滴が溢れた。

「お前たちは人に厄介をかけすぎだぞ。わかってるか?今度はお前たちだけでどうにかしろ」
「うん。はは、そうだよね。ごめん」
「俺が言いたいのはそれだけだ。こんな風に生まれ変わっても他人の心配をしてる俺って心底お人好しだと思わないか?悪いが、現世の俺は昔ほど暇じゃない。課題の調べ物でこれから図書館行かなきゃいけないんだよ。ここからはもう何も言わないから、後は好きにしてくれ。じゃ、またな」
「竹谷!」

リュックを背負う後ろ姿を呼び止めると、怪訝そうな顔の竹谷が振り向く。

「ありがとう!三郎のこと。本当に、ありがとう。君がいてくれて、本当に救われた」
「……俺がこんなにお前たちを大事に思ってるんだから、お前たちはもっとお前たちの関係を大事にしろよな」

照れた顔の旧友は、かつて互いに出会った子どもの頃から変わらず、本当にどこまでもお人好しだと思った。もう一筋、涙が落ちる前に、僕は手の甲で目頭を強く押さえた。



「それ、何の本?」

キッチンから出てきた三郎がコーヒーを飲みながら近付いてきた。僕はその手に一冊の本があることに気付く。

「日本全国の星空を特集したガイドブックみたいな」
「へぇ。どんな本か見たい」
「はい」

僕が伸ばした手に、本を渡そうとする三郎の腕を優しく引くと、三郎は「えっ」と驚いた声を上げながら、顔はにやにや蕩けていて、テーブルにコーヒーを置き、ソファに座る僕の腕の中に収まった。そのまま正面から僕に抱き着こうとする彼を引き剥がすと、三郎が不満げな声を出す。まるで飼い主に甘える時の子猫みたいだ。

「どこに三郎のおすすめが載ってるか、教えて?」

子どもに絵本を読み聞かせるみたいに、三郎を腕に抱きながら、ガイドブックをパラパラと捲る。そこで、付箋が貼られているページに気付き、そこを開くと三郎は「正解」と笑った。

「へぇ。京都で星空が見える穴場スポットかぁ。いいね」
「そう思う?」

三郎が僕の頬を擽るように撫でる。三郎を見ると、彼は先に僕のことを見詰めていた。そんなに熱い視線を送られたら、彼の意図は明白で、僕は彼の望む通り音を立ててキスした。淡い色をした薄い唇はいつだって苛めたい衝動に駆られる。本当は血が滲むくらいはっきりと噛みつきたい衝動を抑えて、そのいじらしい下唇を優しく食んで離れた。

「らいぞう……」

三郎の首からくたりと力が抜けて、僕は咄嗟に彼の傾いた頬に手を添えて支える。その乞うような瞳はあからさまに軽薄で、それと同時に助けを求めているようで、心が揺さぶられた。僕を試しているのか。でも、本当に目の前の三郎がそんなことを考えているだろうか。僕と三郎は付き合い始めてから段階を踏んで関係を深めて来た。しかし、抱かれるのは専ら僕の方で、何となくそういう流れになった結果なのだけれど、昔は僕も三郎を抱いていたことをちらちらと思い出す度、自分の中にある種の葛藤が生まれる。三郎は僕がこんなことを考えてるなんて思ってもみないだろう。

「あのさ、」

三郎の指が僕の腰骨を撫でる。君は僕を抱くつもりなんだろうけど、最近、君の一番深いところまで入り込むことばかりを考えている僕にとっては拷問だ。頼むから僕を試すような行動はやめてほしいと奥歯で小さく歯軋りしてから、微笑みを口元に貼り付ける。

「明日はバイトもあるから腰が立たなくなると困るんだけどな」

冗談交じりに言うと、三郎は「そうか」と悲しそうな顔をした。彼はこの頃、僕の反応に敏感だ。時折、まるで僕のことを怖がってるみたいに見える。四六時中一緒にいるうちに、僕が生まれ変わってからずっと三郎に対して感じていた恐怖が少しずつ彼にうつってしまったみたいに思えた。三郎に嫌われたくない、三郎を離したくない。だから、怖くて本音が言えない。そんな後ろめたさがずっと付き纏っている。僕が堪らず、「その代わりに明日の夜はいっぱいしよう」と言うと三郎の表情が少し和らぐ。可哀想なことをしたかもしれない。僕自身、君に本心を伝えられたら、どんなに楽だろう。でも、全てを話してしまったら君が困惑することは明らかで、最悪、僕を拒絶して離れようと考えるかもしれない。そんなこと、ちらりと想像するだけでも耐えられなかった。

「三郎、もう寝た?」

その夜、僕は暗闇の中で小さく上下する三郎の肩に向かって囁いた。三郎からの返事はない。タオルケットから腕を出し、そっと肩を撫でてみる。反応はなかった。僕は片手を伸ばしてしっかりと三郎の体を抱き締めた。彼の背中から足先にかけて、自分の身をぴったりと寄せる。その温かさに泣きそうになりながら、僕は三郎の首の付け根に顔を埋めた。三郎の小さく引き締まったおしりの感触を意識すると、体の中心にじわじわと熱が集まり出す。昔は、彼と一晩の間にお互いが何度も上になり下になり、抱いて抱かれて、相手との境目がわからなくなるまで愛し合ったものだ。その遠い記憶がますます僕の興奮を呼ぶ。小さく腰を動かして、華奢な割れ目に硬い芯を押し付けることを暫く続けた。もうこれ以上続けたら我慢できなくなる。そのうちにそう思った僕は動きを止め、少し冷静になった。自分が何をしていたかに気付いて途端に自己嫌悪に襲われる。

「何やってんだろ……」

三郎の温かな体を抱き締め、耳元でごめんねと囁いてから背を向けた。消えてしまいたいような衝動に駆られて目を瞑っても全然眠れなかった。暫くして、隣で三郎が身動ぎする音が聞こえた。背中に温もりを感じる。彼はさっき僕がそうしていたように僕の背中に抱き着いてきた。そのまま僕の襟足に鼻先を押し付けてくる。もしかして、いつも僕が寝ている間にもこんなに可愛いことをしているんだろうか。

「君はいつになったら、私を抱いてくれる?」

寝ているふりはやめて振り返って抱き締めようかと考えていたら、突然、耳に信じられないような言葉が飛び込んできた。僕が驚いた理由は二つ。僕は反射的に起き上がって三郎の方を振り返った。

「わっ!起きてたのか……」

三郎の腕を強く掴み過ぎたことに気付いて、僕は少し手の力を緩めてから三郎を見た。暗闇でも三郎が戸惑っているのは伝わってくる。でも、それを気遣う余裕もない。

「もう一度、言って」
「え?」

二つのうち、どちらから確認するか。僕は迷った末に、今の自分が安易に傷つかない方の原因を探ることにした。

「私、なんて。今まで三郎がそんな風に自分のことを言うの、聞いたことなかった」
「え?あ、ああ……。ほら、最近やってる塾講師のバイトだと、普通に使うから、少し癖になっちゃって」
「へぇ、そっか」

どちらかと言えば傷つかない方の事実を確認した筈なのに、望みが薄いとわかっていても深く突き落とされた気分だった。でも、もう一つの方も確かめない訳には行かない。

「じゃあ、抱いてって言ったのは?」

三郎は息を呑むと下を向こうとする。僕はそんな三郎の頬に強引に口付けた。

「三郎の顔、熱いよ」
「……ぅだよ」
「ん?」
「そうだよ。そのままの意味だ」

僕たちは暗闇の中でじっと見つめ合ってから、同時に相手の唇に噛み付いた。僕は三郎の小さなおしりをめちゃくちゃに揉みしだいたし、三郎も僕の中心を性急な手つきで煽ってきた。同棲し始めて体は何度も重ねていたけれど、この夜ほど余裕なく、貪り合うように体を重ねた日はなかった。それまで抱えてきた様々な感情が爆発して、僕も全く手加減できなかった。そうして翌日、三郎はまともに歩けなくて、講義を欠席した。

調子はどう?と送ったメッセージには2時間以上返信が来ない。寝ているのかもしれない。今日はバイトで遅くなるけど、あの様子じゃ台所にも立てないだろうし、大丈夫だろうか。講義中も気が漫ろだ。すると、移動中にやっと返信が来た。すぐに確認すると、昨日はすごかった、という言葉の後ろにハートの絵文字。さらに、今夜はもうちょっと手加減してほしい、と続く。僕はちょっとほっとして、ばか、と2文字のひらがなを送って、スマホをポケットに仕舞った。

「ふぅ」

昨日は一瞬、期待してしまった。生まれ変わってからずっと自分のことを俺と言っていた三郎の口から、前世と同じ一人称が聞こえたから。でも、竹谷の話に依れば、三郎は前世の頃から僕が先に死んだことを忘れてる。彼は僕が死んだ事実より、僕が彼自身を捨ててどこかに行ってしまったと思い込むことで、何とか生きていたのだろうか。だとしたら、前世のことを思い出しても、逆に僕に不信感を抱いていた記憶も蘇ってしまうんじゃないだろうか。そうしたらもういっそこのままで良いのかもしれない。

「おう、雷蔵」
「あ」

声を掛けられて振り向く。黒いリュックに黒い腕時計。Tシャツにジーパン姿の見慣れた竹谷の姿がそこにあった。

「竹谷は空き時間?」
「そ。これから図書館行くところ」
「そっか」

自然に目を逸らそうとしたのに、あまりにも竹谷が僕をじっと見つめるので目を合わさざるをえなくなった。

「どうしたの?」
「何かあっただろ。三郎のことか?」
「……はぁ、竹谷にはばれちゃうんだなぁ」
「俺に隠し事はすんなよ。隠せる訳ないんだからな」

僕はショルダーバッグを肩にかけ直して、ポケットに手を突っ込んだ。スニーカーの下の芝生は、何にも悩むことなんてないよ、と言いたげに青々としている。呑気で羨ましい。

「三郎がさ、昨日、自分のこと、初めて私って言ったんだよ。昔みたいに。昔のこと何も覚えてないのにさ。そんなのってずるいと思わない?」
「雷蔵、知らないのか?」

敢えて愚痴っぽく言って、乾いた笑いもおまけに添えたのに、竹谷の声色は僕が想像していたものとは違っていた。顔を上げると彼はショックを受けたような顔で僕を見ていた。

「あいつはもう、半年以上前に昔の記憶を取り戻してる」
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