名前を無くしたアリスさん


女王様が死んだ。
国中のたくさんの国民たちが女王様とお別れをするために連日連夜お城に集った。
私もお別れをするためにそろそろハートのお城へ行かなければならない。
森の奥に薔薇園がある。そこで花を摘み、花束を作って城へ行こうと思っていた。
その薔薇園に来ると一層森の香りが強くなるとともに、薔薇の華やかな香りをほのかに感じることが出来る。
私は迷わず赤い薔薇を選んだ。一本一本丁寧に薔薇を摘んで、軽く束ねて籠に入れる。
女王様は赤い薔薇が好き。

きちんとした花束に仕上げるため一旦家に戻るつもりで元来た道を歩いていたら、いきなり開けた道の脇に来る時はなった椅子と長いテーブルがあった。
テーブルには真っ白なクロスが掛けられていて、その上には紅茶セットと色々な焼き菓子が並べてある。
どうりで歩きながら好い匂いがしてきたわけだ。
「あ!アリスこんにちは!」
私を見つけて声をかけてきた、お洒落な服に白い帽子を被った男性。
彼はいかれた帽子屋、マッドハッターと呼ばれている。
素敵な帽子を作って女王様を満足させることが出来る数少ない人。女王様は靴よりドレスよりまず帽子を選ぶ。それくらい彼の帽子が好きだった。
「こんにちは帽子屋さん」
「む。クダリってよんで!!」
いつもニコニコ、だけどたった今ご機嫌を損ねた。
子供みたいだけど一応立派な男性だ。
「ごめんなさい。クダリ、こんにちは」
可愛らしくそっぽを向く背中に改めて挨拶する。
するとつんとした態度がケロリと変わり、振り返りざまに私は正面から思いきりハグされた。
「ねぇねぇ!今日はお茶会ある!だからアリスきて!」
満面の笑顔で、帽子屋のいつもの”お茶会しよ!”が来た。
今日は?貴方毎日何時でもしてるじゃない。今だって。
「そうね。行きたいな」
「じゃあきまり!今から!」
「うん」
いつも急。今日は女王様に会いに行く予定なのに…
でも断ることは出来ない。この前断ったらひどい目にあったから。
「そうだあしたも!三時から!」
「はいはい」
彼とは『今』以外の約束は適当でいい。
それ以外は時間を置くとそんなのあったっけ?なんて言われる。
まあ帽子屋に振り回されるのはいつものこと。


「アリスっ!わたくしの懐中時計を知りませんか。あれがありませんとわたくし、わたくし…っ」
「内ポケットとか、しまっていませんか?」
正直貴方、ちょっとおっちょこちょいなのよね。
私よりも小さくて、子供にたれた耳と丸いしっぽを付けたような彼は女王様の下で城で働いている兎。兎だからこんなに小さくても大人だ。
帽子屋がゴネてなかなか抜け出せなかった茶会の帰り道、わたわたと慌てて登場した兎は私に懐中時計の場所を訪ねる。知るわけないじゃない。
黒うさぎと呼ばれる彼は、何時も持ち歩いている懐中時計を使わないと働けない。
私の言葉にはたとして、もふもふの手で内ポケットをまさぐり始める。
「おお!ブラボー!見つかりました」
掲げるそれはまさしく彼の懐中時計。
「よかったね」
もし女王様が生きていたら…そう思うとほっとした。
このまま彼が時計を見つけられず遅刻でもされたらいつの間にか私のせいになりそうだ。女王が機嫌を損ねれば死刑。私が。
だって女王様はいつも黒い兎を贔屓していたから。
彼のミスが原因で何人の人が理不尽な巻き込まれ方で処刑をされたことか。
「…アリス」
「なあに」
「きちんとわたくしを呼んで下さいまし。ノボリと呼んで下さいましっ…」
少し早口で、もどかしそうに気持ちを抑える喋り方。
アリスは何時もわたくしを呼んで下さらない…
そして今度はぽつりと沈んだ声で言う。
「でないとわたくし…」
「ノボリ落ち着いて」
ぎり、と唇を噛む兎をなだめる。彼の口から赤い血が漏れた。
今までの会話の流れでは想像出来なかった言葉に少し戸惑ったけど、兎はいつもこんな感じでいきなり虚脱状態に入る。
そんなちょっと抜けた自虐グセのある兎は黒い耳を垂らして私のスカートの裾を握りしめた。
これはなだめる時間が長くなりそうだ。


大きなキノコの可愛らしい家の扉を開く。
長いお茶会をして、根気よく兎をなだめていたらだいぶ帰りが遅くなった。
とうにお昼は過ぎてしまっていて、へたった花の茎の切り口を水に浸す。
ふとそこで少し違和感を覚えた。
私は街離れの森のこの家でひっそり一人住んでいる…んだけどよく見たら、出かける前とコップや本など家の物が微妙に動かされている。
「チシャ猫さん、チシャ猫さーん」
居るんでしょ?
何もない空間に声をかける。
反応はない。
だけど気配はある。静かに私を何処かで見ている。
「エメット」
「呼んだ?」
私の背後に突然現れたチシャ猫。
じゃれるように私の身体に腕が絡み付く。
擬態が得意でこうしていつも人に擬態する。猫の姿は美しく、白い毛並みは光が当たるとキラキラしてとても綺麗だ。
「私の留守中に勝手に入っちゃダメ」
「ん?アリスが出かける前からボクは居たよ?それなら良いよね」
「……」
「アリス、ボク寂しかったよう」
女王様の元飼い猫なだけあって勝手、ワガママ、甘えん坊。おまけに口もうまいから私は彼にいつも参っている。
私はチシャ猫を撫でながら時計を見た。予定ならもう城に着く頃なのに。
「こっち見てアリス」
ぐいと無理矢理私の顔はチシャ猫の方に向き直された。
私を真正面に捉え、じっとして瞳を逸らさない。
いつの間にか生えていた猫耳だけがピクピクと動く。なにか考え事をしているみたい。


結局彼らに邪魔をされてその日は城に行けなかった。
「お早いお着きで、アリス」
「朝早くに来たほうが混みませんから」
だから翌日の今朝早くからだれにも邪魔されないように来た。
今声をかけてきた彼は女王様お気に入りの黒騎士。常に女王様の傍らに居る印象が強いが、仕事のほうは暗躍を任せられているという噂だった。
何時もの引き締まった口元と、何時もと変わらない服装で眠る女王様の側に立っていた。
「女王様…綺麗」
献花台に赤い薔薇を添え、目の前のガラスのケースに横たわる女王様。
赤い小さめの帽子と、それに合う黒と赤がメインカラーのドレスは死にゆく人には不釣り合いだけど、とても女王様らしい。
最近は常に仮面を付け隠していた素顔は死んでも美しかった。暴君だろうとそれだけで沢山の人を魅了することができたのかな。
城を出て門弟の前まで来たらいつの間にか先ほどの騎士がいた。
軽くお辞儀をして彼の前を通り過ぎようとしたが、それは叶わず。目の前に立ち塞がった騎士。私は首を上げ騎士を見上げた。
「黒騎士さん。…あの通して頂けませんか」
冷たい瞳が私をとらえ、静かに見下ろす。ぴくりともしない。
「アリス、もうワタクシをナイトと呼べる女王は死んだのです。女王無き今ワタクシ守る者がおりません…理解できますよね?」
一歩も通す気配も無いようなので仕方なしに彼の望む言葉をかけた。
「じゃあ私のナイトになってみる?」
「そう懇願されては仕方ありませんね。良いでしょう」
私がいつ懇願したのやら。
彼はプライドがすごく高い。女王様といい勝負。
そんな彼を手なずけていたのだから女王様ってやっぱり凄い。
「そ。じゃこれからよろしくね。ナイトさん?」
「インゴ、と」
「わかったわ。インゴ」





「女王様、明日の公務は午後からですよ!…わたくしもお供させて下さいましね?その時は…お、膝に乗せてくださいまし!きっとお役にたてると思うのです!」
「ええいいわ」
ぴょんぴょんと兎が私の周りで飛び回り、せっせと明日の予定と私情を述べる。
明日の予定は確か午前中からだったはず。
そんな抜けた兎がお役に立つかどうか疑問だが、きっと私が断ればと黒い耳をしょんぼり垂らしていつもの自虐癖が始まるだろう。
そんな兎はとことん甘やかす
「ねえ女王様!見て新作の帽子作った!これはあなたに似合う!絶対ね!」
バン!と扉を開けて入ってきた帽子屋
ちょろちょろしている兎を跨いで見立てが始まる。
小ぶりの真っ青な帽子を楕円の箱から取り出した。
「ね?ね?どう?」
「いいわね、それ素敵」
「あとは宝石を此処に埋め込むの!明日朝一番に持ってくるからお仕事はこれ被って?」
「そうね、あなたのセンスに任せるわ」
「だからね、これに似合うドレス選んでおいて!」
「ええ」
明日にはケロッとして真っ赤な帽子を持ってきそうだけどね

「女王様、そろそろ参りませんか?」
「うん分かってる」
隣に居た黒騎士が私に出発を促す
今日も公務は死刑台を眺めるお仕事ね。
自分を跨いだ事に怒っていた兎は帽子屋と喧嘩を始めていた。
「ほら二人とも喧嘩は止めなさい」
私が二人に声をかける。
何かいいたそうでもあるが眉間にシワを寄せて二人をただ眺める黒騎士。
するとチシャ猫がそろりと姿を現わした。
「アハハ、女王様は毎日大変だねえ」
「あらエメット居たの?お昼寝するって言ってなかった?」
「んー?そんなこと言ったっけ?」
そんな気まぐれチシャ猫の顎や頭を撫でてあげて、ふと見たら黒騎士が凍てつく目で私に訴えるのだ。
はやくしろ、と。

女王になってまだ3日目なんだけど。

「もう死刑台は見飽きたわ」

―――――――
自分の名前を忘れて帰れなくなったアリスさんが女王様になる的なお話し