水鏡 | ナノ
水鏡




水は人の心のようである。


昔の誰かが言った言葉だが、それは本当にその通りだと思う。
こんなご時世にまで残っている言葉や書は意味があるものばかりで、幼い頃から本の虫のように異国の書物を読みあさっていたあの頃の知識はきちんと今に生かされている。
そんな言葉を古い引き出しから取り出す。案外整理されている頭の書物置き場は、その言葉もすんなりと取り出すことが可能だった。
だけれど思い出はきちんと整理されてなくて、過去の楽しかったことや悲しかったことなど思い出せない。


自分の心は濁った水のようだ。





「なぁ、毛利。なに考えてんだ」

「言う必要がない」

「いいだろ、別に」


どうして彼はこんなにも馴れ馴れしく訊ねてくるのだろうか疑問に思った。しかしそれはただ単に考えていることを共有したいという純粋かつ、自分には理解できないものである。
これだから大谷や自分のような者につけこまれるのだと思うのだが、同時にその綺麗な心が羨ましかった。


自分とは違う綺麗な水だから羨ましくて、憎い。


「……もし」


自然と硬く閉ざしていた唇が開き、頭のなかでふと考えていたことを言葉にだしかける。
悪者は口が軽いという大谷の言葉が頭によぎるのだが、自分は断じてそのような部類には入らないと自覚している。たとえ悪者と言われても、自分の策を自らばらすことなど自分が許さない。
それなのに口からでる言葉は止まらなくて、まるで堤を取り除いた水に勢いを送り込むように言葉があふれだす。


「仮に、我が裏切ったらどうする?」

「俺をか?」

「西軍をだ」


自軍の部下にも、ましてや身内にも言っていない毛利の頭のなかで出来上がっている策を口に出してしまう。
それを聞いた長曽我部は先程までとは裏腹に、黙り込んでしまいただ毛利の策に驚いているだけであった。
―――自分から言ったくせに。
そう呆れる自分は本当に歪んでいて、自分自身がとても嫌になる。


「…良かった」

「……は?」

「俺を裏切るって言わなくて」

「……」


その言葉は意外なもので別の意味で呆気にとられてしまう。いや、むしろそれが彼らしいと言えば彼らしくなかったからだ。
徳川ほどでもないが、西軍で誰よりも人の絆を大事にする長曽我部だから、きっと反抗して感情が高まるのだと思った。しかしそれより、そうなることを知っていて話した自分は彼よりも愚かだなと考えてしまう。
そんな愚かな自分に長曽我部は、笑みを取り戻して再び口を開く。


「俺はお前の傍にずっといてやるよ」

「…そんなこと言うな」


長曽我部のその純粋な優しさを一瞬でもその策の内に入れようとして、毛利はこの上ないほど自分の悪性を嫌った。だけれどそんなことをするということは、毛利は密かに長曽我部の近くにいたいのかもしれない。
もっとも、昔から自分の感情など冷水よりも冷たい残酷なもの以外ほとんどないので、その初めての感情が何なのかいまいち分からない。


「……我はただ、」



―――貴様のような、純水に憧れているだけだ。



それは何故か言葉に出来なくて、堤が再び取り付けられたかのように言葉を続けることができなかった。いや、きっと自分の防衛本能が働いて出させないようにしたのかもしれない。
人間はその各々の人間らしからぬことをすると、自分の精神が徐々に崩壊していくのだと、異国の書で読んだことがある。それは自分を変えることがゆゆしくて、酷薄なものであると悟っているものだった。



知っていた。憧れてもそのようになれないことは。




「……いや、期待している」


自分の感情を殺して、思ってもいないような言葉を吐く。
そんな罠めいた言葉なんか言いたくないのに、だけれど心は素直ではなくて嘘をついてしまう。
きっと彼の傍にいれば自分の水は澄んでいくだろう。けれどそれは上部だけで、底には様々な濁った感情が沈殿している。そんな沈殿の中には彼への好意も埋まっていて、見つけることはきっと不可能に決まっている。
恐らく、今よりもこの胸の内の感情は増していってしまう。


だから、この感情を見せないで流れる水に堤《罠》をかける。



「あんがとな」



その笑顔がこんなにも傷つくものになるなんて。
いつか、いつか、甘い結末がくるまでは、ずっとその純水を眺めていよう。





人の心は水のように移り変わるもの。



だけれど、この気持ちだけはかわらない。


Fin.




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