途切れた糸 | ナノ
-9-





司馬昭は不服の気持ちでいっぱいだった。蜀は劉禅のたった一言により魏に降伏した。あとは、幾度もの政変のため国力が衰えつつある呉を討つだけである。
魏の者としてはそれは喜ばしいことである。勿論、司馬昭も面倒事が一つ減ったので、喜んではいる。しかし、それでも司馬昭は素直には喜ぶことができなかった。



「司馬昭殿、どうしたのですか」



劉禅は薄らと微笑をして、上の空であった司馬昭に話しかける。あぁ、とそれでも司馬昭は上の空で返事をするものだから、悩み事があるのですかと尋ねる。
その言葉でようやく司馬昭は劉禅に向き直る。あれから劉禅は司馬昭を主にした魏の将と、憂い顔の蜀の将と蜀の成都へ足を運んだ。勿論、蜀にいた将にとってその光景は異端なもので、劉禅の言葉によりようやくそれを理解した。理解したとしても、素直に受け入れることができない者も多く、ただ呆然と淡々と降伏したことやこれからの蜀の民の暮らしについて語る劉禅の姿を目に映すだけだった。
それらの報告も終え、各将兵に民に知らせてほしいと命を出したところで、劉禅は司馬昭を部屋へと案内した。



「……こんなところで過ごしてたのか?」

「おかしいですか?」



劉禅が生活をしていたという部屋を眺め、司馬昭は驚く。蜀帝である身分にしてはあまりにも何もない。部屋にあるのは小さな机と寝台、部屋を僅かにしか灯すことの出来ない灯台だけであった。広い部屋には不釣り合いな内装。この部屋に案内されるまでに通った部屋のほうが幾分も生活感もあった。とてもじゃないが生活し難い場所であった。
劉禅は恥ずかしそうに、私だけが贅沢に過ごしてはいけないでしょう、と付け加えた。あぁ、また仮面を被っている。きっと無意識なのだろう。無意識に装ってしまうほど、この国は劉禅を縛りつけたのだろう。
先代劉備が望んだ仁の象徴、というあまりにも脆く抽象的な存在を次代の皇帝であるという理由のためだけに、劉禅は自由を失った。しかし、それでも劉禅は装うことでその象徴を守ろうとした。心のどこかでは無駄だと知りながら。



「この部屋、貴方以外に一人しか通したことはないんですよ」

「それほど信用してくれてるってことか?」

「貴方ならきっと分かってくれると思いましてね」



ふと、劉禅は机の下から一冊の本を取り出す。本というにはあまりにも乱雑で、紙の束を纏めたものと言ったほうがいいかもしれない。それをゆっくり広げる。綺麗な文字がずらりと並んでいた。
何頁か読んでみると、二人分の筆跡があることに気付く。一文字一文字きちんと書く特徴のある文字は、最近は収穫が困難で民が救いを求めている等といった民のことについてをずっと書いているのに対し、流れるような文字はそのための対処法や今後するべきことを、まるで未来がわかっているのではないかと疑ってしまうほどに的確に書かれていた。
暫く読み続けていれば次第に民の悩みから劉禅のことについて書かれていた。



『あの者は周りに流されやすい。更には深く考えすぎる性分ゆえ、勘違いされやすい。だが、優しい心は私よりも抱いている。きっと私がいなくなれば、阿斗がまだ成し遂げていない仁の世を作らなくてはいけないだろう。その時は、阿斗の好きなようにさせてやってくれ』



それが、父として望んでいることだ。と、弱弱しい筆跡で書かれていた。孔明、最後まで迷惑をかけてすまないと最後にそれだけ書かれて、その続きからは白紙であった。
おかしいでしょう、劉禅は呟いた。幾度も読んだのか最後の頁だけは皺だらけで、司馬昭はゆっくりと本を閉じた。信頼しきっていたからこそ、最後にそう言ったのかもしれない。信頼しきっていたからこそ、劉備がいなくなっても諸葛亮は最期まで劉禅に仕えていたのだろう。



「好きなようにしてくれと言われたのに、私はずっと仁を掲げ続けた。……怖かったのだ。周りの接し方が変わるのが」



小さく、消えそうな声だった。不安定で、誰かが傍にいてあげないといけないと思ってしまうような。きっとこの垣間見える劉禅の本性が皆を惹きつけた、そう思えた。
自分もそうだ。自分も劉禅に惹かれた。ただの暗愚と噂されていた蜀帝が魏に訪問したいと言ってきたときは、本当に暗愚なのか耳を疑った。だから、反対する者たちの声を押し切って面会をした。会いたかったのだ。本当に暗愚なのか、この目で確認したかった。
そう思っていたのは自分だけでなく劉禅もだった。実際会えば、すぐに仮面を被っていることに気付いた。恐らく自分に似ていたからだろう。
だから、だからなのかもしれない。劉禅に惹かれていったのは。好意にも似た、いや実際好意なのだろう。そんな感情をいつしか抱くようになっていた。



「劉禅……いや、公嗣」



実は、と司馬昭が続けようとした。しかしそれは兵卒の荒々しく扉を開く音により途切れてしまう。
どうしたのだ、と相変わらず仮面を装い、穏やかな笑みを見せながら劉禅は尋ねる。しかし、その笑みも長くは続かなかった。



「き、姜維殿が……っ、姜維が乱を起こしました!」





Fin.

13.04/22








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