途切れた糸 | ナノ
-5-






劉禅は気鬱な日々が続いていた。魏の勢力が拡大していく一方で、蜀は度重なる北伐のせいで国力が減りつつあった。来る日までもうすぐか、と劉禅はいつも心の中で考えていた。
これ以上蜀が疲弊すれば、民の生活に影響が出てしまう。それでは仁の世を目指しているこの国の矛盾ではないか、と。いや、本当はもっと違うことのためなのだと、仮面の奥の自分が訂正する。
あの日、あの木の下で自分はどうして姜維の行動を躊躇わないで、寧ろ手を回していたのか。それが劉禅の決断を明澄にさせた原因だった。
あの時改めて思った。そして、考えが変わっていった。気に入っていたのは姜維のほうではない、劉禅もだったのだと。



「劉禅様、司馬昭殿もお待ちしているとのことです」



兵卒の声が聞こえ、劉禅はゆっくりと目を開ける。長かった道程だったが、漸く目的地へと辿り着いたようだ。
魏に蜀帝自らが交渉しに行く。前代未聞かもしれないが、劉禅にはこれが妥当だと思った。会談をするだけのとても簡単な面会になるだろうが、伏兵がいるかもしれないと他の将兵達は頑固反対した。



「劉禅様、私の傍から離れないでください」



話し合いの結果、姜維と少しの兵を引き連れての交渉であればという結果で収まった。
あの日から、姜維と話す機会も鍛錬をする機会も以前よりも格段に増えた。それは周りから見ても明白だった模様で、今回の案が出されたのだろう。
正直、姜維の近くにいると安心した。他の将兵では、先代である劉備の話ばかりする。それが嫌で嫌で仕方が無かった劉禅にとって、姜維の存在はかけがえのないものであった。もっとも、それ以外にも姜維が近くにいることが安心である理由があるのだが。



「姜維、怖い顔をしているぞ?それでは魏の人達が逃げてしまう」

「そ、そうですか?」



慌てて自分の頬に触れて困ったようにする姜維に、劉禅は口元を緩める。姜維の前だと仮面が時折外れそうになる。いや、実際外れているのだろう。
姜維の素直さは劉禅にとって羨望な対象であった。真っ直ぐで、自分の正しいと思ったことをやり遂げるその誠実さが。深く考えて答えをはっきりと出せていない、どうしようもない阿斗とは正反対なその性格が。



「よう、蜀帝さん」



その時、二人の背中から声が聞こえる。その言葉で二人の会話は途切れ、劉禅はゆっくりと振り返り声の主に微笑を向ける。そして姜維もまた邪推深めな表情を浮かべ、軽く拱手する。
こんにちは、と劉禅は言葉を返す。余りにも軽い挨拶のやりとりに、魏の迎えてくれた兵たちだけでなく劉禅の後ろにいる蜀の兵達もざわめく。だが、二人は周りの雑音など聞こえないかのように、互いの顔を見つめ合った。
暫く二人の間に沈黙が流れた。足元には昨晩降ったであろう新雪が土を隠していて、靴越しでもとても冷たい。そして優しくも冷たい風が耳を掠め、ちくりと痛みを感じる。劉禅は少し赤くなった鼻を手で隠し、困ったように言葉を発する。



「すまないが、中に通してくれないか?ここでは寒くて風邪を引いてしまう」

「あぁ、そうだな。兵には別の部屋を用意してもらっている」



ありがとう、と劉禅は軽く笑みを見せる。その表情を司馬昭はじっと見据えた。その瞳は劉禅の表情ではなく、違うところを見ているかのようで劉禅は視線を逸らす。
ふと劉禅様、と隣から姜維の声が聞こえる。心配そうに御身体は大丈夫ですか、と言わんばかりの瞳に劉禅は小さく首を縦に振る。大丈夫だ、と呟くと姜維は少しだけ表情を和らげる。
行こうか、と劉禅は司馬昭に微笑みを見せて歩み出す。足が凍りつきそうなほど寒かったのに、足の凍えは先程よりもずっと和らいでいた。暫く歩き後ろを振り向けば、姜維は尚も不安そうな表情でこちらを見ている。



「心配性な臣下なんだな」



扉が開き、中に入るとずっと黙っていた司馬昭が話しかける。私が不甲斐ないばかりにな、と悄然としてみせる。すると司馬昭は深い溜息を洩らし、後ろにいる二人の兵卒に下がるように命令する。
大広間に二人だけが残される。僅かに外から鍛錬中であろう魏の兵卒の声と、先程よりも強くなった風の音が聞こえるだけで、他に何も聞こえない。司馬昭はゆっくりと劉禅の顔を捉え、そして口元だけを緩めて言葉を続ける。



「暗愚を演じるのはめんどくせぇだろ?」



大広間に二人だけの足跡が響く。酷く冷たく感じる無機質な床は、僅かに劉禅の姿を映す。床に映ったその表情はこの建物よりも冷たく無表情であった。
どうしてなどと思うことはなかった、お互いが向かい合ったあの時からずっと司馬昭は劉禅の仮面を見ていなかったのだ。
俺もめんどくせぇことは苦手なんでな、と司馬昭は軽く笑う。劉禅は椅子に座り、そして笑みを浮かべて私もだと頷く。



「お互い、隠せることはできない。……そういうことですね」



きっとこの会談の目的も、今後のこともばれているのだろう。
だが、不思議と不快に思うことはなかった。自分と同じ人を見つけた、そう思うと嬉しかったのだ。もっと違う境遇で出会えれば、と思ってしまえるほどに。
しかしあなたは一つ間違っていますよ、と言葉を続ける。これが本当の、心の底から思う本音を。



「……私は暗愚だ。人一人救う方法もわからない」



Fin.

13.03/06





BACK/TOP
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -