罪と× | ナノ
罪と×




場所は瀬戸内。
比較的温暖な気候で新年も過ごしやすい場所なのだが、今日はとても肌寒かった。
塩の臭いに混ざって血のいくら嗅いでも慣れない臭いがこの地を汚していく。


「ちょ…っ、待てって!」

「そのように言われて待てるか」


足場は揺れている。それは海の上に浮かんでいる船に乗っているからで、しかもその船はとても小さく、二人が乗って精一杯だ。
だから少しでも動けばバランスを崩してしまいそうで、だけれどそれにも構わず毛利は動くものだから、長曽我部は焦る。
そして、彼が動く度に増す鉄の臭いに思わず目を細めてしまう。


「っ…ぐ」

「だから言っただろォ」

「五月蝿い、いいから…戻せ」

「阿呆か」


腹部を押さえながら怒鳴る彼の言葉には力がなく、普段の氷のように冷たい瞳も少し潤んでいて、いつもの彼とは違って見えた。
そして言っている内容も、日ノ本一の智将である彼が言うには愚かなことばかりで、彼が本当に中国を治める毛利元就なのかと疑問に思う。
しかし、こんなにも小さな船に乗っているのがその智将と、更に四国を治める長曽我部元親だと言うほうが、疑問に思ってしまうのだが。


「戻ったら、死ぬぜ」

「……知るか、これが我に対しての罰なのだ」


ぎゅっ、と碧が紅に染まっている腹部の布を強く握って、お前には関係ないと言わんばかりの雰囲気を醸し出しながら鳥居のある安芸の方をぼんやりと見つめる。
国の中の反乱はこの時代ではよくあることだった。相手が僧、部下、民衆……とにかく不満があるものは皆刀を持って上の者を蹴落そうとする時代だ。
しかし、少し前に豊臣が刀狩を行なったために下剋上は激減したのだが、今こうして毛利は腹部を怪我をするほどの大事にまでなっている。
苦しそうな様子を必死に堪えながら海の向こうを見ている毛利を一瞥して、長曽我部は再び船を漕ぎ出す。
中国と四国までは地理的に考えればとても近い。しかしその間を小舟で漕いで渡るというのは、余程この海のことを知っている者でなければ渡ることは困難であろう。
それでも長曽我部は自分の治めている四国へと向けて船を漕ぐ。


「…でも、お前なら分かってたんじゃねぇのか。部下がこんなことすることくれぇ」

「……貴様はそう思うか?」

「あぁ」


何せ随分未来のことまで考えている智将様だからな、と加えて皮肉っぽく言えば、背後から抑え気味の笑い声が聞こえる。
実のところ長曽我部もこのような出来事が起きるのではないかと、少し前から予測していた。毛利の兵の扱い方は一人の人間とは見ておらず、まさに捨て駒扱いなのだ。
自分でさえ分かったのだから、とそう思って尋ねたのだが毛利の答えは少し違っていた。


「…我は策は考えられても、人の心は分からぬ」


いつもの堂々とした態度ではなく、自嘲気味な彼のその言葉は長曽我部の心に深く刺激を与えた。
そして不思議と長曽我部も笑いが込み上げてきて、波の音に増幅するように大きく笑い叫ぶ。
すると先ほどまで穏やかだった波も少しだけ荒れて、足場も少しだけ揺らぐ。


「っ…はは、傑作だな。俺と逆じゃねぇか」


策など考えないで戦場を駆ける。その姿は味方だけでなく、敵までも魅了するものだった。
だからかもしれない、長曽我部の周りには人が集まり裏切りということが今までに一度もなかったのは。
実はそれが毛利が影で最も羨ましく、憎らしく思っていた才能であったということは、長曽我部は今もその後も知らないことなのだが。


「…なら、早く戻せ」

「戻って大人しく死ぬのか?」

「我はやすやすと死なぬ」

「俺ァ、無駄死にが嫌ェなんだ」


大怪我を負っていて、尚且つ武器を持たない者を見捨てる訳がない。それがたとえ敵対している者であったとしてもだ。
それでも戻りたいなどと怒鳴りながら言うものだから、長曽我部はゆっくりと後ろを向いて、その五月蝿い口を自分の唇で塞ぐ。
そうすれば、波の静かな音しか聞こえるものはなく、不思議と落ち着きを取り戻していく。
だが、すぐに毛利は長曽我部を押し返して目の前にあった顔が離れてしまう。


「っお、…あぶねーじゃねぇか」

「どういうつもりだ」


その言葉でようやく長曽我部が今していたことの重要さに気づく。
五月蝿い口を黙らせるため、とはいったもののどうして接吻をしたのだろうかなど、実際にしでかした長曽我部さえも分からなかった。
だが、唯一分かるものはその僅かだが、すぐ近くであった距離がとても居心地の良かったということだけだ。
そこでもしかしたら、という可能性に気づく。


「…好きなのかもな」

「は、」

「だから、んなことをしてんのかもしれねぇ」


どうしてこんな奴を助けているのか―――。
いつもなら顔を合わせれば刃を向けるような存在なのに、長曽我部は今こうして毛利の手助けをしている。
見捨てられない性分だからとは一時思っていたものの、よくよく考えればいくらそんな性格でも普通敵なら自分が危険に曝されてまで助けるはずがない。
その結果導かれた答えは、普通なら意外なものなのに、長曽我部は不思議と納得してしまう。


「…愚かな」

「へっ、いいじゃねぇか。これが俺の罪だ」

「勝手に言ってろ」


そう言っているものの、戻りたいと言わなくなっている。
もしかしたら、毛利も―――などと、長曽我部は自分のいいように解釈をしてしまうが、勿論口には出さない。
もうすぐ見えるであろう四国に向け、船を漕いでいく。
四国に着いて、彼を自分の屋敷に保護させてから行く場所は決まっている。毛利の尻拭いをすることぐらい、好きになってしまった罪に比べればとても軽いことだ。
そして、頭の中で出来上がっている未来予想図を毛利に提案する。


「もし、おめーのとこの部下を鎮静できたら、もう一度告白してもいいか?」


好き、というものはとても愚かな罪だ。
人の心を掴めないで起きてしまった罰よりもずっと、ずっと。
だけれどそれは何故か魅力にあふれているもので、触れてしまえばもう後戻りはできない。


一瞬毛利は驚いた顔をするが、そのせいで腹部の傷が再び開いしてしまったようで苦しそうな表情を見せる。
だが無理に笑みを作り、独り言のように愚かな…、と先程と同じ言葉を呟く。
そしてゆっくりと長曽我部に向き直って、震えている口を開く。


「…よかろう」


そう言って、ゆっくりと目を閉ざす毛利に見えたのは徐々に近くなっていく長曽我部の顔だけだった。
このあと目を覚ましてから、起こるであろう長曽我部が笑顔のまま言う言葉を想像して。
好きだ、なんて滑稽な言葉をどうやって受け入れるのかを考えるのには、まだ時間が十分ある。
そう、新年の最も美しい日輪が登るその時まで―――。



Fin.


11.12/30






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