空のような海
『あの青い空は実は嘘で、ほんとは海の色なんだぞ!!』
当たり前のことを昔彼は言っていた。だけれどそのときは彼の話を黙って聞いていた。何故か彼の言葉一つひとつが大切に思えたからだ。
そんな自分を彼はおかしいとも思わずに言葉を続けた。
―――…苦しい。
昔の断片的な思い出が頭に廻ると、呼吸がより苦しくなる。
歪んだ視界や口からでる気泡は、まるで水の中のようだ。否、この暗さや深さは水というよりは海のようで酷く冷たい。
海のはずなのに、太陽に照らされているはずの水面は見えなくて、闇しか残っていない。
そう、まるであのときの言い合った言葉のような―――
『海のわけあるか』
一通り聞いてから自分は、ずっと溜まっていた否定を口に出す。
言い出せば止まらないそれは、彼が口を挟むまでずっと続いた。
『三成は空が好きなんだな』
『嫌いだ。だが、無くなっては困る』
空がなくなればあの太陽も無くなってしまう、と言えば彼は不思議そうな表情をする。
その表情をするのは当たり前で、自分自身そんなことを言うような柄ではないということは知っているので、そんな表情は機嫌を悪くするだけだ。
彼はそんなつもりはないかもしれない。そんな性格だから、彼にとって自分が勝手に怒っていると思っているはずだ。
『目印がなくなると溺れて、沈んで、そして壊れてしまうからだ』
『三成らしくないな』
自分らしくない?
だったらその自分らしいは何なのか聞きたかったのだが、それは怖くて聞けなかった。
すると、彼は思い出すようにいつもの笑顔で訂正するように話す。
『いや、やっぱ三成らしいな!』
『……どっちだっ!!』
そのあとは自分が彼の優柔不断なその発言に燗を立てて喧嘩をして、いつも通りな時が過ぎていった。
それはあまりにも普通なひとときで、崩れやすかったものだとは知りもしなかった。
確かに彼の言う通りかもしれない。
目印がなくなって、不安定になるなんて自分はどうかしてる。
彼は実は“太陽”で、自分は“空”だったなんて―――
けれど、それに気付くのには遅すぎた。無くなってから気付いても、残るのは喪失感だけでただ悔やんでぐちゃぐちゃにするしかできなかった。
―――目印がない海なんて、
涙が出てもそれに気づく人は誰もいなくて、もがいても助けてくれる人はいなくて、溺れていても見つけてくれる人はいない。
それはこの上ないほど辛くて、目印を探す。だけれど、真っ暗でどこに行けばいいのか分からない。
―――……あぁ、そうか。
彼のことが好きだったのだ。
名前を呼んでも、近付いても足りないくらい大好きだったのだ。
その憧れに似た感情は、嫉妬や恨みと混じって誤解してしまったのだ。
“なにそこで寝てるんだ、三成”
―――黙れ、貴様が現れてくれないとこの闇に溺れたままだろ。
脳裏に笑い声が響く。
すると、自分の後ろから微かな光が照らされて水面が広がる。
そのとき初めてこの真っ暗な海がこんなにも綺麗だったということに気づいた。
やはり彼は、自分が気付かなかったことを何時でも気づかせてくれる。
“ほら、早く”
―――煩い。
その光に向かって飛ぶ。
海のなかのはずなのに、まるで空みたいでとても心地好くまで感じられた。
光は徐々に明るくなり、太陽のような彼の後ろ姿が見える。
―――待ってろ、家康。
今度こそその目印を見失わないように、繋ぐから。
“好き”という確かな紐で。
やっぱり空は嘘なんかじゃない。
Fin.
11.11/02
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