夏の暑さから開放されて、ようやく心地の良い季節がやってきた。
別段贔屓する季節があるわけでもなかったが、額の汗を拭う手間が省けただけでも今の季節への好感度が自然高まる。
暑いならば別の服を着る。という選択肢は、彼の中に存在しない。
40℃の暑さよりも弟の真心を取る。それが、平和島静雄という男であった。
ドアノブに手をかけて、一瞬の逡巡の後
静雄は息を吸い込んだ。
そして、その呼吸量とは比例しない小さな声で呟いた。
「…ただいま」
少し前ならば、必要のなかったその言葉。
それを口にするのが、どこか気恥ずかしいなんて悟られるわけにはいかなかった。
きっと、一日に数十回は強請られる事が簡単に予想出来る。
そして、そのワガママな願いを結局は叶えてしまうだろうという自覚が彼には、あった。
「おっかえりぃ〜」
この声の主に、愛らしい尻尾と猫耳がなければ その確率は一気に下がるのだけれども。
ベッドの上でヒラヒラと手を…否、尻尾を振るのは見慣れた黒髪。
視線はテレビに釘付けのまま、それでもひょこひょこと動く耳は明らかにこちらを気にしていて…
「ーーーはぁ…」
まったくもって、やってられない。
静雄の心境はこの一言だ。
そのため息を大きな耳で拾ったベッドの主は、不服そうな顔を静雄へと向ける。じぃっと見られたかと思うと、ふいと逸らされる視線。さっきまでゆらゆらと揺れていた尻尾が、今はパタパタとベッドを叩いている。
「…なんだ、拗ねてんのか」
疑問形ではない。
いかに人の感情には鈍い静雄も、これくらいの事は分かるだけの時間を共に過ごしてきたのだ。
ベッドの中央を陣取る、丸まった布団(中身入り)に、柔らかく触れてみる。
「ノミ蟲?」
恐らく頭辺りを撫でてみると、思い切り首を振られ振り払われた。
可愛くない。
「ーー臨也」
「………なに」
名前で呼べば、ひょっこりと顔を出す所も、
こちらの声を聞き逃さないように動く大きな耳も、
自由で奔放なこの居候に独占されたベッドでさえ、
関わる全てが愛しいと思えるなんて、一体どんな魔法を使ったのだろう。
「……シズちゃん?」
不思議そうな瞳の真ん中には、ただ自分だけが映っている。
この瞳があるならば、自分はいつまでだってこの魔法にかかっていよう。…なんて、馬鹿な事を考えた。
「ただいま、臨也」
おでこを合わせて笑ってみせれば、
「それ、さっきも聞いた」
憎まれ口と共に、嬉しそうに瞳が細められる。
僕だけを見てね
(二人して、同じ事を願ってる)
end
sousaku30 no.1
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確かに恋だった