主張が激しかった季節も、いつのまにか移り変わる。
肌寒くなった風から逃れるようにコートに身を包めば、クリーニングに出したばかりのふわふわのファーが心地良い。
(そうだ、今日は鍋にしよう)
料理上手な秘書に打診すれば、家でも満足する味が得られるだろう。ついでに残業手当を加算して、一緒に食べて貰えば丁度良い。所詮は金かと誰かに思われても構わない。俺と彼女の関係を明白化させるならば、報酬という存在は必要不可欠なものであり、下手な信頼関係などよりもずいぶんとシンプルだ。いや、別に友達がいないとかではなくて。そもそも俺は、この事実を誰に零すつもりもない。いや、だから告げる友達がいないとかでは全くなく。もしも秘書に同席を断られても、まぁ、最低でも鍋は作ってくれるだろう。彼女の機嫌と弟君の動向次第で嫌味の一つや二つは貰う気もするけれど。
この時の俺の思考は、八割程鍋が締めていた。
仕方がない事だ。秋口から冬にかけての鍋の魔力に人が抜け出せたという話は聞いた事がない。水炊きか、鴨か、鱈もいいかな。いや、すき焼きも捨てたもんじゃない。魅惑の鍋にとりつかれていた俺は、当然ながら背後から飛んでくる自販機に、気付かなかった。
痛みは、まず脳からやってくる。
嫌な予感を感じ、わずかに振り返った先に自販機を見付けた瞬間、避けられないと判断すると同時に、まだ当たったわけではないのに痛みだす。一体、俺の脳はどこまで優秀なのだろう。
その後、リアルな痛みがやってくる。
なんていうかそれは、想像の30倍程痛い。もしかしたら40倍かもしれない。それは、脳が安全策として用意したシミュレーションを軽く越えていて、てことはさっきの痛みは無駄じゃないか、俺の心構えを返してよ。てゆーか当てるなよ、これ俺じゃなきゃ死んで…ああ、殺す気だよね。120%の殺意しかこもってないもん。本当、シズちゃんと関わるとろくな事がない。
「本当、シズちゃんって最悪…」
そう呟いたつもりだけど、実際に零れたのは衝撃に零させられた呻き声だけだった。身体を捻って、直撃からわずかに逸らす事には成功したが脇腹の嫌な痛みだけが気にかかる。視界が白く染まっていき、それから段々黒く変わる。ブラックアウト。ガチで落ちるのなんて久しぶりだった。
目を覚ますと、もしかしたら夢だったのを期待していたが
残念ながら脇腹が凶悪に痛む。薄っすらと開いた瞳が映したのは、最悪の現実。
身悶えすれば、ギシリと鳴る安っぽいベッド。
血が止まるくらい固く縛られた手首に、鼻につく煙草の香り。
そうして、俺の脇腹に顔を埋めていた金髪がゆるりと顔を上げる。
「よぉ、起きたか」
舐めていた血が残る唇を歪め、多分、笑ったつもりなのだろう。
人間になれない化物は、人間みたいに笑って見せる。
「誰のせいでっ……!」
俺の言葉を好かない君が、全体重を肋骨にかけてくる。
身の危険を感じ(実際大分実害が出ているが)黙りこめば、満足気に唇が落ちてくる。頬に、瞼に、髪に、くちびるに。血生臭いそれを拒めば、待つのは死だ。
(ああ、ホンっとシズちゃんって最悪だよね)
今日はどうすれば生き延びられるのか考えていれば、首に思い切り噛み付かれる。余計な事を考えるな、とお怒りらしい。
シズちゃん、と一つ呼んで、縛られた不自由な手で髪を撫でてやる。
化物は、それはそれは嬉しそうに笑ってみせた。赤い、赤い唇を歪ませて。
僕のために笑ってよ
sousaku30 no.10
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確かに恋だった