本来ならば1年の訓練が最低必須科目とされていたので、カルデアへ赴くのはまだ先だったはずだ。だが事態は急変した。マリスビリー・アニムスフィアが死んだのだ。
父はそれと同時に私をカルデアに放り込み、真っ先に傷心の跡継ぎであるオルガマリー・アニムスフィアに兄の優遇を約束させ、いつの間に交わしたのか、ギアススクロールに則って幾つかの礼装を頂戴し帰っていった。
説明も別れの挨拶もなく「出荷」された私は、多分もう二度とあの家にもう戻ることはないのだろうと予感する。いや、これは確信だ。
この棺のように白い建物の中で、私は死ぬのだ。
私は「出荷」ではなく「捨てられた」のだ。

トランク一つ持って立ち尽くす私に、あれこれ世話を焼いてくれたのが職員制服の上に白衣を羽織ったロマニ・アーキマンを名乗る男性だ。
このカルデアの医療トップらしい。まだ若いのにトップの地位に立つということはそれなりの実力者で有能なのだろう。あたり前のことだが。

「やぁはじめまして!ミス桑飼!真珠ちゃんって呼んでも?」

ふわふわしたパンケーキや甘い生クリームを思わせる柔らかい笑みと声。成人男性に向かってその評価はどうなのかとも思うが、魔術の研鑽にしか興味のなかった父や兄に比べれば可愛げがあるのも事実だった。

「…えぇ、はじめまして、ドクター。突然になりますが、よろしくお願いします」
「うん。じゃあ君の部屋に案内するね。悪いけど、オルガマリーはまだもう少し時間がかかりそうだから」
「…父がすみません」

父親が突然自殺し、国連からも承認を得た魔術と科学を混合させた人類史の観測という巨大なプロジェクト。それをたった十何年生きただけで継がされる。逃げることもできず、のしかかってくるその重責は想像も絶する。
ただただかわいそうだと思った。
マリスビリーも酷なことだ。せめてスペアを作っていれば、あの若い所長ももう少し心に余裕があっただろうに。
魔術師としての高いプライドと、年相応の少女としての弱さが彼女をさらに追い詰め苦しめている。わかったところで私にしてやれることはない。
それに彼女はもう支えを見つけているらしい。レンズ越しでもわかるほど、黒い魂を持ったナニカ。
それに私に与えられた使命は「アニムスフィアの計画への協力」であり「傷心のオルガマリーを慰めること」ではない。一人で立っていられないのならば、普通の魔術師としても使えないだろう。

一人一部屋与えられるマイルーム。
現状マスター候補は私一人。あとは随時補充と行った形か。しばらくは説明や座学を受け、本格的な訓練指導が入るのはもう少し後だろう。
Dr.ロマンから部屋は好きに使っていいと言われたので早速荷解きをして部屋を工房化していく。トラップの術式ひとつないマイルームは魔術師にとって丸裸同然だ。
戦地でなくとも、魔術師は己の工房を持つ。魔術師というより錬金術ばかりの自分も根は魔術師らしく、かなり落ち着かない。
荷を解き、大小の機材を配置して魔術式を走らせながら考える。
聖杯戦争の終わった世界なら生きられると思っていたが、現実はそんなに甘くないらしい。
これは本筋から派生したシナリオだったはず。ソーシャルゲームのアプリだったという知識はあるが、あいにくプレイヤーではなかったので今後の展開などほとんど知らない。
まず真っ先に主人公以外全員死んだ気がする。なので、何を持って死亡したかをなんとか思い出し、その対策をしなければならない。
物語としておおよそのものは「主人公」がいればハッピーエンドなのである。
世の中には「主人公補正」という言葉もあるので、「主人公」はほっといても生き残るだろう。けれど自分は違う。簡単に死んでしまう。脇役以下モブAくらいだろう。
今日までだって人生を一つも自分で選べなかった。なのにこのまま何も選ずに死ぬなんて絶対に嫌だった。
こんなに苦しいまま生きて死ぬなら、なんの希望も喜びもなく死ぬなら、どうして生まれ直したのか意味がない。
生きたい。
たとえそれが「主人公の物語」への反逆だとしても、私は、幸せになりたかった。

「…はじめまして、か」

心を落ち着けようと意識すれば、先程のドクターの明るい笑顔が思い出される。
酷いものだ。私は一時だって忘れてなんかいなかったのに。
そうひとりごちて眼鏡の縁を撫でる。成長に合わせてサイズが変わるので、ずり落ちたり、逆に小さくなったということはない。
自分の目を守ってくれた礼装。人生で初めて人に気にかけてもらった。
手を差し伸べ、与えてくれた。魔力の満ちた温かい指先。
忘れたことなんて一度もなかったけれど、私は忘れられてしまっていた。
それが虚しくて、笑える。
結局誰にとっても、私は取るに足らない存在なのだ。


20180430 内臓への一人旅