兄が魔術協会の総本山である時計塔へ入学するための下準備として、イギリスへ母とホームステイすることになった。
母は細腕の淑女だが、あれでいて武闘派魔術家系の娘だったらしいので兄が死ぬことはないだろう。
父がついていくと思っていたが、父はこの周辺都市の魔術師の統括、セカンドオーナーとしてこの土地を離れることができないらしい。
そんな父に来客があったのは特別珍しいことではない。魔術師は神秘の秘匿に熱心だが、決して交流しないというわけではなかった。
そもそもこの桑飼という家も魔術協会である時計塔の「呪詛」学部に籍を置くため傘下のひとつだ。
ただその日は酷く胸がざわつき、頭痛に満たない微熱が脳を揺らしていた。
訪問者のマリスビリー・アニムスフィアを名乗った男は時計塔のロードの一人であり、近々開催される聖杯戦争の参加者らしい。
マリスビリーは戦争には不向きの魔術師の英霊を召喚したらしく、強力な英霊ではあるが保険のためにこの土地の霊脈への接続の許可してほしいとわざわざ訪ねてきたらしい。
時計塔の12の君主の1角であるロードが秘密裏とは言え直々に申し出てきたのだ。
これに対して父はにこやかに対応し、入学後の息子への優遇を約束させて彼の要件を飲んだ。
離れた土地で起こる聖杯戦争だが、そこに厳格なルールは存在しない。
神秘の秘匿と6人の英霊の脱落。それにより聖杯が満ち、願望機として機能するという。
聖杯戦争。英霊。願望機。どこか聞き覚えがあるような、不穏な言葉に弾む会話。
セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、アサシン、キャスター、バーサーカー。その7体の過去の英雄が召喚され戦うという。
ぐるぐると言葉が頭の中に響く。
そしてこちらをじっと見つめる姿なき気配。

「ふぇいと…?」
「真珠?そこでなにをしている?」
「あっ、す、すみませんおとうさま」

倉庫から取り出した材料を自室の工房に運ぶ間、耳が拾った単語による記憶の整理をするために無意識に立ち止まっていたらしい。ちょうど部屋から出てきた父とマリスビリー。そして、キャスターの英霊の姿に瞳が焼かれた。

「ッ!!!!」

鮮烈な魔力と呼ぶべきか。閃光と呼ぶべきか。一瞬にして視界は色と造形を失い、バランスを失った体が後ろに転がる。絨毯のひかれた廊下に打ち付けられるはずの背は、誰かの掌が支えていた。

『私が視えてしまったのか』
「キャスター?どういうことだ?」
『すまない。マリスビリー、ミスター桑飼。この子の瞳に私の姿が写ってしまったんだ。けれどすぐに良くなる』

もう片方の掌が両目を覆う。
冷たいような、温かいような掌。そして感情のない平坦な声。

「すまないね。これで大丈夫だろう。視えすぎるのも困りものだ」

かすかに笑う気配があって、掌が失せれば今までつけたことのない眼鏡のレンズが目の前にある。視界は良好であり、度も合っている。普通の眼鏡だ。

『おそらく透視の「千里眼」…いや「浄眼」か。あまり人に言いふらすべきものではないから、肝に銘じておきなさい』

私にだけ聞こえるような小さな声でそっと囁く。浄眼、その意味はわからずとも魔術師として価値のあるものなのだろうと推測できた。
レンズ越しに視た姿は輪郭だけを型取り、その姿や色は見せなかった。突き刺さるような魔力は遮られ、なんとかキャスターの英霊を見上げる。

「あ、ありがとう、ございます」
「こちらこそ、すまなかったね」

丁寧に何度目かの謝罪を零し、その後は完全に気配を隠した英霊。
メイドに付き添われて部屋に送られ、父とマリスビリーはまた何か話し込みはじめたが、眼鏡越しではもう閉じられた扉の奥を見透かすことはできなかった。

それ以来父の目を盗んで英霊からもらった眼鏡と「浄眼」、「千里眼」という単語について調べたあげた。
魔術師だから出来るものだと思っていた透視能力はどうやら肉体に依存する能力らしい。
「千里眼」とはその場にいながら千里先をも見通せる能力であり、単純な遠視であり壁や物質を透視することもできる。神秘の濃い時代には過去や未来をも見通す瞳とされていたらしい。
一方「浄眼」については資料が少なく、魔術の気配・魔力・実体を持つ前の幻想種などを把握できる性質ということだけ把握できた。
しかも「浄眼」は「魔眼」と同じく眼球だけの独立した魔術回路だ。血筋や血統に関係なく適応される為、他人から狙われる危険性は大きい。最悪、眼球を摘出され兄に使われる可能性も拭えない。だからこそ私はマリスビリーの帰宅後、問い詰める父に瞳の性能を半分も話さなかったのは正解だった。
この「浄眼」は一歩間違えれば封印指定もあり得るということらしい。それは確かにあまりに人に言いふらすものでもないだろう。魔術師とは常識や人間性をかなぐり捨てた研究肌の人間が多い。頭のおかしなマッドやサイコな人格者が代表にあげられることもあるのだから。
私の「浄眼」は「千里眼」のように遠くを見ることはできない。ただ壁やドア一枚程度の透視ができる。そして一度視た、知った程度の物質の鑑定ができる。この後者の能力が錬金術に役立っていると伝えた程度だ。
実際は遠くは見えないが家一つ丸裸にして中を透視することが出来るし、浄眼は隠蔽魔術をかけた使い魔も簡単に見える。
先日のキャスターの英霊も霊体化しているにも関わらず姿形が視えてしまった。
そもそも私が自覚する視界は情報に溢れたものだった。鉱物や薬品の成分。礼装の術式が自然に見えてしまう。
まだ半分ほどしか理解できないが、魔術師としても、錬金術師としてもカンニングし放題だ。だが実力が伴わなければ魔術と錬金の行使は難しい。しかし今後役に立たせる方法はいくらでもある。
無為に知られて瞳を抉られるなんて御免こうむる。

そもそもだ。聖杯戦争。これは生まれ変わる前にも見聞きしていたはずだ。おそらくテレビゲームかアニメかのどちらかだろう。現代の魔術師と過去の英雄が手を組んで戦う。神秘に包まれた苛烈な戦いだ。参加者は下手をすれば死ぬ。一般人も犠牲になる。フィクションだから楽しめるような内容も、身近で起きるとなれば話が変わる。
嬉しいことに戦争の開催地が近いとは言え、その土地は別のオーナーの霊地だ。プライドが高く蹴落とし合いが日常茶飯事の魔術師たちが、別のオーナーに迷惑をかけるだなんて危険極まりなく恥知らずなことをするまい。とするとこちらまで被害が出ることは考えにくく、もしも「聖杯の泥」というものが溢れてしまっても物語の主人公たちがなんとかするので人類は滅亡しなかったはずだ。
大まかにしか話を知らないので悔やまれるが、とにかく私には関係ないし興味もない。
「根源」を目指す父や兄は興味があるかも知れないが、聖杯が選ぶ魔術師は開催地の御三家が基準とされる。オーナーとして土地を離れられない父や兄が、戦争に参加できる可能性も低いだろう。
せっかく生まれ直したのだ。できれば長生きしたいし遊び尽くして満足して死にたい。
「神秘」だ「根源」だというのは、自己満足で人に迷惑をかけない程度にやってほしい。





などと呑気していた自分を殴ってやりたかった。
何度も言うが魔術師の大半はマッドでサイコ。そしてプライドが高い。
そんな魔術師がわざわざ頭を下げて協力を要請していた。その時点で、アニムスフィアと桑飼には利害関係が生まれていたのだ。
将来家督を次ぐ兄の育成と、まだ「出荷」の予定のないスペアの私。

やはりいつだって現実はクソなのである。


20180331 王子と魔女は共犯関係にある