警告音と職員のざわめきもすべてコフィンの中まで聞こえていたが、まずい、と思った瞬間にはすでにレイシフトが行われていた。
光ひとつ見えない漆黒の闇と、暴風。落下する体。
最悪なことに、レイシフト時の発生した時空間の乱れによりマーキング地点が地上から文字通りの地上になってしまったようだ。つまり空中である。
落下する自分と下から吹き上げぶつかる風の音、そしてそれに掻き消された自分の悲鳴。暴力的な風に痛めつけられ乱れに乱れる髪とカルデアの礼装。風圧に乾く瞳で地面はまだ遠そうだというの唯一の希望を見つけ、禧緒は礼装である北海の歌姫を握りしめ令呪に魔力を送る。

「令呪を持ってっ、命ず!クー・フーリンっ…!!来てっ…!」

これまた瞬間的に失敗を感じながら、僅かな希望にすがって令呪を切る。
右手に魔力を走らせた瞬間あまりにも薄いパスに自分の英霊が側にいないのが分かってしまったのだ。
クー・フーリンがカルデアにいるのだろう。令呪の強制力を持ってしても移動できないという事は、時間軸を隔てたという事。完全にレイシフトの成功を意味していた。

「あっ、あっ、アルトリアッ…!!」

パニックになりそうになるのを自覚しつつ、半ばヤケの状態で再び令呪に魔力を送る。
光の粒子が自分を包む。落下する最中、黒の甲冑を纏ったアルトリアが禧緒を姫抱きにした。自分を抱きしめる冷たくも硬いその感触に安堵する。

「無事か!禧緒!!」
「クーは!?」
「やつはカルデアだ!ここは…」
「禧緒!!!」

訳の分からないまま空中に投げ出されていたのは立香も同様らしい。立香の右手をマシュが捕まえているが、他のサーヴァントの姿はない。殴りつけるような風に晒されて、ふたりの表情も険しい。

「先輩!禧緒さん!地表まで残り2,000メートルをきりましたっ!!」

マシュが声を張り上げた報告を何とか聞き取る。落下速度から地表までは何分後なのか、何秒後なのか。わからないが何もしないわけにはいかない。風に煽られながら禧緒はアルトリアに立香への接近を頼む。
了承を頷きで示したアルトリアは、落下しているにも関わらず見事な体捌きで風を切って立香とマシュに近づく。

「アルトリア!魔力放出で勢いを殺して!マシュ!宝具展開!全力!!立香!令呪でマシュのサポート!」
「了解した、禧緒」
「了解!マシュ、頼むっ!!」
「了解しました!!マシュ・キリエライト、仮想宝具疑似展開しますっ!!」

まずはアルトリアが魔力放出による卑王鉄槌を飛ばし、衝撃と暴風の反動で落下速度を和らげる。
そのあと禧緒を抱き直し、禧緒は片手を立香と掴み合い、立香はもう片手でマシュに掴まる。地表に向けて盾を構え、宝具を展開して衝撃に備えるマシュと、令呪一画でそれを援護する立香。禧緒もまた魔術によって空中の水分を纏め4人を包む壁にする。風の衝撃は完全ではないが随分と減り、短い間だが人心地付く。

「地表接近!仮想宝具展開!!接触します!!」

盾を構えるマシュに抱きつき、水の壁で衝撃を拡散させる。無いよりまし程度の魔術防壁は着地と同時に衝撃を吸い込みはじけ飛んだ。
華麗な着地とは言えないが、地面に盾をめり込ませ、ぶつかった反動で地上に投げ落とされる4人。二転三転地面を転がり、マシュはすぐに立香に駆け寄り体を支える。
禧緒を抱き込むようにして着地したアルトリアは、直感を働かせた上で英霊の身体能力を十全に使ったため禧緒に負傷はない。
すぐさま禧緒は魔力を目に送り、千里眼の真似事で索敵をしつつ、適当に自身を触診をするが。打ち身も骨折もない。さすが最良のセイバーである。
しかし周囲には光もなく、建物もない。地面に草木はなく、土でもなく、コンクリートとも違うらしい。

「マシュ、ロマニと通信は?」
「現在カルデアとの通信は断絶されています。レイシフト直前から通信にジャミングのような音が…」

マシュは申し訳なさそうに眉を下げるが彼女に非はない。機材のミスか、何者かの介入か。

「そっか。ひとまず霊脈を見つけてサークルを設置するか、ロマニ達に見つけてもらうしかないね。立香、サーヴァントは呼べる?アルトリアは呼べたけどクーは呼べなかったの」
「ちょっとまって」

着地の衝撃に目を回している立香。
右手の残り二画の令呪に意識を集中する。

「おーい。来てー」

随分な呼びかけだがカルデアを通じるパスはきちんと仕事をこなす。
光の粒子を纏いながら実体化したのは槍兵のクー・フーリン。弓兵のエミヤ。そして騎兵のマリー・アントワネットだ。

「無事か、マスター」

エミヤはまだ前後不覚になっている立香を前に若干焦りがあった。クー・フーリンとマリーもマシュと禧緒に怪我はないかと心配をしている。

「レイシフトの時何があったの?」
「どうやら魔力の奔流とぶつかったらしい。コフィンからレイシフト先に繋いでいたラインが断絶して君たちは意味消失をしかけている」
「しかけている?」
「直前でキャスターの彼が残ったのよ。それが意図してだったのか、偶然だったのか。どちらにせよ幸運だわ」

エミヤの質問を引き継いでマリーが胸を撫で下ろした。
一声とで言えば肉体を過去に送る、それがレイシフトだ。過去にいる自分たちを観測できなければ、”そこにいない”ことになる。向かった先にいなければ”ここにもいない”ことになるのだ。それは”意味消失”。存在を見失い、特異点からのサルベージさえできなくなる。

「なるほど。キャスターのクー・フーリンさんが先輩たちの存在を固定して下さってるわけですね」
「ああ。こればっかりはカルデアの魔力じゃなくて禧緒本人の魔力を通してるからできることだろうな」

ランサーのクー・フーリンはのんびりとした口調で、しかしやや張りつめた音で告げた。

「ここがどこだかは知れねぇが、どうにも敵地らしいぜ」
「えっ!?敵ですか!?」
「マシュ、慌てるな。こればかりは我々には感知できん奴の野生の勘だ」
「やはり、か。私の鈍った直感では確証がなかったのでな」

エミヤは立香の無事を確認したあとスキルの鷹の目を発動させる。しかし敵影は捉えられず何も見えない。されど歴戦の戦士であるクー・フーリンの勘が外れるとも思わない。

「ここが特異点かさえわからない。ひとまず霊脈を探してサークルを設置、カルデアとコンタクトを取りましょう」
禧緒が声を潜めつつ行動指針を示せば、全員がそれに賛同した。霊脈探索はキャスターの適性があるクー・ーリンが自分のピアスにルーンを刻んで地面に放つ。ベルカナのルーンが使用者に従い霊脈を探し始めた。

「土でも石でもねぇなこりゃ。いったいどこだ?」

地面に手を触れるクー・フーリン。感触からして大理石のような石に近いが自然性が感じられない。沈黙した死骸のような気味悪さを感じる。

「さぁ、なっ!!」

答えたエミヤはいつの間にか黒弓を投影して剣の矢を穿つ。衝撃音が続けて3つ。

「威嚇か?」
「いや、小手調べだろう。マリー、馬車の準備を。思ったより早いぞ」
「私の馬車は相性が悪いけれど大丈夫かしら」
「やらないよりましだろう。早くしてくれ、ここは神秘が薄いらしい、持久戦になれば分が悪いぞ」
「チッ、この距離では卑王鉄槌の間合いにも入らん」

短い相談の合間にも飛来する攻撃をエミヤが撃ち落とす。
マシュも盾で禧緒と立香を守るが、飛来する攻撃は盾に弾かえると霧散するので向けられている攻撃方法を解析することもできない。
これ以上の相談は不利になるとマリーは立香の礼装から魔力を充填し宝具を発動させる。残る令呪はすでに一画だ。

「相性って?」

ガラスの馬車に乗せられながら立香が問えば、マリー・アントワネットは寂しそうに笑った。

「私がフランスから逃亡しようとした馬車は、逃げ切れずに民衆に捕まるの」
「マリー…」
「でも安心して!だってあの噂に名高いアーサー王がついているのだもの!」

明るく笑ってみせる悲劇の王妃、マリー・アントワネット。
だが神秘の濃度で言えばアルトリアはクー・フーリンに次ぐ。魔力の薄いこの場でアルトリアが真価を発揮するのは難しいだろう。

「アルトリア、残るの?」
「ああ。護衛として禧緒の傍に居るべきだが、私の直感がそれを否という。私とエミヤは鞘を通したパスがある。ここに残ったほうが勝率は上がるだろう」
「なら御者は任せな。戦車とそう勝手は違わねぇだろ」

ガラス製の馬が嘶き、クー・フーリンはそれを御す。

「それではマスター。暫しのお別れを」
「マリーは乗らないの?」
「えぇ、彼らだけ戦わせる訳にはいかないわ。それでは御者さん、マスターたちを守ってね」
「女にそれを言わせちまうたぁな」
「仕方がないわ、ここでは神秘が薄いほうが良いみたいだから」

さぁいって、とマリーの号令に合わせてクー・フーリンが馬を走らせる。背後での衝撃音は度々増えていくが、クー・フーリンはもう止まりもせず振り向きもしなかった。

「マリーさん…大丈夫でしょうか」

不安げに、けれど警戒を怠らずマシュが離れていく戦線を見ていた。
周辺地理や時代を指すものがなくても、おおよそを知る方法が神秘の濃度である。
時代が古いほど神秘が濃くなる。英霊もまた同じだ。古い英雄ほどに魔術は魔法に近づき神秘を保有し強くなる。逆に近代の英霊の神秘は限りなく薄く、魔術は現代の魔術師を多少上回る程度だ。
ここには神代のようなむせ返る程の魔力はない。カラカラに乾きった切り裂くように痛む風。現代よりも薄いマナ。未来か、はたまた焼却された時代なのか。

「マリー…、あ、うっ…!!」
「マスター!!」

立香が突如右手を押さえて呻く。
禧緒の多重強化した瞳が揺れる黄金の粒子を視認した。

「まさかっ、早すぎる!!マリーは無敵スキルがあるのに!!」

彼女の懸念どおり馬車は逃げ切れなかった。
距離は取れたがまだ戦闘は続いている。しかしエミヤ一騎では稼げる時間は限りがある。
アルトリアからの鞘を通した魔力の供給、不死の恩恵である高速回復があるとはいえ長期戦は分が悪い。宝具による固有結界に閉じ込めるにしても、相手の数がわからず、逃したあとのことも考えると良い作戦とはいえない。
そうしてこの時代から英霊マリー・アントワネットが完全に撤退した事により、彼女の魔力で生み出されたガラスの馬車が音を立てて瓦解した。
止まる暇もなく走り続けながらバラバラに砕けたガラスの馬車。マシュは立香を抱き危なげに着地し、クー・フーリンが御者席から腕を伸ばして禧緒を抱きとめる。

「霊脈は見つかった!嬢ちゃん!急げ!!」
「っ、はい!」

珍しく焦ったクー・フーリンの声にマシュは震えながらも強く返事をする。
先行していたルーンを刻まれたピアスは動きを止めていた。
しかし、あるかないかで言われれば涸れ井戸のような魔力だ。この世界か、空間か、時代なのか。あまりに魔力が少なすぎるのだ。サークルが設置できても、カルデアに通じるかは五分の賭けと言えるだろう。

「ああ嫌だね。こいつは籠城するしかないってか?」

呻く立香を見てクー・フーリンは笑うしかない。
エミヤが脱落したのだ。

「マスター、悪いな。最後の一画は俺に預けてくれ」
「頼む、クー・フーリンっ…!」

魔力を充填され魔槍ゲイ・ボルクが赤く輝く。姿勢を低く、限界まで腕を引き絞り、文字通りの全身全霊を載せて槍を投げる。
しかしその投擲先は敵にではなく霊地に向けてだ。

突き穿つ死翔の槍

ゲイ・ボルク
っ!!」

何十にも分裂した槍は次々と地面に突き刺さる。
轟音と爆煙を上げながら土か石かも分からない地面は割れ、砕け、盛り上がり、平地だったそこは瓦礫のような地面が山のように積み重なっていた。ちょっとした洞窟の入口とも見えるその出来上がりに、クー・フーリンは満足そうに槍を担ぎ直す。

「まぁ、こいつで少しは持つだろうよ」
「ありがとうございます!クー・フーリンさん、マスター!中へ!」
「クー・フーリン、負けないで」
「おう」

マシュに支えられながら立香が緊急避難所に潜る。
禧緒は、そこに続こうとしながら嫌な予感が拭えなかった。
交戦はやむなしである。
周辺は地平線までまっ平らだ。しかし敵影は確認できない。一方面からの攻撃ではあるが、距離も威力も恐ろしい。逃げるにしても山も谷もなければ身を隠し潜ませることができない。狙い撃ちされるのはわかりきっている。
マリーの持つ無敵スキルを貫通して即座に脱落させるほどだ。魔力も神秘も感じられないこの世界で、である。それは魔法か、それに届く神秘殺しがあると思ったほうが良いだろう。
このレイシフトにおけるメンバーのなかで最も神秘が濃く、魔力を持つクー・フーリンが最後の砦となった。援軍はなく、敗走も許されない。

「禧緒」
「っ、」
「んな面すんな。俺が負けると思ってんのか?」

緊迫した状況下でも笑みを絶やさないのは戦士としての側面だからだろうか。正体をも知れぬ敵にもクー・フーリンは不敵に笑う。

「なに、心配すんな。キャスターの俺よか頑丈だ」

柔く頭をなで、指先で頬をくすぐる。
優しいふれあいが何故か強く胸を締め付ける。
嫌な予感が、とうとう警報を鳴らすほどにうるさい。

「もしもの時は、呼んでくれ」

そう言って握らされたのは先程ルーンを刻んだクー・フーリンのピアスだ。
どういうこと、そう問いただそうとした唇を奪われる。あっという間に舌は攫われ、ほんの数秒、しかし濃厚に触れ合った舌は熱く、そしてよく知った動きだった。

「悪いな禧緒。マスターの残りの魔力が少ない。ちいとばかし貸してくれ」
「クーっ…!」
「ああ、良いな。お前にそう呼ばれるの。すげぇ、いい」

艶めいた赤い瞳を細め、濡れた唇を舐める。そうして禧緒を土塊の中に押し込み、自分はその場に立つ。

「さて、わりぃがこっから先には手出しはさせねぇ。大人しく見送ってくれや」

言うやいなや礫が飛んでくる。地面と同質量のものだ。エミヤが撃ち落としたものとは違うらしいが、ますます持って相手がわからない。英霊でもない。人でもない。神でもなければ獣でもない。
ここはどこだ。相手は誰だ。だが全てはどうでもいい。マスターと愛しい女。そして年若の後輩だ。どれも死なせるわけに行かない。
そして負ける気もない。

「アルスターの英雄を、甘く見てもらっちゃあ困るぜっ!!」


20170618 鳴り止まない地獄への予感