(雪男の弱さのおはなし)



「燐!よかった・・・無事、じゃないじゃないそのケガ!」
「わ、わはは!へーきだって!どうせすぐ直るし!」

やっと寮に戻ってきた燐はあちこち打ち身や擦り傷を作りながらあいまいに笑った。

「駄目!手当するから座りなさい!」
「平気だって!」
「何言ってるの!ちゃんと消毒しなきゃ駄目よ!!」

怒鳴りつけるように燐の腕をとれば、悪魔の尻尾が大人しくしなだれた。
この程度の怪我。確かに手当てせずともすぐ治るだろう。屍にあけられた腹の穴だってすぐに癒えたのだから。
でも私は、燐に人間らしさを忘れて欲しくなかった。
大人しく処置を受ける燐は、下から覗き込むように私を見ている。

「なぁに?」

いいだしずらそうにしているので先手を打てば、燐はあいつと、と言葉を切り出した。

「はなは、あいつと知り合いなんだろ?」
「シュラ?」
「ああ。歳だって離れてるし」

なんでだ?と小首を傾げる燐の髪を撫でる。
子供めいた仕草につられてしまう。燐は嬉しそうに目を細めてまるで猫みたいに手の平に頭を押し付け返した。

「シュラは、獅郎さんの弟子なの。だから、私は雪男にとっては姉弟子にあたる。でも、実際は姉弟子っていうより、友達、って感じだったかな」

久しぶりに会ったシュラは、どこか険しさを帯びて見えた。
彼女は上層に行って、なにを見て、なにを考えたんだろう。
獅郎さんと連絡も取らなくなっていた彼女が、どうにも心配になった。

***

食事を済ませ、皿洗いは燐が引き受けると言いその間に風呂に入って部屋に戻った。
怒涛の一日はすっかり数日のような密度で私に圧し掛かる。
どっと押し寄せた疲労感と、それに混ざる確かな安堵。
燐が殺されなく、本当に良かった。

「はな、さん」

控えめなノックの後に雪男がドアを開ける。
しかし、そこからは一歩も動かない。返事の前にドアを開けたくせに、奇妙な矛盾が可愛らしい。

「おいで、雪男」

ひとつ手招けば雪男は困った笑って私のそばに歩み寄る。

「どうしたの?」
「・・・あの、はな姉さん」

ほんのりと赤い頬は湯上りの所為じゃない。
雪男は私よりも先にお風呂から上がっているのだから。

「・・・今日、一緒に、寝ても・・・いい・・・かな・・・」

消え入るような可愛いおねだり。
私は断る理由があるはずもないのに、ごめん!と部屋を飛び出そうとする雪男を捕まえてベットに座らせた。

「あ、あの・・・」
「いいよ。一緒に寝ようね。こうするのなんだか久しぶり」

雪男をベッドに押し込みながら、電気を消して私も布団に潜り込む。

「うん・・・何年ぶりかなぁ」
「雪男が祓魔師の訓練はじめて、すっかり夜なんて怖くなくなったもんね。夜が怖いって、泣いてた雪男」
「やめてよ。もうずっと前の話じゃないか。今はもう、そんなことない」
「そうだね」

少し膨れる雪男なんて全然怖くない。
私はくすくすと声を殺して笑いながら、雪男の眼鏡を取り上げてサイドテーブルに置いた。
シングルベットにふたり。
しかも片方は成長期真っ盛りの高校男児。少し窮屈な気もするが、私と雪男の膝同士がぶつかるのを楽しむ。
小さなころから悪魔が見えていた雪男は、夜に泣きじゃくり眠れないことがあった。
そのたびに私が雪男を抱きしめて寝かしつけてやる。昔はそれが日常だった。
今も昔も、燐は雪男より早く寝て遅く起きる。だからこれは燐の知らないふたりの秘密。
雪男の、弱さだった。

「雪男は、大きくなった。すごく強くなった」
「うん。僕は強くなった。身体だって大きくなった。だから僕が兄さんを、姉さんを・・・!」

暗闇の中、強くなる語気に私は雪男の頭を抱え込んだ。
腕を伸ばし、雪男の顔を胸に閉じ込める。ねえさん!と非難の声が聞こえたが、そんなものは無視だ。

「雪男、全部・・・一人で抱え込むことなんてないんだよ。私は雪男の味方だし、燐だっていっしょ。だから、一人で抱え込まないで?私も一緒に、背負うから。ね?」

抵抗をやめた雪男は大人しくなる。
それからそっと私の背に腕を回した。
ああ、本当に、大きくなったのだ。こうしてしまえば、私を容易く包み込んでしまうほど、雪男は強く、逞しく成長した。

「雪男はいつも頑張ってる。でも、気を張りすぎちゃうから私、心配だな」
「・・・大丈夫、気を付けるから」
「本当?」
「本当、約束する」

夜に慣れた瞳で雪男の笑顔を捉える。
闇に溶け薄れていく雪男の不安、恐れ、ストレスもろもろ。
発散するのがあまりにも下手な雪男。これでようやく私も一安心。

「ねぇ雪男。もっと甘えていいよ。つらかったらつらいって言ってもいい。逃げたくなったら、一緒に逃げよう。だからね、苦しまないで。痛いときは、痛いって言って。悲しくなったら泣いてもいいの。私はいつだって一緒にいるから。だから、もっと甘えてくれてもいいんだよ。急いで大人になんかならなくていい。雪男は雪男だから。雪男は雪男のペースで進めばいいと思う」
「・・・うん、でも」
「でも?」
「でも僕は、もっともっと強くなって二人を守りたいんだ・・・」
「それは私たちも一緒。燐だって、雪男のこと守りたいって思ってる。もちろん私も。だから雪男だけが強くなる必要はない。三人一緒。三人で強くなればいい。それじゃあ駄目?」
「ううん。駄目じゃない」

密やかな問いかけ。
薄闇の帳の向こうで、雪男が柔らかい苦笑を零したのが伝わる。

「・・・ごめんね雪男」
「え?」
「私は、もしかしたら雪男の成長を妨げてるのかもしれない」
「そんなことない!僕は、はな姉さんと居られたら幸せだし、はな姉さんの為なら・・・!」

勢いよく身を引いて、暗闇で分かるくらいはっきりと視線をわせ、雪男は心臓が痛くなるほど必死な声でそう言ってくれた。

「ありがとう。やさしい雪男。大好きよ」
「っ・・・」
「だからね。傷つかないでほしいの。わがままだってわかってる。でも、私は燐と雪男の為なら、なんだってしてあげられるから」

泣き出しそうに歪む瞳がもう見ていられなくて、私は卑怯にもう一度雪男の頭を抱きしめた。
子供が母親の心音に安心するように、雪男が少しでも安心してくれたら。そう願いながら、私は雪男を抱きしめる。

「十分だよ・・・ただ、一緒にいてくれるだけで・・・十分だよ」

かすれるように震える声が、胸の中でくぐもって小さく響く。

「もっとわがまま言っていいんだぞ」
「なら、いつもこうして、添い寝してほしいな」
「もちろん、これくらい、お安い御用よ」

狭い布団の中で、ふたり足を絡めて抱きしめあった。
この優しい夜が続くように。そう願って、私たちは瞳を閉じた。



23.5 天使のアジト


20120508 tittle by まほら