A


 ある程度の営業メンバーの癖や状態を把握したあと、俺はどんどん目標を加算していった。

 苦情をチラホラと聞くこともあったけど、基本的には独身の神野と新谷にしか厳しい条件は課してない。だから概ね支部は平和だった。


 夜の7時。

「殺す気ですかあああ〜!!!」

 今日も元気に神野が俺に噛み付いてくる。

 既に怒りで顔を真っ赤にして、朝は綺麗にしていた髪も振り乱して。

 本日モノに出来なかった契約に関して俺に問われて、その後テレアポをどんと詰まれたからだった。

 俺は椅子を回転させて、事務席から彼女の方へ体を向ける。そして言った。

「何言ってるんだ、神野。アポを10件取るくらいで人間は死にはしない」

 俺の言い方に更にムカついたようで、呼吸まで浅くして怒っている。諦めて適当にやるってことが出来ない子だ。融通が利かないというか、頑固というか・・・。

 はい、と返事をしてそのまま帰る職員は普通にいるのにな。

 この子は真剣に怒っている。

「死にます!このままじゃあ確実にあたしは死ぬんです!!」

 俺の机に両手を叩き付けた。それをちらりと見下ろして、ううーん、小さい手だなあ〜とのんびり考えた。

 いきなり握ったら、どんな反応をするかな。

 後ろで部屋に残っている営業達が、皆こっちを眺めている。今や名物となった支部長VS神野玉緒の戦いを静かに観戦中だ。

 俺は彼女を見上げてにっこりと笑った。

 この顔で見ると、彼女の勢いが削げるのは判っている。怒りとは別に頬が赤くなるのにも気付いている。

 やっぱり、ぐっと唸って身をひく彼女を見て満足感が湧き上がった。

 ああ、楽しい。俺はそのままの笑顔で言う。

「苦情は受け付けない。やらなきゃ部長面談だぞ」

 嘘だけど。

 俺の言葉に、彼女は今度は真っ青になる。信号機みたいだな。色々忙しいやつだ。

「ぶっ・・・部長、面談、ですか・・・?」

 体育会系のノリで熱いことで有名な浮田営業部長を、神野が苦手に思っていることは知っている。

 話し合いになんか初めからならず、ひたすら部長の滔々と流れる話に相槌を打つ羽目になることをこの子は知っている。

 だから利用させて貰おう。

「うん」

「・・・どどどどど、どうしてそこで部長が!?」

「神野ならやれますって、俺が言ったから」

 それも嘘だけど。

 急激に勢いをなくして、彼女はふらふらと自席に戻る。

 それを見てベテランさんが、今日も支部長の勝ちね、と呟いているのを聞いた。

 どうするかな、と面白く眺めていると、彼女は冷蔵庫から大量のオレンジを出してきて、アポ取りセットと命名された一式を持ち、とぼとぼと2階に上がっていった。

 ・・・またオレンジ食うのか。しかも、あんなに?

 久しぶりに会った神野には、変わった習慣が身についていた。

 毎朝、朝礼が終わるとパソコンと睨めっこしながらキウィをガツガツ食べ、夜になるとオレンジに替えてやはりガツガツと食べる。

 一度訳を聞いたら「ビタミン摂取の為です!」と噛み付かれた。俺が指示した膨大なノルマ加算で残業を余儀なくされている為、最近では夜も11時くらいまでは支部に残って仕事をしているけど、その間にとにかくオレンジを食べまくるのだ。

 一度、難しがる設計を代わりにするために後ろから椅子に閉じ込めたら、真っ赤になった上に挙動不審で笑えた。

 赴任して1ヶ月。そろそろ余裕も出てきた俺にはちゃんと判った。

 やっぱり、俺はあの子が好きらしい。

 そして、彼女も俺を好きらしい。

 それは間違いないと思う。

 気付いてしまったからには是非とも手に入れたい。

 だけど、流石に赴任したばかりで部下に簡単に手は出せないよな――――・・・と考えて、最近の俺はフラストレーション気味だ。

 こんなに近くにいるのに。

 手が出せないなんて。

 だから、それがついからかいへと姿を変えるのだ。

「ただ今です」

 その時声がして、入口を見ると、まだ新人の新谷繭が帰社したところだった。

 ―――――――・・・ああ、そうだ。それに、この子の事もあるし。

 俺はうんざりした顔を見せないように急いで笑顔を貼り付けた。

「お帰り、新谷さん」

 嬉しそうにやってくる。

 その姿を目で捉えて、ため息を押し殺した。

 ・・・やらなきゃダメだよな、帰社対話・・・。

 頼りの副支部長は今同行中でいないし、帰社対話は上司のどちらかがすることになっている。

 それにこの子は新人だしな・・・。

 教育したいのは山々なんだが、どうやら面倒臭いことになっているらしいのだ。

 何と、彼女は俺が好きらしい。

 嬉しそうに支部長席の前の椅子に腰掛けて微笑む新谷さんと目を合わせないように、無駄に机の上のボールペンを探す。

「今日は、どうだった?」

 話を始める。

 微笑んだままで彼女は話し出す。

 キラキラと光黒髪を指で流して、切れ長の瞳はじっとこちらを見ている。

 綺麗な子だ。

 だけど、その全てに、動作や話や行動に、若いな〜としか俺は感じないのだ。

 ・・・頼むから、仕事に集中してくれ。

 俺は本日のアポでの彼女のあやふやな箇所に突っ込みをいれる。すると困った顔で微笑んでいた。

 ・・・笑うとこじゃねーんだけど、な。これだけ言えば、神野なら既に爆発モードで掴みかかってくるぞ。大丈夫か、この子?もしかしていじられて喜ぶタイプとか?

 もしそうなら路線変更しなければ。これ以上恋愛感情をもたれると困るしな・・・。

 俺が若干困って黙っていたら、彼女の凛とした声が聞こえた。

「稲葉支部長、明日の同行お願いできますか?」

 新谷さんが聞く。綺麗な瞳でじっと見ている。

「何時の?」

 勿体ないよな〜・・・と思いながら、手帳をめくるフリをした。明日の予定なんて当たり前に頭に入っているけど、この子の視線から逃れるためにはこうするしかない。

 32歳のオッサンになんて構ってないで、同じ年のいい彼氏を捕まえなさい、と言いたい。言えないけど・・・。

「3時です」

 俺は、ああ〜、と声を漏らす。空いてる・・・。仕方ない、急遽用事を作ろう。

 しれっとした顔で嘘をつく。

「申し訳ない。支社にいかなければならないんだ。宮田副支部長は?」

 聞いた途端に彼女の顔が曇る。

 話から推測しても別にクロージングのアポじゃあない。別に俺が出て行かなくても大丈夫なはずだ。

「・・・聞いてみます」

 全身で、あなたと行きたいのよ!と表現していた。

 マジで、勘弁してくれ。頭を抱えたいのを押さえ込んで、真面目な顔で話を切り上げた。

 まだしばらくぐずぐずしていたけど、新谷さんはため息をついて立ち上がった。

 去り際に振り返って、また笑顔を浮かべた。

「支部長、コーヒー淹れましょうか?」

 ん?と俺は顔を上げる。そして軽く手を振った。

「今はいらない。ありがとう。―――――もう真っ暗だから、帰りなさい」

 唇を尖らせて、はーい、と返事する。その姿も十分可愛かった。

 どうしてこの子じゃダメなんだろうなあ・・・と自分で突っ込む。判らない、こればっかりは。

 でも思い浮かぶのは、新谷さんの綺麗な笑顔でなく、真っ赤になって睨みつける神野の怒った顔なのだ。

 ため息をついて立ち上がった。晩ご飯でも買いにいくか。

 夜の中、支部を出て行った。




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