1、上司を誘惑
「好きな男を想像してろよ」
そう言って彼はあたしの視界をタオルで覆う。
あたしは抵抗もせずにタオルを巻かれながら、バカだなあ〜と思っていた。
あたしが好きなのは、あんたなんだけどな。だから目隠しなんかする必要ないんだけどな。どっちかと言うと、耐えてる表情や、切なげに光るあんたの目を見たいんだけどな。そう思って。
ご丁寧にタオルで視界を隠した上に両手まで捕まえてネクタイで縛り、ヤツはあたしを抱く。
申し訳ないんだって。抵抗されたら萎えるから、抵抗されないように手首まで縛るらしい。
だって、あたしの口から「やめて」なんて出たことあった?
もう、バカだなあ。喜んでるのは体の反応を見れば判るでしょうが。
ともかく、始まりはそんな感じだった。
2週間前。
残業で疲れて不覚にも眠ってしまったんだった。
春眠暁を覚えず・・・はここで使う言葉ではないか。
でもとにかく、小さな2階建ての会社の窓際で、外には敷地内にある桜の花が満開だった。そしてそれは一階の玄関灯に照らされて、それはそれは見事な透き通ったピンク色を浮かび上がらせる。
仕事をダラダラとやっていたせいで自業自得の残業になったあたしはこれまたダラダラと仕事を進めていて、完全に一人になった夜の10時、つい、机に頬をつけて眠ってしまったのだった。
デスクの上のランプだけだったから、窓の外にはゴージャスな夜桜が見えていて、それをあたしは独り占め。
何て、贅沢な・・・そんなことを考えていたら心地よくなってしまって、そのまま眠ってしまったのだ。
そして物音がして、それにも起きることがなかったのだけど、気がつけば、あたしは武藤主任の首に両手をかけて、唇を押し付けていた。
・・・・あれれ?
パチっと目を開く。
おんや?何故にここに武藤主任が?寝ぼけたままであたしはくふふと笑う。何だかよく判らないけど、どうしてあたしが彼に抱きついてキスしてるのかも判らないけど、まあいいや。そんなことを思ったのだった。
「・・・ちょっとこれは、問題じゃねえか?」
武藤主任の低い声が耳元で聞こえる。
いつもは丁寧な言い方をするのに、そのぶっきらぼうな言い方にあたしはつい口元をほころばせる。
なんか、プライベートみたいでいいなあって。
「そうですか?・・・ううーん・・・主任の唇、美味しいです」
「いやいや、そうじゃなくてだな。お前寝ぼけてるだろう、こら、白山!」
あたしは相変わらず主任に抱きついて、体をどんどん押し付け、彼の柔らかい唇に自分のを押し付ける。あったか〜い・・・。
「ん」
「・・・ちょ・・・」
「ところでどうして主任がここに?」
よく考えたら他の人は居ないのだろうか。あたしはそこでようやく自分の上司を襲うのをやめて周囲を見回す。
誰かの目の前でやってるんだったら、彼の言う通りに大いに問題だ、と思って。
だけどそこはさっきまでの事務所と変わらず、電気の落とされた中にあたしの机のライトだけが光り、外には素敵な夜桜。
まだ抱きついたままのあたしの腕に手をかけて、武藤主任はため息をついた。
「・・・直帰するはずだったんだけど判子忘れたと思って戻ったんだ。そしたら、お前が寝てた」
「はあ」
「おーいって起こそうと肩を揺さぶったら寝ぼけたままいきなり立ち上がって俺に抱きついてきた」
「はあはあ。さては武藤主任が寝ぼけたあたしに抱きつけと暗示をかけたんですね?」
「違っげーよ!!」
上司は憤然としたようだった。でもまだ寝ぼけていたあたしは普段にはない度胸を備えていたので、そのままふにゃあと彼の胸に頭をこすりつける。
「・・・白山、出来たら、というか、あのー、離れてくれないか?」
「出来ませーん。仕事もまだ出来てませーん」
「軽いぞ言い方が。それはダメだろ・・・」
「すみませーん。主任、ちゅー、しましょう」
「いやいや、だから――――――」
気にしない。彼は独身だけど、彼女や婚約者がいるかもしれない。普段なら勿論こんな積極性は出せない。
だけど、きっとあたしは酔っていたのだ。窓から見える夜桜に。その幻想的に揺れる姿に、頭が麻痺していたとしか思えない。
それ以上を考えていたわけではなかった。だってここ、会社だし。主任みたいにいきなり誰かがやってくることだってあるわけだし。
でもこの唇が、あたし、欲しい。
あたしが押し付けて、舐めて、柔らかく下唇を噛み、それを何度か繰り返したら、主任のあたしの腕を持つ手に力が入ってきた。
「・・・白山。どういうつもりかしらねえけど、これ以上は責任もてない」
「はあい?」
ちゅっちゅ、と音を立ててまだまだあたしは彼にキスをする。ぺろりと舐めたら、それまで頑固にしまっていた彼の口が、急に開いた。
顎をつかまれてそのままの勢いで舌があたしの唇を割る。腕に当てられていた大きな手はあたしの腰にまわり、ぐっと強く引き寄せてきた。
うひょ〜・・・主任ったら、ディープなヤツを・・・・。流石に眠気は覚めてきたけど、今度は別の夢遊病状態になってしまった。
ああ、気持ちいい。
主任ったら、仕事も出来る上にキスまで上手なんてずるいなあ〜・・・。
巻きついて吸い取られ、舐められて刺激を送る。暗い会社の中には二人がたてる音が響いている。
「・・・・あー・・・やべえ。どうしよう」
唇を少しだけ離し、やたらと艶っぽくなった低い声で、主任が言った。
「ごめん、勃っちゃった。でもお前のせいだし、ヤらせてくれる?」
「!」
おお、ワイルドだなあ!あたしは驚いてちょっと目を見開いた。普段は笑顔を絶やさず誰にでも丁寧に対応し、この小さな会社を名実ともに引っ張っている武藤主任が、こんなもの言いをするのか、と思って。
あたしとバッチリ目が会うと、興奮で赤らんだ目元を細めて彼は大きな手であたしの両目を塞いだ。
「白山、彼氏は?」
「・・・いません」
「好きな男は?」
「・・・います」
うー、と主任が唸る。目を隠されたままでガサガサ音が聞こえていたけど、その内ハンカチであたしの両目は覆われ直した。
「――――――じゃあ、そいつとやってるって思ってて」
え?と思ったら、そのままゆっくりとあたしの体は宙に浮く。どうやら何とお姫様抱っこでどこかに運ばれている模様。
がちゃっとドアを開ける音。そして柔らかい感触があたしのお尻に。ははあ、どうやらここは応接室のソファーですかね。目隠しをされたままあたしは考えた。やる気のないダメ社員のあたしは普段出入りすることのない応接室。だけど確かに主任は商談で毎日ここを使う。だからソファーが・・・
たらたら考えてたら、自分の両腕が頭の上に回されるのを感じた。
「え?」
「縛る」
え?今度は口に出さなかったけど、驚いた。何で?と思って。目隠しに縛る?主任ってちょっとアブノーマルなエッチが好きとか?
「無理やりなのは判ってるんだ。だけど抵抗されたら萎えるから、悪いけど―――――」
手首にはシルクの感触。ああ、これは主任のネクタイなんだな、あたしはそう理解した。
なんだかよく判らないうちに、自分がまいた種とはいえ凄いことになってますけど。そんなことを思っていたら、制服のボタンが外される感覚。シャツが大きくはだけて、そのままの早さで主任の手が背中に回りブラのホックを外す。
「ん」
一言言おうと思ったら、それより早く唇が塞がれた。ガツガツした深いキスに、目が見えない分余計興奮してしまった。
次にどうくるのかが判らない。
両胸を揉みしだかれて体がカッと熱くなる。声は出せない。唇が塞がれてるから。だけど、出来るだけ喘ぎ声は出さないとあたしは決めた。
喘ぎ声に混じって、「好きです」って言ってしまいそうだったから。
あられもない声を上げながら、自分のささやかな気持ちを大いにばらしてしまいそうだったから。
キスされていないときは唇を噛んで耐える。胸を手と口で嬲られて、腰が浮いた。出すのは吐息だけ。
主任は多分、あたしが好きで抱いているのではないだろうから。
誘惑に負けただけだろうから。
仕事もしないダメ社員のあたしを、疎ましく思っていても仕方がない。給料の無駄だと思っていて、普通だと思う。
熱くて大きな手の平が体中を撫でる。一体どんな顔をしているんだろう。
主任のあの涼やかな瞳は、あたしを見てくれているんだろうか――――――――――
太ももを撫でてその指を上げる。思わず一声漏れてしまって、慌てて唇を噛んだ。
全身に与えられる快感。・・・ああ、頭が溶ける・・・・・。
「声・・・・」
主任の掠れた声が耳をくすぐる。あたしの上に被さって、両手をゆっくり這わせながら耳朶を噛んでいるようだった。
「・・・・声、聞かせろ」
嫌です。心の中で答える。いらないことまで言ってしまって、やめられたら嫌だから。
好きな男は?と聞かれて、いると答えた、それは誰?って、そこまで聞いてくれなかった。自分かもとは思いもしなかったのだろう。
すっと彼の体温が離れたと思ったら、膝が大きく開かれて熱い固まりが押し付けられる。脱ぎきれて居ないショーツが足首のところで揺れたのを感じた。
靴下も脱がないで、あたしったらこんな場所でこんなことを。
先端だけを入口に固定して、怒ったような主任の不機嫌そうな言葉が飛んだ。
「声」
あたしは目隠しをされたままでふるふると首を振る。
予告なく、ぐぐっと急に入ってきた。
あたしは口を開けたけど、何とか声は出さなかった。
主任が強くあたしの腰を引き寄せる。応接室には彼があたしに体をぶつける音。それにまじって水音。あたしの声がない分それが強調されているようだった。
彼は激しく動く。
その内にまた深いキスが来る。
頭の中では外の夜桜がヒラヒラと舞う。それは白くぼんやりと暗闇に浮かび上がって、ゆらゆらと揺れ落ちていく。
風に舞って、揺れ落ちて。
あたしの頭を酔わせていくのだ。
唇も胸も下半身も全部を同時に刺激されていて、あたしは高く上り詰める。
何が何だか判らない。流されて、全身で主任を感じていた。
どろどろに、溶けていく――――――――――――
荒い息をついてぐったりと転がっていたら、タオルか布かで体が拭かれたのが判った。下着を着けてもらって、服を調えてくれる。
そしてその熱い手のひらがあたしの頬を撫でて、それから目隠しを外した。
そこにはキチンと服を着たいつもの主任。
瞳を細めてあたしをじっと見ている。
・・・・ああ、この人、好きだなあ〜・・・。
「大丈夫か?」
「・・・はい」
手首を縛っていたのはやはり彼のネクタイだった。それをしゅるりと外して、あたしの手首に痕を認めると、彼は舌打をした。
「悪い、そんなに強くしたつもりはなかったんだが」
「大丈夫です・・・」
まだぼんやりとしていて、あたしはソファーに転がったままで答える。
彼は一度大きくため息をついた。
そして寝転がったままのあたしに聞く。
「・・・立てるか?」
「はい」
実は、腰砕けてるけど。心の中でいうだけにした。だって、主任はあまりにも激しくて。久しぶりの行為で2回もいかされて、足はしばらく使い物にならないと判っている。
でも主任にもそれはばれていたようだ。
ちらりとあたしを見て、彼はまたため息をつくと、さっきみたいにお姫様抱っこをした。
「え?あの、いいですよ、武藤主任。しばらく休めば――――――」
「ダメ。もう11時過ぎてる。明日も仕事だ。送っていく」
何てこと。
あたしは恋心を抱いていた上司を寝ぼけて誘惑した上に、こんなやっかいまでかけてしまっている。
ああああ〜。
「・・・すみません」
シュンとして謝ると、主任は苦笑した。
「いや、激しかった自覚はある。悪かった。どうしても声が聞きたくて―――――・・・」
言いかけて、いやいや、と首を振ってから空咳をしている。コホンコホン、とつきながら、階段をおりて足でドアを蹴っ飛ばし、自分の車の助手席にあたしを降ろした。
「荷物、取ってくるから待ってろ。お前の仕事は仕方ないから明日の朝だ」
「・・・はあい。すみません」
あたしの返事にやれやれと呟きが聞こえた。
「判ってるならこれからはもうちょっとさっさと仕事を片付けてくれ」
言うだけ言って、主任は会社に戻っていく。
あたしは助手席にもたれて、立派な3本の桜の木を眺める。
それはキラキラと白く光ながら、まだ花びらを落としていた。
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