1、保健医、新峰先生

 生徒が帰った放課後が、あたしのオアシス。

 あたしの職業は教師で、別にこの仕事が嫌いなわけではない。夢も情熱も持って進んだ道ではあるし、その炎が完全に消えたわけでもないのだ、今は、まだ。

 でも煩雑な毎日に追い立てまくられ、精神崩壊目前かってことには、正直、よくなる。

 大量のプリントと校舎に響き渡る騒がしい声に頭痛がし、理事会やPTAに吐き気がし、校長や教頭の咳払いに怯える。教室を漂う白墨のチリは呼吸と共に胸の中に蓄積されて、やがてこの喉を絞めるのではないかと思うのだ。

 都会から少し外れた、郊外の古い高校。

 あたしはここの国語教師として4年目を迎えている。

 先月、月に一度の悪夢、えぐい生理痛に襲われて、階段を上りながら気を失うかと思った時に、たまたま目の前が生徒のオアシス保健室だったので、あたしにも救いの手を!っつーか、とりあえずベッド貸してくれたらそれでいいんで!と呟きながら転がり込んだのだ。

 ・・・・まあ、スローな転がり込む、ではあったけど。

「ヨロヨロと、大丈夫ですか?山辺先生」

 椅子に座って、白衣を着た保健室の守護神、新峰先生が振り返る。

 あたしは額に脂汗をのせて、微笑みからはほど遠い顔面の歪みを見せた。

「大丈夫、とは言えません、ね。めちゃくちゃ痛いんです・・・ちょっと休ませて貰っていいですか?」

 新峰先生が、おやおや、と小さく呟いた。そして立ち上がって手を貸してくれた。

「ダメですって言ったら刺されそうな雰囲気ですね。狭いところですが、どうぞ」

 ニコニコと微笑んでる場合じゃねえっつーの!今は冗談言われたら無条件で噛み付きそうなんだよ!狭いところって、ここはあんたの部屋じゃないでしょうが!!腹の中で八つ当たりのマグマを沸騰させながら、あたしは舌打ちを堪える。

 普段は「きゃー、格好いい!」と最後にハートマークをつけて女子生徒が囃し立てる爽やかな外見のこの保健医を、あたしは忌々しく睨んだ。

 長めの髪を後ろに綺麗にすいて整えてある。シャツの上に白衣、たまにかける銀縁眼鏡(乱視なんで、細かい文字の書類見るときはいるらしい。生徒からの情報で)が垂れ目の瞳を知的な印象にかえる、30歳独身の我が高1,2位を争う人気の男性職員だ。

 あたしは今ムカついているので、この教師を刺してもいいと思っているんだけど。

 よっこらしょ、とじじむさい掛け声をかけてあたしをベッドに連れて行ってくれる。

 学校の保健室においてある、無機質な、細くて固いベッド。真っ白なシーツが張り付いていて、とても寝心地がいいとは言えないベッドが、まさしくオアシスに見えたくらいにあたしは死にそうだった。

「すみません・・・帰ろうとされてたんですよね・・・新峰先生」

 別に演技でなく、痛みを堪えていたら弱弱しい声になった。

 彼は、はい、と頷いて、薄く笑った。

「いいですよ、特に予定があるわけではないので。お茶飲めますか?温かいのを飲めば、多少マシでしょう」

 そう言って温かいお茶を振舞ってくれたのだ。

 単純なあたしは感動した。そのお茶で薬も飲めて、30分くらいで歩けるようにはなったし。

 昔から、恩は末代に至るまで感謝を忘れるなと親に言われて育ったあたしだった。この出来事以後、ただの格好いい同僚だった新峰先生は、あたしの恩人に昇格した、というわけだ。

 その保健室に向かっている。

 毎週木曜日の放課後、あたしは自分がサブで受け持ちの美術部に顔を出さねばならず、その帰りに7時過ぎまでは保健室に居座っている新峰先生を尋ねるようになった。

 お茶を飲んで、ぼんやりしたり、話したりするだけだけど。

 紛れもなく、あたしの癒し所となっていたのだった。

 まず、目の保養。

 そして、生徒の情報収集。

 やはり相談所化している保健室、しかも格好いい保健医がいるとなれば、女子生徒の保健室通いこみは凄いことになる。

 純な動機も不純な動機も生徒は一緒くたにして新峰先生を訪ねる。

 それを見事にさばいて病人はベッドへ、精神的病人は椅子の上に、それ以外のものは教室に戻らせて、それぞれに対処しているらしい(生徒談)。そこで情報がゲット出来るというわけだ。あの子が悩み事で相談に来ましたよ、とか、今家のほうがごたついているみたいですね、とか。

 あたしはそれをもとにしてその生徒に注意を向ける。すると確かにシグナルを発信していたりするのだ。毎日に忙殺されていては気付かなかっただろう、ヘルプ・ミー!のシグナルを。

 そんなわけで重宝しているのだが、その忙しい保健医を、木曜日の放課後、毎週あたしの相手までさせたら大変だよね、申し訳ないよね、とは自分でも思うのだ。

 だから、先週言ってみた。

「あのー・・・今更ですけど、ご迷惑、ですよね。教師までもが、こんなことしてちゃ」

 顔に申し訳なさそうな表情を貼り付けて、あたしは言った。

 すると机に向かっていた新峰先生はくるりと振り向いて、何ですか、急に?と聞く。

「・・・いえ、毎週木曜日にお邪魔してるなあ〜と気付いたもので・・・。すみません、鈍くて」

 あたしが頭をかいてそう言うと、またうっすらと微笑んだ。

「大丈夫ですよ。迷惑だったら、そう言いますから」

 ・・・・言うのか、迷惑だったら。それってダイレクトに傷付きそうだなあ〜と思った。この端整な顔に嫌悪の表情を浮かべて、迷惑だ、と言われたら・・・・。ああ、それ、マジで凹む・・・。

 言われてもないのに勝手に想像して凹んでいたら、新峰先生の声が聞こえた。

「実は、見返りを要求しようと思ってたんですよね」

「は?」

 見返りを要求するのか!?何だと!?

 ・・・どうしよう。理事会の手伝いとか、モンスターペアレンツへの対処とか、忘年会の幹事とかいわれたら!!冷や汗ものだ。大体、見返りって単語が宜しくない。あたしは椅子から腰を上げかけの状態で、恐る恐る聞く。

「・・・ええと・・・何でしょう・・・」

 どうぞお手柔らかに!と神仏に祈ったあたしをニコニコと見ながら、新峰先生はさらりと言った。

「抱かれて欲しいんです、あなたに」

「――――――はい?」

 ・・・ええっと・・・。うん?今なんか、確かに日本語は聞こえたけど、脳に到達するまでにどっかで消えうせたぞ。何つった、この人?

 あたしは瞬きを何度かしてから聞き返した。

「・・・もう一度お願いします。今、若干のノイズが―――――」

「あなたを」

 新峰先生のハッキリとした声が、今度は直通で脳に響いた。

「抱きたいんです。毎週の茶話会の見返りとして」




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