あの日、君とベンチの時間 2
回転コースターに乗っている途中で胸や胃の辺りがムカムカとし始め、さっきまでは大口を開けて叫んでいたのを無理やりやめた。
ぐぐっ・・・ちょっと待って・・・これは、これは、これは・・・・ヤバイ!
あとは天地がひっくり返ろうが、全身に凄い勢いで風が吹きつけようが、全部どうでもよくなってとにかく早く終わってくれること、動かない地面に降り立つことだけを考えていた。
やっと終わったコースターの折り場で、私は真っ青だったらしい。脂汗も酷かったはずだ。隣の席から振り返った武田君がぎょっとした顔を私を見詰めた。
「え、大丈夫・・・?」
私は口元を片手で押さえ、おそらく三白眼になりながら首を振った。そして荷物をひっつかみ、そのままでだーっと近くのトイレまで駆け出した。
・・・胃が、暴れてるんです・・・。
ごめんよ、武田君。
とにかくリバースしたことで、涙目になって全身は疲れたけれど、胃の不快感はなくなった。ああ・・・良かった、コースターにのっている間にこんなことにならなくて。てかもう十分恥かしいんだけど・・・うううう、どうして皆いないのよ〜!友達がいれば、笑い話にも出来たものを〜!
顔を洗って気が済むまで口を灌ぎ、フラフラとトイレから出ると、心配顔で突っ立つ武田君がいた。眉毛が八の字に下がってしまっている。それを見たら、こんな時なのに笑えた。
「吐いた?間に合った?」
私は何とかうん、と頷く。とにかく座ろうと彼がベンチを指差したので、ヨロヨロと後をついていった。
「絶叫系ばっかのりすぎたかなー」
武田君がまだ困った顔でそういうので、私は仕方なしに首を振る。そういうことにしておいてもいいんだけど・・・でもまたよかれと思ってジュースを買われてしまうとキツイので、正直に言うことにしたのだ。
「いやあ・・・実はね、炭酸の飲み物ってちょっと苦手で・・・それで酔ったみたい」
声限りに申し訳なさを込めてみた。だけどやっぱり武田君は更に困った顔になってしまった。
「え、ダメだったんだ!?炭酸。どうしていわねーの」
「や、折角買ってくれたから・・・飲めないっていうのが申し訳なくて」
「そんなの気にしたらダメでしょ。言わないと」
「うん、ごめんね」
武田君はまだ眉毛を下げたままで、ツメで頬をかいていた。
「俺が炭酸好きだから、つい・・・。先に聞くべきだったな」
「いやいや、君は悪くないよー、ほんと」
座っている間太陽を浴びていて、それはほんわか温かく、風も気持ち良かったので私は少しずつ大丈夫になってきていた。それにいつまでもここに座っていれば武田君も困った顔のままで、さほどに会話もなく微妙な空気が流れている。だから、もう大丈夫だから次行く?って聞いてみたのだ。
武田君はじっと私の顔を見た。
それは一瞬だったけれど、私はハッとして緊張する。
ドクン、と鼓動が大きく耳の中で聞こえた。
「まだ顔色わりーよ。ちょっと乗りすぎて疲れたし、まだゆっくりしよー」
彼はそう言って、ベンチにもたれかかった。外された視線を追って、私は園内で楽しむ色んな人達を見る。小さい子供を連れた家族、手を繋いで歩くカップル、一緒に来たはいいけれど、見ているだけの年配の人々。
・・・私たちって、今、人から見たらどういう風に見えるんだろう・・・・。
お腹の中がふいに何もなくなったような感覚になった。乗り物酔いで消えていた緊張がまた戻ってくる。そわそわしそうで、ふわふわと浮きそうで、思わず右手で左手を強く握る。汗が出てきたのを感じた。・・・こらこら、私ったら何を考えてるのよ。
しばらく黙ったままで座っていたけれど、その内に武田君は前を見たままでポツリポツリと話し出した。
あのさー、って、静かな声で。
「文化祭ってどうだった?楽しめた?」
「え?文化祭・・・うん、まあ、それなりに楽しめたよ」
「終わるとき、泣いた?」
「え、いやいや、泣いてない。そこまでは、私はね」
何故急に文化祭のことなのだ。私はちょっと驚いたけれど、微妙な空気のままで二人で黙っているなんてよりは絶対いい。だからすぐに話に乗った。
「俺なんか集団で物事をするのが苦手なのかも・・・。楽しくないわけではないんだけど、なんかこう、一歩引いた目で見てしまってるよなって自分で思うんだ。皆がわーって盛り上がってさ、女子なんか泣いたりして、男子も大声だして騒いでるのを、何か自分だけ冷静に見てるような気になるんだよね」
「ふーん・・・。まあ私も凄く感動したりとか、やたらとこれで最後だ〜とかは思ったりしないから・・・何となくなら言ってることわかるよ」
「あ、ほんと?岸岡達にこんなこと言うと、ぜってー笑って馬鹿にするからさあ。何一人で大人ぶってんの、とか言われそうで」
「まあ、個性ってことで・・・いいのではないかな。皆同じ気持ちじゃなきゃダメってことはないんだし」
武田君は振り向いた。その顔は嬉しそうで、ちょっと細められた目には光があった。
「何か今の、嬉しい言葉だなー!」
「そ、そう?良かった良かった」
武田君の体から力が抜けたのか、それまでの微妙な空気が消えたのが判った。あうんの呼吸というほどにはピッタリではないかもしれないけれど、似たような何かを感じたのだ。お互いが、確かに。
それから武田君はくつろいだ表情で話し出した。ゆっくりと、丁寧な感じで。クラスの男子のこと、金曜日に出たテストの内容のこと、予習復習の面倒くささなんかを。
私はこっそりと一つ深呼吸をして、武田君の話に頷いたり意見を言ったりした。
午前中はあんなにもじっくり話すことを避けていた二人なのに、今はもう自然に色んなことを、たくさんのことを話している。それが何とも不思議だった。
あれー?話せてるじゃん、って。ぜーんぜん大丈夫だわ、気まずさも皆無だし、って。
気まずさというか・・・むしろちょっと興奮して、楽しい感じだった。
一度自販機で、今度はお茶を買って飲んだ以外、二人はずっと小声で話していた。途中からは話すのは私が多くなってきて、彼はニコニコと頷いたり相槌を打ってくれていた。周囲が段々とオレンジ色になって世界は夕方になり、風が温度を低くし始めても。
隣で話す武田君の顔が良く見えなくなってきたほど暗くなった時、近くにあった電灯が瞬いて点いて、二人はやっとかなりの時間が経っていることに気がついたのだ。
「あ」
「ああー」
時計をみてビックリした。もう6時過ぎてるよ!!
「・・・もう夜だ」
「夜、だね。いつの間に!」
武田君はベンチから勢いよく立ち上がると、こちらを向いてニッと笑った。その笑顔は、今日一日で何度か見た楽しげで優しい感じのするものだった。
「女子と、こんなに話したの、俺初めてかも」
そういえば、私もそうかも。そう心の中で思った。男の子と、これだけ長くたくさんのことを話したのは―――――――――
「もう大丈夫そう?帰る?」
武田君がそう聞いて、私は頷いた。
最後にもう一度、回転しないジェットコースターに乗ろう、そういうつもりだった。気持ち悪さはもう全然なかったし、何よりも今度はちょっと違った空気で、距離で、武田君と順番待ちが出来そうだって思ったからだ。
もう少し近い距離で。
さっきよりも打ち解けた空気で。
きっと楽しいはず――――――――――――
武田君は歩き出していた。彼の向こう、ゲートの遠くには最期の夕日が山の稜線に消えかかっている。頭の上の空はほとんど群青色で、かなり夜に進出されているのに、向こう側だけはまだ鮮やかなオレンジや黄色が残っていた。
上空の風は強いみたいで雲がどんどん流されていて、ところどころに真っ赤な夕日の光が顔を出しては消えていく。光線が何度も目をさした。
あ、キラキラだ・・・。
山の端にその綺麗で鮮やかな色が吸い込まれてしまうまで、私はぼけっと突っ立って眺めてしまっていた。
武田君が遠くで振り返ってこちらを見ている。大丈夫〜?って声が聞こえてくる。
「・・・あ、大丈夫!」
結局、言えなかった。
最後にもう一回、何かに乗らない?って。
もうちょっとだけ、ここに居ない?って。
私は急いで武田君に向かって走り出し、少し後ろについて歩き出した。走っただけのせいじゃない、いつもより大きな鼓動が聞こえていた。
トクン、トクン、トクン。
何となく、顔は赤かったように思う。
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「あ、やっとわかった!よーし、行くぞ〜」
彼の声でハッとした。
振り返ると携帯を再度眺めながら、彼はシートベルトを確かめている。
秋の心地よい風が車内に入り込み、二人の髪を揺らした。
「道わかったんだね、良かったー」
「とにかく綺麗な迷路みたいなここを抜ければ、国道に出るみたい。そうなればナビも動くはず。目的地までもうちょっとだぞー!」
「いえーい!」
2時間前にご飯を食べてはいるのだけれど、きっと彼は既にお腹をすかせているはず。私は用意しておいたおやつをカバンから取り出して、袋を開けた。ドーナツやクッキーなんかよりも、ポテトチップスや揚げ菓子が好きな彼。体に悪いとはわかりつつも、炭酸ジュースと一緒にスナックを食べる時の彼の笑顔が好きで、中々やめてとは言えないのだ。
今日も彼は、運転席にはコーラを用意していた。
『俺が炭酸好きだから、つい・・・』
武田君の声が、耳の中に響いた。
私は開けた窓から視線を外へと飛ばす。
今はない遊園地、たくさんの絶叫マシンにクラシックな建物たち。いたるところで楽しそうな声が聞こえていた、あの日の昼下がり。
乗ったものが怖かったのか泣く小さな子供。それをあやす母親の声。楽しそうにはしゃぐカップル。友達同士で来て常に走って移動していた子供達。係員の大きな声、音楽、軋む機械。
びっくりするくらい長い時間喋った私達。帰りは疲れたのか、武田君は電車で座ると眠ってしまったようだったし、私は真っ暗な空の下で明りがついた家々を眺めていた。
降りる駅が違うから、バイバイをしたのは電車の中だった。ただ手を振って別れた窓越しに、振り返った武田君は笑っていたような気がした。
あの、ニッて表現したくなる笑顔を。
結局一緒に行けなかった皆には遊園地のことを色々聞かれたけれど、私はとにかく乗り物に乗りまくって楽しかったとしか言わなかった。武田君もそうだったようだ。二人でベンチでたくさん話したなんてことは、彼も黙っていたらしい。そのまま帰るのはシャクだから、全部制覇しようとしたって言ったとアユミに聞いた。
私は胸に小さなキラキラを抱えたままで今まで通りに過ごし、半年後、急な引っ越しで武田君が転校してしまったことを知ったのだ。
今までずっと、忘れていた。
だけど、ここにあった遊園地で過ごした数時間で学んだことは、たくさんあった。
緊張すると水でも喉を通らなくなるんだってこととか、それまで知らなかった武田君の話す時の癖だとか。小さな話題を何とか盛り上げるために必要な必死さとか。
風に揺れる園内の木々や花壇の花をみて、それが夕日を浴びている景色をみてハッとしたことも。
色んな小さなことが、凄く大きな意味を持っているように思えたことも。
男の子と笑って感じたふわふわした気持ちも。
今はもう、あの時みたいな気持ちを味わうことはない。私は大人になってしまって、振り返ればはるか遠くに見えるような、あの時間。
ベンチで話したのは、たったの3時間だった。
何てことない、それから何かが発展したわけでもない、ほんの数時間。だけど私には、心の底で小さく光る、大切な記憶なのだ。
思い出せて良かった。奥底に仕舞い込んだ宝物を見付けた気分だった。
嬉しい、そして・・・ちょっと切ない。
走る車の助手席で、私はもう存在しない遊園地に心の中で笑いかけていた。
「センチメンタル」終わり。
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