・ダレ男の怒声


 世紀のダレ男に惚れ直す。

 面倒臭いが口癖で、一度興味を持つものにはえらく執着してしまうのを自分でも判ってるが故に、あまり物事を深く見ようとしないあの男。

 名前の通りにどっしりと構えていて、ちょっとしたことにはぴくりとも動かずに欠伸をしてしまう、あの男。

 ・・・に、惚れ直す。

「って、どうやってー!!?」

 あまりに悩みつかれて、つい自分に大声で突っ込んでしまった。うきいいいいいい〜!!一人で暴風雨の中を彷徨う私はバタバタとその場で足踏みをしてみる。・・・これではただの煩くてイタい女ではないかっ!そう思って髪を振り乱した状態で、ヨロヨロと庭を眺めたりしているのだ。

 ・・・ううう、今日も緑は綺麗なのに。私の素敵な庭の皆、力を頂戴。私をどうか、まともで冷静な大人の女にして頂戴〜!!

 元々えらく静かな気持ちでヤツには惹かれていったのだった。そして、水が流れるように夫婦になったのだ。そーんな素晴らしい恋愛感情などはなく、あら、私ったらもしかしてヤツが好き?みたいな、そんな感じだった私達。惚れなおす・・・それって言葉、おかしくない?そう思うのも無理はないだろう。

 だから、結局のところ、夏の間の私は勝手に一人で自己嫌悪に陥っていただけだった。

 その間にも娘の桜はすくすくと育ち、夜泣きも増え、首が据わって一人で床の上をごろごろと寝返りで移動しまくるようになったし、休日には相変わらず夫婦の会話はなかったけれど、ヤツは足元で遊ばせている桜をたまーに本から目をあげて見て、それで喜んでいるようだった。

 無言だったけど。でも確認しているのだ、桜の居場所を。ちなみに、私の居場所は確認されていない。私はドアの影に隠れてじーっと夫を観察していたから確かだ。やつは本から目を上げて桜を無表情で見詰める。そして娘が一人でうーとかあーとか言いながらオモチャを口にくわえて涎と共に転がっているのをしばらく見詰め、また本に戻るのだ。妻である私を捜したりはせずに。

 ・・・私は、ここですよん。そんなことを物陰に隠れながら、私は心の中で呟いたりしてみた。やっぱり興味がなくなってしまったのかしら・・・。それとも傷付いてから、私から離れようとヤツもしているのだろうか・・・。あううう。

 そんな拗ねたようなことをする割りには、未だにヤツには触れられたくないぞ症候群の中を漂っている私は、ヤツが読書をしている時の私の定位置であるヤツの膝に、頭をのっけることなど出来ないのだった。

 やれることなら今すぐしたい。

 スタスタと歩いていって、ゴロンと転がり、ヤツの膝の上に頭をのっける。そして亀のぬいぐるみである玉姫を抱き寄せて目を瞑る。ヤツはまた面倒臭そうに私を見下ろしてため息をつくだろう。だけど、苦情も言わずにそのままでいさせてくれる。──────────それが、どうしても出来ない。

 想像しただけで、嫌悪感が背中を駆け抜けるんだもん!

 くそう、遠いぜ夫が!

 娘、おめーはいいよな、やつに近づけるんだな!

 そんなことを生後5ヶ月の桜に思ってみたりもした。

 夫婦の会話は格段に減っていた。なんせ、やつは元々無口で必要なこと以外口にしないし、私は勝手に挙動不審で、何を喋ったらいいのかが判らずに話しかけられない。そうこうしている内に桜が泣き出し、子供の相手をするだけになってしまっている。

 今年の私の誕生日には、何もなかった。

 それも、ずどーんと気分が落ちている原因だった。

 結婚した時には、彼はちょうど仕事の面接がうまくいかずに泣きくれていた私を元気付ける為に深夜にも関わらず温かい雑炊を作ってくれたし、去年の誕生日にはサルビアの鉢を落としてしまった私に、代わりにって苺の鉢植をくれたのだった。

 私はこの面倒臭がりの、淡々とした男が自分の誕生日を覚えていてくれたのだってことから感動した。なので、少なからず期待をしてしまっていたのだ。今年も、何かくれるかもって。そうしたらそれがきっかけで会話になるかもって。

 なのに。

 なのに。

 終わってしまったのだった。私の33歳の誕生日。まあ今や近くに住む実家の両親や、夫の両親や、少ない友達から「おめでとう」メールが来たりはして、それはそれで嬉しかったのだけれど。でも、ヤツからは何もなかった。

 その日は帰宅も遅かったので、いつもの通りに私は彼のご飯の準備だけをして先に寝てしまっていた。そして、夏が繁忙期であるヤツは翌朝も始発に乗るくらいの勢いで仕事にいってしまったので、結局その前後で3日間口もきいてなかったのだった。

 まあ細かいこというと、置手紙みたいなものはあったのだ。

 朝、台所に下りていくと、ダイニングのテーブルに、見覚えのあるヤツの細い文字が書かれた紙。うおっ!?と声を上げてしまった私は、あとで思い返しても可哀想だった。

 だって、ほら、誕生日だし、会話もなかったけれど「おめでとう」の手紙かな〜?なんて超ラブリーな期待をしてしまったのだ!仕方ないよね、ないわよね!?普通のことよね、その期待は!?

 顔を見たらイライラするし、近くによりたくない。だけど、手紙にそんなことが書いてあったら嬉しいかもしれない!

 だけど、そのシンプルでありきたり〜な紙に面倒臭そう(そう見えたのだ)にかかれた文字は、こうだった。

『庭の一番端、椿が枯れてるの抜いておいた』

 ・・・・・・・・・・・・あ、はい、そうですか。

 ちょっとばかりワクワクしてしまった私よ、アッデュー!夕日に向かって吼えたい気分だぜ。

 だけど、心あらずの状態が続いていて、大切な椿が枯れてしまっていることにも気がつかなかったなんて!そういう意味でもショックを受けて、私は泣きそうになりながら庭への窓のカーテンをあける。

 真夏の日差しを浴びている庭。そこの一番端っこ、昨日までは確かにあった小さな椿の植え込みがなくなっていた。

 掘られた土の後が寒々しい。・・・あーあ。がっくりと肩を落としてカーテンを閉め、私は台所に戻ったのだった。さようなら、椿。そしてさようなら、私の誕生日。

 あのチラシの裏のような紙であっても、誕生日おめでとうの一言が欲しかったと思うのは、ヤツとの生活にぬくぬくとしていた私の甘さなのだろう。

 でも実際は、そんな言葉はなく、淡々とした事務的な連絡だけ。もしかしたらサプライズが好きなやつの、宝探しゲームがまた始まるのかも〜なんて思ってしまったから余計に凹んだ。

 ・・・・あううううううう・・・。このまま夫婦は壊れていくのかしら。

 私の頭の中には自分がヤツに投げつけた言葉がいつまでも回っている。「触らないで」、あの一言と、見開いたヤツの目が。

 ぐ〜るぐるぐる〜と回るのだ。

 もう、自分の脳みそを外して洗濯機に突っ込んで、漂白までしてしまいたいほどだった。

 そんなこんなで時は私だけを置いてけぼりで、サラサラと流れていったのだ。

 暑い暑い夏。庭の緑も皆が疲れてます〜って感じで日に当てられていた。椿を枯らせてしまったショックから水やりだけはするようにしたけれど、悲しくなるから椿のほうは見ることが出来ないし、何となく意識が庭にむかない。だから大したことはしていないに違いなく、産後の体は既に完全に治った状態の私もバテ気味だったのだ。

 そして、それは娘の桜もだった。

 最初はちょっとした風邪程度だった。

 悩みすぎたからか元からの体質か、母乳があまりでずに4ヶ月で断乳して粉ミルクに変えていたので、私の風邪がうつったのかもしれない。免疫力はうつっているはずだけど、生後7ヶ月の娘は風邪を引いてしまったらしいのだ。

 こんな小さな鼻から大量に鼻水を出し。呼吸がしにくそうでウンウンと唸っている。・・・鼻に私が口つけて、吸い込む?そしたらマシになる?とか考えるほどに、苦しそうだった。


 小児科に貰った薬をなめさせて様子を見て4日目、それは突然襲ってきた。

 夜の7時過ぎで、私は晩ご飯を終えて夫の分を用意し、半分くらいまで後片付けをしたところで娘にミルクをやっていた。今晩は夫の大地はもうすぐ帰ってくるはずだった。会話はいつものようにないかもしれないが、お帰りくらいは言うこと、そう自分にきつく言い聞かせていた。

 いつものように、居間にある柱にもたれかかって、娘を抱っこする。小さな両手で哺乳瓶を一生懸命もって、桜はンクンクと音を立てながら飲んでいたのだ。

 まだちょっと熱があった。というより、ここ3日くらいずっと37度の後半をキープしている状態だったのだ。だけど本人は機嫌もいいし、ミルクも飲む。離乳食だって食べていた。だから私は何てことない、ちょっとした風邪なんだろうって安心していたのだ。

 私は自分で瓶を掴んでミルクを飲む桜を見ながら静かに揺れる。両手は添えるくらいでいいから、あとはぼーっとしてしまうのだ。そして、そのまま眠くなってくる。

 揺れるのになれて、頭に霞がかかる。ゆっくり・・・ゆっくりと・・・揺れて・・・。私はいつの間にやらうつらうつらしてしまっていた。

 ああ・・・温かい・・・赤ん坊って、本当に・・・いい、匂いが───────────

 ガチャン、と音がした。


 私はハッとして目を開く。あれ?何か、今、ガラスの音が・・・。

 パッと手元を見ると、哺乳瓶が手から転げ落ちて床を滑っていく。つい居眠りをして滑り落としてしまったようだった。

「あ、あらあら・・・」

 私は転がっていく哺乳瓶をとろうとして片手を伸ばす。そうしながら、桜を覗き込んだ。

「さーちゃんもお手手離しちゃったのかな?いつもぎゅうって握ってるのにね〜・・・」

 あの小さな手でガッシリ持ってるのに──────そう思って娘に笑いかけ、私はハッと固まった。

 桜の、娘の様子が変だった。今までウトウトしながら自分も揺れていたために気がつかなかったけど、娘の体がぶるぶると震えている。両手はきゅっと体の中心で強張っていて、口から飲みかけのミルクが零れ落ちていた。

「・・・え」

 ええっ!?バチっと目が開いた。

「さ、桜?」

 小さな体を抱きしめる。痙攣していた。娘はビクビクガタガタと全身で震え、全身に力をいれて両手が縮こまっている。そしてさっきまでは閉じていた目をうっすらと開いて────────だけど、それは白目だった。

 驚きで、一瞬呼吸が止まった。

「ひゃあっ!?さ、桜────────」

 パニックに陥った。ざざーっと全身の血が引いたのを感じた。ぐらりと回る視界の中で、それでもぶるぶると痙攣する娘だけはしっかりと見ていた。

 何・・・何が、起こってるの!?どうして、いきなり──────この子が、痙攣して───────・・・


 あ、ああ、と自分の口から声が漏れたのを遠くで聞いている気分だった。娘の体は痙攣している。顔がどんどん青ざめていく。あ・・・どうしたら、た、助けて。私、私はどう──────────

 桜、と何度も呼びかける。娘の痙攣は止まらない。どんどん青ざめる顔色に、私は自分も震える両手で彼女を落とさないようにと力を込める。

 どうしよう、誰か、誰か助けて。お、お母さん───────


「─────都」

 パニクってとにかくと娘を抱きしめるだけだった私の耳に、低い声が届いた。それは真っ直ぐに私の鼓膜を揺らし、一瞬で現実が私に戻る。

 パッと振り返ると、居間のドアの側に佇む夫の姿。

 いつものシンプルな格好に黒くて重そうなバッグをもって、ヤツが立っていた。

「─────あ、ああ・・・さ、くら、が!」

 私の見開いた目からぽろぽろと涙が落ちたのを感じた。相変わらず痙攣し続ける娘をぎゅうっと抱いたままで、私はヤツに向き直る。

「桜?」

 ヤツは前髪の下で怪訝な顔をして、鞄をその場に落としてスタスタと近寄る。そして動けない私の腕の桜を見つけると、眉間に皺を寄せて凄い力で奪い取った。

「あっ・・・!」

 涙で霞む視界の中、夫の大地は床に寝かせた桜の上に屈み込んで娘の体を横向きにさせ、上半身の服を緩める。それから顔を上げて、私を睨んだ。

「電話」

 え?私は呆然と彼を見詰める。・・で、電話?

 すると今まで聞いたことがないような大声で、ヤツが怒鳴った。

 私に向かって、ハッキリと。

「電話だ!救急車呼ぶんだよ!しっかりしろ!」

「あ・・・は、はいっ!!」

 驚きで全身がビクンとはねたけれど、私は頭が考えるより先に行動していた。バッと立ち上がって壁際に備え付けの電話に駆け寄る。そうか、そうよね、救急車!そうじゃないの、私ったら〜!!救急車よ救急車!!

 一体何してたのよ!自分に対して猛烈に腹を立てながら、凄い勢いでナンバーを押し捲る。くっそう、涙が邪魔だ!!

 電話の向こうは落ち着いた男性の声。私は焦ってうまく回らない舌を恨みながら、とにかく現状を述べる。娘が発熱していて痙攣をしていること、白目をむいていて、全身が紫色になりつつあることなどを。

『あなたは母親ですか?』

「はい!」

『ではお母さん、まずは落ち着いてください。子供さんは熱性痙攣の可能性がありますので、すぐにそちらに向かいます。子供さんを横に向けて気道の確保をお願いします』

「は、はい」

 横に向ける?・・・あ、さっきヤツがやっていたあれか!私は住所と名前をつげて電話を切る。後ろを振り返ると、夫はタオルケットで桜を包みながら持ち上げるところだった。

「す、すぐ来るって」

 私の言葉に軽く頷き、それからいつもの声でボソッと言った。

「保険証、忘れないように」

「へ?保険証───────」

「病院いくんでしょ。桜の保険証と母子手帳、いるぞ」

 あ、はい。そう返事をした時には、ヤツは既に玄関に向かっていた。

 私は急いで鞄に母子手帳と娘の保険証を突っ込む。それと財布、タオル、オムツ。バタバタと動き回りながら、救急車のサイレンが我が家に近づいてくるのを感じていた。




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