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「何だよ、藤」
ぶすっとそういうリーダーに、私は更に笑い声を上げる。
「リーダーってば、ずっと性格が横暴で口の悪過ぎる隠れイケメンのメガネ男だと思ってましたけど、いいところもあるんですねえ!!」
「ああ!?んだと、コラ!上司に向かってお前っ!」
「あはははは、怒っても可愛いですよー」
「ふ〜じ〜っ!うるさい!黙れー!」
あはははは、と私はずっと笑っていた。嬉しかったのだ。真面目で不器用で口の悪い上司が、幸せそうだったから。私とは微妙な感じになってしまって、一時は気にしていた。彼は上司としての態度を崩さなかったけれど、それは努力してくれてるからだと判っていた。だから嬉しかった。高峰リーダーに、素敵な彼女が出来たってことが。
「良かったですね、お幸せに」
私はそう言うと、入口から差し込む光に眩しそうな顔をして、リーダーが頷いた。
「・・・お前もな、藤。多少ムカつくが、平野と仲良くしろ」
「はーい」
お弁当袋を大事そうに持ったリーダーは、可愛かった。
風がだんだんと温かくなり、土の匂いがしてくる春。
夕暮れの桜並木の歩道を、向こうから平野が歩いてくる。
身につけた新しいスーツ、黒い鞄、それに光る革靴。
「お待たせ」
短くなった平野の髪が見慣れなくて、私はちょっと眩しい思いで彼を見上げた。朝には整えてあったらしいそれは、今や春の強風でかき回されているけれど。
「どうだった、入社式は?」
風が通って桜並木を揺らし、夕暮れのオレンジの光の中、ヒラヒラと桜の花びらが降って来る。その中で、穏やかな顔で笑う平野が言った。
「んー・・・退屈だった。もう早く終わらないかなってそればかり思って」
「あはは、そうだろうね。入社式ってどうしているんだろ。偉いさんの訓示とかあるんでしょ?」
平野が就職したのは大企業ではないけれどそこそこの規模の会社で、新卒の人数も50人はいると聞いている。つまり同期が50人もいるってことで、それはちょっと羨ましかった。
だって私は今度は4年目になるのに、まだ一番の新人なのだ!我が社には今年も新卒は入らなかった。
平野がうんと頷いてから、あの掠れた声で言う。
「早く藤に会いたかったし」
きゃあ。
私は照れ隠しに風のせいにして、髪で顔を隠した。
「行こうよ、お腹空いちゃった」
そう言って促すと、はいはいと平野も歩き出した。
川沿いに続く桜並木、ここで待ち合わせしたのは気温もよく、夕日が綺麗に見られることに加え、私の部屋と平野の会社の最寄の駅とのほぼ真ん中にあったからだ。今日は私が休みの平日で、平野は入社式だった。彼の仕事が終わるのを待ってご飯を食べにいこうって誘ったのだ。
川風が吹き通り、もう温かくなってきつつある空気をかき回す。時折ぶわっと吹いては桜の花びらを夕焼けの空へと舞い上がらせる。
キラキラと薄ピンクに光る花びらが、赤やオレンジや黄色や紫に染められた空に舞う。それはとても美しく、繊細で、目を見張る景色だった。
春という季節を美しく感じて空を見上げたのなんて、すごく久しぶりだ。6年前の春から、私には春は辛いことを思い出す季節だったから。
だけど今は、こんなに素敵。
「ほら見て、綺麗だよ〜!すごいねえ、桜が空を埋めちゃってるよー」
そう言って私が空を指差すと、同じように顔を上へ向けながら、平野がぽつりと言った。
「・・・ようやく学生も終わりだな」
私は振り返って笑う。
「そうだねー。これからは厳しい社会人だよ〜!ウェルカムウェルカム!」
両手でジェスチャーをしながらふざけて言うと、平野は少し黙ったあとで、ぼそっと呟いた。
「・・・厳しくても、これのがいい」
「うんー?」
風が強くてイマイチ聞こえず、私は聞きかえす。何だって?今君、何て言った?
少し離れて後ろに立つ平野の髪に、桜吹雪が降りかかる。オレンジに染められた景色の中、白い花びらの真ん中に立って、平野が言った。
「俺は早く、藤に追いつきたかったから」
私は彼を見た。
平野は穏やかで、真面目な顔をしていた。
「同じ立場で、自分に嘘をつかなくていい状況で。・・・藤に、ちゃんと言いたかったから」
なに、を?
心の中でそう聞いた。
ドキドキしていた。鼓動が耳の中で跳ねて、春の嵐みたいに暴れている。
俺は、と平野の声が聞こえた。
「ずっとずっと、藤が好きだった」
「―――――――」
イメージが重なって、キラリと光った。
―――――――隼人は美春の手を取って言った。『俺はずっと、お前が好きだった』――――――――――
あ。
私は、ふふ、と声を漏らした。
・・・平野ったら。
桜の花びらが夕日に光りながら舞い落ちる。その強い風の中で、すぐにでもぼやけてしまいそうな視界の中で、平野が私に穏やかな笑顔をくれている。
私は急いで目を拭うと、にやりと笑って言った。
「・・・そーんなこと、とっくに知ってるよん」
頭の中で、私の作品が映し出される。
―――――――美春は笑って言った。『そんなこと、とっくに知ってましたよ』――――――――
あははと、平野が声に出して笑った。頭についた花びらをぱっぱと手で落として、私に向かって歩いてくる。
「平野、あれやっぱり読んだんだ?」
ずっと話題に出てこなかった、私のあの作品を。
「そりゃ勿論。最後の日に仕事の前、浜口さんと駅前で会って盛り上がったぜー。藤の小説の話で」
「ええっ!?あれってそれで盛り上がってたの!?」
「そう。あれ、藤が公園で泣いて帰った夜に仕上げたんだな。読んだから安心したんだ。これを書けるなら藤は大丈夫だって。だから、作業場でもいつも通りにしたんだよ。これならちゃんと仲直り出来るって判ってたから」
へぇ!と私は驚いた。平野はそんなことを考えてたんだ!
花びら舞い散る中、平野はニヤリと笑う。
「よく書けてると思ったよ。―――――例のシーンのリアリティ度も上がってたし」
「うぎゃあ〜!!もう黙って〜っ!!」
「エロ度もちゃんと増してたし」
「うるさいうるさいうるさい〜!!」
手を繋いで歩いていた。
これから私達は、駅前に向かって美味しいご飯を食べるだろう。そして、平野の部屋にいくかもしれない。まだ未来は判らないことだらけだけれど、とにかく現在は、私達は一緒にいて一緒に笑っている。
あんなに好きで追いかけた人が、私の隣で。
胸の奥、一番深い場所に埋めていた。凍り付いていたあの日の涙の最後の一粒が、溶け出して光を放ちながら消えていく。
そしてそのあとに、芽吹いたばかりの金色の花が、ゆっくりゆっくりと大きく開きだしたのを、私は確かに感じていた。
「バウンス・ベイビー!」終わり。
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