・タイムリミット・1


 8月が終わってしまった。

 最初にこの店のドアを開けた時から、市川さんは言っていたのだ。9月半ばまででいい?って。

 その9月半ばがいつまでなのか、具体的なことを聞かなきゃならない。

 折角この店にも慣れたけど。市川さんとちょっとは分かり合えたかもって思ってるけど。

 でも、9月になってしまった。

 だから、聞かなきゃ。

「市川さん」

 私はその日、朝、いつものように起きてから階段をおりて、おはようございますの挨拶の後に言った。

「9月になっちゃいました。私は、いつまでいれますか?」

 って。

 市川さんはいつものように白いTシャツにブルージーンズの姿で、沸いたばかりのお湯がたっぷり入ったヤカンを持ったままで振り返った。

「・・・そうだね、それ、話さなきゃって思ってたんだ」

 ニッコリと笑う。いつもの笑顔で、私はそれを見ることで安心する。今日も朝日が差し込む店のカウンターの中で、市川さんは優しい笑顔で私を見ていた。

「メグちゃん、ここを出たらどうするか考えてる?」

 やかんを下ろしてから、市川さんが聞く。

 私は力なく首を振った。

 ここではお給料を貰っていない。滞在費を払っていないから、給料も貰ってないのだ。つまり、実家に戻った時の私は、夏前にここへ来る前とほぼ同じ状態ってわけ。職なし、金なし、彼氏もなし。

 気持ち的にはえらく成長したなって思っているけれど、他の人から見たら私の立ち位置は変っていないのだった。

 ここにいる間は、そのことについて考えなかった。

 ここを楽しもうって思ったから。

 シュガーに出会ってからは特に、もう先のことは出来るだけ考えないでおこうって思ってたから。今の目の前のことだけを見よう。今を大切にしようって。

 でも現実はやってくるのだ。

 足音がなくても、時がきたら確実に。

 市川さんは首を傾げた。

「何も考えてないの?」

「はい。―――――――ここにいる間は、考えるのをやめようって思ってて」

 そうか、市川さんはそう言って頷いた。

 それから日があたるウッドデッキの方をしばらく無言でじっと見て、ゆっくりと振り返りながら言った。

「来週で終わり、そう考えてるよ。来週の金曜日」

 きゅうっと心臓が痛んだ気がした。

 だけど私は頷いた、笑顔で。

「はい、わかりました」

 そう言って。

 洗面を済ませてから、カレンダーで確認する。来週の金曜日・・・9月12日だ。カレンダーに丸を書き込むかで暫く悩んだ。だけどやめておこう。このカレンダーはそもそも市川さんのだし。

 気合を入れて店へと入る。市川さんが用意してくれた朝食は今日も美味しそうで、朝日の中でホカホカと湯気を立てていた。パンケーキとサラダ、ヨーグルト。それから淹れたてのコーヒー。

「市川さん」

 自分のお皿をもってカウンターの中からまわってきた市川さんに私は言う。

「うん?」

「シュガーには言わないでくれますか、私がいなくなる日は」

 市川さんはどうして?という風に少し首を傾げたけれど、その内に頷いた。

「わかった」

「ありがとうございます」

 パンケーキはしっとりと甘く、柔らかかった。



 今ではシュガーは、週に2日は喫茶店「ライター」へと来るようになっている。わざわざ、車で20分以上かけて。

 そんなわけで、今日も眠そうな顔をしたシュガーが、カウンターでダラダラと寝そべっていた。

 漁が早いのに昨日は夜まで起きてしまったらしい。それをブツブツ言うのだ。カウンターでだらしなく寝そべりつつ。

「仕方ないでしょう、自分が早く寝なかったんだから。そんなに眠いならここに来ずに家で寝たらいいのに!」

 私はピッチャーから水を注ぎながらそういう。シュガーは口をへの字にまげたままで顔を上げた。

「だって文句たらふく言われまくってたんだぜ、寝れるかよそんなところで」

「ん?文句って、お母さんか誰かにってこと?」

 違う違う、とシュガーは手を振る。

「前一緒にいた女の子ー。やたら不機嫌なんだよ。オレのことを独り占めしたくなったんだってさ、まあ判るけどな、オレは魅力的〜!だし」

 ・・・どこから出るのだその自信は。私は心の中でそう突っ込んだけど、表面的には肩をすくめるだけにしておいた。

 以前来たシュガーの友達もあのあと数回店に食べに来てくれたけれど、その彼が言っていた。一緒にいたシュガーが電話がかかってきたって言って、携帯を持って店を出たあとに。

 女の子といちゃいちゃするのが好きなだけのシュガーは、その内殺されるかもな、って。その時の私はぎょっとして仰け反ったものだった。だって殺されるって、何!?

 するとその友達と市川さんが代わる代わる解説してくれたのだ。

 シュガーはそのつもりでも、女の子の方が本気になることはよくあるんじゃないかって。シュガーは軽いけれども目の前の人には真剣に対応している。それはその時だけの真剣さだけど、嘘ではないから女の子は信じ込むんだ。私がシュガーの彼女ってね。でも実際はそうじゃない。シュガーは女の子の家を出た足で漁へいって、戻ってくるときには別の女の子の肩を抱いている。それに気がつかないんだよ、って。

 で、気がついた時にはもうどうしようもなくなっていて感情を持て余し、怒りをシュガーに向けることもある、って。だからあいつ、その内殺されるかもな、って。

『大抵はシュガーのことを理解して仕方ないって諦める子が多いけど、中にはそう出来ない子もいる。あいつは好かれるけど、同じだけ恨みも受けてると思うよー』

 私はその時、やっぱりシュガー男は最低な男ですね、とコメントしたと思う。

 だけど何となく、今では判ってきたのだ。シュガーはいい人間ではないかもしれないが、確かに嘘をつかない。女の子は色々彼に聞くことで立場を理解して、自分を守らなきゃならないのではないかって。

 シュガーは褒められないけれど、女の子もしっかりしなくちゃって思うのだ。

 この人と付き合うのなら。

「で、どうしたの、結局?」

 私の問いかけにシュガーはだるそうな顔のままで、ダラダラ〜っと言った。

「泣き喚くから眠れなくてさ・・・参った〜・・・今日はちょっと時化ててえらく船が揺れたんだ。なのに寝不足とか、げーろげろだ」

「あっそう。それを日本語で自業自得というんじゃないの?」

「何でだよ。オレはお前だけだー!なんて女の子にはいわねーぞ。将来の約束だって絶対にしない。だってそんなつもりはハナからねーもん。どーして楽しむだけって出来ないんだろうなあ〜・・・。なあ、何で?」

「私に聞かないでよ。私はそんな付き合いしたことないもん」

「堅物のメグ」

「うっさいわね、チャラ男!まあだから、とにかく家に帰って寝れば?女の子のところではなくて、自分の家に。・・・あるんだよね?自分の家?」

 まさかないとか?もしかしたらそれも有り得るかも、と思って恐る恐る聞いたことだけど、シュガーがむくれ顔であるに決まってるだろ!って言ったからホッとした。

「あるのか、家。良かった良かった。ご両親や兄弟はいるの?」

「おー、親父と姉貴がいるよ。お前オレのことを何だと思ってるわけ?」

「軽くて不誠実で軟派な漁師」

「ま、それは間違ってない」

 でしょ?私は皿拭きを追えて、布巾をハンガーに干した。

 またぐで〜っとカウンターに突っ伏したシュガーが、そういえばとダルそうに顔を上げる。

「メグって夏の間のヘルプって言ってなかった?それっていつまでのこと?」

 私はちょっと笑う。覚えてたのか、と思って。それは嬉しいような残念なような、複雑な気持ちだった。どういう顔をしたらいいのか判らないままで、首を振る。

「・・・教えない」

 うぐぐぐ、とシュガーが唸る。

「お前は本当に思い通りにいかない女だよっ!感じ悪いぞ〜感じ悪ぃ〜!」

「あははは」

「笑ってんじゃねーよ、くそ」

 店には他に、デッキのテーブルに車で旅行中のカップルがいるだけだった。彼らはずっと笑顔で何かを楽しそうに話している。その軽やかな笑い声が時折店の中へも流れてきて、カウンターで一人でだらけているシュガーとは対照的な明るさだった。

 市川さんは今日は調子があまり良くないらしく、ちょっと休憩してくるね、と言ってしばらく前から2階へ上がっている。

 私は扇風機の風を受けながら、ぼんやりと車が行き交う国道の方を見ていた。

 一番暑いときでも陽炎も出なかった。

 ここにいた夏は、私が今まで過ごしてきた夏とは全然違っていた。

 まるで別の国に来たみたいに―――――――――・・・

「なーあ、メグってば」

 シュガーの声が聞こえてハッとした。

 彼を見ると、相変わらずだらけた格好のままで、上目遣いにこっちを見ている。

「何ですか」

「抱かせてよー、一回くらい。いいだろ、もうすぐ居なくなるならさ、最後に〜」

 ガックリ。

 私は力がぬけて、両腕で上半身を支える。・・・この男、ほんと、あくまでもそんなのなのね。




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