1、窓際お局OL@



 私は何でも持っている。

 住む家も、食べ物も、雨が降ればそれを避ける傘も、会社まで往復している自転車だって持っている。

 だけど、何も持っていないとも言える。

 だって家は賃貸のボロいアパートだし、食べ物だって今日明日食べる分くらいだし、傘はあってもビニール傘で、お洒落なレインコートなどではない。車に至っては免許すらないって状態。

 そして私は、一人で何だって出来る。

 電車やバスで日本を一周することも出来るし、焼肉だってカラオケだって行こうと思えば一人で行ける。魚釣りだって、乗馬だって、その環境があればすることが出来るのだ。

 だけど、一人では、週末に気の利いたパーティーは出来ないし、結婚も出来ない。子供を作ることも、一人では出来ないのだ。だから、そういう意味では「何だって」出来るわけではない。

 そんな私の幸福論は、これだ。


 「自己完結」。ザッツ・オール!


 つまり、自分一人で出来ることをして、それをのんびりと楽しみ、ゆるゆる〜と生きていけたらいんじゃないかって思うわけ。自分がよければそれでいいを地でいって、他人の評価は気にしないで生きていこう。そうしよう。そうすれば、少なくとも息苦しい状態からは抜け出せたって思えるはず。そして、私は十分幸せだって、そう思えるはず――――――――――




 午後4時を過ぎると、会社の中は忙しない空気が広がる。

 ただし、私の周り以外。




「亀山さ〜ん!すみませんが、ここ訂正お願いします。もう時間ないのでこれ優先でお願い出来ますか?」

 後輩の美紀ちゃんがうんざりって文字を大きく顔に書いて書類をヒラヒラさせている。

 先輩の顔の前で書類をヒラつかせることを注意するべきか、一瞬考えた。

 だけど既に職場内には敵ばかりな状態で、更に増やす必要はない。それも、私と話せる数少ない後輩とくれば、ケチをつけるのはやめておくべきよね、やっぱ。

 私は書類を手に取って、どこ?と一言聞く。ちなみに書類にはご親切にポストイットがはってあって、どう間違えていて、何が正解なのかまで書いてあるんだけど。

 ふううう〜・・・。美紀ちゃんが大きく大きく息を吐いた。多分、心の中で呪文かまじないか、もしかすると呪いの言葉を呟いているのだろう。

「どうしたんですか、亀山さん」

 見たら判るでしょ!と言うのはやめたらしい。代わりに華奢でゴージャスな眼鏡をくっと上げて、美紀ちゃんは私に声をかけた。片眉まで上げている。

「何が?」

「いつも以上に使えなくなってますよ。いつも以上に不機嫌だし。今日はそんな忙しくなかったと思うんですが」

 ・・・うん、毎度のことだけど、君はハッキリ言うねえ。

 私はダラダラ〜と姿勢も顔も崩しまくって応えた。

「別に・・・。ほら、やる気ないときってあるでしょ?5月病っていうの?あんな感じ」

「亀山さんにやる気がある時なんかありましたっけ?」

 美紀ちゃんは思いっきり呆れた口調でそういって、私の前にバンと書類を叩きつけた。

「ほら、しっかりして下さい!お局様なんでしょ、そう呼ばれるほどに長い間ここにいるんですから張り切ってやってくれないと仕事が進まないんですってば!訂正印、いりますよ。こことここ。今やってください!」

「・・・お局様だと思ってるなら大事にしてよ〜」

 ぶつぶつ言いながら、私は仕方なく身を起こし、彼女の言うままに書類に手をいれる。何てきつい後輩だ。だけど、私がここの席でダラダラしていても毎月給料を貰えているのは彼女のお陰であることの方が多い。それは判っている。優秀な後輩がいて、ほんと私はラッキーだ。

 はい、出来た、そう言いながら美紀ちゃんに書類を渡す。ついでに口を開いた。

「美紀ちゃん」

「はい?」

 既に歩き出していた彼女は上半身を捻って私を振り返る。変わらずにだらけた格好で、私はぼそっと言った。

「・・・窓際、も忘れてるよ」

「は?」

「ただのお局じゃないのよ〜、窓際なの、私」

 ガックリと肩を落とす彼女。頭痛がするらしく頭を片手で抑えながら言った。

「自分で言ってちゃダメですよ!亀山さんたら!」

 ぷりぷりと怒りながら行ってしまう。仕事の出来る女である後輩の山本美紀ちゃんはしっかりしている上に外見も清楚系で大変良い。なのに彼氏ナシ。一体何故なのだ!形の良い彼女の後姿をじ〜っと見ながら、私は世間の見る目がない男共を心の中でこき下ろした。

 いい女が、あそこにいるぞ〜。


 私は亀山睦という。先日30歳になったばかりの、自分で言うのも何だが窓際OLだ。

 つっても、最初からこんな態度だったわけでは勿論ない。

 大学を卒業してから拾ってくれた唯一の会社であるこの文具用品会社に就職して、そこから5年間は頑張った。新しいことを覚えるのは好きだったし、ただ単に、出来ていくようになる仕事も面白かったのだ。それに大学卒業と同時に一人暮らしを始めていたから、そのお金を稼がなければならないって自分で強く思っていたからもある。

 だけど、電卓を神業のごとく使えるようになり、この会社、少なくとも自分がいる部署内で判らない仕事はほぼない、と断言出来るようになった頃、突然現実を思い知ることになる。

 うちの会社は、明治生まれのガチガチ頭の会長が、未だに運営している。その人の頭の中には、女の子はスカートをはいてお茶を配り、ニコニコを笑っていればいい、という考えが根強くあるようだった。

 冷え性もあるしということで、一度女性陣が制服の変更願いを出したことがあるのだ。スカートはやめましょうって。ほら、キャビンアテンダントだってスカートじゃなくなってますよ〜って。看護師さんを見てくださいって。すると、会長サマからの返事はこれ「婦女子たるもの、男子のような格好はするべからず」。

 ・・・婦女子。あの時のガッカリ感は半端なかった。が、まあスカートを穿けというなら穿いてやる。別にそれくらい、足のムダ毛の処理が面倒臭いくらいで済むからだ。

 だが、立場、給料に至っては「はいはい」では簡単に済ませられなかった。

 社会人になって6年目には、同期の男性社員が皆出世した。それと同時くらいに「君、結婚なんかはしないの?」と上司から聞かれた。する予定はありません、と応えると、当時の上司は無駄にイジイジしてみせたあと、実はね、と話し出した。

 君は女性だから、当社でこれ以上の出世はないよ。そう言われたのだ。

 これ以上頑張っても役職にはつけないし、給料も上がらない。結婚相手がいるなら寿退社したほうが、退職金も今なら大目に出せるって。

 私はしばらく黙ったあとで、辞めろってことですか、と聞いた。

 すると上司は慌てて両手を振り、そういう意味じゃない!と叫んだのだ。ただ、知って欲しかったんだ、と。

 彼にしてみれば親切なつもりだったのかもしれない。それを知ることで付き合ってる彼氏と結婚話が進むかも、とか、転職なりを考えて給料アップだって狙える、そう思ったのかもしれない。だけど、私には彼氏はいなかったし、気に入っている仕事内容で転職だって考えてなかった。大体営業職や企画などならともかく、事務員での転職は待遇がアップすることはほとんどないと思っていい。

 私は憮然として、焦りまくる上司にただ頷いた。判りました、そう言って。

 部下の仕事への意欲を失わせる発言をしたのだから、上司としては失格だ。女性では係長が一番上。そんなこと、5年もいれば勿論私だって知ってる。だけどそれを敢えて言われて、結婚に逃げたらどうだ、と言われるとは思わなかった。


 やる気を失ってしまったのだった。

 それまで魅力的にうつっていた仕事内容の全てから、いきなり色が消えてしまったみたいだった。

 やり方が雑になり、ミスが増えた。その罪悪感から不機嫌な顔でむっつりと黙り込む。

 それまでの私を知っていた同僚や後輩は突然の私の仕事意欲の低下に首を捻っていた。何人かは心配して、飲みに連れ出してくれた。だけど、私は曖昧に笑ってかわしていた。

 言えないでしょ、お前はここまでだよって言われたなどと。

 その当時は、そういうプライドはまだ持っていた。

 それが3年前。


 それ以来、極端にダラダラとやる気のない態度で勤務していたら、当然のごとく会社のお荷物となり、今では立派な窓際OLになったのだった。係長からは降り、だけど退職はしないのスタンスで毎日ストレスフリーな窓際族をしている。その内に後輩の女の子たちはどんどん寿退社していき、既に私が昔はまともに働いていたと知っているのは美紀ちゃんだけになってしまったのだ。

 私は使えないお局として有名だ。

 それも知っている。

 美紀ちゃんや、たまに会う出世した同僚達はそれを情けなく思っているらしい。

 それも知っている。

 だけど一度覚えた怠惰な毎日は、それはそれで結構居心地がいいものなのだ。まずストレスが溜まらない。残業などしないから給料は低空飛行だが、それでも定時6時の退社で私は更に自由になる。必要なものは買える。このままでも、十分かも、そう思っていた。



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