平林家の一日


 鳥のさえずりで目が覚めた。

 私はうーんとベッドの中で体を伸ばす。

 大きなベッドだ。それは窓際に置いてあって、壁や床の無垢素材の新しい匂いがまだ部屋の中を漂っている。

 サラサラの白いシーツの中で、私は微笑んで薄目を開ける。薄暗い外はまだ5時半だからだろう。隣に寝ているはずの彼の姿はない。きっともうすぐ、部屋に戻ってくるはず―――――――

 ガチャリとドアが開く音がした。ぎしとベッドが軋み、彼が腰を下ろして私の頭をよしよしと撫でる。

「おはよう」

 耳をくすぐる低い声。私はさも今起きたかのような態度で目を擦り、にっこりと笑って見上げた。

「おはよーです」

 これが毎朝の流れ。

 私は平林愛音と言う。去年の秋に結婚するまでは、駆け落ちして家庭を作った両親が仲良く一緒に事故死してしまったので、天涯孤独というやつだった。それで全国のリゾート地で住み込みの仕事をする、というのを4年間繰り返して放浪していたのだ。

 私の人生が劇的に変わったのは、去年の1月、リゾートバイトの契約が終ったばかりで半年ほどの時間つぶしの為に訪れたこの町で、運命的な出会いをしたからだ。

 近所の戎神社であるご夫婦と、正しくはお父さんの方と、鞄と服がひっかかる小さな事故があったのだ。それが縁となって、丁度仕事のなかった私はぎっくり腰で動けなくなったお母さんの代わりに働かせて貰うことにした。

 暇だったし、住む場所を欲していた。すると「人がいい」を煮て固めたようなご夫婦は、素性もよく判らない大きなリュックだけを持った私に、うちに住み込みで手伝ってくれと提案をしてくれたのだ。

 縁となった戎神社には足をむけて寝られない。素敵な出会いを本当にありがとうございます!と事あるごとに頭を下げる私だった。

 この家は、平林酒店という。昔ながらの駅前商店街の端の方で、自営業として小さなお店をやっていた。息子二人が独立した後で、夫婦二人で細々とやっていたところに私が参加する形で、去年の冬から初夏にかけてお世話になったのだ。

 そして、端的にいえば、私はそこの息子、たまーに実家に顔を出す独身(バツ1)の長男に恋をした。

 やたらと背の高い、お母さんそっくりの可愛い愛嬌炸裂の笑顔をする男、平林孝太に惚れてしまったのだ。

 それに気付くのにえらく時間がかかったけど、それを抜きにしてもここのお父さんとお母さんと一緒に居たかったので、初夏の空港で、実は両思いだったと判って大変嬉しかったのだ。

 やった、って。

 これで私はまた、あの居心地の良い家に居られるのかもって。

 私を好きだと言った彼は、漸く過去を過去に出来たんだなって、彼の幼馴染でむやみに美形の高田さんという男性に肩を激しく叩かれていた。

 その美形の男性に真正面からじっと見詰められて「ありがとう」なんていわれてしまった私はその場で卒倒するかと思ったのだ。

 うっひゃあああ〜!!綺麗な顔がこっち見てる〜!!って。一人でクラクラしている変な女になっていた。

 ま、それはともかく。

 去年の1月にここのご両親と出会い、5月に片思いから逃げようとして失敗し、でも何故か息子と恋人になることが出来て、その後、秋には写真を撮るだけの結婚をしたのだ。

 そしてやたらと大金を稼いでるらしい彼がお金を出して、お父さんとお母さんのお店を縮小して新しくし、その後ろに2世帯住宅を作って、今年の春から私はそこの自分達の家で彼と暮らしている。

 この1年と8ヶ月で、私には夫が出来、義理とはいえ両親も弟もその結婚相手であるお嫁さん、つまり義妹まで出来たのだ!!一人ぼっちだった私が。

 11月にあった私の誕生日は、盛大にお祝いして貰って号泣してしまった。

 だって実の両親が死んでしまってから、誕生日をお祝いされたことなどなかったのだ。

 人生にはこんな素敵なこともあるんだな、そう思って、思い出しては毎朝潤む瞳の扱いに困っている。

 また泣いてるって、彼にも呆れられるけど―――――――


「起きる?腹減ったな」

 彼、平林孝太が笑う。その瞳に優しい光を見ると、それだけでほっこりと嬉しくなる。

「はいはい、ご飯作りますよ。今日も出勤早いの?」

 私はまだ寝転んだままでそう聞く。

「うん。朝礼前に寄りたいところがあるし、午前中にアポが3件も入ってる。7時には出るよ」

 彼の仕事は保険屋さん。大手の保険会社で営業職をしている。結婚してからポンと渡された通帳の中身を見て、私は正直に気を失いかけた。

 だってそこには見たことない金額が!!!

 私には亡くなった両親の残してくれたお金があるから、自分が働く酒店の改装費用も出したいといったのだ。だけど彼も両親も、「それは愛音ちゃんが自分の為に使いなさい」ってうんと言ってくれなかった。

 だけどそうか!毎月この人こんなにお金稼いでるのか!そりゃあ自分で出すって簡単に言えるよなあ!!って実はちょっと憮然とした私だ。

 ・・・・これってだって、契約したお客様の保険料から出されているんでしょ?契約するほうとしては若干ムカつくんですけど。とかね。でもそれを言ったら3時間くらいかけて彼から説教されるはず(保険の存在意義からその営業職の役割について、滔々と)で、それは勘弁願いたいから言わない。・・・正確には、言えない。

「あっちで食うのか?」

 毎朝、彼はこれを聞く。

 あっちとは、彼の両親が住む店と繋がった家の方だ。

 私はにやりと笑って大きく頷いた。

「勿論!食事は大勢の方が楽しいでしょ?」

 彼は諦めた表情でため息をついて、了解と小さく呟いた。

 毎朝なんだからいい加減諦めたらいいのに。そう思いながら簡単に洗顔をする。

 私が両親と仲が良く、なにかにつけて実家と行動を共にしようとするのを彼は苦笑してみている。そして苦情をボソっと言うのだ。

「一体いつなら俺は妻を独占できるわけ?」

 って。私以外の皆が笑う。孝太はヤキモチ妬いてるんだねーって。でも私は真っ赤になる。だって、彼がこの苦情を人前で言う夜は・・・・ごにょごにょごにょ。

 恥かしくて口には出せないようなアレコレを、やたらと時間をかけてするのだ。

 もう無理〜って叫んでも、だって、俺のものだって思えるのは夜しかねーもん、と笑って止めてくれない。

 いやいやいや。とにかく、それもどうでもよくて。

 私は彼の手を引いて廊下で繋がっている両親の家に行く。

 まだ朝も早いのに、お母さんが起きて台所からいい匂いがしていた。私は満面に笑みで、挨拶をする。

「おはようございまーす!」

 お母さんが振り返って、あの可愛い笑顔でにっこりと笑う。

「愛ちゃん、おはよう」

 私はお母さんの隣に飛んで行って、朝食の支度を手伝う。その後ろで彼が、入口に肩を預けて不機嫌な顔でぶーぶー言っていた。

「・・・・・俺もいるんですけどね」


 朝ごはんを皆で食べる。

 大体お父さんと彼は大きな口でガツガツと食べ、私とお母さんはゆっくり話しをしながら食べる。その途中で彼の出勤時間になるので、私はお箸を置いて玄関までついていく。

 一度まだ食事中だからと見送りをスルーしたら、その後の彼の不機嫌が酷かったと高田さんの奥さんである美香さんからメールが来たのだ。

『うちのモンスター、今日えらく機嫌悪いんだけど、何かあった?』

 って。あ、モンスターってのは彼が怖いとかいう意味ではなく、モンスター営業と呼ばれているかららしいけど。

 とにかく素敵で落ち着いた女性である美香さんは彼の隣の事務所で働く生命保険の女性営業で、愛嬌の塊であるモンスター平林が超不機嫌で面白いからワケを知りたいと思ったらしい。

 ・・・面白いからって、美香さんたら。ちょっと笑ってしまった。

 一生懸命考えたけど他に理由を思いつかなかったから、それかな?と思って返信したら、その2時間後、「篤志の嫁に何言ったー!?」って彼から電話がかかってきたのだ。思うに、美香さんにからかわれたのだろう。

 で、それ以来は見送りをしている。やれやれ。

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 にっこりといつもの笑顔を浮かべるけど、既に目元は仕事モードに変わっていた。

 仕事に尽くしまくって前の結婚を失敗させてしまったからと、今の彼は(周囲の人曰く)かなり家に帰ってくるようになったようだ。比べられなくて私には判らないけど。

 だけど玄関先で既に戦闘モードになっているのを見ると、まあ仕方ないよねと思う。

 中毒なんだよね、要するに。

 過労経験者だそうだから、まあ、これからはそれにさえならなければ良しとしている。

 彼を見送ると私は台所に戻る。そしてまたゆっくりと朝食を食べるのだ。

 お父さんと今日の予定を確認する。

 配達先の順番と商品のリストチェック。それからお母さんと昨日の売り上げについて。新しいイベントをしませんか、とかそんなことを1時間くらい話す。

 そして一度自分の家に戻り、洗濯、掃除をする。

 Tシャツによれよれのジーパン、それに三角巾。独身の時からの労働スタイルで今日も私は店に立つ。

 朝の仕入れをお父さんが、レジ管理と商品整理をお母さんが、店の中と外の掃除を私がする。

 商店街の朝が始まって、皆が道路で掃除をしながら立ち話や挨拶をしている。私にも「おはよ〜!」と方々から声が飛んでくるので、それに応える。

 ニコニコしている。今日も、素敵な一日の始まりだ。


「愛ちゃん、封書が来てるわよ」

 お昼ごはんのあと、お母さんがパタパタと小走りでやってきた。

 郵便屋さんがもってきてくれるものは二つの家に分けて玄関の内側においておいてくれる。なのに今日はどうしてわざわざ言いに来たのだろう。

 私は少し首を傾げながら、はーい、と返事をした。で、そのままやりかけだったチラシの制作に戻る。するとお母さんがそわそわと後ろで挙動不審になっていた。

「・・・・お母さん?」

「え?はあい?」

 半身で振り返って聞くと、えらく期待に満ちた眼差しでお母さんは目を見開いた。

 ・・・・・・・・・何で、しょうか。

「どうしたんですか?」

「え、何が?」

「後ろウロウロしてますよ」

 ああ、ええーっとね、お母さんはそう言いながら相変わらず意味なく私の後ろをウロウロしている。超気になるんですけど。

 私が怪訝な顔をしてじいーっと彼女を凝視していると、やたらとそこら中を動きまくりながら、お母さんは言った。

「あのー、だからね、封書がね、来てるわよ」

「それは聞きましたよ」

「見ないのかな〜・・・って」

 ・・・見て欲しいんだろうな。私はこっそりとため息をつく。一体何なのだ。どうして封書一通でそんなに興奮しているのだ。

「今ですか?」

 ちょっと意地悪な気持ちになってお母さんにそう聞くと、お母さんはエプロンの端を引っつかんだままで言った。

「ほら、あの方からよ。愛ちゃんの友達のご両親から」

 あら。私は動きを止めた。

「え、鮎のお母さん達から?」

「そうそう」

 こくこくと上下に首を振って平林家のお母さんは頷く。

 私は実の両親がいきなり亡くなってから、友達の鮎の両親に後見人となってもらって様々な手続きをしたのだ。天涯孤独となってしまった私を、うちの娘になりなさいと温かい言葉を掛けてくれて、大変な時にずっと支えてくれた家族なのだ。

 去年の秋に私の結婚の知らせをして、それが残念なことにあちらの親戚のご不幸と重なったのでお祝いに行けないと、鮎のご両親から電話が来て、別に来なくていいですよ〜って言ってたのだった。式もしないし、写真だけ送りますって。後で結婚祝いが大量に贈られてきて、私は感動で泣いてしまった。本当に有難いと思ったんだった。

 本当の意味での実家ではない。だから盆や暮れにも帰れない。私には夫が出来たし、それで向こうも安心していたようだった。

 それから、約1年。初めての手紙が来たのか。それでお母さんは中身が気になるんだろうな。

「はいはい、では見てきますね」

「皆さんお元気かしらね」

 どうしても気になるようで家を繋いだ廊下までついてくる。あははは、お母さんたら可愛い。

 玄関先におかれた白い大きな封筒を手に取った。そこには懐かしい鮎のお母さんの字。丁寧に書いてある「平林愛音様」の文字に、つい顔が綻んだ。

 封筒を開けるとまた小さな封筒が4つと写真、それに神社で買うお守り袋がバラバラ出てきた。

「あらあら、たくさんねえ」

 後ろから覗き込んで、お母さんが言う。

 ・・・本当にたくさん。一体誰と誰から?そう思って4つの封筒に手を伸ばしていると、お店の方でベルがなった。

 お母さんとハッと振り返る。

「あ、お客さんだわ」

 愛ちゃんはゆっくり手紙を見ててね、そう言い残してお母さんはパタパタとお店へ戻っていく。お父さんが配達に出ているので二人で店番をしていたのだ。

 私は昼過ぎの柔らかい光が差し込んでくる玄関ホールで、一つずつ封筒に書いてある名前を見た。

 鮎のお父さん、お母さん、姉の夏美ちゃんと鮎、それぞれの名前が書いてある。中には個人個人の近況報告と結婚のお祝いのメッセージ、子供はまだか〜?という漫画の絵、それと結婚した夏美姉ちゃんにこの夏生まれた赤ちゃんのこと、が沢山の文字で書いてあった。

 私はその場で座り込んで、たまにうふふと笑いながら一つずつ読む。

 おじさん、釣りに嵌ってるのか!今度沢山釣れたらそっちまで送ります??一体どうやって?―――――おばさんはカラーコーディネーターの資格を取ったらしい・・・わお!本当、いつまでも向上心を忘れないよね・・・あ、赤ちゃんの写真だ〜、何何、え、何て読むのこの名前・・・おお、振り仮名ないとか、勇気あるなあ、なっちゃんてば。読めないよ。・・・鮎はまた失恋?嘘でしょ、本当に恋多き乙女なんだから――――――――

 たまに笑いながら、色んなことを懐かしく思いながら、玄関先で手紙を読んでいた。

 さらさらと光が降り注いで、私は一人で優しい感覚に浸りきる。ああ、ここにも優しい人たちが、いたんだよね、って。

 お守りは、この5月にあったお父さんの定年退職のお祝いで家族で旅行した際に行った場所の有名な神社のものらしい。愛音の素晴らしい未来を全員で祈っておいた証拠だよ〜!!と鮎の文字で書いてあった。

 見ると、交通安全と家内安全のお守り。

「・・・あはははは、全く、誰の案よ〜」

 お守りを手にしてケラケラ笑っていたら、店の方からお父さんがおーい、と私を呼んだ。

「あ、お帰りなさい」

「ただいま〜」

 半身だけ廊下に突き出す格好で、お父さんはにこにこ笑っている。

「早かったんですね〜」

 お父さんは私の様子が楽しそうなのを見て頷いたようだった。

「何だったら店番はもういいから、手紙ついたって電話か何かしてくる?」

 私はあはははと手を振る。

「いえいえ、もう読み終わりましたから〜、ありがとうです!」

 よいしょ、と立ち上がって一度自宅へ戻る。

 居間においてある両親の仏壇に貰った手紙やお守りを並べて置いた。そして両親の遺影にウィンクする。

「私、十分すぎるくらいハッピーでしょ?」

 写真の中の両親はいつでも微笑んでいる。でも全国のリゾートを住み込みで点々としている間はちょっとくすんで見えたその笑顔が、この家に来てからは輝くように見えるのは、気のせいではないと思っていた。

 大丈夫、私はここで、毎日楽しんでるよ―――――――

 それから店に戻った。

 手紙の内容がネガティブなものでないだろうかと、お母さんが心配しているはずだ。早く安心させてあげないとね。



 夕方の配達にはお父さんにひっついて行くことが多い。

 居酒屋の人たちとお喋りをし、簡単なおつまみレシピを「内緒だよ」と教えて貰うのだ。そしてバイトの子とお菓子を交換したりする。まだお父さんにはバレてない、と思う。

 こっちも店長にはバレてません!と相手の女の子が言うから、二人で笑っていた。

 この町には高い建物がないので、夕焼けが真っ直ぐに商店街のアーケードの中まで差し込んでくる。全ての光景は明るいオレンジ色に染まり、その中を学生さんや主婦の人、子供達が沢山行き交っている。

 匂いと弾む声。たまに、自転車のベルの音と車のエンジン音。

 私は額の汗を腕で拭って、空になったビールケースを店の裏側に積み上げていく。初秋の風が湿った額に涼しく吹きかかる。仰いだ空は高く透き通って、ダイナミックな夕焼けをみせつけていた。

 ああ、お腹すいたなあ。今日の晩ご飯、何だろ。そう思うこの時間がとても好きだ。

 お母さんのつみれ煮が食べたい。あ、それか、今晩は彼も早いって言ってたから皆で鉄板焼きもいいかも。ちょっとそれを打診してみようっと。

 そんなことを考えながら、店の片付けを始めるのだ。

 季節がいい今、休日にはピクニックやバーベキューに使うのだと、缶ビールやチューハイの出が良かった。最近勢いのあるノン・アルコール類も。こうして商品の動きで季節を感じていく。

 あ、そういえば新しい発泡酒が出たから今晩はそれを飲もうってお父さんが言ってたっけ。

 私はうきうきしながら店に戻った。


 夜は、鉄板焼きになった。

 この家のお母さんのやり方はこうだ。最初に鉄板に野菜を敷き詰めて、水を入れて蓋をし、蒸し焼きにする。そして20分ほど待って、出来た温野菜をポン酢などで食べてから、今度は肉を焼くのだ。

 温野菜があれほど美味しいと、私は初めて知った。宣言通りに早めに帰宅した彼は、「肉〜肉をくれ〜」とテーブルを手のひらでパンパン叩いていたけど。

「野菜、美味しいよ」

 そう言うと、ぶーむくれた顔で、こんなことを言う。

「懸命に仕事してきて腹をすかせて、どうして葉っぱを食べなきゃならないんだ」

 葉っぱって・・・。私は呆れて口をぽかんと開けてしまった。

「じゃ、食べるの待てば?」

「・・・食べるけど!」

 え、結局食べるのかい?彼の視線の先を追うと、私の隣でいつの間に来たのかお母さんが仁王立ちになっていた。ははあ!

 仕方ないとビールのつまみにして食べてる彼の隣で、お父さんが全く同じ格好で野菜をつついているのが笑える。

 お母さんはそれをじろりと見て、これが一番野菜を食べれる方法なのよ!と言い放った。なんせこれを片付けないと肉まで行き着かない。ガツガツと皆で食べた。

 ポン酢が美味しくてそれだけでご飯をお代わりできたから、肉を焼くころには私は結構お腹が一杯だったけど。

 食べながら、彼が今日の話をする。その隣でお父さんが新しいビールの試飲をしている。お母さんが次から次へと料理を並べていく。私はそれぞれに相槌を打ちながら、ご飯を片付けていく。

 そんな平日の夜だった。

 
 夜、自宅に戻ると彼はまず仏壇へ行く。そして手をあわせてくれるのだ。いつものようにそうして、仏壇の上の封書とその他に気付いたようだった。

「手紙?」

「ああ、鮎の家から手紙やお守りの詰め合わせが来たんだよー」

 詰め合わせ・・・?そう彼が首を傾げるから、お風呂が入るまでの間、一緒にまた手紙を読んだ。説明するより早いかと思って。

「皆さん元気なんだな」

 彼が笑う。そうそう、と私も頷く。

「定年退職って知ってたのか?お祝いどうする?」

「あ、そうよね。遅れたけど何か送ろう」

「じゃ明日はそれを見に、どこかへ行こう」

「え?」

 明日?と彼を振り返ると、にっこりといつもの笑顔で笑った。明日の土曜日は、アポいれてないからって。

「いや、でもお店は開いてるし」

 あなたがお休みでも、平林酒屋は営業しているんだよ。私がそう言いながら台所へ入っていくと、居間から情けない彼の声が追いかけてきた。

「・・・デートしようぜ〜」

「しません。日曜日は?」

「・・・アポ入れた」

「じゃあ私、日曜日に見に行ってくるよ、退職祝い。気にせずにお仕事行って」

「・・・冷たい」

「あなたが?」

「おめーだよ!」

 憤然と両手を腰に当てて振り返る。ソファーの上でダレながら、こちらを見る彼を見下ろして睨みつけた。何だ、この垂れパンダみたいな格好。モンスター営業と呼ばれる男ではなかったのか、あなたは!

「土曜日は元から店がやってるの、知ってるでしょ?」

「ああ」

「じゃあ日曜にアポ入れなかったらいいんじゃないの?」

「・・・客の都合で」

 ふふんと私は鼻で笑う。背の高い彼を見下ろせるときなんて、普通はない。今のうちに存分に味わわなくては。

「お客様に都合を合わせて貰ってこそ、一流の営業だって言ってたわよね?」

「・・・」

「あれは何だったんだろうかー」

「・・・」

「でもいいのよ。一人で行けるから。あ、そうだ、お母さんに一緒に行こうって――――」

「日曜でいい」

 うん?と彼を見ると、ぶっすーとした顔のままで起き上がって、胸ポケットから薄い携帯電話を取り出し、耳に押し当てながら寝室の方へ歩いて行ってしまった。

 たーぶん、アポの変更願い。

 ・・・・やった!

 くふふと笑う。その時お風呂の準備完了ブザーが鳴り、私はニヤニヤ笑いながら浴室へ向かった。


 枕元にサンダルウッドの香り袋が置いてある。

 それは私が両親と住んでいた森の匂いを思い出させる。

 その香りの中で、私は彼の腕にすっぽりと包まれて眠るのだ。

「お休み、愛音」

「・・・お休みなさい」

 トロトロと溶け出す意識の中で、小さくそう返した。

 温かくって安心する。硬くて大きな腕に顔をこすりつけて、その中で丸まって。

 天国があるとしたら、きっとこんなところだろう。

 そう思いながら、今晩も、うっとりと夢の中へと入って行った―――――――






 短編「シャンパン越しの眼差しを」平林家の一日 終わり。



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