番外編 井谷正輝の動揺



 長年友達として頼りにしてきた女友達である梅沢翔子が、最近変わった。

 元々同じ広告会社の営業課に勤める、新卒からの同期だった。

 梅沢翔子、俺と同じ歳の29歳。

 ハッキリとした性格で、酒に強く、タバコを吸い、いつでも自分の意見をちゃんと持っていて尊敬に値するキャリアウーマンだ。

 入社から4年目でキャリアアップを理由に転職してしまったけど、彼女が今の企画の会社にうつってからも、俺との付き合いは続いていた。

 たまに、酒を一緒に飲む。

 といっても飲むのは主に翔子のほうで、俺は大体泣き言を言いながら潰れている。

 どうにも心が弱ったときに翔子に話を聞いて欲しくて呼び出してしまうので、仕方ないとはいえ、いつでも情けない姿をさらしているわけで・・・そこは、反省すべきだよな、とは自分でも思ってはいるんだけど。

 仕事で失敗をしたとか、失恋したとか、男相手には吐けない弱音も翔子には言うことが出来た。

 翔子は面倒臭そうに鼻を鳴らして、ガンガン酒を飲みながら話を聞き、毒舌をはく。けちょんけちょんにけなす。それでも、俺は安心した。

 そんな付き合いももう6年目だった。

 その大切な女友達である翔子が、変わってしまった。

「そろそろ結婚相手をみつけないといけないから」

 という理由だけを俺に放り投げて、一切の付き合いをやめると宣言したのだ。

 そして宣言通り、俺との連絡手段は全部絶った。

 さすが翔子だ、行動が素早い上に、そこまでやるかってほどの完璧さだった。

 俺の電話は着信拒否にしたみたいだったし、メルアドも気がつけば変更していて、しかも俺には教えてくれなかった。

 傷つくより、憮然とした。

 ・・・・・何なんだよ、俺が一体何したっていうんだ。


 ただ単に、納得出来ないってだけで意地になった俺はしばらく翔子を追いかけた。

 嫌われたのなら仕方ないと思うが、別にそういうわけでもないらしい。

 ならば、何故。

 そんなきまぐれで俺の生活や精神安定剤を奪わないでくれ。せめて納得できるまでは諦めないぞ、と世間で言うストーカー並の行動までして翔子を追いかけてきた。

 ここ一ヶ月ほど。

 正直、あまりにも露骨に拒否されるので、途中めげかけたりもしたのだけど、それでも彼女にふられたばかりで友達までなくすなんて、耐えられそうにない。

 弱いと笑われたっていい。俺には支えてくれる女友達が必要なんだ。

 仕事中は考えなくて済んだからよかったけど、プライベートの時間になるとすぐにどうにかして翔子を捕まえたいと思うようになっている最近だ。

 全く・・・・何でこんなことに。

 翔子に送ったメールが出戻ってきて、俺は深いため息をついて、公園のベンチに座り込んだ。本日、3回目のメルアドを変更したらしい・・・・。こう回数が多いと、共通の知人に「メルアド消しちゃったから教えて」といって新しいメルアドを教えて貰ってる方法も使えなくなる。

「・・・くそ、何なんだよ・・・」

 もういい加減にやめるべきなのかな。

 やっぱり男女の友情は成り立たないのかな。

 営業鞄が急に重たく感じた。

 ・・・・俺、しつこいよな・・・。

 それは自分でも判ってるんだ、と心の中で呟く。だけど・・・だけど・・・・。

 今晩は荒れる、と天気予報が出ていた。

 昼下がりの都会の真ん中の公園のベンチで、俺は途方にくれて曇りだした空を見上げる。

 凄い勢いで風が雲を吹き飛ばしていく。

 嵐がくるんだ。


 降りだした。

 電車に揺られながら、どんどん悪化していく外の世界を見ていた。

 俺は翔子の部屋に向かっている。

 今日で、最後にしようと思っていた。

 もう3週間以上逃げられていて会えてない翔子と会えるかは判らないけど、だけど会えたら、もう一度だけ話をして、諦めようと。

 やり手の企画営業で忙しい翔子が、木曜日は帰りが早めなのを覚えていた。

 うまく行けば会える可能性がある。

 アポをひとつキャンセルして来たんだから、やっぱり今晩は会いたい。

 そして、決着を――――――・・・・

 いきこんで改札を出ると、外は大嵐になっていた。

 土砂降りの雨に、強烈な風。駅の構内にまで雨が振り込んできていて、仕事帰りの人たちがうんざりした顔で奥のほうへと避難していた。

 ・・・すげー。台風並みだな・・・。

 俺はどうしようかと一瞬悩む。

 もう翔子が家に帰っていれば、この雨で濡れて訪問するのは避けたい。それに・・・・。

 その時視界の端に、吹き込んでくる雨風から逃げもせずに駅の端ぎりぎりに立って空を見上げている女性がうつった。

 ふわふわのショートヘアで、スーツ姿の女性だった。何故か気になって良くみようと近寄ると、見覚えのある営業鞄に気がついた。

 あれ?・・・・この後姿・・・。

「翔子だ」

 呟きは雨の音に消されて届かなかったらしい。

 髪を切っていて雰囲気が変わり、判らなかった。

 目指す相手は目の前にいた。俺は近寄って、濡れつつある翔子の頭の上に傘を広げた。

 ハッとしたように翔子が振り返って、目を見開いた。

「―――――驚いた」

「・・・・俺も。翔子と判らなかった。髪型、変えたんだな」

 頷いて、言葉を返す。

 ずっとセミロングだった髪型はすっきりと短くなり、猫毛の柔らかい髪がカールして下りている。何色というのか知らないが明るい色にも染めているようで、以前より大分雰囲気が柔らかくなっていた。

 ショートカット、似合うじゃないか。

 ついしげしげと見ていたら、翔子はうんざりした表情を隠そうともせずにため息をついた。

「・・・あのねえ、君は暇なの?忙しい営業なら、女追いかけてる暇ないでしょうが」

 ――――――暇じゃない。現に今日だって、アポ一件無視してきたわけで。俺だって、自分でそう思ってる。

「優先順位って言葉があるの、知ってるか?」

 今は、翔子が優先順位が高いのだ。俺の精神安定剤。頼りになる格好いい女友達を取り戻したい。

 ちゃんと話をしたいのに、また言い合いになる。別に母親扱いしたつもりはないが、どうやら失言をかまして翔子をカンカンに怒らせてしまったらしい。綺麗に化粧した瞳に殺意を宿らせて睨まれた時は真剣にびびった。

 そしてまた更に失言をしたらしい俺に、今度はがっくりと肩を落として、それはそれは長いため息をついて、それから雨風なんて吹いていないかのように普通のスピードで、翔子は雨の中を歩き出した。

 俺は慌てて後を追いかける。

 傘を持ってないらしいから、せめて家までは送ろうと思ったんだった。

 だけど、この物凄い嵐。

 傘なんてさしてる意味はほとんどなかった。歩きにくそうに自分がはいてるヒールを睨みつけながら翔子は隣を歩く。もう俺の事は無視すると固く決めたらしかった。

 ・・・ああ・・・何でこんなことに。

 そして、そろそろ翔子のアパートも見えるかというところになって、少し傾斜のある道では雨水が滝のように流れていて、そこのところで、ついにヒールを滑らせたらしい。

「きゃあ!」

 悲鳴をあげて翔子の体が傾く。俺は一瞬遅れて助けようと手を伸ばしたけど、やっぱり遅かった。

 それどころか、一緒に転んでしまったのだ。

 雨の中。強烈な豪雨の中。翔子と一緒に水溜りに頭から。

 持ち物が散らばる中、全てが水に浮かんで雨の粒をはじく。痛いくらいの雨の攻撃を受けて、すぐに全身が水浸しになった。

 呆然と二人で座り込んでいた。

 翔子は呆気に取られた顔で、俺の顔をみていた。その飾らない化粧の取れた顔をみていたら、ふつふつと腹の底から笑いがこみ上げてきた。

「・・・・くっ・・・」

 ついに、噴出した。

 すると驚いたことに、つられたように翔子も笑い出した。

「あはははは」

 もう、止まらない。スイッチが入ったみたいに、ずぶ濡れでバカ笑いをしていた。

 雨で溢れたコンクリートの地面を手で叩いて笑いあった。

 そしてやっと動き出し、とにかく翔子のアパートまでたらたらと歩いていく。相変わらず笑いは止まらない。

 ここ最近で、こんなに笑ったこと、なかった。

 玄関に濡れた持ち物を置くと、先にどうぞとシャワーを浴びさせてくれた。

 熱いお湯で、体が冷えてしまっていたことに気付いた。翔子は大丈夫だろうか。先にお風呂入ってもらったら良かったか?でもここは、俺の家じゃないしな・・・。

 手早く洗って出ると、タオルと着替えが用意されていた。

 付き合いは長いがお風呂を使わせてもらったのは初めてだ。香りや小物が翔子の雰囲気で溢れていた。

「・・・・」

 男物のTシャツを思わずじっと見てしまった。

 ・・・誰のだろ。元彼かなんかかな。でも、あいつから男の話は聞いたこと、ないぞ。仕事が忙しいとデートの暇もないって言って、いつでもフリーの身分を楽しんでいるようだったのに。

 でもさっき、駅前で言い争いになったときに、好きな男がいるのかとつい聞いたら、いるって頷いたよな?もしかして、聞いたことはないけど長い片思いかなんかをしてるんだろうか―――――――

 俺、いつも自分の話ばっかで、翔子の話を聞いてやれてなかったかも。俺が知らないだけで、翔子は恋愛で悩み事があるのでは・・・・。

 裸のまま思わず考え込んでしまって、ハッとした。

 いやいや、今、俺が気にすることじゃないよな。

 とにかく、裸で翔子の前をうろうろするわけにはいかない。有難く着させてもらうことにした。

 早く交代してやらねばと台所に行くと、部屋着に着替えたラフな格好の翔子はコーヒーを入れながら、振り返った。

「ごめん、お先」

 声をかけると、なぜか固まってしまっていた翔子がパッと視線を逃がした。

「こっ・・・コーヒー淹れといたから飲んでおいてね。服は乾燥機に入れるから、乾くまでしばらくそのままでいて。じゃあ私入ってくる!」

 そして早足でお風呂にいってしまった。体、相当冷えてたんじゃないかな・・・。

 さすが翔子、気がきく。早速淹れてくれたコーヒーを飲んでいると、腹が鳴って空腹を告げた。

 ・・・そうか、もう7時半だもんな。

 人んちの台所で勝手にご飯作れないし、翔子には翔子の都合があるだろう。でも、何とかできないかな、と頭をめぐらせると、まだ読まれてない今日の朝刊に挟まれているチラシが目に入った。

 にんまりと笑う。

 ピザ。確か、翔子はすきだったはず。これを注文しておこう。

 何とか無事だった携帯電話を取り出した。

 やっぱり女性でそれなりに時間が掛かっていたので、翔子が上がってくるまでテレビを勝手につけてみていた。

 だけど、全然頭に入ってこない。

 何か俺が翔子の部屋で寛いでるのが不思議で、妙にそわそわしてしまった。

「・・・コーヒー、飲んだ?」

 静かな声が聞こえたから振り返ったら、お風呂で赤くなった顔で翔子が台所に入っていくところだった。

 お礼を言って俺も行く。ピザを頼んだことを言うと、パッと笑顔になった。

「・・・助かる。今日お昼もちゃんと取れてなかったから、実は餓死寸前で」

 それはよかった。

 翔子の笑顔を見たのは久しぶりだ。だけど、スッピンの、全く飾らない翔子の顔をみたのは、初めてだった。

 いつもびしっとしたスーツ姿で、営業用に華やかな化粧をしている翔子のスッピンは、3歳くらい若く見えた。

 上気している頬がピンク色で、髪型をかえて柔らかくなった雰囲気を更に強調している。にこにこしていて、見たことない女性と一緒にいるのかと思ったくらいだった。

 肩の力を抜いてこれまで通りに接してくれたのが嬉しかった。だから、調子にのったのも、ある。

 通りすぎた翔子の髪が濡れたままなのを見て、つい、言ってしまったのだ。

「お前ドライヤーしてないの?髪短くしたからって、それじゃあ風邪引くぞ」

 そして、え?と驚く翔子に指図して、ソファーに座らせる。

 いいよ、と遠慮するのを交わして、ドライヤーのスイッチを入れた。

 翔子は諦めたらしく、少し俯き加減で、俺のされるがままになっていた。

 ゆっくりと髪の毛を指で梳く。柔らかい翔子の猫毛は、シャンプーの香りがした。しっとりと絡み付いて、ぱらぱらと舞う。そして驚くほど白い首筋にかかっては跳ねた。

 つい、それをじっと見てしまった。

 背中を丸めて気持ちよさそうに俯く翔子の白い肌。漏れる吐息。撒き散らされる香り。

 ・・・・肩、こんなに細かったんだ。

 いつもは頼れる姉御肌の翔子の勇ましさだけが目に入り、女性として意識したことはなかった。

 ――――――――だけど。

 この首筋が、もうちょっと見たい。つい指でさすってしまう。風を送り髪をどけて、さらけ出した白いうなじから目が離せない。

 ここに・・・・・口付けをしたら。

 翔子は、どんな反応をするだろう―――――――――


 ハッとした。

 思わず唸り声をあげて、自分を牽制していると、寝しなのようなぼーっとした声で、翔子が、何?と聞いた。

 咳払いをしたいのを堪えて、普通の声で返す努力をする。

「・・・いや、何でも」

 翔子は気にしなかったようだ。

 指が勝手に動いて翔子のうなじを撫でる。急に緊張してきて、俺は体温が上がったのを感じた。

 すると、翔子が言ったのだ。

「・・・はあ〜・・・・気持ちいい・・・」

 その、うっとりした声色が、まるで男に抱かれている時のあえぎ声に聞こえて、鼓動が止まるかと思った。

 ちょっと待て待て待て待て!!

 落ち着け、とバレないように小さく呼吸をする。

 取り合えず、このヤバイ行動を止めよう。長年の女友達をまさかここでいきなり襲うわけにもいかない。

 体はすっかりその気になってしまってて、焦った。

「・・・終わり」

 何とか呟いて、ドライヤーのスイッチを切った。

「ありがと。本当に上手かった、びっくりー」

 翔子は明るくそうお礼を言うと、猫みたいにううーんと伸び上がった。

 その部屋着に包まれた体のラインをつい目で追ってしまった自分に気付いた。

「うん?」

 反応がない俺が気になったのか、翔子が目を瞬いた。俺は急いで乾いていた口を湿らせる。

「・・・いや、何でも」

 そしてその場から逃げた。

 洗面所にドライヤーを直しながら、壁をどつきたい衝動に駆られる。いや、自分の部屋だったらドカンとやってしまっていたかもしれない。

 ――――――――何、欲情してんだよ!!俺は!!

 ため息をついて瞼を強く抑えた。

 ・・・危ない・・・。翔子は大事な友達だろ。一体なに考えてるんだよ・・・。今までなかったのに、どうして今晩はこんなに翔子のことを女として意識したんだろう。

 プライベートのマジックだな。

 付き合った女性たちの、プライベートなところを見れたらいつでも嬉しかったことを思い出した。

 スッピンが残念な彼女もいるにはいたが、みんなプライベートではリラックスしていい笑顔で笑ったものだった。

 ・・・・翔子の素顔は、可愛かった・・・・。

「・・・・やべー・・・」

 つい呟く。

 あっちに戻るまでにもう少し落ち着かないと。

 でも無駄に時間を潰すと様子を見に来られてしまうし・・。


 その時、玄関のチャイムが鳴った。

 ・・・神様、ありがとう。

 ピザが到着したのがわかって、やっと動けた。財布を手にして玄関に戻る。

 この豪雨の中必死に仕事をしてくれた配達係のお兄さんに丁寧にお礼を言った。

 そしてもう一度深呼吸をして、覚悟を決めて、居間に戻った。

 手に持ったピザの温かさに救われた。

 テーブルの用意をしていたらしい翔子が、わーい、と声に出して喜んだ。

 その笑顔を、また見詰めてしまった。

 ・・・・・なんてこった。

 ピザは美味しかったと思うけど、実はあんまり覚えてない。

 テレビのバラエティー番組を見ながらケラケラと笑う翔子の顔は何度も思い出すのに。

 心から寛いだ、とは言えない。

 ビールも進められたけど、正気を保つために断った。翔子は残念そうな顔をしていた。

 それすらも、ぐっときた。俺は翔子を女として見てしまった事実に激しく動揺していた。

 ・・・・・ダメだ。思考回路は恋愛モード一色になりつつある。

 このままでは。

 窓の外は相変わらずの大嵐。

 もう一度頭を冷やすべきだって、神様が言ってるんだと思った。

 俺は振り返って、服の乾燥は終わったかな、と翔子に聞く。


 帰って、落ち着く必要がある。




 番外編終わり。男目線での場面抜き取りでした。

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