4、深夜のコーヒー


 シンクにもたれて男がコーヒーを飲んでいる。

 外見はタケルとは違っても、中身が一緒の人間なので雰囲気や行動パターン、もたれている格好がやその角度なんかが全く同じだ。

 その光景を最後に見たのが2ヶ月ほど前だとは思えないくらいに懐かしくて、あたしは椅子の上でぐっと涙を飲み込む。

 もう、この猛は期限付きじゃあないんだ・・・。

 何かが起こっていついなくなるかは判らないのは一緒だけれども、おばあちゃんの魔法のせいではなくて、自分の意思でここに居てくれてるんだ・・・・。そう思ったら、涙を飲み込むのに本当に苦労した。

「―――――――お前が49日の法要で出かけた後・・・」

 あたしが受け取ったコーヒーを飲み始めたのを確認して、猛が話し出した。

 必死で涙を止めていたあたしはハッと頭をあげて感傷を振り払い、彼の話に集中する。

「・・・俺は、今日、消えようと決心した」

「え?」

 目を閉じてカップに口をつけたまま、彼は掠れた声で話す。

「まだ魔法は続いているみたいだったけれど、今日消えた方がいいだろうと思ったんだ。とにかく、お前の前からは」

 そんな。

 本当ならあたしともうちょっと一緒にいれたってこと!?

「そんな・・・自分から消えちゃうなんて。・・・酷い」

 あたしの苦情に彼が顔を上げる。とても真剣な顔をしていて、視線に熱を感じるほどだった。

「・・・目の前でどんどん消えていくほうが良かったか?」

 ぐっ。

 想像してしまって、あたしは唇をかみ締める。・・・・ううう〜・・・確かに、それではショックは倍増だったかも、だけど〜・・・。

「とにかく、そう決めて、自分のものを完璧に片付けた。布団もあげて、元々ここには俺が居なかったかのようにした。それから、もう随分体は軽くなっていたけど、動ける内にと思って家を出たんだ」

 ――――――――・・・そうかあ!それで綺麗に片付いていたんだ〜!謎が解けて、あたしはそっと息を吐く。

 彼が着ていた服や他のものはこの世界で買ったものなのに、全部魔法と一緒に消えたのかなと不思議だったのだ。魔法って、布団上げまでしてくれるの?って。

 まあ、タケルの物を自分の手で整理しなくて良かったのは助かったけど。その行為にあたしは傷付いたに違いないのだから。

「・・・どこか、行くところがあったの?」

 あたしの問いに猛はうんと頷く。

「魂だけになったって、記憶は全部あったんだ。本当の自分の体がどうなったのか知りたくて」

 自分の体。今、目の前にいる、近藤猛のこの体。

 そうか、だって事故った時までの記憶しかなかったんだもんね。だけどそれまでの記憶はあったから、イラストのタケルになって出てきても日常生活に問題はなく買い物だっていけたしパチンコだって出来たってことなのね。

 色んなことがするすると判ってきた。あたしは忙しく頭を働かせながら彼の話を聞く。

「・・・本当の俺については何の情報もなかったから、躊躇したけれど、結局親に電話することにしたんだ。声も姿も違ってるから、友達だという事にして。で、教えて貰ったんだ。俺は地元の病院で意識不明の面会謝絶だった」

 ・・・意識不明の面会謝絶。重態だ。立派な、重態。

「やっぱり落ち込んだしどうしたもんかと思ったけど、体の状態だけは聞き出せた。色んなところを骨折していたし、背中を30針縫ったらしい。でも頭はメットに守られていたし四肢はなくなってない、今は意識がないってだけで様態は落ち着いているって聞いて、安心した」

「うわあ・・・ううう〜・・・痛そう・・・」

 あたしが呻いた。

 あれ、でも背中にそんな大きな傷あったかな?先程までの事を思いだそうとしたけど、無駄だとすぐ諦めた。あたし、そんな余裕はどこにもなかった。

 顔を顰めたあたしを見て、彼は苦笑する。

「そら、痛いわな。目が覚めた時、思わず体を動かそうとしてその痛みでまた気絶するかと思った。でも身体障害になってても不思議じゃない状態だったのに、そういう意味では無事だったんだ。凄い幸運。驚いたぜ、俺は」

「そう、だね・・・」

「それに」

 猛はコーヒーを飲み干して、シンクに置いた。そしてえくぼを作ってあたしに笑いかける。

「サツキと一緒に居たいからと現世に戻る決意をしても、戻った体が使えないんじゃお前を抱けない。会いに行けても一緒に生活が出来ないなら、正体を明かしても仕方ない」

「え、あ、うん」

「そんなことになったら生き返っても辛いだけだと思った。だからボロボロでも体がちゃんとあったのは嬉しかったな。これでこの世に戻る決心がついたんだから」

「――――」

 あああああ〜・・・・どうしよう・・・・。

 あたしは思わず俯く。ダメダメ、そんな直球な。真っ直ぐな言葉は心臓に悪いよ〜!ドクンドクンと鼓動が耳の中で響く。また顔が熱くなったのが判った。一気に挙動不審になり、つい両手で頬をぱしっと叩いてしまった。

 それを見て猛は笑う。

「本当に楽しいな〜お前は!!めちゃくちゃ頑張って会いに来た甲斐があったよー!」

 彼は嬉しそうだった。くっくっく、と体を折って笑っている。

 あたしは今度は悔しくて顔を顰める。もう、何でこうなるのよ!折角いい話だったのに〜!

「それで、どうなったの?」

 ぶっすーとした声でそう聞くと、彼はまだ笑いながらああと言って体を起こし、ニヤニヤしたまま話した。

「えーっと、だから結局その晩はオールナイトの映画館で時間を潰したんだ。真っ暗だし、ここなら消えても問題ないよな、と思って。体の感じから明け方にはそろそろだと判った。するとちょっと惜しくなってきたんだよな。ああ消えるんだなーと思ったら。ならやっぱり最後は綺麗な光景を見たいぞと思って映画館を出て、河川敷に行って、座ってた」

「河川敷へ?」

「そう。ちょうど朝日が出る時間でさ」

 猛は笑うのをやめて、目を閉じた。

「朝日が昇る前のマジック・アワー。光が空にあふれ出してとても静かで、全部が止まって見えて綺麗だった」

 世界が明るくなるのを見ながら、その時をまってたんだ、と静かに言った。

 やがて音が遠ざかり、景色が揺らぎ、体重を感じなくなり、体温もなくなったようだった。そして目が回って―――――――

「俺はまた、あの、緑の草原の中にいた」

 彼は片手で目をごしごし擦ってため息をついた。

「すげーよ、結城さん、って思った。言われた通りだったから。誰もいなくて草が風に揺れていた。俺はすぐに現実世界に戻るつもりでいたし、お迎えなんて待つ気はない。だからまっすぐ暗闇に突っ込んでいった。気持ち悪い感覚だった。体がもみくちゃにされたみたいな。・・・怖かったし、寒かった」

 あたしは唾を飲み込む。

 衝撃な告白だよ〜・・・。あの世体験ってやつ?本とか、書けるんじゃないの、この人。・・・まあ、信じてもらうのは難しそうだけど・・。

「で、病院で目が覚めた。頭がぼーっとしていたし、気分も悪くて吐き気もあって体中あちこち痛かった。手も足も力が入らなかった。ちょっとでも動こうとするとすんごい痛みがくるし。で頭だけ動かしてバタバタしていたら、周囲が騒がしくなったんだ。俺に意識が戻ったのに病院側が気付いた」

 あたしはいつの間にか止めていた息を、ほお〜と吐き出した。緊張してしまっていたらしい。

「・・・親御さんは、喜んだでしょう」

 猛はちょっと黙って、うん、と頷く。

「・・・・母さんの泣き顔、初めて見たな」

 そして小さな声で続ける。

「死んでもいいと思ったなんて、あの最悪の状況では仕方なかったとはいえ、俺、ダメだったなーって反省した。でも」

 猛がパッと顔を上げた。その猫目は緩いカーブをえがいて細められている。

「結城さんのお陰で、ここに戻りたくなったから。生き返ることが出来て感謝してるんだ。あのまま生き返るのとは全然違う結果になったはずだし」

 それは、本当に良かった。

 おばあちゃん、結局二人の人間を救ったんだね。あたしと猛を結び付けた、あれは強引で優しい魔法だったんだ。


 さて・・・と言って、彼はシンクにもたれかかったままで大きく伸びをした。

「俺、もう眠くてダメ。ここからは現実世界の話だし、もう明日・・・いや、今日起きてからにしようぜ。サツキ仕事は?」

 あたしも立ち上がってカップをシンクに置きに行く。

「あ、しばらくバイトは無いの。先生が旅行中で」

 へえ、と言って台所から出かけていた彼が振り返った。

「しばらく暇なのか?じゃあ――――――色々出来るな」

「・・・ん?色々って何」

 その表情に不安になってあたしは聞く。だけど彼はにやりと笑っただけで答えずに、さっと寝室に消えた。

 ・・・不安だ・・・。今の企んだ顔。非常〜に、不安・・・・。何を考えたのよ、あの人、今。

 寝支度を整えたあたしは寝室に入る前に、仏壇の部屋に行っておばあちゃんの遺影を見詰める。

「・・・おばあちゃん」

 いつもの写真のはずなのに、何だかいつもより笑っているように見えた。

 あたしの、偉大な魔法使いだ。

 あたしは写真に手を伸ばしておばあちゃんに触れる。

「・・・素敵な恋をありがとう。あたし、大事にするからね」

 頷いたように見えた。

 あの夢の中、一面の桜吹雪の中で、あの時のおばあちゃんの煌いた瞳は忘れない。ほらね、うまくいったでしょう、って言ってるみたいだった。

 小さな頃、あたしにおまじないやマジックを見せてくれるたびに言ってた。

 少し誇らしげな声で、鈴が鳴るみたいに笑って。


『ほら、うまくいったでしょう、皐月ちゃん』


 あたしは立ち上がる。

 そしてあたしと一緒にいるために戻ってきてくれた、猛のもとへと向かった。





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