2、弥生と広志@
「あらあ、さっちゃんどうしたのー?」
第1アシさんの明るい声に迎えられ、皆が次々と振り返って歓声を上げた。
「髪切ったのね〜!可愛くなってー!」
胸下までの黒髪ロング(ぼさぼさ)をいつも一つにひっ詰めてくくっていたあたしが、ウルフカットを柔らかくしたような、出始めた頃の藤原紀香のような、毛先にむけてしぼむシンプルで上品な髪型になって登場したのだから、皆が驚くのも無理はない。
無理はないんだけど、前のあたし、そんなに酷かったっすか?と思うくらいに褒められて、若干複雑だった。
「・・・友人に・・・切られました」
俯いてゴニョゴニョ言うと、第2アシさんが感心した声を上げた。
「その友達、うまーい。美容院に勤めている子かなんか?さっちゃんの骨格をよく判って切ったんだね〜」
・・・・いえ、皆様よくご存知の、葉月タケル様の手による作品でございます、と心の中で呟く。
「美容院か〜。縁がないなー。もうどれだけ行ってないんだろう」
全員から、盛大なため息が聞こえた。
漫画家とそのアシスタントは身なりに構わない人が多い。
・・・・というか、構えない。常に部屋の中で机に向かっているし、お洒落は仕事中は窮屈以外のなにものでもないので、化粧や髪のセットなんかしない。
加えて連載中は先生もアシさんも休みはないのが普通だし、外で人に会わなければならない時はターバンや帽子が活躍する。
その為外出するには一大決心が必要で、数々の手入れをして女性モードに戻ってから出るというのが面倒なので、よけいに引きこもり生活になる、という負のスパイラルに落ち込むのだ。
あたしは苦笑して自席に座り、いつものように後ろでまとめた。
ゴムかけ(消しゴムでえんぴつの線を消す)の原稿が山と積まれている。
よし、と気合を入れなおした。
原稿に丁寧に消しゴムをかけ、そのチリを羽で払い、その都度じっくりと絵を見る。つい、この靴使える、とか、この鞄、いいかも、などと思ってしまうあたしだった。
しばらく続けていくうちに、自分の中の違和感に気付いた。
漫画を見て・・・・その中で生き生きと動く葉月タケルに違和感があるのだと判った。うん?って。何か、違うって。
手元にある紙の中ではヒロインの由佳が書類を落として立ちすくみ、それに気付いたタケルが屈んで拾っている。極上の笑顔で。
あたしはつい手を止めて見入った。
・・・・・タケルなら。
今、あたしの家にいるタケルなら・・・。
拾ってはくれるかもしれないが、皮肉な笑顔で辛辣なコメントつきだろう。それか拾わずに床を指差して、「何してんだ、寝てるのか?」みたいな言葉だけか。
こんな笑顔で、大丈夫?などとは言わないに違いない。あたしだって由佳みたいに照れながら笑って、ありがとう、などとは言わないだろう。膨れて突っかかるか、ふん、と鼻を鳴らすかで――――――――
目が無意識に他のコマを見ていく。
彼が長い指で彼女の頬を撫でて微笑む。あたしのタケルなら、手で撫でたりしないでいきなりキスをしそうだけど。あたしの―――――
ハッとした。
・・・あたしのタケルって、何だああああ〜!!!
いきなり全身に汗をかいて真っ赤になったのが判った。
おおおお落ち着け落ち着け、落ち着くんだあたし!!はい、深呼吸〜深呼吸〜・・・。
やばいやばい。たった3日一緒にいただけで、何が『あたしのタケル』だよ、おこがましいにもほどがあるぞ、あたし!!
まばたきを何回かして、改めて原稿に向き直る。一人で真っ赤になっていることがバレたらいたたまれない。全力で仕事に集中しよう。
ベッドでも漫画のタケルは優しい。そりゃあ多少強引にはなってるけど、それでも現実の男でこんなんいないんじゃないかなあ〜と思うくらいには、優しいと思う。
多分、現実的にはちょっとSくらいの方が女性は燃えると思うけど・・・。
今までは全くそんな感想なんてなくて、ただ由佳をいいなあ〜と羨んでいたのに、ついまた家にいる俺様でエラソーなタケルと比べて想像してしまう。
「・・・うあっ・・・」
つい小声で呟いてしまった。
しっ・・・・
仕事にならない・・・・。どうしよう・・・。
今度はぶんぶんと頭を振ってみる。
あああ〜・・・どうしちゃったの、あたし。目の前に原稿は溜まっていく。さっさと片付けないと、皆が次の作業に入れない。
ぐぐっと唇をかみ締めた。
イラストの中には今まで大好きだった葉月タケル様。でも、今日のあたしは彼に惹かれない。由佳が羨ましくない。甘くて優しいタケル様に物足りなさを覚えている。もうちょっと強引に、Sっ気を出して迫って貰いたいなどと思ってしまう。ほら、家にいるタケルみたいに、ちょっと理不尽な感じで―――――――
・・・のおおおおおおお〜っ!
Gペンを取って自分の手の甲に突き刺したくなった。
・・・・・おばあちゃーん!!たーすーけーてー。
そんな状態で、仕事中ずっと一人で無駄に苦しんでいたあたしだった。夕方終わったときにはもの凄く疲れていた。ぐったりと。別に締め切り前でもないのに。
だるい体を事務所の玄関前で伸ばしながら、携帯をチェックする。
「おお?」
珍しく、姉の弥生からメールが入っていた。
『やっほー!今日アシスタントのバイトかな?近くまで来たから、終わったらお茶しない?メール待ってる』
・・・・お茶。
あたしは少し身構えた。
姉の弥生は30歳。OLで、当たり前だが平日は仕事のはずだ。・・・今日は水曜日ですけど。一体何ごと?
あたしみたいにぼーっとしてない姉は、せっかちで短気。結婚を控えた彼氏の広志さんと喧嘩でもしたのかな。それで、愚痴が溜まってるとか?
純粋にあたしを心配してだとは思えない。姉はそんな性格じゃあない。
名前で判ると思うが、姉の弥生は3月生まれ、あたしは5月生まれで皐月だ。3歳違いの姉妹で、性格は反対、外見も反対。
姉は父と母の良いところだけをバランスよく貰い、自他共に認める美人だ。クールビューティー系。しかも賢く、何でも器用にこなす。
あたしは母方の祖母に似て(つまり、魔法使いのおばあちゃんに似て)細いと言うより痩せてるし、背も低くて顔は丸い。めちゃくちゃブサイクではないと思うけど、大して可愛くもない、いつでも‘その他大勢’に分類されるような女の子だった。そして、動作だって素早くないし、賢いなんてお世辞でも言われたことはない。
性格も、姉は華やか、あたしは内向的。
小さい頃親に叱られた上に家を放り出された姉は、姉を放り出した父に対して家の中の玄関で号泣していたあたしに小窓から声をかけて、靴と取らせ、平気な顔で(むしろ楽しそうに)遊びに行った女だ。
あたしは泣き顔をぽかんとしたマヌケな顔に変えて、立ちすくんでいた。
・・・・いや、あたし、あんたの為に泣いてたんですけど??って。呆然とした。追い出された本人はショックを受けるどころか、これ幸いと遊びにいってしまった。
あたしの涙を返せ〜!!!って、全身で思ったのを今でも覚えている。
そんな姉だ。勿論会えるのは嬉しいが、何か目的があるに違いない・・・。
しばらく無言で携帯電話を睨みつけたあとで、あたしはため息をつく。それからメールがかったるいので、電話した。
「ハロー。終わったよ。どこにいるの?」
『挨拶もなしなの〜?久しぶりね〜』
姉の華やかな声が流れ出し、聞いただけで余計疲れた。
「・・・・・つい先日、おばあちゃんの葬式で会ったじゃん・・」
『もう、愛想のない子ね。駅前に緑の旗が立ってるカフェあるでしょう?そこでさっきからお茶してるから、来て〜』
はいはい、と返事をして電話を切った。
大分温かくなってきて、コートはさすがにもう要らない。あたしはゆっくりと駅前まで歩く。
・・・・今日の晩ご飯何しようかなあ〜・・・。
朝食はタケルが作ってくれているので、この3日間は晩ご飯はあたしが作るようにしているけど、彼はじっとしていられないらしくすぐに手を出してくる。
これが違う、お前の手際が悪い、何でこうなるのよ、ちゃんと味みたのか、とお互いに文句を言いながら何だかんだと一緒に作っているのだった。
出来たご飯を食べながら、「美味しい、さすがあたし(俺)が作ったご飯だ!」とそれぞれが自画自賛して、お互いに唸りあう。そんなことをしている。
・・・だけど。
うん、だけど、正直に告白しよう、それが楽しいと思えてきているあたしだった。
ご飯が楽しいだなんて・・・おばあちゃんが元気だった時以来だ。
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