Title/無題 Presented by I 下駄箱から無造作に落とした靴が固い床との間でやけにうるさい音を立てた。だが、それはあくまで、土方十四郎の体感の話であって、実際には誰が気に留めるような響きではなかっただろう。 土方が通う銀魂高校の昇降口の様子は、いつも通り変わらない。生徒達が一人や数人で自分たちの世界を作りながら好き勝手に出入りしている。放課後になれば毎日見られる光景だ。 そんな中で土方の体感が常と違ったのは、土方だけが(実際には他にもそういう人は居るだろうが、)常と違う状況に置かれていたからである。 「土方君独りなの? 珍しいね」 響いた音に苛立って近寄りがたい空気を出していた土方に、気後れもせず話しかけて来たのは同じクラスの女だった。 「いつも一緒にいる子、銀ちゃんだっけ?名前知らないんだけど。 一緒じゃないの?」 「用事があるんだってよ」 女が開口一番に話題にしたことこそが土方の、常とは違う状況であった。 土方にはいつも一緒に下校している男がいた。坂田銀時という、隣のクラスの変わり者だ。 特に親しい友人というわけではない。いや、周りから見れば毎日下校を共にする親しい友人であったのだが、本人達からすれば、互いは恋人という位置付けにあった。そう位置付けする関係になってもう少しで2か月になる。 きっかけは坂田からの告白だった。そのときの二人には交友は一切なく、土方からすると坂田は、隣のクラスの銀髪の奴、顔と名前が一致する奴、程度の認識だった。 そんな土方が坂田の申し入れを受け入れたのは、一言で言えば興味本位からだった。 その頃土方は、調度部活の最後の大会が終わって、付き合っていた彼女ともその大会の前に別れたばかりで、タイミングが良かったこともある。 これを逃せば男と付き合うことなど後にも先にもないだろうと思った土方は、ひとつの経験として、という意味合いで興味を持ったのだ。 周りにばらさない事を条件にお付き合いを始めた二人は、坂田の希望によって毎日下校を共にするようになった。 興味を持ったと言っても、土方は男とソウイウことに及ぶのには少なからず抵抗があった。元々恋情も無い。もし、坂田が手を出そうとすれば、殴り退けてしまうかもしれなかった。 だが、坂田はそういう素振りを見せなかった。キスは一度だけされた。不意打ちのようなフレンチキスは、土方に、男同士であるという一瞬かつ僅かな嫌悪と、女と変わらないもんだな、などという感慨をもたらした。坂田は、ばつが悪そうに「あー…悪ィ」とだけ溢した。 坂田には、恋人という割りに性的な意味合いを持たせるような行動が殆どなかったが、土方をそれはもう大好きだということはよく感じ取れた。 放課後、土方が用事で帰るのが遅くなると言えば、必ず終わるまで待っていて一緒に帰る。その道中も、些細な言い合いをしながらも嬉しくて仕方無いのが隠しきれていない。校内で土方を見かければ喜びを滲ませて話し掛けて来る。土方は、そんな様子から、坂田が土方を好きで好きで好きで好きで堪らないというのをよく分かっていた。そのことに多少の優越感も感じていた。 と、いうのに。 土方を好きで好きで好きで好きで堪らない筈の坂田が、今日初めて、「用事があるから」と、先に帰ったのだ。 よりにもよって、今日、坂田自身の誕生日に。 「ふーん、なら今日は一緒帰ろうよ。 土方くん家たしか途中だよね」 女は下駄箱から靴を取り出しながら見上げるように言った。 「…ああ」 別に断る理由はない。坂田に当て付けたいような気持も少しあった。 坂田の誕生日はたわいのない話の中で聞いたことがあった。だが、土方は今日の今日まで忘れていた。気に掛けもしなかった。 今日が坂田の誕生日だと気付いたのも、同じクラスの、坂田を好きらしい女子が騒いでいたからだ。 「銀さんの好きな××堂のショートケーキを買ってきたの」「え、悪くなっちゃうんじゃ…」「部室の冷蔵庫に入れて来たから大丈夫」なんて会話を聞きながらも、土方は、自分が何も用意してないことに焦りもしなかった。その女に坂田が揺らぐんじゃないかなんてことも考えもしなかった。自分が坂田を好きなのではなくて、坂田が自分を好きなのだ。自分が何もしなくても坂田は好きを訴えて来て、それだけ自分を好きなのだから、当然誕生日も自分と居たいに決まっている。と、そう考えていた。それなのに今日、坂田は土方の隣に居ない。 (あの女のところに行ったのか…?) 坂田は甘いものが好きだし、確か巨乳も好きだ。誘われれば乗りたくなるのも普通だろう。 (でも、あいつは俺を大好きで、この関係だってあいつが言ってきたからで、それなのに、あの女の誘いに乗るのかよ。 そりゃあ俺は何する訳じゃねぇが、誕生日にコイビトといるよりも、ほかの女のところに行くのか。 テメェが好きだなんだ言ってたくせに) 一緒に下校している女の話に適当に相槌を打ちながらも、土方の頭の中は坂田への苛立ちでいっぱいだった。 別になんとも思ってなくて、飽きたら切ろうと思っていた奴だ。別れる別れないはどうでもいい筈なのだがこれだけ苛立つのは、優越感に障ったからだろうか。今坂田と一緒にいるのであろう女が、嬉々としてケーキの話をしていた声を思い出すだけで腹が立つ。腹が立つだけでなく、モヤモヤする。 「あ、」 声を上げたのは土方の隣で歩いていた女だった。 その声に釣られ、思考と一緒に狭まっていた視界を前に広げると、そこにはもう土方の家が見えていて、その前には、坂田がいた。 「……坂田」 「……あ……」 土方のほうを見て、いつものように僅かに顔を綻ばせるかと思われた坂田は、そうはならず、顔を強張らせて呻きのような声を漏らした。それにも土方は苛立った。 「……なんだ、用事があったんじゃねえのか?」 「あ、いやー……、終わったというかこのための用だったというか……。 ていうか、そうか……、そう、だよな……」 「あ?」 ぶつぶつと覇気無く喋る坂田の横に女はいなかった。坂田は一人で立っていた。ただ、その右手にはケーキ屋のものらしき小さな箱が握られていた。 (別れ話でもしに来たか。わざわざそのケーキ持って) (上等だよ) 土方は、苛立ちに任せて、ハッ、とひとつ笑った。 「なんだよ、言いてェことははっきり言え。 何の用だったんだ」 「あー……、用は、やっぱ、いいよ。 それよりあれだ、悪かったな、邪魔しちまって」 「は」 「彼女さんも悪かったな、二人でいるとこ。 つーか俺すげー邪魔だったんじゃね? あ、これよかったら二人で食って。ふたつあるから」 そう言ってケーキを渡そうとする坂田に、隣の女を彼女などと宣ってほかの女から貰ったケーキを渡して来ようとする坂田に、言い知れないほどカッとなって、土方は、坂田の手にあったケーキを地面に叩き落とした。 「きゃっ」 「な…っ」 怒りが冷めやまぬまま睨みつけた先で、坂田は一瞬驚きに目を開いた後、土方を睨み付け、そしてすぐ、くしゃりと泣きそうに顔を歪めた。 「…っお前は本当に……、最低の――」 坂田はそこまで言いかけて、土方の隣で怯えるように立つ女を見やり、空気を飲むように口を噤んだ。 「……いや、なんでもねえ。……じゃあな」 下を向いて背を向けながら立ち去ろうとする坂田に、土方は何も声を掛けなかった。 坂田を目に入れたくもなくて視線を外すと、心配そうな顔をした女が、「喧嘩してたの?」と聞くので、「別に」とだけ返した。 「それにしても勿体無いこれ、○○屋のケーキ、美味しいのに」 「○○屋?」 コンクリの上で潰れたケーキの箱を見ると、確かに○○屋と書いてある。 (あの女が言ってたのは、××堂じゃなかったか……?) そして、確か○○屋は、以前に坂田が食べてみたいと言っていたケーキがある店で、そのケーキは、普通に帰宅していると売り切れてしまうと言っていたもので……。 「っ!!」 思わず戻した視線の先に、もう坂田の姿は見えなかった。 |