対 世宇子中
side.アフロディ
彼女を初めて知ったのは、僕が5年生の時だった。
実況の声で知った、光輝く翼を広げて飛ぶ少女……苗字名前と紹介された選手に魅了された。彼女は小学生部門の大会に出場して2年目になる最近現れたばかりの新生だった。前年度のその大会では彼女が所属していたチームは優勝している。時にはシュートを決め、時にはチームメイトを導く姿に僕は彼女が出場する試合を必ず見ていた。
僕も、彼女と同じようにサッカーができるだろうか。彼女という存在を知ってからサッカーに対して打ち込む気持ちが変わった。
あの人と同じ舞台に立ちたい。苗字名前という人を知った時点で、僕はあの人に憧れの気持ちを抱いてたんだ。
僕が中学に上がった頃、彼女がサッカー界から姿を消した。理由は分からない。噂されていたのは、怪我か病気。
彼女と同じ舞台に立てると思っていたのに残念だった。でも彼女は必ず戻ってくる。ならば、彼女が戻ってくるその時までに実力を付けよう。そう自分に言い聞かせ、日々の練習に打ち込んだ。……しかし、彼女に近づく道のりはそう簡単ではなかった。
フットボールフロンティアに出場することすらできなかった僕等の前に現れたのは、影山零冶と名乗った男だった。『神のアクア』と呼ばれるドリンクにより強大な力を得たその時の僕は思ったんだ。…今の自分ならば彼女に近付けるのではないのか、と。
「苗字名前のように強くなりたい、だと?」
ある日、総帥にそう話した。自分の憧れである彼女の様になりたいと。
「ふっ、お前は既に苗字を超える存在だと言うのに?」
「いいえ。彼女には適いません。……しかし、同じレベルだとは思っています」
そう口にすると、総帥は笑った。
「お前が望むのなら、苗字をこちらへ引き入れる事を許可しよう」
「!」
「私は勝利しか望まぬ。フットボールフロンティアで優勝した暁に、苗字を世宇子中へと転入させよう」
総帥は僕に苗字名前に纏わるデータを全て渡してくれた。そこで見た彼女の強さに、更に憧れの気持ちは強くなった。
「この技は……」
「“シャイニングエンジェル”だな」
ビデオを見ていたとき、昔彼女を初めて知ったときに使っていた必殺技が映っていた。総帥が言うには、この必殺技は“シャイニングエンジェル”という必殺技だという。
「では、この技は……?」
「“ザ・ブラスト”だ」
一瞬の速さで抜き去り、相手選手を吹き飛ばした必殺技、“ザ・ブラスト”。
「この技……、僕にもできるでしょうか」
「先程、苗字とは同じレベルだと言ったではないか」
総帥の言葉が頭の中で何度も響く。
そうだ。僕は彼女と同じレベルなんだ。そう思ったら自信が湧いてきた。僕は彼女と同じなのだと。
***
雷門との試合前に、雷門中を訪れた。総帥が言うには、この雷門中に彼女は所属しているという。確か、彼女は九州地方出身だったはずだが……。今はそれはどうでも良い。
雷門の為に忠告に来たというのに、目の前にいるこの雷門中サッカー部のキャプテン、円堂守は一向に引く気がない。ならば、自分の実力を見せて適わない事を教えればいい。そう思い、円堂守に向かってボールを蹴った。
やはり、神と人間では差がありすぎる。勝利は確実だ。証明ができたというのに、円堂守は「本気でこい」と僕に言った。……まだ戦意喪失していなかったか。ならば、これで完全に適わない相手だと認識させよう。先程より力を込めてシュートを放った。
周りから円堂守を呼ぶ声が聞こえる。……これで分かっただろう。そう思って後ろを向こうとした。
「はァッ!!」
聞き覚えのある声が聞こえ、目線を円堂守の方へ向ける。
「……!」
手入れの入ったベージュ色の髪を揺らして、その場に立っていた人物は。……僕が憧れを抱いていた存在である彼女だった。
「初めまして、世宇子中のキャプテンさん。僕は貴方に訊きたい事がある」
僕と目が合った。彼女の視界に僕が映っている。それだけでも嬉しかった。
「やっと……、やっとお目に掛かる事ができた……。我が天使、苗字名前……!」
気がつけば僕は、彼女の手をとって口付けしていた。
ああ……。その反応、とても愛おしい。
しかし、彼女は円堂守をかなり気に入っている様だった。その光景を見ると、黒い感情が胸の中で生まれた。
気にするな。雷門に勝利すれば、ずっと彼女と一緒にいられる。そう思うと、胸の高鳴りが止まなかった。
***
フィールドに倒れる雷門イレブン。しかし、倒れても倒れても立ち上がる。
何故だ。勝ち目がない戦いに、どうしてそれほど熱くなれる……?何故君は、僕をイライラさせる……!
どうして、彼女は僕を見てくれない……?視界に入る彼女の視線は、円堂守に向けられていて、僕を見てくれない。
……そうだ、君は神の力を得た僕にひれ伏すしかない。貴女は僕という神に仕える道なんだ。そう思って後ろを向いた時、
「サッカーを………、大好きなサッカーを穢しちゃいけない……!」
聞こえたのは、円堂守の声。嘘だ、既に体力は限界のはず……。
「そんなことは……、そんなことは……っ!許しちゃいけないんだ!!」
……なんだ?
自分の身体へと視線を移す。
「……!」
神である僕が、怯えているというのか……?
『円堂は何度でも何度でも立ち上がる……!倒れる度、強くなる……!お前は円堂の強さには適わない……!』
あの負け犬の声が頭の中で響く。
そんなこと、そんなことが……っ。
「あるものかッ!!」
怒りによって生まれた力。
「神の本気を知るがいい!!」
貴女に近づくために身につけたこの必殺技で、止めを刺す……!!“ゴッドノウズ”の体勢に入った瞬間、円堂守は急に後ろを向いた。
「諦めたか。だが、今更遅いッ!!………何っ!?」
……後ろを向いた円堂守の周りに、オーラが発生する。何をしようと無駄だッ!!
「“ゴッドノウズ”!!」
“ゴッドノウズ”を放った瞬間、円堂守の背後に魔神が現れた。これは……っ、神を超えた魔神だと……?
「何……っ!?」
“ゴッドノウズ”が、止められた……?この技はあの人の技に最も近い必殺技だぞ!?
そんな訳がない……!!それに、僕等から点を奪う事はできない。全てまぐれだ……っ!!
「!?」
鳴り響いたホイッスル。……雷門に追加点が入ったホイッスルの音だった。
「僕は…っ、僕は確かに神の力を手に入れたはずだ……!!」
認めるものか……!僕は、あの人と同じ強さを手に入れたんだ……!!
「“ゴッドノウズ”ッ!!」
「“マジン・ザ・ハンド”!!」
……また、止められた…っ。
「そんな……っ」
鳴り響くホイッスルに、膝を着く。
「神が……、負ける……」
試合終了のホイッスルが聞こえた。……敗北したんだ。
「神の力を手に入れた僕達を倒すとは……。なんて奴らなんだ……」
……貴女が円堂守に気持ちを寄せる事が、少し分かった気がします。
***
観客もいなくなり、静まり返った世宇子スタジアム。見上げれば、青空が広がっていた。……僕は、神になれなかった。あの天使の神様になれなかったんだ。ぼーっと空を見上げていた時だ。
「……いた」
聞こえた声の方へ振り返る。そこには、ここにいるはずのない人物がいた。幻影でも見ているのだろうか。しかし僕の名前を呼びながらこちらへやってくるのは、幻影でもない本物の彼女で。
「……ドーピング、していたんだってね。雷門のマネージャーから聞いたよ」
本当の事なので何も言えなかった。「その様子だと、分かっていたようだね」と彼女が口にした。
そうだ。神のアクアへ最初に手を伸ばしたのは僕だ。強くなれると聞いて、ついその餌に手を伸ばしてしまったんだ。強くなりたくて。貴女と同じようになりたくて。
「初めて貴女のプレーする姿を見て、衝撃が走った。……貴女という選手に、魅了されたんだ」
貴女がフィールドを駆ける姿に憧れたんだ。そう伝えると、目の前にいる彼女は目を見開いていた。そして段々と口元に笑みを浮かべた。
「当たり前だろう?君が憧れたその必殺技は、僕と僕の兄で生み出した最高傑作なんだから。簡単に真似されてたまるか、ってね」
彼女の兄。勿論知っている。苗字悠。彼も彼女と同じMFであり、司令塔として高いレベルを持っていると聞く。彼女と良く似ているが、髪の色が違うため違いは分かりやすい。
「でも。アフロディさんは僕の“シャイニングエンジェル”に似た必殺技を見事に得たんだ。……すごいよ、努力が実ったのさ」
彼女に褒められた。嬉しい事なのに、素直に喜べなかった。
「神のアクアで生み出された必殺技、とは思わないんですか……?」
何故なら、“ゴッドノウズ”は神のアクアのお陰で完成させることができたのだから。目の前で微笑む彼女に申し訳なかった。しかし彼女はこう言ったのだ。
「んー、確かにそうかも知れない。だけど、君の言葉を聞いてると自分の力で編み出したようにしか聞こえないんだよねー…。なんでだろうね?」
再び微笑みを見せた彼女の表情に驚いてしまった。確かに、神のアクアに手を出す前に“シャイニングエンジェル”に似た必殺技を編み出そうと特訓していた。だけど、適わなかった。神のアクアがあったからこそ“ゴッドノウズ”を生み出せたのだ。
「だからと言って、神のアクアに手を出したのは頂けないね」
言葉が出なかった。……それが事実だからだ。
「もし、このことが世間に知れ渡ったら……。どうなっちゃうんだろうね」
「分かっています。……神のアクアへ最初に手を伸ばしたのは僕だ。僕が、悪いんだ……」
そうだ。僕が手を伸ばしてしまったから、こんな事になったんだ。チームメイトを巻き込んでしまったんだ。……許される事ではない。潤む視界の中、頬に何かが伝う感覚がした。
「……分かってるだけ、良いんじゃないかな」
「え?」
静まり返った空間に聞こえた彼女の言葉に、つい言葉が漏れた。顔を上げると、先程よりも近くにいる彼女が視界に入った。
「自分の選択が間違っていた。それを分かっているだけでも、一歩前進したんじゃないかな」
こうして近くで見ると、彼女は僕より低い。こちらを見上げている彼女に、何処か愛おしさを感じた。
「中には自分の過ちを認めない人もいる。……アフロディさんは自分の行いが間違いだったと分かっているから。……貴女は強い人だよ」
そんなことはない。強いのは貴女の方だ。彼女の言葉にそう返すと、「強くないよ」と返ってきた。
「負けた感想はどうだった?」
そう聞かれたので、僕は彼女を魅了できなかった事を伝えた。あの日、貴女に魅了されたように僕も貴女を魅了したかった。そう言葉に込めたのだが、目の前にいる彼女は何故か苦笑いをしていて。
「悔しかったか悔しくなかったか、って聞きたいの」
くや、しい……?
彼女の言葉が頭の中で響く。自分の胸に手を当てると、段々痛みを感じてきた。苦しくて、泣きたくて……。
「その表情だと……。悔しかったんだね」
これが、『悔しい』という気持ち。……神の力を手に入れてから忘れていた感情だった。それも、今まで以上に悔しい、という気持ちが溢れていて。
「……悔しいとは、こんなにも苦しいのですね」
再び頬に何かが伝う感覚がした。……ああ、僕は泣いているのか。情けない。彼女が前にいるというのに。
「総帥は言っていました。敗北に意味はない、と」
「そんなことないよ。負けることで学ぶことはいくらでもある。……色んな事を経験して勝ったり負けたりして……今の僕がある」
……彼女は敗北とは無縁なのでは?その疑問を彼女にぶつけたら、「あの試合を知っていて言っているの?」と返ってきた。彼女の言う“あの試合”とは、どの試合の事だろうか。本当に分からなかった為尋ねた。その試合とはどの試合の事を指しているのか、と。
「___僕がサッカーを辞めようと考えた試合だよ」
もしかして、あの空白の一年間の事を指しているのだろうか。彼女のいう試合は、圧倒的な強さで相手を吹き飛ばし、ゴールを決めていたあのビデオに記録された試合の事なのだろうか。彼女の問いには、詳しいことは知らないと伝えた。それが事実だからだ。
そんなことよりも、彼女はあの試合の……僕が見た映像の試合でサッカーを辞めようとした、という事に驚いた。だから、彼女はあの時あんなにも怯えていたのか。
「さっきから思ってたんだけど…。別に敬語を使わなくても良いんだよ?」
そう考え込んでいると、不思議そうな声が耳に入った。いや。尊敬する貴女に敬語を外すことなどできない。そのことを伝えると、彼女は「僕が気にするんだってば……」と困ったような表情をした。
そして、
「それに、僕は貴方より年下だよ?」
「と、年下……!?」
衝撃の事実が判明した。ずっと同い年だと思っていた彼女は実は年下だったのだ。まあ、だからと言って憧れている事に変わりはない。
彼女が小学生部門の大会にてサッカー界へと舞い降りてきたのは小学三年生の時だそうだ。そして、その実力が認められて小学五年生の時に日本代表として世界大会の予選に出場したという。しかし、その日本代表として出場した予選試合を最後にサッカーから身を引いていたそうだが、彼女が言うには近々またフィールドに戻ってくるようだ。
「その時はフィールドで会えることを楽しみにしているよ」
その言葉に、「勿論です」と僕は答えた。
その後に自分の本名を伝えたら名前で呼んで貰える事になって……、彼女を名前で呼べる許可を貰ったり、敬語を外すようにとお願いされて何度か使ってしまったが普段通りの話し方で会話したりと……夢の様な時間だった。その時間が名残惜しくて、スタジアムから去ろうとする彼女に……名前さんの細い腕を掴んでしまった。
「……また、会ってくれますか」
僕は彼女を傷つけるような行為をした。
だから、こうして目の前にいる事も夢かも知れない。そう思うとこの夢から覚めたくなかった。だけど、名前さんの腕の感覚や温もりが夢ではない、と言っている様で。
「……さっき言ったでしょ。今度はフィールドで会おうって」
「!」
「今度は、僕を魅了できると良いね?」
こちらに微笑みかけた名前さんに、胸が高鳴った。
「勿論……!」
今度は貴女を魅了させてみせる。サッカーの実力で、貴女という天使に認めて貰えるように。
そして、一人の男としても認めて貰えるように。
対 世宇子中 END
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2021/02/21
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