勿論、本命であろう?
※2024年バレンタインデー
「楓真。今年のバレンタインデー、何が食べたい?」
稲妻ではこの時期になると寒さを覚えるようになるが、海の上だとその寒さは風の影響もあり、とても冷たい。
そんな時期、稲妻では外国より伝わったとある催しで賑わうようになる。その催しというのは、チョコレートという菓子を贈り合う『バレンタインデー』だ。
バレンタインデーの存在を知った後、稲妻にいるときは、楓真は勿論、昔からお世話になっている宵宮とそのご家族、私を受け入れてくれた綾人様、綾華様、トーマさんと言った神里家の皆さんに贈っていた。
「拙者は母上が作ってくれたものであれば、何でも好きでござる!」
「それが一番困るのに……まあ、嬉しいことに変わりはないんだけどね」
けど、今年は去年贈った方の殆どに贈ることは叶わない。その代わりと言うと可笑しいけれど、今年は初めて贈る人ばかりだ。
まずは北斗さんを初めとした、南十字船隊の皆さんだ。そして___愛する人、万葉。
確か、万葉は甘い物が苦手ではなかったはず。子供の頃の感覚で言っているから、今の彼の味覚がどうなのか分からない。確か、生ものはあまり好んでなかったはず。
……じゃあ、チョコを使った焼き菓子を用意しようかな。
「じゃあ、ガトーショコラにしよう」
「がとーしょこら?」
「異国から伝わった、チョコレートを使った焼き菓子よ。きっと気に入ると思う」
バレンタインという日にチョコレートを貰ったら、お返ししなければならない。そのお返しの日として『ホワイトデー』がある。いつの日か、神里家でトーマさんが作ってくれたことがあり、それがガトーショコラを知るきっかけになった。
……実の所、好きなチョコレート菓子ということである。あまりにも気に入ってしまった私は、トーマさんに作り方を教わったのだ。
あの人、家庭料理だけでなくお菓子作りにも心得があったなんて……。憧れる部分と同時に、どこか競争心のような気持ちを抱えていたっけ。それは今も若干あるんだけど、それは置いておき。
「母上が作るのだ、間違いなく美味でござるな!」
「ありがとう、楓真」
「して、勿論父上にも作るのだろう?」
一度私と万葉のすれ違いを知ってしまったからなのか、楓真は度々会話に万葉を出してくるようになった。親としてはとても申し訳ない気持ちなのと、実の息子になんて記憶を植え付けてしまった、という気持ちでいっぱい……。
「ええ。だから、そんな心配そうな顔をしないで?」
「もう仲違いはせぬか?」
「うん、もうしない」
子供の頃に体験した経験は、強ければ強いほど強く記憶に残る。……私にとっては、父様の死と、母様の心を守れなかったことだ。
その事実に囚われ、復讐の為だけに刀を振るうようになってしまっていた。
幼い私がこの事実に囚われていたように、楓真も私と万葉のすれ違いに囚われているんだろう。
……あれ、楓真は私と万葉が喧嘩別れしたと思っている?
仲違いではないんだけどな……まあいいか。
「よし、最高に美味しいガトーショコラを作る為にも、当日までに何回か作ってみないと」
「試食は拙者がやるでござる!」
「楓真が食べたいだけでしょ。楓真も当日食べるんだから、それまで我慢しなさい」
「うぅ〜……分かったでござる」
というわけで、しばらく調理場でお菓子作りをすることを北斗さんや料理長に頼み、空き時間でガトーショコラを作ることになった。
トーマさんに作り方を教わって、自作していた時期もある。けど、次第にあの男に対する復讐に思考を奪われてしまい、お菓子作りのことを忘れてしまった。
「ふふ……っ」
久しぶりに作ってるけど、当時のワクワクした気持ちが蘇った気分だ。ついつい楽しくなって来ちゃった。
お菓子作りは少しでも手順を違えてしまうと、望んだ完成品にならない。とても繊細な作業なのだ。
今は手順を思い出しながら作っているから、トーマさんほどの素晴らしいガトーショコラはできないだろう。けど、何度も練習して作れば、自分でも納得のいくものができるはず。
「うん?」
夢中になってガトーショコラ作りを行っていると、調理場の扉が開く音が聞こえた。顔を上げるとそこには身慣れた姿が。
「万葉」
私の視界に入ったのは万葉だ。
ここは調理場ということもあり、基本は一部の人しか入れない。私はその一部に入るので、出入りは自由な立場である。
なので、何故ここに万葉が……と思っていた。
「風が良い匂いと、愛おしい匂いを運んできた故、気になって来てみたのでござる」
「そうだったの」
どうやら風がこの部屋から漂う匂いを運んでいたらしい。それを受け取った万葉は此処まで来たようだ。
……恐らく後者の匂いというのは、自惚れてると思われるだろうけど、私の事だろう。もしかしたら、私がいるからという理由で、調理場に無断で入っていそうだ。
「して、何を作っておるのだ? 夕餉にはまだ早かろう」
「え!? えっと……」
万葉がバレンタインデーを知っているかどうか確認してなかった……!
知っていようが知っていまいが、驚かせたいので隠す方向で行こう……!
「前にトーマさんに教わったお菓子を急に食べたくなって……思い出しながら作っているところなの」
「ふむ、トーマ殿から教わった菓子、か。拙者も気になってきた」
「えぇっ!!?」
「何故驚く」
「え、えっと……」
まずい、動揺しすぎだ。
他国で言う”さぷらいず”を計画していたのに、それが台無しになりそうなのだ。
どうにかして誤魔化さないと……完全な嘘は間違いなく見抜かれるし、バレンタインデーにあげるものという事実以外を伝えよう!
「その、久しぶりに作ってるから出来が悪くなると思うの……」
「思う? それは可能性がある、と言う事であろう? 大丈夫でござるよ、名前の料理の腕は、拙者がよく知っておる。心配無用だ」
なんと良い笑顔なんだろうか……。誤魔化そうとしていることに罪悪感を覚えそうになる……。
「ほ、本当に久しぶりに作ってるの!! お菓子作りって1つでも間違えると出来が悪くなっちゃうから……まずは試しに作らせてほしい」
これは本当だ。
本当に久しぶりなのだ。だから、失敗したものを万葉に食べさせたくない……。
「拙者はお主が作ったものなら、たとえ失敗作としても喜んで食すと言うのに。……仕方あるまい、嫌がっていることを強制させる趣味はない故、此度は引こう」
ほ……っ。
心の中で息をつく。けど、目の前の万葉は分かりやすく拗ねている。本心では意地でも食べたかったのだろう。
「そうだ、ちゃんとしたものが出来たときのために聞いておきたいんだけど……万葉は甘い物大丈夫?」
「うむ。問題ないでござるよ」
「良かった。じゃあ、胸を張って完成品といえるものが出来たら、すぐ万葉に教えるね」
「……拙者が一番だぞ、名前」
「ふふっ、はいはい」
そう言って万葉は調理場から退室した。
なんとか誤魔化せた……とは思ったけど、万葉の表情が頭から離れない。
先程は拗ねていたように見えていたが、どこか機嫌が悪いようにも見えた。その部分に関しては頑張って隠していたみたいだけど、これでも潜入して相手の表情を伺う機会に何度も直面している。
だから分かる___万葉は間違いなく機嫌が悪い、と!
「誰かに不機嫌さをなすりつけないといいけど……」
私の知る万葉はそんなことしないだろうけど……念は念のため。
さて、不機嫌な万葉に喜んで貰えるように、ガトーショコラを作らないと!
……しばらくの間は、私の胃に収まるほとんどがガトーショコラになるんだろうなぁ。倒れないように食事に気を付けないと……あと、太らないようにも。
***
バレンタインデーのためにとガトーショコラを練習し続ける事、数日。
「……うん、この味だ!」
やっと納得のいく味のガトーショコラを作る事ができた。ちゃんとメモに残しておいて……っと。
よし、ガトーショコラはこれでよしっと。後は南十字船隊の皆さんの分を作らないと。
「ガトーショコラは……そうだね、私達だけにしようかな」
”私達だけ”
このような言葉は小さい頃から特別のように感じていた。内緒話なんて、小さい頃は大好きだったなぁ。まあ、相手は万葉だけだったんだけど。
「……よし、南十字船隊の皆さんにはこれでよし」
バレンタインデーは明日。ふふっ、ガトーショコラ間に合って良かった……!
喜ぶ二人の顔を想像するだけで顔が緩む。ガトーショコラが崩れないよう丁寧に保存し、調理場を後にした。
___そして、当日。
南十字船隊の皆さんにチョコを配り終えた後、愛する2人にガトーショコラを差し出した。
「わあああ……っ!! とても美味しそうでござる!!」
楓真には事前にガトーショコラを作ることは話していたから、分かっていたはずなのに……ふふっ、目を輝かせちゃって。
「二人のために作ったの。味もチョコの味を台無しにしないように作ったから、まずくはないと思うけど……食べてみて」
「いただきます、母上!」
食べやすい大きさに切り分けて、私は楓真と万葉に差し出す。楓真は待ちきれなかったのか、受け取ってすぐに食べ始めた。愛らしい頬を大きく膨らませ、もぐもぐと咀嚼する。
「〜〜〜〜っ!! 甘くて美味しいでござる! 拙者、これが一番好きでござるよ!」
親が親なら、子は子、という奴なのだろうか。
私が初めてトーマさんからいただいたガトーショコラに感激したように、楓真も私が作ったガトーショコラに感激しているんだろう。
「万葉はどう……かな」
あの日からどこか片隅に不機嫌さを持ち続けていた万葉。楓真は気づいていないみたいだけど、このままではまた心配させてしまうのは……そう思いながら、一口サイズに切り分けたガトーショコラを口に含んだ。
「……うむ、美味でござる。名前の作る料理はすべて拙者好みだ」
「あ、ありがとう。万葉」
ガトーショコラを口に含んで数回咀嚼した後、万葉は綺麗な笑みをこちらに向けた。その表情からは、あの不機嫌さは見えない……と思っていた時だ。
「して、これは”何チョコ”という奴でござるか?」
「へ?」
……万葉からそう問いが投げかけられたのは。
「もしや、拙者がバレンタインデーのことを知らぬとでも思っていたか?」
「う……っ」
万葉の言う、何チョコなのかという問い。
それはバレンタインデーで贈るチョコの意味のことを指している。
私が知る限りでは同性の友人に贈る友チョコ、お世話になっている人に渡す義理チョコ、自分への贈る自分チョコ……そして、好きな人へ渡す本命チョコというものがある。
まさか、万葉がバレンタインデーを知っているとは思わなかったんだもん……。催しに対して結構興味があるのかな……?
それについては今、置いておき……万葉は何故そんな問いを?
「それは良い。……拙者はこの数日間、ずっと気がかりだったのだ。あの日、お主が作るチョコレート菓子が拙者以外の誰かの為に作っていたのではないのかと」
どうやら万葉には、あの日突如現れた時点で私がチョコレート菓子を作っていたことを見抜いていて、それがバレンタインデーのためであることも分かっていたらしい。
……どうやら彼を欺くことが出来るのは、視覚のみらしい。それ以外は隠し通せないようだ。
「勿論、楓真は例外だ。名前と拙者の大切な宝なのだから。……拙者が問うているのは、それ以外の者だ」
「ほ、他の人には別のチョコレート菓子を作ったよ。万葉も見てたでしょ、私がチョコ配ってたのを」
「勿論。だが、拙者はこの目で、耳で感じたものしか信じられぬ性分なのでな」
いつの間にか目の前には紅色の瞳が。
その目には不機嫌___いいや、これは嫉妬だ。それが瞳の中に宿っていた。
それと同時に、自信のようなものも感じた。
「当然、このチョコレート菓子は『本命チョコ』であろう?」
ハッピーバレンタインデー!
楓真くんは両親の会話を聞いて「?」を浮べてました
2024年02月14日
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