選択肢は初めから決まっている



”熱い”
”痛い”

先程から頭の中でその言葉が響いている。その声の主は、今まさに我の前で槍を振りかざしてくる名前だった。

我が名前の元へ辿り着いた時には既にこの状態であった。彼女という夜叉を象徴する儺面で隠れた素顔が覗けず、目視では表情を判断する事はできない。しかし、気配を感じたとき……我は確かに感じ取ったのだ。”助けて”と。

それは我に向けられたものなのか、ただの心の声だったのか。真意は分からないが、我にはその声が届いた。


今まで生きているという気配だけが微かに感じ取れていた。だというのに、先程旅人から名前について告げられてしばらく……あやつの気配を、助けを求めている声が聞こえたのだ。
何が発端となり、名前の気配をはっきりと感じ取ることができるようになったのだろうか。確かめたいところだが、先にやるべき事は……。


「くっ……!」

「……!」


目の前で我に敵意を向ける名前を術から解放せねばならない。名前は熱に弱い。そんなあやつに炎元素の術を掛けるなど……巫山戯たことを。
早く解放してやらねば名前の身体が保たぬ。しかし、その術を解く方法を見つけなければ状況は変わらない。


「ん……?」


名前からの攻撃を和璞鳶で受け止めていると、あるものが目に入る。首元に下がっている赤い輝き……神の目にも見えるが、何か違和感のようなものを感じる。それは名前が操る元素が氷であるというのも含まれているが、どこか”造られた”ようなものを感じるのだ。
……つまり、何が言いたいのかというと。今、名前が使っている神の目は偽物だ。


「……!」


もしや、この代物は先程空が言っていた邪眼というものか?
初めて聞いたが、名だけでも危険な物と感じ取れるが、それから炎元素が溢れ出ているのが分かる。

___これが名前を縛っているのか?


「ならば……!」


あの代物を破壊し、名前を解放する。
その前にあの強力な炎元素を抑えなければならない。


「許せ、お前を救うためだ」


如何に傷つけず、名前を救えないか考えていた。……しかし、元素には元素でしか解決できぬ。
我ら夜叉が被る儺面は力を高める効果がある。本来、自らの意思で儺面を取ることができるが、今の名前にそれができるとは思えん。

そうなれば、方法は1つしか残されていない。まずは名前に炎元素を使わせ、力の消耗を誘う。あの威力だ、消耗する量も多いはずだ。


「っ、うぐ……ッ!」

「……すまぬ」


使わせるだけではなく、名前の体力も見なければならない。……だが、傷付くその姿に加減をしそうになる。
何故、何故こんなことをしなければならないのだ……!


「くッ……!」


頬を擦った炎。その熱量は先程まで感じたものより下がったように感じる。徐々に力を消耗できているという事だろうか。

何か変化が分かるものはないものか。
いくら名前が守る事に長けているとは言え、夜叉の血が流れている以上、戦闘力は高い。あの邪眼とやらでその能力が更に上がっているように感じるのだ。……だからと言って、負けるつもりはない。

この戦いは名前を救う為のもの。……負けてたまるものか。



「負けるな……道具如きに意識を乗っ取られるお前ではないだろう___名前!!」



愛おしい者の名を叫ぶ。その声は名前にどう聞こえただろうか。
いつもお前の前では気丈に振る舞った。弱い部分を見せまいと……あの日、我を見て涙を流していたお前を守れるように、二度と涙を流すことがないように。

だが、お前が消息を絶ってから……きっと我は弱っていた。心も、身体も。だから今日、帝君と旅人からお前の事を聞いて、止まっていた時間が動き出すような、そんな感覚がしたのだ。


『けど、名前さんは……これまでの事を覚えていないんだ』

『自分の名前すらも忘れているんだ』


だというのに。
名前は我を覚えていない。

だったら……だったら何故、今もお前の声が聞こえる?
助けを求めている声が我の頭に流れてくる?
良く覚えている感覚なのだ……我と名前には繋がりがある。契りを交わしたことで生まれた線が、良くも悪くも名前が生きている事を教えてくれた。


___あの時。
限界だと分かった瞬間、力を使って皆を脱出させた後……このまま死ねるのではないかという考えが脳裏をよぎった。

正直、限界だった。
あの戦いの後から行方不明になっていた浮舎と再会し、そして決別した……。落下する感覚を覚えながら、あの時の我はこんな考えが頭をよぎった。
……いつも感じていた繋がりは、自分の弱音が生みだした偽物なのではないかと。

そう思った瞬間、我はいつか会えるという希望を捨てた。確証もないのに天に昇っているのではないかと思い込み、命を投げだそうとした。



『っ、ッ!!』



名前を呼ばれた。何度も何度も聞きたいと思っていた声が、我の名を呼んだ。もしかしたら我の記憶から呼び起こされたものかもしれない。それでも、あの時確かに聞こえたのは名前の声だった。



『お願い、死なないで……!』



……あぁ。この言葉は良く覚えている。
まだ璃月が戦争中だった時期。名前は守りの要として重宝されていた。それも敵陣から厄介と呼ばれるまでのものだった。
名前を打てば守りを崩すことができ、攻め入る隙が生まれるとまで言われていた。それ故、ありとあらゆる方向から名前は命を狙われていた。

それを分かっていたから我はすぐ側で守りたかった。しかし、我と名前は役割が裏表のように方向が違った。
攻防という言葉が我らに使われる程、役割が違った。我は前線へ攻め入り、名前は後方で守備に徹する。名前の実力は誰もが信頼していた。


だからといって、名前が危機と隣り合わせである事に変わりはなかった。……あの言葉を言われたとき、我は名前の背後に忍び寄っていた敵から守る為、攻撃を受けた。もし我が間に合っていなければ、名前は……。今考えただけでも恐ろしい。

致命傷ではあったが、意識は何としてでも繋げ続けた。敵を倒した後、限界だったのか意思に反して倒れる身体を支えたのは名前だ。意識を失う前に見えたのは、涙を流しながら負った傷を治す名前だった。その時にかけられた言葉だ。


今まさに命を手放そうとした。あの時はその気はなかったものの、名前がいなければ二度と目を覚まさない結果になっていたかもしれない。偶然にも状況が似ていたからなのか、その声が脳裏に響いたのだろうか。



『……っ、我は、まだ……!』



落下しているというのに、遠ざかっていく光に手を伸ばした。力も残っておらず、意識も段々と暗転していく中……一瞬だけ名前の姿が見えた気がしたんだ。

結果、それは走馬灯というやつだったのか、最期を悟った我が無意識に浮べた幻覚だったのか。定かではないが我は地上へと帰還することができた。その後夜蘭と一悶着あったが、改めて生きて名前を見つける事を決意した瞬間でもあった。


「ぅ、あぁ……ッ!!」

「我の声が聞こえるか、名前!」


唸っているようにも、どこか痛みに叫んでいるようにも聞こえる声。その様子が我には名前がもがいているように感じた。

未だに武器を振り回し、時折炎で攻撃する名前。それを相殺したり躱したりしながら近付いた。


「そこだ……!」


漸く手を伸ばす距離まで近付くことができた。自身の手が伸びる場所は、名前の首元で怪しく光る道具。これを破壊する。
手に元素を纏い、名前を傷つけないようにと手を伸ばした瞬間。


「!」


躱されてしまった。
それは急所を守るような、そんな動きだった。しかし、振りかざした攻撃は簡単に引き返すことができない。我の攻撃は名前の顔に被せられた儺面を直撃した。そして、その儺面は破裂音を出しながらその場に散った。


「名前……?」


顔を隠しながらふらつき、その場に片膝を着く名前。顔を下げているため、まだ表情は窺えない。だが、まだ名前の首元には未だに怪しく光る道具が不気味に輝いている。……油断はできない。

武器を構え、様子を窺っていたとき……名前が顔を上げた。


「……!」


長い間見る事ができなかったその瞳。元は純粋な青色だったその瞳は、我と契りを結んだことで碧色へと変色した。
その色は我のものという証であると同時に、まだ我らには繋がりがある事を証明した。

だがその美しい瞳は今、輝きを失っていた。表情豊かだった面影もなく、その顔は無を貼り付けながら涙を流していた。


「名前……」


その涙は何を想って流している?
教えてくれ、お前の想いは全て受け止める。


「返事をしろ、名前……!」


我の言葉は分かるか?
ならば返事をしてくれ。お願いだ……お前の声を、聞かせてくれ……!


「し……、」

「……?」

「しょ、う……」

「!」


掠れた声だったが、確かに今名を呼ばれた。……紛れもなく名前の声で。
涙声だった。ずっとお前は泣いている、苦しんでいる。だが、もうすぐだ。もうすぐお前を救う事が出来る。


「動くな、すぐにそれを破壊して……」

「はな、れて」


掠れた声で名前がそう言った瞬間だった。


「!?」


会話出来る事から油断していた。何とか反応し躱したが、名前が振りかざした槍先が頬を擦った。
何故だ、何故我を攻撃した……?


「! まさか、」

「からだが、うごかないの……おねがい、だから……ッ、はなれて……!」


予想したことが当たった。
妖魔、悪人を除いて、名前は誰かを傷つける行為を嫌っている。であれば、その気持ちを知った上で名前の身体の自由を奪うことを考えたということだ。


「チッ……!」


あの女……どこまでも好き勝手に名前を弄んで……!
この場にいない元凶に頭が怒りで染まる。ここまで感情に呑まれたのはいつ以来だろう。


「……し、て」


名前が何か言っている。
振りかぶる槍を防ぐ際に鳴る金属音に声がかき消されてしまっているからだ。身体の自由を奪われている以上、話す事すらも困難な状態なのだろう。

待っていろ、すぐに解放して……



「わた、しを……ころして」



光を失った瞳から零れる涙。それと同時に告げられた言葉に一瞬頭が真っ白になる。
……今、名前は何と言った?


「殺せ、だと……?」

「おねがい……っ。あなたを、きずつけたくない……!」


その言葉が耳に届いた瞬間、我は一気に距離を詰めた。その速度は自分でも思ってしまうほど一瞬だった。制御できていない、感情任せの行動だった。


「……ふざけるな」


他の夜叉……ましてや、亡き同胞と同じように堕ちてしまっていたのならその身を貫いただろう。しかし、お前は……名前は、何にも変えられない存在なのだ。

それに、お前はまだ戻れる。お前には自我が残っているではないか……!


「……二度とそのような戯言を口にするな」

「でも、でも……っ!」

「この何百年もの間、我がどのような気持ちで過ごしたか分かるか……?」


行方不明だった仲間の死を目の前で見届けたことで、お前のことを諦めようとした。それでもお前が生きていると、まだ繋がりがあると信じていたから今日まで生き続けた。
だと言うのに、お前まで我の前からいなくなることを選ぶのか……?


「交わしたはずだ、契りを」

「……っ」

「お前は、お前だけは死なせぬ。必ず、必ず……!」


手を伸ばし、今度こそ炎元素を纏う”それ”を掴んだ。その瞬間、抵抗するかのように炎を発生させた。


「ぐっ……!」


焼ける感覚に身体が反応する。……それでも離すものか。
儺面を被り、握ったものを握りつぶすため力を込める。それと同時に足掻くように炎が巻き起こる。


「くだッ、けろ……!!」


近くで名前が苦しそうに叫んでいる。……否、名前ではなく、名前の意識を乗っ取っている”なにか”のものだ。


……返せ、我の愛おしい者を。


手元からくる痛みと、儺面を着けたことで身体を蝕んでいる業障による痛みで意識が飛びそうになる。それでも何とか繋ぎ止め、力を込め続ける。


___ピシッ。


それは明らかに我の手元から聞こえた音だった。その音が聞こえた瞬間、連鎖するように音が鳴り続けた。
……そして。



「!」



___パリンッ!
砕ける音が聞こえたと同時に、炎によってもたらされていた痛みが消えた。


「っ、と……」


目の前に倒れ込んできた名前を受け止めた後、儺面を外す。……あぁ、やっと。やっとだ。やっとお前に触れる事ができた。


「しょ、ぉ……、私」

「何も喋るな。……今は休め」

「……ありがとう。助けてくれて、ありがと、う……」


……肩に濡れた何かが伝う感覚がした。
分かっている。あの時、自分を殺してくれと言ったお前の本心は……『助けて』だろう?
お前の事が分からずして、何が番だ。……そもそも、殺す選択肢など初めからない。

色々言いたい事、聞きたい事はある。だが今は安らぎを与えたい。それについては目を覚ました後、考えよう。
何も話さなくなった愛おしい存在がここにいることを確かめるように、腕に力を込めた。





2022/12/5

修正:2023/10/7


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