novel3 | ナノ



04

リリアンは34歳にして初めて、アメリカの大地に足を踏み入れていた。
治安の良し悪しなどがよく分からなかったので、いつものイギリススタイルでは無くチベットスタイル、つまりほぼ男装をしながら、その地を歩く。
昔の淑女として完璧に振る舞っていた自分及び父やジョナサンが見たら驚くだろうなぁと思いつつ、修行を始めてから着ているその服で、砂の大地を踏みしめる。
アメリカと言う事で皆が被っているカウボーイ風のハットも被るが、強い風に飛ばされそうになる。
深々とそれを被り直して、リリアンは地図を広げた。そして、一年前最後にジョースター家に届いたロバート氏からの手紙の住所を見比べる。
必ず彼を見つけなくてはならない。
リリアンは様々な覚悟を決めて、この地に来ていた。



──ここに来るまで、本当に大変だったのだ。
旅路が、ではなく、チベットから出発するのが、である。



ロバート氏を探しに行く。つまり、波紋の修行場を離れる。リリアンがそれを公表してから出発するまで、色んな事があった。
まず第一に、エリザベスがリリアンを引き留めてきた。アメリカには行かないでほしいと。スピードワゴンを探すなら専門の機関に頼んだ方が良いと。
確かにその通りだが、アメリカはまだ未開拓な地域が多い場所だ。リリアンはアメリカに伝手は無く、その土地の警察組織にも詳しくない。
誰か知り合いに頼って捜索して貰う、というのも、よく知らない国でのそれは憚られた。
それなら自分が探した方が早い、と考えたのでエリザベスと意見が割れてしまった。
第二に、ストレイツォは何故か突然メンタルを病んでしまい、奇行を繰り返した。
人様に口に出来ない事も色々とされた。最終的に師トンペティが出張ってくる事態となった。
第三に、意外にも他の波紋の門下生達もリリアンをチベットへ引きとめようとしてきた。
リリアンは未婚の子連れでストレイツォの恋人?愛人?妻?なのか??という曖昧な立場に居た。
加えて、“茨”の力のせいなのか鍛えても鍛えても筋肉が付かず、リリアンは本当に基礎的な波紋しか使えない。
才能の塊のようなエリザベスと比べて波紋使いとしては未熟者だ。
事情を知る師トンペティが説明してはくれていたものの、リリアンはあまりよく思われてないと思っていた。
修行僧のような彼等があまりお喋り好きでは無い事も相俟って、会話は程々にするがそこまで仲良くなれないという状況だった。
けれどチベットで修行した3、4年の間で、それなりに親しくなれてはいたのか、行かないで欲しいと切羽詰まった様子で引き止めてくる人達や寂しくなると言ってくれる人が多く驚いた。

それでもリリアンが意見を変えず、意思を曲げないと知ると、皆徐々に諦めて、人探しを応援してくれるようになった。
エリザベスは泣いても暴れてもリリアンを引き止められないと分かると、今度は突然の反抗期に突入してしまった。
話しかけようとしても避けられてしまう。
そんな所は自分に似なくて良いのにと思いつつ、素直に寂しかったので眠りにつく前のエリザベスの部屋に訪れて、話し合いの場を無理矢理作った。


「リサ…レオさんを探しに行くだけなんだよ?リサだって彼の事を心配していたのに…」

「私だって心配よ…でも…私がもっと心配してるのは…、ママが………。」

「私?私はアメリカに行っても、彼が見つかればまた此処へ戻ってくるつもりでいるけど…もしかして、戻ってこないと思ってる?」

「……」

「…それが不安なら、リサも一緒に行こう。
一緒にアメリカでレオさんを探すのを手伝ってくれたら…」

「…私が行ったら、ママはますます此処には帰らなくなると思う」

「……?そんな事は無いと思うけど…えーっと、リサはチベットを離れたく無いって事?
いつも誕生日の時期にイギリスに帰る時は、そんなに不安がっていなかったのに…」

「それは…ストレイツォが一緒だったから」

「ストレイツォが…」


リリアンはエリザベスが懸念している事を何となく察した。
エリザベスにとって、ストレイツォは父親のような存在だ。
イギリスで暮らしていた時から、エリザベスはストレイツォを特別慕っていた。
彼がチベットに帰る事になり、その後は一年に一度の期間しか会えなくなってもパパと呼んでいたくらいだ。
ここチベットで本格的に修行し始めてからはストレイツォと呼び方を改めはしたものの、益々彼を慕い、師匠であり保護者のように思っているようだった。
彼女と彼は美しい黒髪同士で、どことなく外見も似ている。エリザベスにとっては父親に近い存在なのかもしれない。
育ての母親であるリリアンと育ての父親のようなストレイツォに、ずっとこのままでいて欲しいと思っているのかもしれない。
自分達の曖昧な関係が続く事を願われているのかもしれないと、リリアンは思った。けれどそれは、叶えられない願いだった。
すると、それまでこちらに背中を向けて寝ていたエリザベスが振り向き、その目を少し潤ませながら聞いてきた。


「スピードワゴンさんが見つからなかったらどうするの」

「勿論、見つかるまで探すよ。」

「…アメリカに居なかったらどうするの」

「世界中を探しに行くよ。」

「…し、しんじゃってたら…」

「…それは、無いと、信じたい。…でも、世界中探し回って、もし…そうだったとしたら、遺骨か遺品を持って、一緒にエリザベスの所に帰ってくるよ」

「…うう…ママ…それ、もう…ああ……やっぱり、ストレイツォの負けじゃない…」

「ストレイツォが負け?」

「ママのばか!淑女詐欺!」

「えええ…?リサ…??」


つまりエリザベスは、リリアンがストレイツォよりスピードワゴンを選ぶ、という風に思っているのかもしれない。
そういう懸念から、不安になってしまっているのだろうか。
親の事情で子供を不安にさせている事にリリアンは改めて申し訳なく思ったが、今大切なのはロバート氏の安否だ。
彼が無事なのか、そうでないのか、それだけは確認しなければならない。
優先度で言えば確かにロバート氏が上だ。
エリザベスはその後も不機嫌そうだったが、出発直前にはどうにか機嫌を直してくれた。
涙目でハグしてくる娘を、リリアンは優しく抱きしめて、その額に行ってきますとキスをした。


ストレイツォとは、きちんと出発前夜に話し合いをした。
実はリリアンがチベットを立とうとしたのは今回で2度目になる。
1度目の出発の際は、その前夜にリリアンでは到底叶わない彼の強烈な波紋を体内に流し込まれ、身体の自由を奪われて軟禁されてしまった。
出発予定日にリリアンが姿を見せなかった事で彼の所業はすぐにバレたのだけれども。
その後、師トンペティに精神を乱すなこの未熟者が!と、かなりキツイ喝を入れられて、ストレイツォは波紋封じのマスクをされた。
修行用の波紋の呼吸でしか息が出来ないマスクとは真逆のそれである。その鍵は師が持っているので彼は食事と歯を磨く時しか波紋が使えない。
リリアンがチベットを出発したら外して貰える予定になっているそうだ。

2度目の出発前夜となった今は1度目に比べて落ち着いている様子だが、それでもリリアンはその夜にストレイツォの腕に閉じ込められて動けなくなっていた。
足腰に力が入らない。けれど彼を責めたり詰ったり出来ないのは、リリアンがずっと彼に対して曖昧な態度を取っていた事も原因だった。その自覚はあった。


「ストレイツォ…本当にごめんなさい、これを機に、この関係は今日で終わりにしたいです…今まで、断りきれずに流されていた私が悪いのですが…」

「…元々お前に無理矢理迫ったのは私だ」

「それを受け入れた私が悪いのです…でも、ずっと側で見守ってくれた貴方を、兄のように頼りに、家族のように大切に思っています…それは本当です」

「……家族なら、このままでも良いではないか」

「……いいえ…私は…、貴方とこうしているともう…私、正直に言うと、つらく、」

「言うな。」

「……ごめんなさい…。」

「……。」

「……エリザベスの、良き師であり父のような存在で居てくれる事にも本当に感謝しています。だから、また、イギリスに居た時のような関係に戻りたい、です」

「……何を言っても、もう無駄なんだな」

「……ストレイツォ…」

「……スピードワゴンを見つけたら、きっとお前は帰って来なくなる」

「そんなことは、無いと思うのですが…エリザベスにもそう思われていて…。
レオさんを探して、見つけ出したらまたチベットに戻ってくると言っているのに…」

「…いいや、お前は戻ってこない。戻ってきたとしても、きっとお前は以前までのお前では無い。今ですら、もう、違う」

「えっと…?それは…どういう…」

「…じきに解る」


リリアンはエリザベスやストレイツォが、ここまで今回のアメリカ行きを嘆く理由が本当の意味ではあまりよく分かっていなかった。
二人に対しても、師匠に対しても、このチベットに対しても、リリアンが抱く思いは変わらない。
チベットにもいずれは帰ってくるつもりだと何度も伝えた。ただ単に、今の優先順位が1番高いのはロバート氏だという事だけだ。
その問題を解決させなければ、リリアンは落ち着いて眠る事も出来ないのだから。


──それくらい、離れて過ごしている筈のスピードワゴンの存在を大切に想っている事こそが答えだったのだが、気が付いていないのはリリアン本人だけだった。













「──レオさん!!!」


リリアンは力いっぱい腕を伸ばしていた。その“力”が少しでも彼に届くように。
崩壊していく地面、崩れ落ちる機材、慌てふためく人々の姿、聞こえる怒号の中で。


リリアンは数週間かけて、最近名を挙げ始めた石油会社の創設者の名前が彼のものと同じであると突き止めてから、真っ直ぐそこへ向かっていた。
途中で聞いた作業場での事故の話が、その脚を早めていた。
早く、はやく、速く──
ここから先は危ないという関係者の声を無視して、リリアンは“鎖”と波紋で探っていた生体反応の元へ駆けた。
そして──



「レオさん…!待ちきれなくて、会いに来ました!」

「リリアン…??お前…ほんとに綺麗な髪だなァ…」

「ご無事で何よりです!」



リリアンはこれまでいつもずっと彼の方から会いに来てくれていた恩人に、初めて自分から会いに行く事が出来た。
“鎖”で彼をぐるぐるに巻きながら、地下から引っ張り上げた反動で宙を舞う彼を所謂お姫様抱っこで抱き上げて、喜びのあまり頬擦りする。
その最中でもロバート氏の身体に波紋を流し治癒を施すと、彼は朦朧とする意識の中でもへらりと笑ってリリアンを褒めてくれた。
そんな二人を、周りの作業員達はポカンと口をあけながら呆然と見守っていた。









「──…お、お騒がせしました」

「いやぁ確かに驚いたけどよ、ボスを助けてくれたのはあんただ!すげえよ!」

「いったいどうやってあの地下から引き上げられたんだ??」

「実はチベットで特殊な拳法を学んでいまして…」

「ケンポウ!ケンポウって…そんな事も出来るのか?!」

「ええ…仙人のような師匠に色々と学び…」

「センニン!!」

「ニンジャか?!」

「ニンジャ…??」


ロバート氏と再会出来たリリアンは、改めて彼の職場の同僚達に自己紹介をしていた。
その前に2、3人要救助者をさらりと救助したので、奇異の目で見られるかと思っていたのだが、仙道を極めしびっくり人間だと言う事で納得して貰えた。
周りの目に見えない“鎖”を伸ばす時はロープを伸ばすようにしているので、一応ロバート氏救出の際もロープに絡まっているように見せてはいた。
リリアンは“鎖”に慣れる為に縄を使った修行を行なっていた。その為、ロープの扱いに関しては技術が高い方だと自負している。
技術的には違うが、現地のカウボーイ達にも道中仰天されてそれ今どうやった?と聞かれることもあったくらいには縄を上手く扱えるのである。


「今の会社がもっと軌道に乗ってから報告するつもりだったんだが…情けねーとこ見せちまったな…」

「そんな事はないです!砂漠で未発見の油田を見つけるだけでもすごいのに、こうして一から外国で起業して、これだけ沢山の人を動かして、慕われて…レオさんはやっぱりすごい人です」

「はは、起業家の先駆者であるリリアンにそこまで言われるなら、頑張った甲斐があったぜ」

「レオさん…あ、そうだ、エリナ達も心配してたんですからね!とりあえず皆に手紙か電報を送ってきます」


リリアンはロバート氏の無事な姿を確認出来た事をジョースター家とチベットにいるエリザベス達に伝えた。
ロバート氏はアメリカのこの地に根を下ろすつもりのようだった。
そんな彼の現状を、リリアンはとても放っては置けなかった。
スピードワゴン石油会社は、彼がリリアンの元で多くの商売のやり方を学んでいただけあって、経営は上手くいっているようだった。
ただ、先の事故で一旦作業はストップしてしまい、今は新しい機材ではなく安全性の確保が優先されていた。


「手伝います!手伝わせください!」

「あー…リリアンならそう言うと思ったんだよなァ…」

「だから連絡して頂けなかったんですか…?」

「んーまあな。胸張って自分の会社を紹介できるくらいの男になりたかったんだよ」

「そう…でしたか」

「だが、やっぱり俺だけの力じゃあ限界があるな!そもそも俺一人じゃあここまで来れてねえし、仲間達と集まって立ち上げた会社だし、商売の知識はお前から学んだものだ。
しかもついこの間に死にかけて周りには迷惑かけまくったしお前には命を助けられたし…情けねえ姿ばっかり見せて恥ずかしい限りだが…頼むリリアン!」

「は、はい」

「お前の力を俺に貸してくれ!」

「喜んで!」


そうして、リリアンはロバート氏の会社を手伝うようになった。
エリザベスやストレイツォが危惧していたのはこういう事だったのだろうかと少し疑問に思いながらも、彼等には仕事が落ち着けばチベットへ帰ると書いた手紙を送った。

慣れない環境と仕事と人々に初めのうちは大変だったが、彼等のボスと現場の作業員を助けた事でリリアンは早々に受け入れられた。
また、何故かロープアクションやカウボーイの技術がウケたので何度か現場の若者衆にせびられて披露する機会もあり、比較的に早く仲良くなれた。

ロバート氏は39歳でリリアンは34歳だが見た目はティーン後半。
実年齢や既にイギリスで会社経営をしている事を伝えれば驚かれたが、経理を担当している彼の部下はリリアンの事をロバート氏から聞いていたようで、経営状況のことまでスムーズに任されるようになった。

そして事故から1月後には、また油田の掘削が順調に行われるようになっていた。
そこから勢いを取り戻したスピードワゴン石油会社は、躍進を続ける事となる。

リリアンはその後結局チベットには戻らず、手紙でやり取りをした結果、11月のエリザベス14歳、ジョージ13歳の誕生日にまた皆で集まろうという話になった。









「──スピードワゴンさん!お久しぶりです。無事で本当に良かった…」

「おじさん石油の会社を作ったんだって?リリアンちゃんが手伝ってるって聞いてるけど、どうなったんだい?」

「エリナさん、ジョージ久しぶりだな。心配かけたみたいですまねえ」

「ジョージ!また大きくなったね!もうパブリックスクールに通ってるんでしょう?学校はどう?」


リリアンはエリザベス達よりも先にイギリスに到着し、エリナとジョージと再会していた。
スピードワゴンがジョースター邸に来るのは実に4年ぶりの事となる。
会話に花が咲いて、その日は楽しく時を過ごした。
その数日後にやってきたエリザベスとストレイツォは、リリアンの姿を見るなりすっ飛んできた。


「ママ久しぶり!会えて嬉しい!でもやっぱり思ってた通りこっちに帰ってこないからすごく怒ってるんだからね私!」

「ごめんねリサ…レオさんとの仕事が楽しくなっちゃって…」

「仕事と私どっちが大事なの!」

「り、リサ…ごめんなさい…貴女の方が大切だよ。もう少し石油会社が落ち着いたらチベットに戻るから…」

「それっていつ?私の修行期間はあと一年だからもう一年後にはチベットに居ないのよ!」

「そ、そうだね…?そうなったらまた一緒に暮らそうね」

「ママのバカ!浮気者!」

「えええ…?」


エリザベスはそのままジョージとエリナの方に去っていってしまった。
エリザベスの波紋の修行期間は15歳になるまで、という予定だった。
勿論本人が希望すればそれの延長や早期の切り上げなども検討可能だ。
チベットで波紋の道を極めるのも良し、イギリスに戻って進学するのも良し、家業を継ぐのも良し、旅に出るのも良し。
エリザベスには様々な可能性が秘められているし、将来も自由に決めて良いと言ってあった。
どうやら彼女は15歳を迎えればイギリスに帰る予定を考えてくれているらしい。


「久しぶりだな、リリアン…」

「…ストレイツォ、お久しぶりです。貴方を含めて、皆さん元気で過ごしていますか?」

「ああ…お前が居なくなって師匠は少し活力が無くなったがな」

「そうでしたか…また挨拶に伺わないとですね…」

「…俺もエリザベスも寂しく思っていた」

「そ、そうですよね…結局、貴方達が懸念していたように、私はレオさんと仕事をする方を選んでしまって…」

「…お前が選んだのは…、まあ、いい。元気そうで良かった」

「え、ええ」


リリアンとストレイツォがギクシャクしていると、久々に会うジョージとエリナとエリザベスとの再会を喜んでいたロバート氏がこちらにやってきた。


「何故かエリザベスが怒りながらリリアンの事をよろしく頼むと言ってきたんだが何かあったのか…?」

「はは…ちょっと色々あって…」

「まあ思春期は難しいからな…ああ…ストレイツォ、さん、アンタも元気そうで、何よりだ。やっぱり波紋使いだけあって若いな。同い年とは思えない若々しさだぜ」

「…そういう君は少し貫禄が出たな。あと日焼けがすごいぞ」

「テキサスの日差しはキツいからな」

「それもそうか…リリアンの肌が変わらず白いから、君達が同じ所で暮らしているとは一見思えなかった」

「あ…そういえば…私、日焼けしていないですね」

「ん?前にちょっと肌が赤くなってたと思ったが、確かに白いままだな。それもあの謎の力のせいか?」

「多分そうですね…」


リリアンはロバート氏の仕事を手伝う関係で、よく外回りもしていた。確かに朝方から出かけた時に日に焼けて鼻や頬辺りがチリチリと焦げるようになった事はあるが、それも一晩眠れば元に戻っていた。
そういえば、波紋使いになってから修行で負った傷や痛みは、その日のうちに波紋で治していたから気が付かなかったが、リリアンの身体には傷が一つも無かった。
筋肉どころか、日焼けですら跡が残らないのだから、傷すらも日を跨げば消えるのかもしれない。
本当にあの超能力という謎の力は、よく分からない。
皆が成長し、変わっていくのに、リリアンだけずっとあの日あの時、ジョナサンが死んだ刻限に囚われているようだった。


「…私、いつまでこのままなんでしょうね…」

「…チベットに居た際はあまり気にして居なかったろう?あそこは外見と年齢が合っていない者ばかりだ。
私の見た目も暫くこのままだ。…気になるようなら、いつでも帰ってこい」

「ありがとうございます…そう言ってくれると…少し安心できました」

「そうか…」

「俺も全く気にしてねえよ。周りの奴等だって、仙道とか、東洋の神秘だって事で納得してる。もし変な事言ってくる奴がいればぶん殴ってやる。
お前は何も不安に思わなくても良いんだぜ」

「ありがとうございます…。あ…はは、ごめんなさい、少し話題を暗くしてしまって。今日はめでたい日なのですから、皆で楽しみましょうね」

「…ああ」


リリアンは無理矢理笑顔を作って、話を終わらせた。ジョージと何事かを言い争うエリザベスを宥める為に、その場を離れた。
エリザベスは相変わらずツンケンしていたが、彼女は彼女なりにジョージに気を使っているのだろう。
リリアンの事もロバート氏の事も心配してくれていたのだが、それが通り越して怒りに変わってしまっている様子だった。
感情のコントロールが難しい時期に一人にしてしまった事を、リリアンは改めて申し訳なく思った。
エリザベスをアメリカに呼び寄せようか──そう考えて、リリアンは前にアメリカ行きを一緒に誘った時に、彼女からますます自分がチベットに帰らなくなるだろうと示唆されていた事を思い出した。
あ、と思った。
そうだった、自分はエリザベスを養子として娘として大切に思っているからこそ、チベットに長く留まっていた。
波紋の修行者達が集まるそこで、見た目が変わらない事で負うリスクは確かに少ないが、別にそれは一箇所に留まらなければ済む話であって、チベットに滞在し続けたのはエリザベスがそこで修行しているからだ。
エリザベスの修行が終われば、彼女と共に去っていっただろう。チベットに留まるであろうストレイツォの事を、置き去りにして。


「(私…薄情者だな…)」


ストレイツォとは、イギリスでもチベットでも世話になった為に、師トンペティと同じく多大な恩がある。
けれどその恩を返す方法があまり無かった。チベットでエリザベスと共に彼等の加護下に入る事で、それはますます返せなくなっていった。
師トンペティよりも率先して生活の面倒を見てくれていた。慣れない土地でリリアン達が馴染めるように、たくさん気を使って貰っていた。
ストレイツォからは与えて貰うばかりで、何かをして貰ってばかりで、申し訳なさすら感じる程だった。
彼の好意や善意に対して、それに見合ったものを返せないままだった。
だから、何かして欲しい事や物は無いかと、先に問うたのはリリアンの方だった。貴方の好意に甘えっぱなしだったから、自分に出来る事はないか、と。
その問いへの答えに、寄り添う事を求められた時、戸惑った。何度か断ったが、断りきれず、流された。
断っても、ストレイツォは酷い事をする人ではなかったけれど、彼には確かに友愛と親愛を感じていたから、あまり抵抗感がなかった為、そうなってしまった。
エリザベスと暫くここで暮らすのだから、厄介になるのだから、世話になるのだから、チベットで暮らす間だけならと。
彼に情熱的に求められるままに、身体で応じてしまった。
けれどやはり、心がついていかなかった。感情が伴わなかった。そして、罪悪感を抱いてしまった。
迫ったのは自分だと彼は言ったが、応えてしまったのはリリアンだった。ならば二人とも、同罪といえるのかも、しれない。
否、彼の好意を知りながら甘えていた自分が悪かったのだと、リリアンは反省した。

長く共に過ごすうちに、リリアンはその始まりを少し忘れていた。
チベットを出れば、ストレイツォと離れれば、その関係は終わりになる。
だからリリアンがエリザベスを置いてでもアメリカへ行こうとした時に、あの関係は終わりを告げていたのだ。
最後の夜に、リリアンが明確に関係の終わりを告げるあの時まで、彼は必死で関係を繋ぎ止めようとしていたのだろう。


「リサ…私が居ない間…ストレイツォはどんな様子だった?」

「…最初はかなり落ち込んでたけど、暫くしたらちょっと落ち着いてきて、最近は少しスッキリした顔してる、かも?」

「そう…元気で居てくれるなら、それで良かったよ」

「それでも寂しそうにはしてるけどね…」

「そっか…」


彼が健やかで居てくれる事は心からの願いだった。
それだけは確かだ。
自分が居ない事で落ち着いてくれたのなら、きっとそれが正しかった、筈だ。


──その日の晩、リリアンはぐるぐると考えを巡らせていた。
ストレイツォの時と同じく、自分はロバート氏の好意にも甘えているのではないだろうか?
かつて告白して求婚までしてくれた男性の所に、その気も無いのに身を寄せるというのは良くない事だったと、リリアンはようやく気がついた。
ストレイツォにしてしまった自分の仕打ちを思い出すと、頭を抱えたくなる。
いくらリリアンが相手に対して恋心を持っていないからといって、恋心を抱いてくれている相手に友人として振る舞い、その相手からも友愛のみを求めるなど、相手からしてみれば不愉快だったろう。
それは、ストレイツォも奇行に走るというものだ。告白し、振られたのに、その相手から友人としての関係の継続を願われればおかしくもなる。
だから、リリアンが離れた事で彼が落ち着いてくれた事をエリザベスから聞けて、少しほっとした。
同時に罪悪感が酷くなったが、これは謝って許されるよりは背負っていくべきものだと、リリアンは思った。


「このまま…レオさんのところに居るのも…良くないのかな…」


そして今度は、ロバート氏の事だ。リリアンは彼の元に勝手に駆けつけて勝手にその下で働いている。
しかも大事にしていたエリザベスを一人置き去りにしてまで、割と強引に。
それはエリザベスがリリアンよりも強くなり、もうその身一人で生きて行けそうな程に成長したから、安心してチベットに残せるから、という理由もあったけれど。

ストレイツォは自分のせいでおかしくなった。ならばロバート氏も自分のせいでおかしくなってしまうかもしれない。
彼に許されたからといって、頼られたからといって、側に居るのは間違えているのかもしれない。
まだ彼が自分を好きかどうかなど、彼をフッた立場からはとても確認出来ないが、その気も無いくせに、思わせぶりな、気を持たせるような事を、自分はしてしまっているのかもしれない。
そうであれば彼にとってリリアンはとんでもない悪女ではないだろうか。

リリアンの胸はずきずきと痛み出した。考えを纏めなければならない。

──ロバート氏の事は、大切に思っている。貧民街であの日あの時自分を助けてくれた彼を、自分は慕っていた。
恩を感じていた、役に立ちたいと思っていた。
慈善事業だって、貧民街の近くに店を作ったのだって、恩返しがしたいと思っていたから。
あわよくば気が付いてくれたらなんて思っていたのも確かで。
そして、再会出来たのもジョースター家復興を手伝ってくれたのも嬉しくて。
告白には戸惑ったくせに、連絡が付かなくなって安否が不明になれば心配で心配でたまらなくて、──距離を置かれていた事が寂しかったのも、確かで。


「あーーーもうっ」


リリアンは考え過ぎて眠れなくなってしまった。部屋でじっとしているのも落ち着かず、飲み物を飲みに行こうと部屋を出る。
時刻は真夜中で、召使い達も皆が寝静まっている。キッチンで水を飲み、リリアンはそのまま夜風に当たりに、文字通り頭を冷やしに庭へ出た。
本邸を作る際にエリナ達の癒しになればと造らせた庭園には、薔薇の花が咲いている。
四季咲きの品種を多く植えられたそこは庭師によって管理され、10月が終わり11月を迎えたこの寒い時期でもいくつか花を咲かせている。
そうしてイングリッシュガーデンの中に佇んでいると、気持ちが段々と落ち着いてきた。

ジョースター家を出て、リリアンは自分の外見こそ変わらないが、内面は少し変わったと思った。
幼い頃に抱いた夢は、世界中の国を見て周る事だった。
それが難しいことは分かっていたし、それが仕事に繋げられるなら支店という形で世界に進出するのは悪くないと思って、商売を始めた。
父の会社、自分で作った会社で、世界と関われる事は楽しかった。新しい事を見て学ぶ事は特に好きだった。
エリザベスを引き取ってからの日々も、チベットの奥地で暮らせた日々も、その間のイギリスとの行き来、途中に寄った国々での出来事も楽しかった。
そこにはいつもストレイツォが居た。彼には本当に感謝しなければならない。そして傷付けた事を背負わなけらばならない。
陸路を行ったり、海路を行ったり、東南アジアや地中海やアフリカ大陸を通ったりする道中での旅は、全てきらきらとした思い出として心に残っている。
エリザベスが居なければここまで海外を飛び回れなかっただろう。良い事も悪い事もあったが、それら全て、イギリスに居たままでは得難い経験だった。
ただ、原点に帰って、一から仕事をする事も、良いなと、楽しいなと思ってしまったのだ。
何よりも、幼い頃、最初にリリアンに希望を与え、立ち上がらせてくれた、目標を与えてくれた、貧困の中での温かみや人情も、生きるという事、勇気も与えてくれたロバート氏、彼と共に仕事が出来るという事は、とても心を充実させてくれていた。

──と、そこまで考えて、やっぱり自分の事ばかりだな、とリリアンは苦笑した。
自分は、相手の立場に立って物事を考えられていない。
ただ目標に向かって頑張り続けて、やりたい事を優先してきた。興味関心のある事には夢中になって取り組んできた。
周りの感情より自分の感情を優先してきた。
今までの努力が間違いかと問われればそうではないと言いたいけれど、家族を蔑ろにしてまで事業を広げるべきではなかった。
ディオとの事だって、それで失敗してしまったのに──。

エリザベスにだって仕事か自分かと問われてしまった。
やはり、やりたい事を優先するのは自分の悪い癖だ。
周りを不幸にする原因は、それだったのかもしれない。良い加減、大人しくしているべきなのかもしれない。
だからリリアンは、これ以上恩人を困らせない為にも、自分は彼からも離れるべきだと、そう思った。


「少し早めに…離れようかな…」





「──誰から、だ?」

「っ?」


背後から、聴き慣れた彼の声が聞こえた。
アメリカで後ろ髪をすっきりと刈り上げ、あの頃の、貧民街で初めて出会った時のような頭髪でありながら、あの頃とは違って貫禄のある姿に成長した彼。


「レオさん…」

「…誰から、離れるって?」

「えっと…、あの…、あ、アメリカから…」

「…つまりそれは、俺から離れるって意味だろ?」

「…あの…、はい…」

「…イギリスに帰ってからそういう気持ちになったのか?それともストレイツォと話したからか?エリザベスに請われたからか?」

「そ、れは…あの…本当は…アメリカで貴方の無事を確認出来たら、すぐにチベットに帰る予定でした。
でも、レオさんを放っておけなくて…、だから、エリザベスに言っていたように、落ち着いたら帰る予定だったのは確かなんです」

「そうか…」

「あの、それで、今は石油会社も割と落ち着いてきてますし、そろそろ私が居なくても大丈夫かな…と、」

「…分かってはいたが、お前は本当に自由で……勝手だな」


その言葉に、ひゅっと息をのむ。
そうだ、やはり、自分は勝手なのだと、リリアンは思い知らせる。
嫌われたかもしれない、そう思うと、一瞬で冷や汗が吹き出た。


「っ…ご、ごめんなさい…」

「あー…違う、怒ってるわけじゃねぇ。その自分勝手に突き進む所は、お前の短所であるが、同時に長所だ。
ただ…な…ああ…、クソ、本当に、分かりたくねぇが、今ならディオの野郎の気持ちがよく分かるぜ」

「ディオの…?」


顔を手で覆ったロバート氏が、自嘲しているのか、皮肉気に笑う。


「あいつは、そんなお前を繋ぎ止めようと本当に必死だったんだろうな。それこそ、ジョージさんに毒を盛ってでも…。」

「それ、は」

「俺は、あいつのようにはならねえ。お前の幸せを第一に考える。
だからお前が、世界を飛び回っていても、ストレイツォと結ばれても、幸せで居てくれるならそれで良い、と、思っていた」 

「……」

「…だが!辞めだ!!やっぱり自分の気持ちに嘘をつき続けるのは性に合わねえ!」

「っわ!」

「…好きだリリアンッ!離れていこうとするな!そばに居てくれッ!」


ロバート氏はガバリと、リリアンに抱きついてきた。
いつもの控えめなハグではなく、思い切り、身体全部を使って。


「世界を周りたいなら毎年一緒に旅行しよう!一緒に会社をデッカくして、世界中の国一つ一つに支店作ろう!お前の夢を俺が叶える!
お前の見た目が変わらない事だって俺がなんとか誤魔化してやる!だから、ずっとそばに居てくれ!」

「…っ」


リリアンは、その言葉の数々に、思わず泣きそうになってしまった。
だって、それは、あまりにもリリアンにとって都合が良過ぎた。魅力的だった。
けれどもそれに応える事はきっと、ストレイツォの時と同じだ。
期待の先にあるそれを、リリアンは叶える事ができない。

ただストレイツォの時と少し違うのは、リリアンもロバート氏の側に居たいと思っている事だ。
一人でどこかに行かないで、どこかに行くなら、側に置いて欲しいと。
それはどちらかと言うと、父ジョージに抱いていた感情に近いような、そうでないような。我儘で、子供じみた感情だった。
それが愛である事は確かだけれど、恋や性と結びつけられるかといえば、そうではない。
──今は、まだ。


「俺と家族になろう!」

「か、ぞく」

「お前がディオの事を好きだったのは分かってる。忘れろなんてとても言えねえし、あいつを好きだったように俺の事を好きになってくれとも言わねえ。
ただ、そばに居て、同じ家に住んで、一緒に過ごして、俺だけ老いるかもしんねえけど、一緒に歳とって行こう。
お前のその状態がいつまで続くかわかんねえけど、俺が生きてる間はずっと、俺がお前を守ってやる。
いや、死んでも守れるくらいの仕組みを作ってやる!」


リリアンはついに平静を保てなくなってしまった。
悲しい訳では決して無かった。そこまで想っていてくれたのかという、驚き。喜び。
心臓が震える。脳にがつんと衝撃が与えられたかのような刺激的な言葉の数々だった。
何故、どうしてそんなに、優しいのだろう。
見返りを求めない純粋な優しさは、彼の尊い性根は、24年前のあの時から変わっていない。
くしゃりと、顔が歪み、目が潤んだ。


「レオ…さん゛…っ」

「な…泣かせるつもりは…」


リリアンはみっともなくずびずびと鼻を鳴らしてしまうくらいに泣いていた。彼の肩口に顔を埋めながら。
あわあわと焦る彼の胸に顔を押し付け、ぎゅうとその背中に縋り付く。
ぶさいくな泣き顔を見られたくなかったし、今この時、彼から離れたく無いと思った。その腕の中に居たかった。
やがて、彼はまた優しく抱擁してくれた。
しゃくりあげるリリアンが落ち着くまで、頭を撫でてくれていた。
ただただ優しく、慈しみをもってよしよしと頭を撫でられるのは、本当に久しぶりだった。
父ジョージ、ジョナサン、そしてディオ──皆が一度に死んで、もう14年の時が経過しようとしていた。
家族に愛されて、加護されていた期間の事を、リリアンは久々に、思い出した。
彼等が死んで、自分が加護する側に回ってからは得る事が出来なくなってしまった、それどころどはなくなってしまった、安心感を得る機会。
ストレイツォとの触れ合いは安心感を上回る罪悪感によって辛いものとなり、耐えられなくなった。

ロバート氏の腕の中で、リリアンは父に頭を撫でられている時のような気持ちになって、安らいでいた。
芽生え始めている彼への我儘な気持ち、執着心。側に居させて欲しいという身勝手なこれは、恋ではない気がする。
ディオに抱いた感情とは、また違う。
今はまだはっきりと分からなかったけれど、ただ一つ確かな事は、リリアンは今、心の底から安心していた。
赤ん坊だったエリザベスを抱いてあやしたあの日から今に至るまでずっと我慢していた涙を、その日リリアンはようやく流す事が出来た。



















[ 36/52 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -