novel3 | ナノ



24

 


「お嬢様、お目覚めになられましたか。」

「………」


リリアンは喉の痛みと息苦しさから目を覚ました。
そこは、見知らぬ部屋だった。横になりながら目線だけで室内を観察すると、随分と古い建物のようだった。
石造りの壁で出来たその部屋には暖炉があり、火が焚かれている。
状況を把握しようと頭を動かそうとすると、眠気から醒めた身体に徐々に痛みが走ってくる。
気を失う前の事を思い出し、リリアンはぐっと唇を噛み締めた。気分も体調も最悪のコンディションだった。
頭は痛く、鼻は詰まり、身体は酷く気怠く、重く、暑いようでいて悪寒がする。完全に風邪を引いている。
両腕はギプスのような物で固定されていて、右足首にはヒヤリとした何かが巻き付いていた。
ひゅっと息をすると咳が出て、折られた腕が痛んだ。股の間や脚にもびりびりとした痛みが走って、リリアンは呻き声をあげた。


「リリアン様、お薬を飲みましょう。」

「………」

「お嬢様、お身体もお拭きしましょう。」

「…………」


リリアンは、視界に入るメイドの姿に、思わず目を逸らした。
彼女は、リリアン専属のメイドだった。
宿屋にも共に泊まっていた。そしてきっと、宿の主人達の悲鳴を聞いて、リリアンの部屋に駆けつけてくれようと廊下に出て、そして──


「風邪をひかれるのは久しぶりですね。」

「……」

「ここの所ずっとお忙しかったので、体調を崩されたのでしょう。」

「………そう、ね…」


土気色の顔、その首にぽっかりといくつもの穴を大きく開けたままの彼女は、きっと死んでいる。
吸血鬼によって血を吸われ、ゾンビと、なってしまったのだろう。
けれども生前と変わらぬ態度で世話を焼こうとしてくれている彼女に、リリアンはようやく、小さく返事を返した。
思わず、声が震えた。


「さあ、こちらのお薬を飲んでください。」

「薬…」

「東洋の秘薬とのことで、お痛みによく効きますよ。」

「…そう…」


人外の力で砕かれた腕が、暴かれた身体が、思っていたよりも痛くは無いのはきっとこの薬のおかげなのだろう。
東洋のもの、それから連想されたのはディオに薬を売っていた男、ワンチェンだ。
そういう事か、とリリアンは納得した。
もしかして自分もゾンビか吸血鬼にされたのかと思ったのだが、幸いにもまだ人間のままらしい。


「熱冷ましも兼ねているそうです。」

「……」

「今まではディオ様が直接リリアン様に飲まされていましたが、ご自身で飲めそうですか?
一度お身体を起こしてみましょう。」


リリアンは、その氷のように冷たい彼女の手に導かれて、されるがままになっていた。
ゾンビとなった彼女に食い殺されるかもしれない、そう思わない訳ではなかったが、それでも良いと思ったのだ。
そのくらい、リリアンは投げやりになっていた。拷問のような初体験を終えて自棄になっていた。
こんなことに巻き込んでしまった彼女にとても申し訳なさを感じていた。何よりも、高熱が出ているこの身ではろくな抵抗も出来ない。
けれど予想に反して、というよりは、いつも通りに彼女はリリアンの世話を恙無く行った。
きちんとメイドとしての仕事を全うして、扉を開けてお辞儀をしてから出ていった。


「………」


リリアンは喋る気力も無かった。ただ心の中に沸いたのは、怒りという感情だった。
許せなかった。その感情だけが強く沸いてきた。
熱に魘されながら、薬の効果で意識を失いながらも、リリアンはそう思い続けていた。













「──やあ、リリアン。我が伴侶、我が妻よ、気分はどうだ?」

「っ」


何時間経過したのか、はたまた数日経過したのか、窓の無い部屋で意識を取り戻しては失っていたリリアンは、時間感覚も失っていた。
そしてついに対面した彼に、最悪だ、という言葉を返したかったが、喉の痛みと痰が絡み、げほげほと咽せる事しか出来なかった。


「薬は飲めているか?可哀想にな…こんなに赤くなって…」


冷たい手が、額や頬に這う。怖気が走ったが、リリアンは身動きが取れなかった。
しかし、発熱している身体にはその冷たさはむしろ心地良く、リリアンは諦めておとなしく目の前の男のされるがままになった。


「吸血鬼となって寒さを感じなくなった為、冬だというのに城への移動の際もお前を薄着のままにしてしまっていたのだ…すまないな…うっかりしていた…。
ああ…人の身は本当に貧弱だ。早く楽園を作り上げて、お前も吸血鬼にしてやろうな」

「………」

「なんだその目は?随分と反抗的だな…?
フフ、まだお前を痛めつけた事を怒っているのか?
仕方ないじゃあないか…お前が悪いんだ…まあちょっぴりヤり過ぎてしまったがな。反省はする。
身体が治れば今度は優しく抱いてやるから、それまでに機嫌を直しておけよ」


言いたいことだけを言って、吸血鬼は去っていった。
ドっと、身体が疲れた。
横になっているだけなのに、息が荒くなった。冷や汗が流れ落ちて、着ている服に汗が滲む。
リリアンはやはり、あれをディオだと思いたくなかった。けれどもう、いい加減現実を受け入れなければならなかった。
分かっている。きっとディオは昔から、ああいう性質を持った人間だったのだ。
人を傷付ける事、殺す事をなんとも思わない人間だったのだ。
けれど認めたくなかった。だって認めてしまえば、ただの人間だったディオはどうなるのだろう。
いくら性根が歪んでいたとして、それでも理性的に生きてきたディオを否定して良い事にはならない。
それに、あのディオを好きだった気持ちを、リリアンはどうすれば良いのか、捨ててしまえば良いのか分からなかった。
別人、否、別の生き物になってしまったかつての愛しい人。
それを受け入れて、愛す事など出来なかった。それは人間だったディオにあまりに不義理だと、リリアンは思っていた。












「──熱だけ下がらないようだな…おいワンチェン、ゾンビになって思考力が下がっているのか?ちゃんとした薬を用意したんだろうな貴様」

「勿論ですディオさま!この私の薬の効き目は確かです!」

「確かに風邪の症状は消えているが…骨折からの発熱か?腕の腫れは…引いているな。骨が治るまでどれほどかかる?」

「最低でもひと月はかかるかと!」


日にちが分からないが、おそらく5日程で、リリアンの風邪は治った。
まだギプスは付けられたままだが、腕の痛みも強い鎮痛剤の効果で消えていた。それからまた2日程経ち、おそらく連れ去られてから一週間程経ったが、熱が下がらなかった。
強めの解熱剤も飲まされていたが、それでもずっと高熱が続いていた。













「──… 襲撃に失敗し、逃げ帰ったワンチェンを追って、ジョジョのヤツがすぐそこまで来ているぞ」

「!ジョジョ…が…?」

「ああ、妙な男と一緒だった…まあ、強力なゾンビ共をけしかけて来たから、今頃とっくに死んでいるだろうがな」

「そん…な…」

「フフ…いよいよ、この街全員をゾンビにする時が来たようだ。この街からゾンビがイギリス中に広まれば、俺たちの楽園が本当の意味で始まる」

「楽園…?地獄の間違いでしょう…?」

「…お前の熱は下がらんし、食事もあまり取れていないようだし、これ以上苦しむ姿を見たくは無い…
完全なる楽園はまだ先となるだろうが、もう良いだろう。
石仮面を被り、共に人間を超えた存在になろうではないか」

「っ…いや…!!」


リリアンは仮面を被せようとしてくる吸血鬼を激しく拒絶した。
身を捩って、腕が痛んでもがむしゃらに暴れて、ベッドの下に落ちてもディオから逃げようとした。
足首に付けられた鎖がそれを許してはくれなかったが、リリアンは捕まえようとしてくるその手を避け続けた。


「大人しくしろ…俺はもうお前を傷付けたくないのだ…!」


かつてのディオの片鱗を見せられる度に、リリアンは苦しくなった。
人間を辞めたディオ。吸血鬼のディオ。かつてディオだった、化け物。
同じ声、同じ見た目、同じ優しさは確かにそこにある。けれども、リリアンは拒絶した。


「吸血鬼になったとしても、すぐに太陽に灼かれて死んでやる…!」

「…このままお前を閉じ込めておくと言ったら?」

「こんな壁、吸血鬼の力ならすぐに壊せる…っあなたの元からすぐに去れる筈!」

「…ッどうしてそこまで俺を拒絶する!!
お前は俺の事を好きだったろう?!愛していた筈だ!!」

「あ…愛してた…好きだったよ…でも過去形だよ…もう全部!人間の頃の貴方が好きだったのに…!」

「…人間、の頃の?」

「そうだよ!」


リリアンは血を吐く思いで、その言葉を伝えた。
それは、こんな事の為に告げる言葉ではなかった。人間であった頃のディオに、贈るものだった。
面と向かって、リリアンはディオにそれらを告げた事がなかった。
こんな吐き捨てるように、しかも人外となった吸血鬼に言う言葉ではなかったのに。


「……ははは、人間の頃の俺だと?…笑わせるな…俺は人間の頃のまま、俺であり続けている。何も変わっちゃあいないと言っているだろう?
石仮面があった事で吸血鬼に成りはしたが、頂点を目指す心は同じだ。
人間のままであったとしても生涯をかけて、俺は高みを目指していた…人間の頃と中身など何も変わっていない!」

「いいえ…やっぱり貴方はもう貴方じゃない…私は…その頂点を目指して、努力している時の貴方が好きだった…」

「努力?は!努力だと?あれは人間の身には必要だったからしていただけだ…過程や手段よりも、大事なのは結果だ!
人間の能力には限界がある…人間を超えた俺にはもはやかつての事など全て些事!今となっては取るに足らないちっぽけな足掻きであった」

「…は?」


リリアンは絶句した。
あれだけ優秀な成績を残して、たくさんの金色のトロフィーも取って、最高ランクの大学に入学出来て、法学部の首席になれるくらいの努力をしていた当時のディオ。
それを、この吸血鬼は否定した。些事、些末な事だと言ったのだ。
人間の物差ししか持たないリリアンには、分からない。分かりたくなかった。
人間を超えてしまった吸血鬼には、本当に瑣末な事なのだろう。けれどリリアンは、いくら本人とはいえ、それ以上、人間の頃のディオの努力や積み重ねを馬鹿にされるのは耐えられなかった。
それはつまり、人間を馬鹿にしているという事だ。ディオレベルの人間などそうそう居ない。
リリアンだって、商業の才能が秀でているだけで、ディオには叶わない事の方が多かったのだから。
やっぱり、目の前の吸血鬼を受け入れる訳にはいかないのだ。
人外の目線しか持たなくなってしまった彼を受け入れる事はつまり、人間だったことのディオへの否定となる。
気難しくて、すぐにムキになって、けれど余裕ぶっていて、一見スマートに完璧に物事をやり遂げてしまうあの人の、その見えない努力、精励、奮励の精神が、好き、だったのに。


「馬鹿にしないで…!人間を…ディオの事を馬鹿にしないで!」

「ッディオは俺だ!良い加減受け入れろよ!」

「嫌っ!」


ふざけるなと思った。リリアンは絶望を通り越して怒っていた。
身体が暑かった。熱かった。怒りで頭が沸騰しそうだった。
同時に、呼吸が出来なくなった。息を吸おうとしても酸素が入ってこない。
まるで首を絞められているかのような苦しさが首にかかっている。


「な、何だッ?!」

「…っ…ぅ…!」

「近付けんッ?なんだ、何が起こっている?!」

「それ以上…ちかづかな…で…」

「リリアンッ」


息が出来ない。ひゅーひゅーという呼吸音が喉から抜けていく。
原因不明の現象に焦ったが、以前にも似たようなことがあったのをリリアンは思い出していた。
これはきっと、ジョナサンからの身体から出る信号だ。自分達は一つの母体で育まれた、魂で繋がっている双子。
ジョナサンの苦しみはリリアンの苦しみ。ジョナサンの痛みはリリアンの痛み。その逆もしかり。
あの火事から明確になったその感覚。
不思議な事だが、きっとずっと前から、産まれた時から、否、産まれる前からそうだったのだろう。


「…ーっ、は…っく…っ」

「リリアンッ!どうしたんだッ?息が出来ていないのかッ?クソッなんなのだこれは?!」


吸血鬼が、焦っている。何故かそれ以上近付いてこようとはしない彼を、ぼやける視界の中でもリリアンは睨み付けた。
絶対に、これ以上目の前の彼を近付かせるつもりはなかった。何故か分からないがそれが出来るとリリアンは思っていた。
吸血鬼になどならない。なりたくない。それなら死んだ方がマシだった。消え行く意識の中でも、心からそう思っていた。


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