novel3 | ナノ



01

ジョナサン・ジョースターには、双子の姉がいる。
名をリリアン・メアリー・ジョースター。

幼い頃から淑女としての振る舞いを心得てしっかり者で、頭が良くて優しくて、自分の手を引いて先を歩く彼女を、ジョナサンは姉として頼りにしていた。
母親を愛するように、彼女を愛していた。
自分達が赤子の頃に亡くなったという、肖像画でしか知らぬ母。
その名をミドルネームで引き継いだリリアンは、幼いながらも母によく似ていたのである。
父似のジョナサンと、母似のリリアン。
姉弟ではあまり似ていないと言われているが、それでも双子なので、髪の色は違えど二人の目元は本当にそっくりで、瞳の色は同じエメラルドグリーンだった。


「まってよリリアン!」

「あら、どうしたの?ジョナサン」

「くつひもがほどけたんだ…さっきからもう三回もだっ」


幼い頃のジョナサンは、何かあればすぐに姉に甘え、リリアンもまた、そんなジョナサンを甘やかしていた。


「まあそうなの?わかったわ、みせて」

「ん、」


リリアンの白い手が、靴紐をちょうちょの形に器用に結んでいく。
ジョナサンはきらきらとした目でそれを見ていた。


「はい、できたわ」

「わあっありがとう」

「ふふ、さあいきましょうジョジョ」


教えられた上品な言葉使いをしながらも、まだまだ遊び盛りなリリアンはパタパタと音をたてて走り出す。
それを後から追うジョナサン。
二人ははしゃぎながら野を駆ける。
それを優しく見つめる父。
見守る多くの召し使い達。
絵に描いたような幸せな空間だった。


それが崩れ去るカウントダウンは、既に始まっていたことも知らずに。


双子が10歳の誕生日を迎えてすぐのこと、一度目の崩壊が訪れる。




「ああ…なんということだ…ッ!」


神よ、と父が項垂れる。
その様を、幼いジョナサンは呆然と立ち竦んで、見ることしかできない。
訪れていた警察が、痛ましげにその姿を眺めて、静かに部屋を立ち去っていく。


「リリアン…!」


メイドと共に買い物に出かけたリリアンが、誘拐された。
その最悪な知らせが、二人の心を打ちのめしていた。
その詳細は、お供についていたメイドから聞くことになる。
あちこちに怪我を負い、手当てをされたそのメイドは、泣き崩れながら謝罪の言葉を述べて説明した。
買い物を終えた二人の前に賊はいきなり現れ、メイドとリリアンを引き離した後、何とか追い縋ろうとしたメイドに暴行を加え、去っていったという。
申し訳ありませんと泣くメイドに、ジョージ・ジョースターはいつものように優しい言葉をかけてやることは出来なかった。
それでも感情のまま叱りつけるようなことは行わず、下がりなさいと声をかけて、沈黙する。


「リリアン…」


ジョナサンは絶望した。
産まれた時からずっと側にいた唯一の姉が、恐ろしい誘拐犯に拐われたこと。
一番頼りにしていた父がただただ現状を嘆いていることに。
理解して、姉と二度と会えないかもしれないと恐怖して、ジョナサンは火がついたように泣き出した。
ハッとしたジョージは、息子を慌てて抱き締めた。


「ジョジョ…大丈夫さ、わたしも明日の朝からリリアンを探しにいく。
それに今にも警察がリリアンを見付けて来てくれるかもしれない…。
お前はリリアンが帰って来たときに、笑って出迎える準備をしておきなさい、いいね?」


ジョージはジョナサンの頭を撫で、つとめて優しく声をかける。
それは自身に言い聞かせるようでもあった。

しかしジョナサンはその言葉をとてもではないが信じられなかった。
言い様のない恐怖と不安が襲ってくる。
けれども、必死になって涙を止めて、強く頷いた。


そして、3週間近くもの時が流れることとなる。


その間のことを、ジョナサンは不思議とよく覚えていた。
あんなにも色鮮やかだった屋敷が暗闇につつまれ、全てがモノクロに見える。
大人達は表情をなくし、喋り声も聞こえない。
出される食事は味がせず、好物でさえ喉を通らない。
リリアンの私物は位置を変えず、持ち主不在のまま同じ場所にある。
手鏡やぬいぐるみ、ベッドのシワすら変わらない。

世界は、まるで時を止めているかのようだった。


「…」


リリアン、とその名を呼ぶことすら出来ない。
呼んでも返事は返ってこない。
その事実を確認することがひどく嫌で、そんな現実を変えることができない無力な自分が嫌で、ジョナサンは毎日泣いていた。
父に言われたように、笑って出迎える準備などとてもではないができなかった。

これから永遠にそんな日が続くのだ。
警察も捜索を諦め始めていると聞いた。
リリアンはもう帰ってこないのだと、ジョナサンを含め誰もがそう思っていたその時、


「──ジョナサン」


聞こえるはずのない声が聞こえた。
外出を禁止されていたため、玄関前のテーブルに突っ伏して静かに泣いていたジョナサンは、目を見開く。

待ちわびていた、愛しい声。
玄関の扉から光が差し込んで、その人物を照らしている。
きらきらと、太陽の光が反射して煌めく金色の髪、一対のエメラルドグリーン。
その人物を中心に、鮮やかに世界が色付いた。


「…あ…リリアン…?」


ジョナサンは掠れた声で、恐る恐る尋ねる。


「うん。ただいま」

「…あ、ああ…あ、あああリリアン!!」


ジョナサンは喜びのあまりイスをひっくり返し、勢いよく駆け出した。
力いっぱい姉を抱きしめ、そしてゆっくりとした動作で抱きしめ返されて、ジョナサンは涙を溢した。


こうしてジョナサンの世界は再び動き出したのである。


メイド達が駆けつけた時には、玄関の床に倒れ、苦笑しながら泣き叫ぶ弟を抱きしめているリリアンの姿があった。
その後父や警察も交えて大騒ぎとなったのだが、リリアンが高熱を出して意識を失ったのでそれ以上の警察の捜査は不可能となる。
原因は極度のストレス、栄養失調、体力の低下、傷痕、打撲痕等様々であり、リリアンはその後一週間近くピクリとも動かなかった。

余程酷い目にあったのだろう、伸ばしていた長い髪は肩の辺りでばっさりと乱雑に切り落とされ、服は貴族としての服ではなく貧民街の子供が着るような貧相な物を纏っていた。
身体は窶れ、顔を含め至るところに傷痕があった。幸い致命的な傷はなかったようだが、誘拐されたことで精神に受けたキズは簡単に消えるものではない。

自力でジョースター邸までたどり着いたその強い心と肉体を持っていた彼女は、今や死んでしまったかのように静かに眠りについている。
医者や看護師があわただしく行き来する中、ジョナサンは片時もリリアンの側を離れなかった。
痛ましい姿になった大切な家族を前に、ただ回復をまつことしかできない。
ジョナサンは歯を食い縛って涙を堪え、ジョージは執務の合間に訪れては、眠り続けるリリアンに対して優しく声をかけるのだった。




──目をさましたリリアンは、枕元で目元を腫らして眠っている弟を、一番に目にしていた。


「ジョナサン…」


掠れた声で呟いて、リリアンはその癖っ毛なジョナサンの頭を優しく撫でていた。


目覚めたリリアンにまた一騒動あったのだが、彼女は徐々に回復に向かっていった。
そんなリリアンのもとに警察が訪れようとしていたところ、医者はドクターストップをかけた。
事件のことを尋ね、嫌な事柄を思い出させると、リリアンがパニックを引き起こしてしまうかもしれない。
本人から話してくれるまで待つべきだと主治医が告げると、警察は引き下がった。
勿論ジョージもジョナサンも、事件について触れないように注意されている。
しかしそんな大人達の心配を余所に、自力で起きられるようになったリリアンは、自ら淡々と詳細を語り始めた。


「では、どこかの貧民街(スラム)に連れ去られていたと…」

「はい。そこがどこだったのかは、はっきりとは分かりませんが。
ロンドンのスラムの一つだったと思います」

「ああ、そうだったのですか。
そこからよくぞ無事に…誘拐犯達はどうなったのか、聞いてもよろしいですか?」

「街でつかまって、どこかのスラムに連れていかれたあと…しばらくそこで一緒にいました。
あの人たちの目的はジョースター家からの身代金ではなく、私を誰かに売ることによって手にはいる報償金だと、会話を聞いていてその時わかりました。」

「なんと…人身売買の輩だったとは…」

「はい、身なりのいい女の子なら、誰でも良かったそうです。
そこで、私はあの人たちが油断している時をみはからって、そこから逃げました。
休まず逃げていたら、スラムの奥深くまで迷いこんでしまって…親切なかたに助けてもらいました」

「警察には…」

「一度行ってみたのですが…私はみすぼらしい姿をしていたので…相手にしてもらえませんでした」

「なんと…?!ど、どこの支部の輩でしょう?!」

「それはあまり気にしてませんし、別に良かったんです。
わたしはその時自分がどこにいるのか、ようやく場所を把握できたので、帰れることが分かりました。なので…」

「そ、それで自力で帰ってこられたと… その、貴族の装いではない者を無碍にした警官にはきっちりと指導致します」

「あ、それは本当にけっこうなので」

「お、お嬢様…感服致しますが、感心は致しませんぞ。
我々警察もさることながら、ご家族の方々や召使いも、それはそれはもう一刻も早くお嬢様の無事を確認したかったのです。…無茶をなさいすな」

「それは…すみません。
私、自分が情けなくて…まわりの方に助けを求めることよりもまず、早く帰らなければと、必死になっていました。」

「お嬢様…」


リリアンがそう言うものだから、警察は言葉をなくしてしまった。
あまりに強い彼女の意思に、それ以上の説得は逆効果だと思った。

その後、未だ本調子ではないリリアンは再び床につき、警察は彼女の証言をもとに捜査の幅をロンドンまで広めた。
しかし、犯人を見つけるまでには至らず、事件はそのまま終結を迎えることとなる。
ジョースタ一家としては納得出来ない結末となったが、被害者であるリリアンがこれ以上事を荒立てて欲しくないと希望したため、一連の騒動は終わりを告げた。






「リリアン…もう歩いても平気なのかい?」

「うん、心配ないよ」


事件以降、雰囲気や口調もカラッとしたものにかわってしまった姉に、ジョナサンは少し戸惑いつつも、以前と同じように接するようにしていた。
姉を思いやってのことだろうが、腫れ物を触るように慎重に接する父や召使い達に寂しそうな顔をするリリアンを、ジョナサンは見ていたのだ。


「もう、いいから僕に捕まってね」

「あ、ちょっと」


リリアンはリリアンだ。
けれども、それを分かっていてもジョナサンは姉が心配でたまらなかった。
ふとした拍子にまた拐われるのではないか、いなくなるのではないかという恐怖。抱き締めた時の線の細さに、感じた加護欲。
それは今まで頼り、甘えていた己自身を恥じる程であり、ジョナサンの中には、姉を守るという強い思いが芽生えていた。


「ありがとう、ジョジョ」

「お礼を言うほどのことじゃないだろ…っほら、いこう」


世界が色付き、時が動き出した。
ジョナサンは目が潤んでいるのを気取られないようにぷいと顔を背けながら、たった一人の姉が生きていてくれた事を改めて神に感謝した。





 

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