novel2 | ナノ





「私もンドゥールさんの事が好きですよ」

「………」


アキノの返答には、その声には、全くと言って良い程熱が籠っていなかった。

分かっていた。そう返されるだろう事は。
それを予測していながらも、告げたのだから。


「…俺が言った言葉を聞いていたか?流石に意味は分かっているよな…?」

「愛してる、大好きって意味ですよね?」


ンドゥールはきっちりと伝えていた。
「好きだ(I Love you)」と。
アキノから帰ってきたのも同じ言葉だ。

しかし、愛というものには種類があり、それには複数の意味がある。
恋しい人に対してだけで無く、家族や友、敬愛する主に対しても、その言葉は使われる。
アキノが毎日のように、主人の子息に伝えているように。
ンドゥールの告白も、そちらの意味で受け取られてしまったのだ。


「ンドゥールさんの事はlikeよりはloveの分類に入ると思ったので私も、と答えたのですが…もしかして私、単語の意味を間違えてますか?」

「いや…キミが真に愛する者はハルノ様達だけかと思っていたからな…意外だったんだ…」

「勿論姉と初流乃のことは愛しています。
でもンドゥールさんもDIO様も、テレンスさんやダニエルさんも、好き以上ですよ」

「…そう、か…」


アキノの中での一番大きな愛は、家族愛だ。
シオバナ親子を、彼女は心から愛している。
だから、その枠組みの中に自分が入っている事には、正直に言って嬉しかった。
少し前までの、名前の付けられない関係性にもやもやとしていた自分ならば、純粋に喜んでいただろう。


──しかし、今は違う。
ンドゥールが彼女から向けて欲しいのは、それでは無いのだ。


「…ダンやラバーソールやホル・ホース達の事はどう思っている?」

「えっと…何故急に、そんなことを…?」

「キミの好意の境界線に興味がある…知りたいんだ」

「好意の境界線…」


──ドイツのエーリッヒ・フロムという哲学者が、人間の不確かな“愛”という概念について書き記した書物がある。
以前誰かが朗読会でも開いていたのか、読み聞かせでもしていたのか、ンドゥールはその内容を聞き、覚えていた。
当時はその殆どの意味が分からなかったが、今なら分かる気がした。

『愛とは能動的な活動であり、受動的な感情ではない。
落ちることではなく“自ら踏みこむ”ものである。
愛は与えることであり、貰うことではない』

つまり愛とは相手を愛そうとして“自ら動き出す”という意思、行為、活動という意味であり。
好意とは相手を愛そうとして動く程のものではなく、ただそこにあるだけの感情。という意味だ。


「うーん…そうですね…ホル・ホースさんは好きです。ダンさんは…一応好きです。
ラバーソールさんは…あの方はダンさんより意地悪ですし…微妙な…嫌いでは無い、という感じですね。」

「…意外と厳しいんだな…では、グレーフライやデーボは?」

「お二人共あまり屋敷にいらっしゃらないのでよく分からないです。嫌いでは無いですけど」

「なるほど…ではアレッシーやJ・ガイルは?」

「アレッシーさんもあまり好きでは無いです…ちっちゃい子虐めるの大好きな方ですし初流乃とは合わせたく無いですし…。
あ、J・ガイルさんは論外です。
というか、ンドゥールさんやDIO様と比べる事すら無礼では…??」

「はは…そうか…」


シオバナ親子以外に向ける感情は皆殆ど同じものだと思っていたが、彼女なりの段階があるようだった。
てっきりダンも親愛の対象内に入っているかと思っていたのに、そうではなかったのが意外だと思った。
他の配下達の事も聞いてみたが、エンヤ等の女達も好意の枠内であるらしい。

だから、好意の上、つまり彼女の愛の対象は、先程彼女自身が述べた通り。
シオバナ親子、主人DIO、ダービー兄弟、そして、ンドゥール達だけ、という事だ。

ンドゥールに向けられる親愛は、確かなものだったのだ。
それが真実だと確信できる程には、彼女から多くのものを与えられていた。


──だがしかし、やはり、それでは、無いのだ。
それでは、足りないのだ。

それよりも、もっと強く激しい、“欲”を向けて欲しい。


「アキノ…」

「どうしたんですかンドゥールさん…?やっぱり先程から少し様子がおかしいですよ…?」

「そうだな…俺は…おかしくなってしまったようだ」


欲しい欲しいと、思わず手を伸ばしてしまいたくなる程に、その欲望がコントロール出来ない程に、衝動的で、情熱的で。
自分勝手で押し付けがましいその感情は、とても愛とは呼べない程に過激で、苛烈で。
ンドゥールがアキノに向けてしまった、抱いてしまった感情は、そういう仄暗いものだった。

だからンドゥールは敢えてもう一度、深く想いを込めて、同じ言葉を伝えた。


「俺はキミを愛しているよ…」


腕の中のアキノの鼓動が、また少し跳ねた。
告白してから今までずっと、彼女を抱きしめながら問答を繰り返していたのだが、遂に、居心地の悪そうに彼女が身動ぎした。

アキノは頭を撫でられる事が好きだ。だから、ンドゥールはいつもその頬や頭を撫でてきた。
それ以外でも些細な触れ合いはしてきたが、こうして身体を密着させた事は今回が初めてだった。
それでも彼女が抵抗しないのは、少し前まではダニエルによく膝上に抱き上げられていたからだろう。
彼を兄や父のように慕う彼女は、控えめにだが嬉しそうにしていた。
いつからか、ダニエルがアキノをレディとして扱い出してからは無くなったようだが、それは正解だとンドゥールは実感していた。


「あの…」

「アキノ…」


彼女の身体はどこもかしこも柔らかく、二つの膨らみが当たる感覚もしっかりと感じる。
成長途中の女の体だ。それに、主人によって暴かれたその体は、“女”に変えられた彼女は、もうただの小さな子供では無い。

瑞々しくしっとりした肌は、己の乾燥した肌に吸い付くようで。
緩くウェーブを描くふんわりとした彼女の髪からは、彼女自身の甘い香りがした。
ンドゥールはそれに引き寄せられるようにアキノの旋毛辺りに口付けながら、彼女を閉じ込める為の腕の力を、少し強めた。


「ンドゥールさ…一度離して貰っても良いですか…?」

「嫌だね」

「え」


今離せば、彼女はすぐに立ち去ってしまうだろう。
それでは駄目だ。
知って欲しかった。
自分がどれ程アキノを想っているのかを。
緊張で高鳴るこの心臓の鼓動の速さも、汗ばむ肌も、少し荒くなった呼吸からも、伝わって欲しかった。


「愛してる…」

「…っ、あ、の、」


彼女の耳を食めるような距離感で、言葉を告げる。
そのまま米神辺りにキスをすると、アキノの体温が上がった。


「…っ、ンドゥールさん…その、先程からのそれは、もしかして私の思っている意味と違ったり…しますか…?」

「…キミはどう思う?」

「…え…、……わ、わかりません…」

「…そうか…分かるように教えて欲しいか?」


アキノの頬を撫でながらそう問いかけると、彼女がこくりと生唾を飲み込んだ音が聞こえた。


「……は、はい…」

「そうだな…crushと言えば分かるか?
俺はキミに狂わされている、心が押しつぶされそうで、夢中になって、惚れ込んでいると…」

「それは…」


アキノの心臓がまた跳ねた。
crushとは物を押しつぶすという意味もあるが、ときめき、片想い、という意味でも使われる単語である。


「ンドゥールさんは私に…恋をしている、という事なんですか…?」

「ああ…そうだよ…キミが好きだ。愛している。
キミが既にDIO様のモノになったとしても…それでも…アキノが好きだ」

「──…」

「前にも言ったが、キミの音が好きだ。その音が観せる全てが好きだ。ずっと側に居て観ていたい…」

「……あ、そういう事でしたら…」

「違う。ハトホルの音だけじゃあ無い。ちゃんと聞いてくれ。」


ンドゥールが強い口調でそう言うと、アキノは腕の中で身を固くした。


「もしもスタンド能力が無くたって、キミは充分俺にとっては無くてはならない存在だ。
声も、喋り方も、香りも、足音も、アキノを構成する全てが、俺は好きだ…恋しく思っている。
だから側に居たい。居させて欲しいんだ…」

「……?側…に…?
え…?そ、れは…恋、なんですか?愛と、変わらない…のでは…」


そう尋ねてくるアキノの声は疑念に満ちていて、ンドゥールはやはりそこからか、と思った。


「…キミの知る愛と違う所があるとするならば…俺がキミを抱きたいと思っている事だろうな」

「抱………ンドゥールさんは…私とセックスがしたいと思いながら、私を愛しているんですか…?
それって、矛盾してませんか…?」

「矛盾…?」

「だって私、姉さんや初流乃とはそんなの考えられない…ですし…」

「…それは血の繋がった家族だからだろう…?テレンス達や俺とは考えられるか…?」

「………あまり考えたく無いです…」

「…、だが、同じように愛するDIO様とは出来るんだろう?」

「それは…私はDIO様を敬愛してはいますが、DIO様の方は私の事を特に何とも思われていないからでは…?
だから性欲処理に使われているのではと…」

「…そんなふうに思っていたのか…?」

「え…?」

「…本当に分からないんだな…」

「だ…だって…?え…?
男性は女性の身体を性欲処理に使うし、女性も男性の身体で性欲処理をしてますし…?
それは愛…?では無いのでは…??」


なんという事だろう。
アキノの中の恋愛観はンドゥールが思っていた以上に破綻していた。
しかし、それも仕方がない事なのかも知れない。
違う女を毎日毎晩抱く主人DIOと、男をとっかえひっかえする姉を見て育ったのだから、当然と言えば当然か。


「キミの父親や母親の事はどう思っていたんだ…?
性的な関係であっても、夫婦として、家族として愛しあっていたのだろう?」

「父と母はお見合いで…祖父母もお見合いです…」

「見合い…」

「子を作り家族を増やす為には生殖行動は必要ですし…子供が出来てから家族としての愛が生まれるのではと…?
姉さんとDIO様も、多少なりとは言え初流乃の事は愛してくれてますし…」

「……」


アキノの認知の歪み具合に、ンドゥールは溜め息を吐いた。
家族愛は理解出来ているのに、性欲が愛に結び付いていない。
その理由が何と無くは分かった。

両親や祖父母に恋のエピソードなど無く、姉は男遊びが激しく、身近な者でそれを教える者がいなかったのだろう。
家族愛だけを教わって育ち、出来上がったのが今の愛情深い彼女だ。


「…性欲と愛が両立しないとアキノが考えているのは分かった。
だが、キミも知るように、世の中には色んな癖を持った人間がいるし、人の数だけ人の愛し方がある。」


所謂普通の恋愛というものを、アキノは本当に知らないのだろう。
シオバナ親子に関係の無い事柄には興味関心を持たない事に加えて、屋敷での糧の女達の扱いを目にしてきたのだから、知識が拗れもするだろう。
彼女自身の能力も相俟って、それを知る機会はついに訪れないままに時が過ぎ、そして、主人と肉体関係を持つに至ってしまった。

しかし、まだ、彼女はたった13歳の少女だ。
今までそう育ったが故に手遅れかも知れないが、これから先の時間で多少変えられる事もある。
軌道修正には遅いかも知れないが、それでも、彼女は今ここで知るべきだと思った。
愛の形を、種類を。


「キミはあらゆる事に寛容だし、その視野は広い筈だ。
だから、俺の気持ちを否定しないでくれ」

「そ、れは…」

「大切で、愛おしくて、ずっと側に居たくて──だからこそ、心だけでなく身体も交えたいという想いを抱く事もあるんだ」

「……」


ンドゥールとて碌な経験がある訳でも無いし、愛だの恋だのをこれ程何度も口にするとは思ってもいなかったが、人生は何が起こるか分からない。
人の性根は簡単に変えられないが、人は人によって影響を受けて、ゆっくりと変わっていく事も出来る。
ンドゥールが主人DIOによって人生を救われ、引き上げられたように。
その先でアキノと出会って今まで知らなかった数多くの物と感情を知れたように。

一人では変えられないものが、人との出会いで変えられて行けるように。


「俺はキミに口付けたいし、もっと触れたいと思っている…キミを愛しいと想いながら、内心でキミの身体を暴く事も考えている…」

「……っ」

「性的な感情の中にも、愛情はある。それは両立するんだ。
それを性愛…ギリシャ語では、エロスと言う。」

「…え、えろす」

「性愛、愛欲という意味だ…」

「愛欲…」


アキノが戸惑っている。動揺しているのか、鼓動がどくどくと早まっている。
体温が高くなり、じっとりと、触れ合う箇所から彼女が汗をかいている事が分かる。


「愛している相手とセックスがしたい?なんて…じゃあ…複数の人と性行為をしているDIO様達は、相手を愛しながら抱いているんですか…?」

「それは違うだろうな。」

「ですよね…??」

「…だがきっと、DIO様がキミを抱く時、そこに性欲以外の感情がある筈だ」


性欲処理と、感情の伴った性行為は別物だ。
ただ、男は貯まりやすく、発散の対象を求める。そこに愛は無くても可能なのは確かだ。
そうでなければ娼婦という仕事は生まれていない。

だが、主人がアキノに何の情も持っていなければ、彼女が今こうして無事でいる筈が無いのも確かだと思った。


「そうでなければ、自ら隷属した立場のキミを…昨日よりも、もっと手酷く扱われる筈だ…糧となる女達のように」

「………昨日…、も…聞いてたんですね…」

「ああ……すまないな…意図せずとも、俺には聞こえてしまうからな…」

「…いえ」


アキノは沈黙して、少し考え込んでしまった。
何か思い当たる事でもあったのかも知れない。


「…確かに…DIO様は私に情けをかけて下さっています…。
でもそれは、スタンド使いであり、部下であるからであり、契約があるからでしょう…。
それ以上は…私にはよく分かりません…」

「…そうか…実際に抱かれているキミがそう思うのなら、そうなのかも知れないが…俺もDIO様の事は図り知れないからな…」

「そうですね…」

「…だから、アキノ、今は俺の感情と俺の考えを、それを、聞いて欲しい」

「……」


腕の中で、アキノが身を固くした。
少し、震えているようだった。


「俺は好いた相手としかしたくない。するならキミとしたい」

「し、たい…って…」

「先程から言っているように、俺はキミが好きだ、恋をしている…アキノを抱きたいと、思っている」

「…そんなこと、言われても…」


アキノの息が乱れだした。
落ち着けるようにその背を撫でると、肩がぴくりと跳ねた。


「俺にこうされるのは、嫌か?」

「撫でられるのは…好きですけど…それなら…っあ、頭を、撫でて欲しい、です…」

「そうか…」


アキノはついに、泣き出しそうな声でそう言った。
彼女のそんな声色は聴いた事がなかった。だから、それが彼女の本音だという事が、よく分かった。

ふわふわした髪を手櫛で梳いてからいつものように撫でると、彼女はほっと小さく息を吐いた。
それでも、警戒からか体に力が入ったままだ。


「…俺を嫌いになったか?キミを女として好きだという俺を、どう思った…?」

「…き、嫌いになんて、なりません…ただ…」

「ただ?」

「私から、ンドゥールさんとそういう行為がしたい、と思った事も、思う事もありません…。」

「……」


きっぱりと、そう言われた。告げられた。
ショックだったが、そう返されるのもまた、分かっていた事だった。


「DIO様とのお相手ですら、私から求めた事はありません…。
でもこの身を献上したのは私なので、DIO様が私をどう扱うかはDIO様の好きにしてもらって構わないんです…。
でも、他の方とは…ンドゥールさんとも、出来ません。する理由が無ければ…私は出来ないです…」

「……なるほどな…」


ンドゥールは納得した。
アキノの貞操観念は皆無だと思っていたが、どうやら少しは、あったようだ。


「キミが俺としたくないのは、キミが俺の事を好きでは無いからだろう」

「…え、な、なんで、そうなるんですか?
ンドゥールさんの事は好きです。でも、そういう事が、したくないだけで…」

「…好意を否定している訳じゃあない。
性愛がない、つまり、キミは俺に恋をしていない、と言う事だ」

「恋…」

「…分からないか?
キミが俺としたくないと思っているのは、それが理由だ。」


好意と恋は違う。
アキノはンドゥールに好意を持ってはいるが、身を焦がすような恋はしていない。
だから、性的な事がしたくない。忌避感がある。
恋した相手としかキスもセックスもしたくないという、普通の街娘のような感覚が、彼女にもあるのだ。

主人DIOとなら性行為が出来るのは、アキノにとって利益があるからだろう。
「理由が無ければ出来ない」という言葉から、その理由が無ければ主人にも彼女は身体を許さないのだろうと、ンドゥールは思った。
アキノにとって身体を明け渡す事はちゃんと大層な事なのだ。
その気が無いンドゥールとは出来ないと、きっぱりと言えるくらいには。


「キミは今まで、一度も恋をした事がないんだな」

「…私、は……一度も…、誰にも…そんなふうには…」


恋を知る前に肉体関係を知ってしまった哀れな少女は、ンドゥールの腕の中で身を縮めたまま、混乱しているようだった。
やがて考えが纏まったのか、少し呼吸を落ち着けた彼女が、ぽつぽつと言葉を発する。


「私は…誰にも恋してません…。
ンドゥールさんも、テレンスさんにもダニエルさんにもDIO様にも…」

「そうか…」


アキノはようやく、恋というものが何かを理解した出来たようだ。
ンドゥールが言葉を尽くして多くを語ったのは、それを知って欲しかったからだ。
主人と肉体関係を持った後にそれを分からせるのは彼女にとってマイナスになるかも知れない。
実に今更で、ただただ彼女を追い詰めるだけかも知れない。

それでも伝えたのは、ンドゥールの気持ちがどういったものなのかを理解して欲しかったからだ。


「ごめんなさい…」

「……いや、良いんだ…ただ、もう少しこうさせてくれるか?」

「はい…」


ンドゥールがそう言うと、腕の中のアキノがおずおずと背中に手を回して、抱擁してくれた。
小さな手と細い腕から伝わる温もりに、ンドゥールの目頭が何故か熱くなって、それを誤魔化すように、彼女を強く強く、どこへも行かないように、抱きしめた。




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