novel2 | ナノ
 





「秋希乃、誕生日おめでとう」

「えっ…ありがとう、ございます?」

「ふふ、ごめんね、お姉さんから聞いたんだよ。今日が君の誕生日だって」

「びっくりしました」


ジョースターの末裔探しが一段落してから、秋希乃は放課後に花京院と待ち合わせ、共に初流乃を園まで迎えに行くようになっていた。
そんなある日に花京院から言われた言葉に、秋希乃は動揺していた。

9月30日。それは暫くの間当日に祝われていなかった自分の誕生日だった。
いつもはエジプトから日本に帰国する前の8月末に姉達から前祝いをされていたので、最近は本当の誕生日を忘れていたくらいである。
今朝二人から祝いの言葉を貰い、ようやく思い出した程だった。
なので秋希乃は、花京院からその言葉が聞けるとは思っていなかった。


「これ…良かったら貰って欲しい」

「え…わ…プレゼントまで…?」

「ああ、気に入って貰えるかは分からないが…」

「お気持ちだけでも充分嬉しいです…」


秋希乃は本当に驚いていた。
この3年間、秋希乃は日本で自分の誕生日を祝って貰える程の人間関係を築いていなかった。
いつもエジプトに想いを馳せていたというのも理由だったが、秋希乃にとって中学校という場はスタンド能力の実験場だった。
小学生時代からの友人は居たけれど、そんな彼等とも会話をしていない。それどころか能力を行使して一切の会話を放棄し、記憶も消し続けている。

秋希乃は脳に関係するあらゆる事柄を独学で学び、時には理科の教師に詳しい話を聞きつつ、様々な脳神経について勉強していた。
特に記憶に関する重要な器官である海馬の事は念入りに学んでいたので、能力が完成に至ったのだと考えられる。
他にも視覚形成の中心である後頭葉について見識を深めつつ、視覚を含む聴覚、触覚、味覚、嗅覚などの五感に始まり、痛覚、平衡感覚などの人間の感覚機能の実験も行っていた。
つまり、同級生達はモルモットだった。
命に関わらない程度の能力しか使っていないので死人は出ていないけれど、秋希乃は彼等をそう扱っていた。
下手に人死にが出ればSPW財団に目を付けられてしまうかもしれない。
だから、周囲からすれば何も起こっていないのと同じように、決して彼等を傷付けも殺しもしていなかった。

つまり秋希乃は、この3年間人間関係を築くどころか破壊し続けていた日本において、誕生日を祝われる事などあり得なかった。
だから、花京院から祝福されるなんて、全く予想していなかったし、心の準備もしていなかったのである。


「えっと…今開けてみても?」

「ああ…ただ、その…僕は家族以外の女性にプレゼントを初めて送るから、品物のチョイスにはあんまり自信が無いんだ…」

「そんな…典明くんからのプレゼントなら、何でも嬉しいです」


公園のベンチに座り、秋希乃は包装用紙を破かないように少しずつプレゼントの包みを開けた。
その中には小さなイヤリングが入っていた。
緑の房に赤い果実が二つ実るそれは、花京院の好きな果実だ。


「さくらんぼのイヤリング…」

「君が耳に装飾品を着けているのを見た事が無かったし、ピアスホールもなかったから迷ったんだが…どうだろうか」

「嬉しいです…小さくてとてもかわいい…」

「そ、そうかい?本当は、君にも僕のと同じくらいのサイズの物を買おうと思ったんだが、初めて着けるなら負担の少ない物をと思ってね」

「色々と考えて頂いてたんですね…ありがとうございます」


花京院は実物大程の大きさのチェリーのピアスをしていた。
彼の耳元で揺れるそれは大粒の為目立つが、色素の薄い彼の目と髪にとても似合っている。


「イヤリングは何度か失くしてからはあまり着けなくなってしまって…ピアスの穴を空けようかなとは思っていましたが、先延ばしになっていたんです」

「そうか…それを購入した店に持っていけば、イヤリングからピアスに部品を交換する事も出来るんだ。
もしピアスに替えたければ、いつでも言っておくれ。何なら、今からでも」

「いえ!折角なので、このまま着けてみますね」


秋希乃は袋からイヤリングを取り出して、まじまじと見つめた。
よく見ると細部まで細かい作りになっていて、果実に当たる所には宝石のような小さな石が使われているようだった。
チェリーの形のアクセサリーなのに上品に見えるので、秋希乃は結構お高い物だと察した。
これは失くさないように気をつけなければと思いつつ、早速耳に取りつけようとする。
しかし、イヤリングを着けるのが久しぶりの為、なかなか上手くいかない。


「良ければ僕が着けようか?」

「え、あ、お願いします…」


花京院の大きな手が、小さく繊細な作りの金属部分を持ち、ネジを緩める。
彼の顔が近付き、そっと耳たぶの辺りに伸ばされた手が頬にも触れる。
花京院がイヤリングを取り付け易いようにと、秋希乃は動かないようにじっとしていた。
すると、いつの間にかお互いの息遣いまで感じる程に、距離が近くなっていた。


「……」

「あれ、意外と難しいな…」


花京院が少し焦っている。彼は普段からピアスをつけているので、イヤリングの扱いに不慣れなのかも知れない。

秋希乃はそんな彼の顔を至近距離で見ていた。
額に突き刺さる肉の芽を、見ていた。
それは大脳、前頭葉を超え、脳梁、間脳、大脳辺縁系、脳幹近くまで突き刺さっている。
無闇に取ろうとすれば肉の芽は反応する。
発狂して額を掻きむしった者が、その芽から飛び出した触手に眼球を貫かれたのを秋希乃は見た事があった。

──肉の芽を埋め込まれ、DIOに無理矢理忠誠を誓わされた後の花京院しか秋希乃は知らない。
けれど、そんな今の彼の全てが嘘偽りだとはもう思ってはいなかった。
おそらく、花京院は正気を取り戻しかけている。
その原因はもしかしたら自分のハトホル神の能力なのかもしれないと、秋希乃は最近思い始めていた。


「…よし、出来た。反対側も僕がつけても良いかい?」

「はい…」


秋希乃は元々、無意識にスタンド能力を使えていた人間だ。
意識的に特に強い効力を発揮出来るのが守りに特化した目眩しと記憶操作の為の音波なだけであって、微弱な効果を持つ音波は無意識下でも出している。
──という事を昔、耳の良いDIOとンドゥールに指摘されて知った。
どうも彼等には、秋希乃が歩いたり身じろぎする度に何かしらの音が聞こえていたらしい。
そんな効果音のようなものが自分から出ていると初めて知った時は恥ずかしく思い、以降彼等の前では意識的に音波を消すよう心がけていた。
他にも耳の良いジョンガリやペットショップが仲間に加わった事で、彼等にも不快な思いをさせる訳にはいかないと、エジプトでは極力能力を抑えて生活していたくらいだ。

しかし、秋希乃は日本での日常生活ではその気遣いを辞めていた。
ここには彼等が居ないし、本体である秋希乃の耳にすら聞こえていないので、誰にも何の支障も無い。
それどころか、無意識下の微弱な音波ならば自分に優位に働く筈だと考えていた。
ただ、耳の良い動物達には有害だったようだ。
日本に帰国後、道端で蝙蝠や鳥が死んでいるのをよく見かけるようになった。
水族館に行った際も海豚が飼育員の言う事を全く聞かず、イルカショーは破綻していた。
暴走する海豚達を見て初流乃がきゃっきゃと楽しそうに見ていた。
ハトホル神が鳴らす音は普通の人間には決して聞こえない音域の周波数だが、彼等からすれば秋希乃は騒音機のような存在なのかもしれない。
それに関しては特に何も思わなかったが、意図しない人間に思わぬ影響が出れば話は変わる。

この約一か月の間、秋希乃は初流乃を連れている時は特に念入りに意識的に音波を放っていた。そしてそこには大体いつも花京院が一緒に居た。
つまり秋希乃は、意識的な音波と無意識下の音波を彼にも浴びせていた事になる。
それが花京院の脳に影響を与えてしまったのかもしれない。──否、脳を守っていたのかもしれない。
DIOの刺した肉の芽から花京院の脳を、秋希乃は保護してしまったのだ。
意識して彼を見てみると、それがよく分かった。

同じ中学校の生徒達にはそのような守りの効果見られなかったのは、彼等が特に誰からも害されていなかった為だろう。
平和な日本で事件はそうそう起きないし、起きるとしたら事故くらいだ。
けれども花京院は違う。
彼は常に24時間、額に突き刺さる異物から信号が送られている。──それは花京院にとって有害だった。


「ふう…出来た。ごめんよ、僕が着けると言っておきながらあまりスムーズに着けられなくて…痛くないかい?」

「はい、全然痛くありません」


花京院の身体が離れる。
秋希乃をまっすぐ見つめてくる彼の瞳は穏やかだった。

秋希乃はどうやら、花京院を身内認定してしまったらしい。
それはつまり、彼は初流乃や姉と同じような保護対象となったという事だ。
本体のハトホル神の音波が届く範囲に居る限り、彼は凡ゆる危険からオートで守られる。
勿論秋希乃が離れればその加護は無くなるけれど──


「…典明くん、ありがとうございます」

「とてもよく似合ってるよ」

「ほんとですか?鏡で見てみますね」


秋希乃は彼から視線を外し、ポーチから手鏡を取り出して、イヤリングを見た。
小粒のそれは秋希乃の耳や顔によく馴染み、着けている違和感も全く無かった。


「わぁ…」

「かわいいね…」

「はい、すごくかわいいです…素敵なプレゼントありがとうございます」


花京院の表情が嬉しそうに綻ぶ。その顔を見て、秋希乃も自然に微笑んでいた。
同じさくらんぼの装飾品を耳に付けただけなのに、少し気持ちが明るくなった。
今度姉や初流乃ともお揃いで何か買おうと考えつつ、秋希乃はイヤリングを指で触った。


「大事にしますね」

「そうか…気に入って貰えて、本当に良かったよ」


花京院はほっとしたようだった。少し照れたように頬をかいている。
それを見た秋希乃は、何故か急に、彼にとても悪い事をしている気分になった。
花京院からのプレゼントに素直に喜んでしまったが、本来なら自分は彼から贈り物をされるような立場では無い。

いくら秋希乃が肉の芽からの洗脳を弱くして、脳への影響を減らして、花京院の寿命を先延ばしたとしても、彼の生命を握っているのは主人DIOだ。
この先花京院に待つのは永遠に洗脳された日々か、それとも、死による解放か。
秋希乃はその行く末を見守る事くらいしか出来ない。
肉の芽を取るようにDIOに懇願する事も、出来ない──しては、いけない。
秋希乃はDIOの部下という立場から抜け出せない。抜け出そうという気は、なかった。

ジョースターの件が落ち着けば、皆の記憶をある程度は戻す事になるだろう。
この先もずっと、DIOに仕え続けて姉と初流乃の身の安全を確保し続けなければならない。それに対しての不満は、ない。
だから秋希乃は、花京院の事をこれ以上どうする事も出来ない──それは、彼を見殺しにしようとしているのと同じだった。

なのに秋希乃は、花京院の善意に甘えている。
初流乃を任せられる存在だという事もあるが、彼が側に居ると色んな意味でほっとする。
けれど、これ以上距離を縮めるべきではない。
花京院にとって秋希乃は脳を保護する人間となれるが、秋希乃にとって花京院は罪悪感を刺激する人間にしかなれない。
彼に懐いた初流乃も、やがて花京院が脳を食い破られて死んでしまうと知れば悲しむだろう。

彼と距離を取るべきかも知れない、秋希乃はそう考え始めていた。


「じゃあ、初流乃くんを迎えに行こうか」

「…はい」

「そうだ、秋希乃さえ良ければ、今日もまたこのまま汐華の家にお邪魔しても良いかな?」

「え?はい…構いませんけれど…」


反射的に肯定してしまい、秋希乃は内心焦りつつ、どうしたんだろうと首を傾げた。


「良かった」

「…?」

「あ、いや…その…また一緒にゲームしないかい?」

「はい。そういえばこの間は勝負の途中で姉さんが帰ってきて中断しましたよね」

「そうだね」


またYESと返事をしてしまったと思いつつ、秋希乃は花京院と談笑しながら保育園までの道のりを歩いた。

その後、初流乃と共に汐華家に帰ると、珍しく家に居た姉がバースデーケーキを用意してくれていた。
秋希乃は驚いたが、花京院は事前に姉から誕生日会をする事を聞いていたようだ。
初流乃も知らなかったらしく、大きなケーキに興奮していた。
一度それを目にしてしまった初流乃は、その誘惑に耐えられなくなってしまったらしく、夕食後まで待てないと訴えた。
ついには床にひっくり返ってケーキが食べたいと連呼する初流乃に折れて、夕飯前だったが急遽誕生日パーティをする事になった。

取り皿とフォークを4人分食器棚から取り出し、並べていく。ケーキの周りに揃えた食器と、それを囲む家族。
暫く見なかった懐かしい光景に、秋希乃は胸が暖かくなった。
けれども姉が「年齢分ローソク刺すわよ」と言って、14本ものロウソクをケーキに刺していきなり火を付けたので、秋希乃は慌てた。
溶けた蝋がケーキに垂れてしまうと思い、焦って息を吹きかける。
途中で初流乃が「ぼくも消す!」と参戦してきたが、結局ケーキに少し垂れてしまった。
少し冷ましてからロウソクを抜き取ると綺麗に取れたのでほっとした。

ケーキを切り、初流乃に多めに取り分けると姉には見咎められたが、秋希乃は目をキラキラさせる初流乃を見れただけで胸がいっぱいだった。
コーヒーを淹れ、初流乃には牛乳を注ぎながら、遅めのティータイムを皆で楽しんだ。


「秋希乃、それあの子とお揃い?あんたらついに付き合ったの?」

「そ、んなんじゃ無いよ…典明くんはさくらんぼが好きなの。
アクセサリーもこれしか目に入らなかったんじゃないかな…」

「ふーん?」


姉がそのような事柄で揶揄ってくるのは初めてだったので、秋希乃は少し狼狽えてしまった。
初流乃と話す花京院にバレないよう小声で話し、秋希乃は飲み物のおかわりを用意した。


ささやかなパーティーが終わったその後、初流乃はケーキだけでお腹が膨れたのか、眠ってしまった。
暫く3人で世間話をしていると、姉が花京院に今晩泊まるように勧め出した。
秋希乃は驚いて止めたし花京院も遠慮したが、姉が半ば強引に引き止めてしまった。


「でも、着替えとか…」

「父さんのを貸せば良いじゃない。まだ捨ててなかったでしょ?」

「えぇ…あるけど典明くんに悪いよ…」

「僕は構いませんよ。寝巻きを貸して頂けるならありがたいです。
下着は…流石に遠慮しますが…手洗いして干させて貰っても良いですか?」

「どーぞ、明日の朝には乾くでしょ」

「姉さん…」


その後、花京院から順番に風呂に入っていると、初流乃が目を覚ました。
姉が入り終わってから秋希乃が初流乃と風呂に入ると、夕方頃にケーキしか食べていなかったせいか、小腹が空いてきた。
花京院もそうだったようで、また皆でテーブルを囲んで姉が用意してくれていた夕食を軽めに食べてから、お開きとなった。


花京院は父の部屋で泊まってもらった。
秋希乃は何となく、彼が汐華家に泊まる事にそわそわしていた。
エジプトでは誰が出入りしようが寝泊まりしてようが特に違和感など無かったし、ビジネスホテルで共に泊まっていた時も特に何とも思わなかった。
なのに何故今はこんなにも落ち着かないのだろうと疑問に思いつつも、秋希乃は眠りに落ちていった。










「──おはよう、秋希乃」

「おはようございます…典明くん」


身支度を軽く整えた後、花京院と朝の挨拶をし、秋希乃は初流乃と姉を起こしにいった。
朝食を作ろうとすると、花京院が手伝いを申し出てくれたが、客人なのでソファーで寛いでいて欲しいと伝えて座ってもらった。


「典明くんはご飯とパンどちらが良いですか?」

「僕は…ご飯でお願いできるかい?」

「分かりました」

「ぼくはパン!」

「私もパン」

「はーい、ちょっと待ってね」


初流乃も姉もパン派なのでいつもならご飯を炊いていない。けれど昨晩はケーキを食べていたし夜は軽めにしていたので、秋希乃はご飯の気分だった。
花京院も朝はご飯派だったので、炊いておいて正解だったようだ。
おかずは簡単に生卵とハムを一緒に焼き、とソーセージとブロッコリーを炒めたものだ。
パンとご飯どちらでも合うだろうと思って、秋希乃はささっと作って皿に盛った。


「運ぶのくらい手伝うよ」

「ぼくもする!」

「はるくんゆっくり運んでね。ごめんなさい典明くん、はるくんと一緒に運んで貰っても良いですか?」

「ああ」


落とさないよう花京院に見守られ、初流乃が朝食をテーブルへと運んでいき、姉が受け取って配膳されていく。
箸やフォークも出して並べてくれている間に、焼き上がったトーストと器に盛ったご飯を皆がそれぞれ持っていってくれた。


「いただきます」

「いただきまーす!」

「頂きます…ん、美味しいよ秋希乃」

「焼いただけですが、そう言って頂けると嬉しいです」

「秋希乃、コショウ取って。あんたの目の前にあるわ」

「はーい」


10月1日。
あまりにも穏やかな誕生日の翌日に、秋希乃はテーブルに集う皆を見つめ、コーヒーを飲みながらほうと息を吐いた。
厳しかった暑さが無くなり、窓からは秋風が吹いていた。
残暑はまだ続くだろうけれど、次第に過ごしやすい秋の季節になっていく。
こんな日々が続けば良いのにと思って、秋希乃は緩く目を細めた。











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