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まだ新品の香りのする深緑のジャケットを羽織る。少しだけサイズの大きなそれは自分が一回り成長したかのような錯覚を覚えさせた。胸元には赤地に白のストライプが入ったリボンが主張している。
「……変じゃない、かな」
無事に中学を卒業し、そして高校に入ることが決まった少女は、鏡に映る自分の姿を見て小さく呟いた。チェック柄のスカートのプリーツが膝よりも少し上の丈で揺れた。どこか変なところはないだろうか、と何度も鏡を見て確かめる彼女に、母親からの声が飛んだ。
「はやく行かないと遅れるわよー」
それに返事をした彼女は鞄を持つと階段を駆け下りて行った。
「高校入ってもクラス一緒だなんて!」
「やったねー!」
入学式終わりの教室で、数人の女子生徒たちがそう笑い合っているのが聞こえてきた。比較的後ろの、窓際の席に座る。目立ちそうにない良い席だ、と金城真咲は安堵の表情を浮かべた。中学時代の同級生は何人かいるが、そもそも仲の良い方ではなかったし、お互い気にも留めていない。ポケットで震えた携帯電話に手を伸ばすと、一件のメールが届いていた。
「お兄ちゃんだ…」
入学式はどうだったか、という内容の短い文ではあったがそれが彼女にとっては嬉しいものであった。
「無事に終わったよ、と」
メールを返信したことを確かめると、彼女は窓の外へと目をやった。周りでは早速仲良くなった生徒同士が連絡先を交換し、どの部活に入ろうかな、と雑談に花を咲かせている。そこに入らない、否、入れないことは自分が一番よくわかっている。
「あ、あの、」
彼女自身近寄りがたい雰囲気を放っている為、こうして話しかけてくる人間も限られてくる。彼女は緩慢な仕草でその声の持ち主に目をやった。意外や意外、その人物は男子生徒であった。大きな丸いフレームの眼鏡が特徴的である。その奥ではきらきらした大きな瞳がこちらを見ていた。
「…な、なんですか」
思わず声が裏返ってしまいそうになった。目の前の彼はおどおどしながらも言葉を続ける。
「あっ、えっと、そ、それ」
すっと彼の手が指し示す先には、自分の携帯があった。
「も、もしかして、そのアニメ好きなんですか・・?」
たまたまつけていたアニメキャラのストラップが気になったらしい。これは確かなんとなくかわいいと思って買ったものだ。
「あ、これ…」
「わー!すみません!きゅ、急に!」
言葉に詰まった真咲をみて、その男子生徒はわたわたと慌てて頭を下げた。
「あ、いえ…」
申し訳なさそうにしている男子生徒を見ているとこっちが何か悪いことをしてしまっている気になった。
「こ、これは…その、なんとなく、買ったもので」
アニメ自体はあまり詳しくない、と呟くと、彼はわずかだがしょんぼりと肩を落とした。
「そ、そうでしたか…!」
「…これ、良かったら、」
あげますよ、と真咲は携帯からストラップを外すと、男子生徒に差し出す。すると彼はワンテンポ置いて、また慌てたようにせわしなく動き始めた。
「い、いや!いただけません!だってそれシークレットレアのやつですよ!」
「…でも、きっと私が持ってるより、あなたが持ってた方が、」
きっとこのキャラも喜ぶんじゃないか、と彼女は思った。きっと作品を愛している人のもとにあった方がいいだろうと思ってのことだった。それに、彼の眼はそのストラップをしっかりと捉えているのだ。
「い、いいいいんですか…!」
「新品じゃなくても、よければ、」
ぼそぼそとしゃべる自分の態度をいぶかしく思うでもなく、彼はとても嬉しそうに笑った。そしてありがとうございます!と頭を下げたのであった。
「ぼ、ぼく、小野田坂道って言います!」
「……金城、真咲、です」
坂道、なんとも兄が喜びそうな名前だな、と真咲はぼんやり思った。よろしくお願いします!とまた笑った彼は、一体いつまで私に話しかけてくるだろうか。無言で頭を下げると、彼はご機嫌な様子で自分の席へ戻って行った。
「入学して間もないが、さっそく部活動の見学期間が明日から始まるぞ!各自しっかりと見学して入りたい部活決めておけよー」
帰りのHRの終わりで担任がそう声を張った。野球部のマネージャーに行こうかな、とか、俺はサッカー部でレギュラー取るぜ!なんて声が聞こえてくる。
ざわめく教室をすり抜けるかのように、鞄を抱えて真咲は廊下へ出た。
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