鳥と男
今日も今日とて、モビーディックは海をゆく。
ギュ、ギュ、と雪を踏みしめる音が大きく聞こえる。
朝日に照らされて、降り積もった雪がきらきらと輝いてみえた。
コートを着てマフラーを巻き、手袋と耳当てを装備した彼女に死角はない。
それでも鼻の頭を赤くした彼女は、欄干に寄りかかって真っ青な海を見つめた。
甲板の片隅では、昨日エースが作った"オヤジ雪だるま"がその形を崩さずにいる。
どすり、と背中に衝撃を感じて振り向けば、そこにはぶんぶんと尻尾を振るステファンがいた。
「どうしたの、ステファン」
しゃがみこんで、頭を撫でてやる。尻尾が更に左右に振れ、ちぎれてしまうんじゃないかとこっちが不安になった。
「ウワァ!」
どて、と派手な音。エースが滑って転んだ音だった。ステファンがここぞとばかりに彼に走りより、その頬をべろりと舐める。ステファンにとって、エースは湯たんぽのような存在なのだろう。
「くすぐってぇ、」
けらけらと笑いながらステファンと戯れる。
「………ふふ」
無邪気な笑顔。一緒に過ごしていたころ、彼はあまり笑わなかった。でも今はこうして笑っている。それが嬉しかった。
「おーい名前、あんまり外に出てると風邪治んねぇぞ」
「はーい、」
雪掻きに励んでいるナミュールからの言葉に、そう返事をした。
それでもなんとなく外に居たくて、そのまま雪掻きの様子を眺める。
「名前」
「ビスタさん」
「ナースたちが呼んでいたぞ。昼に薬を飲まなかっただろう?」
しまったという表情をした彼女を見て、ビスタは苦笑する。
「忘れてました…」
「…ここ3日、時間が空くと甲板にいるのには何か理由があるのか?」
そう尋ねると、彼女は真っ直ぐに海を見つめた。
「……ここ何日か、マルコさんを見てないんです。…甲板にいれば、会えるかなって思ってるんですけど」
一瞬驚いたような表情を浮かべたが、それはすぐに笑みに変わる。
「なんだ誰も教えてやらなかったのか。マルコは今偵察でこの船には居ないぞ」
「えっ」
「はははは、」
心底面白そうに笑う彼を見て、恥ずかしくなる。
「マルコの奴、喜ぶだろうよ」
顔が熱い。それを隠そうと俯いているとビスタの大きな手が頭に置かれた。
「とりあえず薬は飲んでこい」
「……はい」
船内に戻ろうと踵を返した時だ。バサリ、と大きな羽音が聞こえた。
それにつられるように上を見ると、灰色の空に青が見えた。
「綺麗……」
船の上空を旋回しているその大きな鳥。
それにはどこか見覚えがあった。こんな綺麗な鳥ならば、一度見たら忘れられるはずがないというのに。
ビスタもまたその鳥を見上げていた。
「……不死鳥……」
その言葉は自然に出てきた。
「………不死鳥、マルコ……?」
そう言ってから、ハッとした。
もしかして、あの鳥は彼なのではないかと。知っているであろうビスタを見れば、彼はびっくりしたような顔でこちらを見ていた。
旋回していた鳥は、急激に高度を落とす。
「風邪は治ったのかい?」
気が付けば鳥は姿を消し、代わりにマルコが目の前に立っていた。
「あっ、え……」
ぽかんとした顔で彼を見れば、後ろのビスタが大声で笑う。
「マルコ、早かったじゃないか」
「まぁねい」
首を鳴らした彼は、オヤジに報告にいってくるよい、と背中を向けた。
「あっ、あの」
「なんだい?」
思わず声をかけてしまったが、どうしよう。マルコは目を泳がせている彼女を不思議そうに見つめた。
「…お、おかえりなさい!」
そう言えば、目の前の彼はにへらと笑った。
「あぁ、ただいま」
とても嬉しそうに笑うものだから、何故だかこちらまで嬉しくなった。
「名前ー!!」
船内から、レオナの声がする。
その声には怒りが含まれているような気がした。
「あ……」
薬のことを忘れていた。
「早く来なさい、名前ー!」
「いっ、今行きます…っ!!」
大きな声でそう応えると、彼女は慌てて船内へ向かっていった。
「マルコ、何かいいことでもあったか?」
報告が済んだところで、白ひげは息子に尋ねた。
「……名前が、」
「?」
「おかえり、だってよい」
「グララララ!そりゃいいことだな!」
目の前でだらしなくにやける息子を見て、彼もまた盛大に笑った。
20130222