兄
「はぁ?!姉ちゃんをサッチに預けた?!」
早朝、エースの声が甲板に響いた。
「ああ、」
「おま、だって、そりゃ、あぶねえ!」
エースの足元には作りかけの雪だるまが転がっている。
イゾウはゆったりと煙草を燻らせた。
「まぁ、サッチは絶対手を出さねぇからなぁ」
サッチと名前は、まだ眠っていた。
彼が女となにもせずに一晩眠るのは、正直言って珍しい。彼は女が好きだったし、セックスも好きだ。
名前の年齢なら十分それが行える。
それでも、彼がなにもしないのは"妹"と言う認識が強すぎるからだ。
女としての名前よりも、妹としての名前の方が、彼にとっては大切なのだ。故に、彼女相手に欲望が募ることは無い。おそらく裸で来られたとしても、彼は名前を抱くことはないだろう。
そのことを知っていたイゾウは、彼に名前を託したのだ。
「いや、そうかもしんねーけど、他にマルコとか…」
「マルコは…まぁ、居なかっただろ?お前はお前でなかなか起きなかっただろうねェ」
だから、サッチで良かったのさとイゾウは笑った。
「もし姉ちゃんに何かあったらどうすんだよー……」
「はは、心配なら見てきたらいい」
「それはやだ!!」
何かあったら俺が立ち直れねぇ、とエースが唇を尖らせた。
「ん………」
暖かさを通り越すような暑さを覚えた彼女は、その目を覚ました。
ぐわんぐわんと揺れる頭は、恐らく風邪のせいだ。
「……あれ…?」
医務室の、あの薬のような匂いがしない。シーツも、医務室のものとは違う匂いがする。
頭上から、微かに寝息が聞こえてきた。
確か、夜中に目が覚めて急な不安に襲われた。誰かに会いたくて、医務室を抜け出して船内を歩き回った。
甲板に出たところでイゾウさんに会って……それからサッチさんの部屋に連れられて……
名前ははっとした。
ひとりきりはいやだと駄々をこねて、結局サッチのベッドに転がり込んでしまったのを思い出したのだ。
あまりの恥ずかしさに、毛布の中で顔を両手で覆った。
実感がないとは言え、自分はもう二十代半ばに差し掛かっているのだ。あまりに子供ではないか。
「んー……やめろ…マル、コ……」
むにゃむにゃ、と呂律の回りきっていない寝言。
「………マルコさん……」
彼の気配が、船のどこにもない。そのことに気がついたのは、昨夜。サッチの心音で落ち着きを取り戻した後のことだ。
一体どこへ行ってしまったと言うのか。
なにより、何故彼のことになるとこんなにも苦しいのか、それが彼女にはわからなかった。
するり、とサッチの腕を抜ける。
ベッドから降りると、頭がくらくらした。
風邪が治っていないことは明白だ。医務室に行こう、と彼女は足を踏み出した。朝になったら医務室にいた人間がいないなんてことになったらパニックになることは間違いない。
そう思い、足早に医務室に向かう。
「名前…?」
「おはようございます、あの…」
「どこいってたの!!」
アマンダに抱きしめられ、そのまま医務室のベッドに寝かしつけられた。
「朝来てみたらベッドはもぬけの殻!まだ治ってないのよ?レオナだって心配してたんだから…」
「ご、ごめんなさい……」
寂しさ故に深夜ベッドを抜け出して、隊長のベッドへ潜り込みました、なんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。
「治るまで、ここで大人しくしてるのよ?いいわね?」
有無を言わさぬその口調。黙って頷けば、アマンダはふ、とその表情を緩めた。自分と変わらぬ年齢ながら、彼女はとてもしっかりしていた。
「んー…、ん…あ…?」
ぐん、と伸びをして目を開ける。
「おーい名前………」
昨日自分と寝た可愛い可愛い妹を起こそうと毛布をめくると、そこには誰も居なかった。
どうやら自分よりも先に起きたらしい。風邪のなおりきっていない彼女は、恐らく医務室に向かったのだろうと推測した。
「あーあ、あいつも痩せたなぁ」
栄養剤で生き延びてきた4年で彼女の体は痩せていた。
前はもうちっと抱き心地が良かったのにと呟く。
「お兄ちゃんは!もっと肉付きのいい子が好みです!!」
だからもっと太りなさい名前!!と叫ぶ声が通路に響いた。
セクハラはあれど、彼は"兄"だ。
「おいサッチうるせえぞ!!」
部屋のそとから聞こえてきた声。
今の彼には、それすらもなんだか快い気分になるものだった。
20130219