名の無い僕の名を呼んで あの日、私は知る限りの記憶をさらけ出した。それを聞いた三人の反応は似たようなもの。 把握した、の一言だけ言って帰ってしまった轟さん。へぇ、と興味無さそうな反応をするルシア。死神さんに関しては途中から聞いていなかったらしく、ルシアに肩を揺さぶられ欠伸をしていた。 そんな彼らとの数日間。死後の世界とは思えぬ程に呑気な会話を交わし、時には彼らから人間というものに対する質問攻めをくらったりもした。 轟さんがいない今日もまた談義に花が咲き、死神さんが用意してくれた紅茶を飲みながら悪魔と死神という二人の会話を聞いていた。 「人間のオレ達に対する扱いってすっげェ酷いよな」 「死を招く死神に、不幸をもたらす悪魔に、地獄の門番の鬼だもんね」 「なんで死や不幸をオレ達のせいにするんだよって話。 ほとんど自分らのせいじゃんか。 まぁ轟に関しては間違っちゃいねェけど」 「僕ら死神が迎えに行かなきゃ地縛霊になって、天使達に成仏という名の殺戮の玩具にされるのにさ」 「そうなんだよ本当に。 不幸に関しては悪魔ばっかりが名指しされてさ、まぁ無関係じゃないにしろ不公平だっての」 「死神って一応"神"なのに他の神との扱いが違いすぎて殺してやりたくなる」 「なぁその辺どう思う?人間」 「えっ」 淡々と交わされる会話を驚きながら聞いていると、急にルシアの目がこちらへ向けられる。 確かに彼らに出会う前の私なら、きっと二人が会話していた内容通りの考えだろう。不幸をもたらす悪魔に死を招く死神、地獄の門番の鬼は間違いでは無いらしいが、威圧感を退ければ轟さんもいい人だ。多分。 「私も前まではその考えだったしあまり偉いことは言えないけど……今はそんなこと思ってないよ」 まったく怖い気持ちが無いと言えば嘘になるが、一緒にいて嫌な気持ちにはならない。 ルシアはいつも元気だし、死神さんは不思議なオーラをまといつつもいつも気が付けば隣にいる。轟さんとはまだあまり話したことはないのでよくわからないが、きっと優しい人だと思う。 「ルシアも死神さんも、轟さんも、一緒にいて居心地が悪くないもの」 「……っ! さっすがリンだぜ!オレ、お前のそういう所大好きだ!」 そういう意味の言葉ではないとはわかっているものの、やはり告白とよく似たその言葉は言われ慣れていないもので恥ずかしくなる。 どう言葉を返せばいいのかわからなくなり視線を泳がせていると、ふと死神さんと目が合う。 「不幸が起きたならなぜテメーらの大好きな天使サマや神サマは助けてくれねぇんだって話だよな!厄介事ばっかオレ達に押し付けやがって……な、死神!」 ルシアにそう言われても死神さんの視線は私から反れることなく真っ直ぐに向けられる。 「おい、聞いてっか?」 「な、なんでしょう……」 「やっぱり、狡い」 「は?」 「え?」 見事に揃ったルシアと私の声に対し、その矛先にある死神さんは変わらずに私を見ている。 「僕も名を呼んでほしい」 「……でも、死神さんには」 余程名前が欲しいのだろう、死神さんはよくそれを口にする。だがしかし彼には名前が無く、死神さんとしか呼びようがないのだ。 「呼んで」 「え」 相も変わらぬ眠そうな目が、私を真っ直ぐに見つめたまま離さない。 「名の無い僕の名を呼んで」 それは彼の、私に対する欲求だった。表情は全く持って変わらないが、その言葉からはすがるような余裕を感じる。 「…………レス」 ふと頭に浮かんだ単語がnameless。名無しという意味を持つその言葉を借り、出てきたものがレスという言葉。 「……駄目かな」 「もう一回」 その言葉の意味が肯定なのか否定なのかがわからなくて、私はもう一度声に出すのを戸惑ってしまう。 喜怒哀楽が満遍なく表情に出るルシアと違って、彼は常に眠そうな目をしている。何を考えているのかまったくわからないそれが、私は少しだけ苦手だった。 「呼んで、もう一度」 「え……」 「僕の名を、呼んで」 レス、自然と出た声に彼は口角を少しだけ上げ、目を細める。 「なに?」 全身に鳥肌だ立つくらいに、私はよくわからない衝撃を受けた。とても柔らかく、甘い声は本当に彼の口から出たものなのだろうか。 「い、いいの?」 「ありがとう、リン」 「え?お前の名前レスになったの?へェ、じゃあオレもレスって呼ぶわ!」 「ルシアは駄目。 リンだけ」 「なんでだよーレスゥ、いいじゃんかよーレスゥ」 「本当にいいのかな……私が決めちゃって」 なぜか死神さん――いや、レス本人より喜んでいるルシアが名前を連呼するが、呼ばれている本人は何一つ反応しない。 不安になり私もその名を呼ぶと、彼はまた柔らかい声で返事をくれた。 「オレを無視すんなよー」 そんな時、扉が開く。 「お!轟!聞いてくれよ、レスがオレを無視する」 「レスとは誰だ」 現れたのは轟さん。 綺麗な長い黒髪を後ろで一つにまとめ、常に鋭い目をしている。額にある二つの角はまさに鬼そのものだ。 「レスってのは死神の名前!」 「あんた名があったのか」 「違う、リンがくれた」 その言葉で轟さんの鋭い目が私へと向けられる。 鬼のように恐ろしい、鬼教官やら鬼という名が使われる言葉は恐ろしい意味のものが多い。 その名の通り本当の鬼である轟さんは恐ろしいまでとはいかないが、思わず平伏したくなるような威圧感がある。 「あんたが死神に名をやったのか?」 「は、はい」 「そうか」 ただそれだけだった。 そうか、の一言。その言葉には彼特有の風格はなく、私に対する否定でもなく、かと言って感謝しているわけでもない。 ただ柔らかい了解の意がそこにあり、私の中にある緊張の糸が優しくほどかれた。 「名を欲しがる死神も、死神に名を与える人間も、俺が知る中ではあんたらが初めてだ」 そう言って轟さんは私の斜め向かいに腰を下ろす。ちなみに隣にはレスが、正面にはテーブルに身を乗り出したルシアがいる。 「さて、三田村淋」 前触れもなく轟さんに名を呼ばれて驚いていると、相も変わらない無表情のまま彼は話を続けた。 「俺達はあんたから話を根掘り葉掘り聞いたくせに、あんたからの質疑を受けていないことに気が付いたのだが」 「あァそういえば」 確かに。ここへ来てからは人間の世界は何が楽しいのかだの、学生という生き物を詳しく教えろだの、彼らからたくさんの問いを受けた。 特にルシアは人間に対し強い興味があるらしく、耳にたこが出来るくらいに激しく質問を受けた。 「オレ達ばっかじゃ不公平だな」 「そういうことだ三田村淋、何か聞きたいことがあるのなら答えよう」 いざ何か質問が無いかと聞かれると不思議と出てこない。眉間に皺を寄せながら考えていると、その皺が気に入らないらしいレスが皺を伸ばして遊んでいる。 邪魔だなぁと思いつつ浮かんだ質問は、ここへ来てからずっと思っていたこと。 「この大きなお屋敷は誰のものなんですか?」 「オレ」 「ルシアはぼんぼんだから」 ここでまた悪魔にも金持ちやそうでない人達がいるのだろうかという疑問が浮かんだが、これはまた今度にしようと次の質問へと移った。 「普段は何をしてるの?」 「オレは人の中の悪を食ってる」 「地獄の門番」 「死が近い人間の迎えと、リストから外れた魂探し」 まったく理解出来ない返答にどう反応すべきか迷っていると、それを察したらしいルシアが説明してくれた。 人の心には必ず黒い部分があり、悪魔はそれを主な食事としているらしい。それを食われるとその人間の悪は消え、だがまたすぐに他のものに対する悪が芽生える。悪を食われたからと言って心が真っ白になるわけではなく、ふと出来た悪を食べるという一時的なものなので安心は出来ない。 勿論膨らんだ悪を食べ損ねられた人間もいるわけで。それが犯罪やら何やらに繋がるらしい。 「憤怒、強欲、色欲、嫉妬、怠惰、暴食……特に傲慢がオレの大好物なんだよなァ」 長い舌をたらし、ぎらぎらと目を光らせるその姿はまさに悪魔そのもの。 だが人間の悪を食らっているとなると、もしかすると悪魔である彼らはもっと感謝すべき存在なのかもしれない。 「俺はそのままだ」 「門番かぁ……あの、もしかして閻魔様って方もいるんですかね」 ぎろりと擬音が聞こえてくるくらいの鋭い眼力を受け、彼の地雷を踏んでしまったのだろうかと後悔をするが遅い。 こうなってしまっては私は地獄逝きに間違いないと体を震わせながら謝ると、ルシアが轟さんの脇腹を肘で突く。 「リンを睨んでどうする」 「……そうだな、すまなかった三田村淋」 「ご、ごご、ごべ、ごめんなさい……わ、わたた、私が何も考えずに発言なんて、すすすするから…ら……」 「リン、奇跡の噛み具合だね」 少しでも気を緩めたら涙が出てしまう。それほどに轟さんの眼力が凄まじかったのだ。 これまたルシアが轟さんの代わりに説明をしてくれ、隣に座るレスは終始私の震え具合を楽しんでいた。 ルシア曰く、閻魔はいるらしい。だがその閻魔さんと轟さんは水と油のように仲が悪く、正しくは轟さんが一方的に閻魔さんを激しく嫌っているということだ。 なんでも閻魔さんは結構な女性好きらしい。好みの女性は自分の側に置きたいからと地獄逝きにさせたことも数回あるようで、轟さんは真面目な為にそれが許せない。だが閻魔さんは一応身分の高い人物なので逆らうことは出来ない。そんな苛立ちが現在の状況を作り出しているとルシアが教えてくれた。 「いいか三田村淋、二度とあの色魔の名を出すな……彼奴の名を口にするだけで孕むぞ」 「えっ……ほ、本当?」 「本当なわけないじゃん、いいから無視無視!」 なぜこうも仲が悪くなってしまったのか、そして轟さんにああ言わせるまでの閻魔さんはどれだけ女性好きなのだろう。 これ以上この会話を続けるのは不可能なので、私は話を変えようとレスへと目を向けた。 「リストから外れた魂って、やっぱり自殺した人の魂?」 「うん」 そう言えば前に聞いたことがある。 自殺した人間の魂は成仏することが出来ず、その場にしばらく残るらしい。運が良ければ死神に拾われ、運が悪ければ地縛霊となってさ迷う。 そんな地縛霊達を退治する役目にあるのが天使なのだが、天使達にとってそれはもはや殺戮の遊び。地縛霊を見つけては成仏させるという名目で苦しめ、地獄へも天国へも行けずに魂はそこで消滅する。 それはつまり生まれ変わるということが出来ないということ。 今までは天使は幸せの象徴だったのだが、実際は非道なことをして遊んでいるとは。この世界に非道という言葉に意味があるのかは知らないが、あまりの衝撃的な事実に今でも信じられない。 「だから君は僕に感謝をするべきだよ、僕が君を拾ったから君は天使達の玩具にならずに済んだんだ」 「でも珍しいよなァ、死んですぐ拾われるなんて奇跡みたいなもんだぜ」 「ただでさえあんたの死は予定外なんだ、確かに死神に感謝をすべきかもしれないな」 もしレスが見付けてくれなければ私も地縛霊になって天使達に消されていたのかと思うと、レスに感謝する他になにもない。 「うん、ありがとうレス」 「ごめんねリン」 「え?なんで謝るの?」 「間違えた、どういたしましてだった。 難しいんだよ、人間が交わす言葉の意味って」 だからといって"ごめんね"と"どういたしまして"を間違えるものだろうか。 こちらからするとここの常識の方が理解し難いのだが、もう死んでしまった自分が人間の常識を持っていても仕方がない。ここにいる為には非情になることも必要なのかもしれない。 「ね、だからリン、天使に見つかっちゃだめだよ」 隣から聞こえたレスの声は子供に注意をする親のようで、けれど私に身を擦り寄せて甘える姿は子供そのもの。 彼は中々に不思議な人物だ。何を考えているのかまったくわからない。 「うん、気を付けるよ」 安心したように笑ったレスにつられて、私も笑った。 戻る ×
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