僕はシルフ。この大きな屋敷の主である魔女様に召喚された四大精霊の一人、風の精霊だ。
 森の全ては僕のもので、この屋敷を守るために屋敷の周りはたくさんの草木で生い茂らせてやった、なんて自己紹介はここまでにして本題へ移ろう。
 精霊というのは元々は姿形はなく、なんとなくそこに存在しているもの。それを魔女である凪に喚ばれて人間の姿を与えられた。そんな彼女からは風森(かざもり)という名を与えられ、人間の体は少々不便ではあるが楽しく過ごしていてる。
 そしてそんな僕の現在悩み事、その原因が玄関で正座をしている彼、火の精霊のサラマンダーだ。

「蜥蜴(とかげ)くん、いつまでそこにいるの?」
「主が帰ってくるまでだ」

 忠犬よろしい彼が凪から貰った名前は蜥蜴。
 本日我らが主人は香草が足りなくなったから街へ行くと言って、地の精霊のノームである小人(おびと)くんと共に今朝屋敷を出た。
 ちなみに読み方は違えども小人という字を凪から与えられたノームだが、彼は小人どころか四大精霊の中では一番身長が高い。人間達のネーミングセンスの感性はそこまでわからないが、凪のそれは恐らくかなり低いだろう。
 そんなネーミングセンスの低さの話は置いておいて、彼女が出て行ってから掃除や洗濯を終え、することが無くなった蜥蜴くんが玄関へ正座をしだして早数時間。
 買い溜めをするので帰りは遅くなると凪が言っていたと何度言っても聞かない彼は、昼食も無しにただただそこに座していた。

「いや、あのさ、一緒に行けなかったのがすごく悲しいんだろうとは思うけど、さすがにそこで待ってても凪は困ると思うよ」
「主を一番に出迎えるのは俺だ」
「そういうことを言ってるんじゃないんだけどなぁ」

 凪が街へ行くと知るなり、自分も行きたいと訴える彼のそれは即座に却下され、そんな彼に恨みがましく睨み付けられる小人くんがどれだけ可哀想だったことか。
 そんな彼が僕を悩ませるものは今この現状だけではなく、普段からの彼の行動だ。

「ねぇ蜥蜴くん、一番に主を出迎えたいって気持ちは嘘じゃないのはわかってるけど、理由はそれだけ?」

 ちらりと、一瞥をくれた彼はまたすぐに正面へと視線を戻す。

「何が言いたい?」
「……うん、いや、何でもないよ」

 主の為なら何でもこなすと言う彼の言葉は本当だろう。例えそれが非道なことだったとしても、蜥蜴くんなら何の戸惑いもなく切り捨てることが出来る。
 それ程に彼は凪を盲信していて、尚且つ心から慕っている。一見忠実で素晴らしい部下だが、残念ながらそれは外面だけ。本人ですら知らないだろう、忠犬がどれだけ自分に心酔しているかなんて。

「それじゃあ僕は凪が帰ってきた時の為に風呂掃除をしておくよ、蒸し暑さで体がベタベタになっているだろうし」
「………」

 ごくりと蜥蜴くんの喉が動いたのを見て、とりあえずその場を去る。
 きっと僕が予想していることはおおよそ当たっているだろう。現に蜥蜴くんの手にはハンカチが握られていた。
 きっと彼は凪が帰ってくるなりそのハンカチを彼女に渡す。太陽にジリジリと照らされて体中汗だくになっているだろう彼女に。
 そして彼女の汗が染み込んだそれを洗濯に出したのなら、蜥蜴くんはまだマトモな頭だ。だが今までに僕が見てきたことを考えるとそれはない。もう一度言おう、確実にそれはない。

「凪が知ったら嫌がるだろうなぁ」

 例えば、湯浴みをしていた彼女の下着が無くなる。それも着替え用に持ってきたものではなく使用済みの方だ。洗濯もしていないし、結局見つからないままフェードアウト。
 例えば、彼女の紅茶の用意を蜥蜴くんがしたがる。勿論片付けも。俺は主が一番望まれる温度と濃さの紅茶を出せると、威嚇にも似たことを言うものだから口は出せない。
 例えば、凪の部屋を掃除するのが趣味なのかという程の徹底ぶり。一日一回、決まった時間に蜥蜴くんは彼女の部屋を掃除するのだ。凪も毎日来なくてもいいと言っているが、彼は少しでもホコリに汚れた空気を吸わせたくないと言って聞かない。

 結果、凪が湯浴み中だというのに脱衣所に入って出てきた蜥蜴くんのポケットが膨らんでいた。
 彼女が飲む紅茶にそれ以外の何かを入れているのをチラリと見てしまったし、彼女が使い終わった湯呑はなぜか一日遅れで台所にやってくる。ちなみに彼女は蜥蜴くんが淹れる紅茶は、ほんの少し独特な香りがするといつだか言っていた。
 一日一回の部屋掃除で出たゴミの量は明らかに少ないし、蜥蜴くんのポケットは相変わらず膨らんでいる。

 これが何を意味するかだなんて言葉にせずともわかるし、これ以外にもまだまだあるのだが言い出したらきりが無いとはまさにこのこと。
 主の髪の毛、と呟いていたこともあった。爪を切って差し上げましょうか、とか、歯ブラシを新調しておきましたなんて。何も知らない凪はいつもありがとうと笑顔を向けていたけど、普段の彼を知っている僕は全てのことに疑いの目を向けてしまうのだ。

 凪が帰ってくるまでに風呂の掃除でもしておこうと、やってきた風呂場には彼女専用のシャンプーとリンス、そしてボディーソープがある。
 水の精霊のウンディーネである乙女(おとめ)くんは、凪とお揃いのものがいいと同じものを用意してもらっている。
 ちなみにこれまた凪のネーミングセンスの低さが出てしまっている乙女(おとめ)くんは実際女ではない。かといって男というわけではない彼には性別が無いらしい。
 無いというよりも、どちらにでもなれると言った方が正しいのかもしれない。男にも女にも見える美しい見た目も相まって、便利な体だ。
 小人くんや蜥蜴くんは洗えれば何でもいいと全身石鹸で洗っていて、それでも髪の質が落ちない彼らを凪はよく羨ましがっていた。

 凪の髪の毛の香りはとても心地よい。かといって同じ種類のものを使っている乙女くんにはその心地よさを感じたことはなく、むしろすれ違うたびに彼女と同じ香りが漂ってくることに苛立ちと不快を感じることもある。
 きっとそれはあの香りが彼女から香ってくるものだから心地がよいのであって、あの香りでなくとも問題ないのだろう。

「……あぁ、掃除始めようってのに」

 少し、興奮してきた。
 なんて紳士的ではないこの感情。頭の中で主の髪の毛を、そこから香る心地よさを。考えただけで体のそこかしこかムズムズしてきた。

「人間の体ってのはやっぱり不便だなぁ」

 じわりじわりと張り詰める体の中心に、思わず顔が熱くなる。主の香りを思い出しただけでこれじゃ、蜥蜴くんを馬鹿に出来ない。
 なんて格好悪いんだろうと思いつつ、熱くなるそれを取り出す。高ぶるそれを治める方法は一つしかないのだ。

「……っは、ぁ」

 人間の男性の体というのはどうしてこうも不便なのだろう。気持ちが高ぶるとすぐに主張してしまうそれは、彼女の前では紳士でありたいと思う僕にはとても恥ずかしい仕様だ。

「っ……ん」

 頭の中で淫らに微笑む彼女を想像しているなんて、本人に知られたら引かれるかもしれない。
 けれどそれは僕だけではないだろうし、ここにいる四大精霊達とて同じことだろう。特に蜥蜴くんなんてどういう妄想をしているかわからない。
 いや、もしかすると盲信しすぎて自分の欲で彼女を汚すことなど出来ないと思っているかもしれない。

「っく……」

 そんなこんなでそろそろ絶頂を迎えそうな僕の耳に、玄関の方から届く声。

「ただいま!」

 同時に、体の力が一気に抜ける。

「あ…ぁ、ぁ」

 どろりと、手のひらに垂れる白い液体。

「今日は一段と暑い日だったぁ」
「主、お待ちしておりました、これをどうぞ」
「あら、ハンカチ? ありがとう蜥蜴、気が利くね。 小人の影に入って日除けになってもらおうとしたら、この子ってば俺だけ暑いのは嫌だって逃げるのよ?」
「四大精霊を日除けに使うのはお前だけだ」
「ふう、汗を拭き取るだけでスッキリするよ、ありがとう蜥蜴。 汗かいたし、先にシャワー浴びてこようかな」
「浴室ならば風森が掃除をすると先程」
「さすが気が利きますこと」
「主、ハンカチを」
「結構汗拭いちゃったし、後で洗って返すよ」
「いえ、主がそのようなことをする必要はありません。俺が洗いますので、ご安心を」
「うーん、それなら甘えちゃおうかな、ありがとう、本当に蜥蜴はいい子ね。 小人も見習いなさい」
「…………はっ、それを見習えと?」

 聞こえてくる会話に思わず笑いが溢れる。
 嘲笑する小人くんは恐らく色々と察しているのだろう。彼女の汗が染み込んだハンカチがどこへ行くのかを。
 どろりどろりと、手のひらの白濁を指先でゆっくりとかき混ぜる。早くしなければ彼女がここへやって来てしまうだろうと、僕が手を伸ばしたのは彼女専用のボディーソープ。

「僕も大概、気持ち悪いんだけどね」

 容器の蓋をあけ、手のひらに溜まるそれを余すことなく中へと落とす。ぽたり、ぽたりと。よく染み渡るように容器ごと振る僕の表情はきっと満足気に笑っているに違いない。
 そうして近付いてくる彼女の足音に、僕はさも風呂掃除が終わったのだとばかりに浴室を出ていくのだ。

「あ、おかえり、風呂場を掃除しておいたよ」
「ただいま風森、それとありがとう、さっそく湯浴みをさせて頂きます」
「うん、汗を洗い流しておいで、しっかりとね」

 笑顔で返事をする彼女に、思わず緩んでしまう口元。僕の体液が混じったもので彼女の体が洗われる。
 考えただけで気持ちのいいそれが、どうにも同じ思考を持っている蜥蜴くんに伝わってしまったのかもしれない。
 じろりと睨み付けてくる彼の手にはハンカチが握られていて、それを洗濯に出す様子も無い。
 秘密だと言うように口元に人差し指を当てると、蜥蜴くんの表情は至極不愉快そうに歪んだのだった。

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