色褪せない記憶 結婚式を控えた身でありながら入院することになってしまった私を、当馬さんは責め立てたりしなかった。優しい言葉で気遣ってくれる。式は形式的なものにすぎないと言ってくれる。そんな、やさしい人。 彼が部屋を出て行ったあと、自然とため息が零れた。無機質な天井を眺めても、何も変わりはしない。ただ、記憶が蘇るだけ。 (十四郎さん……) ずっと、逢いたいと思っていた。逢えないと思っていた。逢わなくていいと思った。それなのに、逢ってしまった。 (十四郎さん……) 思い出すのは、あの一瞬。交わってしまった視線。変わらない瞳。それから、遠い日の色鮮やかな記憶。 あの人に恋をした私は、武州に残してきたはずなのに。今ここにいる私は、あの人に恋をしている私じゃないのに。どうしても思い出してしまうんだわ。 (だって、彼はあんなにも……) 私ね、知ってるのよ。あなたが振り返らなかった理由。それがあなたのやさしさだってこと。 私に、幸せになってほしいって思っていたのでしょう?知ってるの、全部全部。ずっと見てきた人だから。 だからね、私、うんと幸せになるのよ。あなたについていくことはできなくても、私なりの幸せを見つけて生きていこうって、そう決めたの。そうして、出会ったのよ。私を幸せにしてくれるであろう人に。一緒にいられる人に。 この気持ちは嘘じゃない。きっと幸せになれるって、きっと幸せになるんだって、本当に思っているの。……だけど、だけどね。 (十四郎、さん……) 誰にも気付かれないように、口の中でそっと呟いた。その言葉の響きは今でも甘く、それでいて切ない。 ああ、あの瞬間、どうして倒れてしまったのだろう。きちんと最後まで、彼の名を呼びたかったのに。「元気だった?」って笑って、名前を呼びたかったのに。このままじゃ、記憶は塗り替えられないまま。 好きなのは、名前を呼ぶこと自体じゃない。言葉はこんなにも切ないから。でもね、名前を呼んで、あなたが振り返ったそのときの表情が。揺れる黒髪が。 (……おかしいわね) 江戸にいる私も、あの人が好きなのね。もう、あの流れる髪を持たない彼でも。隊服に身を包んだ彼でも。 そうよ、振り返ってくれなくてもいいの。ただもう一度、あの背中に会いたいんだわ。だから…… (ごめんなさいね、当馬さん) あなたがこの部屋を出て行くときに一瞬だけ、あの人の姿を重ねた私を、どうか責めないで。重ねたのは記憶の中の彼だから、なんて、言い訳にもならないかもしれないけれど。それでも私は、あなたのもとで幸せになるって決めたから。 (きっと、幸せになるから) どうかどうか、そのときは。二人で笑って、名前を呼びあえますように。 11.04.01.(エイプリルフール) 土ミツ大好きなのですが、聖域すぎて手が出せずにいました 嘘をテーマにするこの日、彼女の気持ちには嘘がなかったと信じて いつまでも過去を引きずるのではなく、強く前を向いて生きてきたと思うのです →back |