あなたの色、わたしの色 | ナノ


あなたの色、わたしの色




 耳たぶが、いつもより少しだけひんやりとしている。自らの指でそれを軽く揺らすと、メイコはこっそり微笑んだ。新しく買ったものを身につける瞬間は、いつだって楽しい。
 ピアスホールは左右に一つずつ。職業柄、開けることには抵抗がなかった。思っていたほどの痛みはなかったし、このくらいの数なら悪いイメージは与えないだろう。
 けれどメイコがピアスをつけるのは、基本的に仕事のためであった。それ以外は、かわいげのない、穴を塞いでしまわないためだけの、透明なもの。欲しくないわけじゃないが、特別欲しいとも思わなかったから。理由は、ただそれだけ。
(でも、たまにはいいわね)
 髪に隠れてあまり見えないけれど、それでも。昨日のことを思い出しては、顔が自然と綻ぶのだった。



 昨日は珍しく日中に仕事が終わり、メイコはカイトとそのままウィンドウショッピングを楽しんでいた。デートらしいデートではないが、絡めた指先から伝わる熱は、それでもたしかに心身ともに心地よいあたたかさを生み出していた。手を繋いで歩くというのは、前ほどではないにしろ恥ずかしい。だからといって、解きたくもないのだけれど。
 あるデパートのアクセサリー店で、メイコは思わず足を止めた。キラキラと輝くネックレスや指輪、ピアス。どれ、というわけではないが、並んでいるそれらがとても眩しく見えて。吸い込まれるように、一歩ずつ近づいた。
「欲しいの?」
 ゴールドのネックレスを一つ手に取ると、斜め上からカイトが尋ねた。突然聞かれて驚いて、思わず勢いよく横に首を振る。
「違うの。……ただ、キレイだなって……」
「そう?……あ、これメイコに似合いそう」
 雪の結晶がモチーフになっている華奢なネックレスを指差して、カイトが笑う。彼はそのあとも次々とアクセサリーを手に取った。まるで、少し見て行こうよ、とでも言うかのように。そのうち、お互い自由に見て回るようになって、ふと目についたのがピアス。
 ピアスコーナーは充実していた。シンプルなシルバーのものから、長めのもの、大きなもの、色とりどりのストーン……一つ一つ見ているだけでも楽しくて、左から右へ、ゆっくりと眺めていた。
(あ……かわいい)
 そっと触れると、ブルートパーズの小さなストーンが揺れる。一度かわいいと思うとそこから目が離せなくなってしまって、メイコはそれを手にした。よく見ると、モチーフは小さな小さな星形。長過ぎず、大きすぎず、控えめに主張するピアス。耳元に当てて近くの鏡を見ると、なんとなくくすぐったい気持ちになった。青色のアイテムは、どうしても彼を思い出すから。
(……別の探そ……)
 そのピアスを手にしたまま、再び左右にゆっくりと目を動かす。次に目についたのは紅色のシンプルなストーンで、おそらく私にはちょうどいいデザインのものだった。
 いつの間にか、どちらかは買いたいと思うようになっていた。数分間、右手には青、左手には赤。片方ずつ耳に当てては鏡を覗き込み、両方を目の前に翳しては自分をイメージする。
(似合う、かな……)
 悩みに悩んで、右手に持っていたブルートパーズだけを見つめた。こっちにしよう、となかなか思い切れなかったのは、きっとそのかわいさのせいだけじゃない。なんとなく、カイトのことを想って買うみたいで、恥ずかしかったのだ。
「ピアス?」
「か、カイト!」
 突然降ってきた彼の声に再び驚きつつ、とっさにそのピアスを胸元へと引き寄せた。左手の紅色のものはそっと元の位置に戻し、笑顔を作る。
「たまには、買ってみようかなって……」
「うん、いいと思う。なんで買わないんだろって、むしろ不思議に思ってたよ」
「ん。たいした理由はないんだけどね」
 じゃあ買ってくる。それだけ言い残してそそくさとレジに向かい、支払いを済ませた品物はさっさとバッグの中へ。何事もなかったかのように彼の元へと戻ったけれど、きっといつも以上の笑顔だったと思う。まるで初めておもちゃを与えられた子どものように嬉しい気持ちになっていた。



 そして、今日。オフの日ではあるけれど、なんとなく買ったばかりのピアスをつけてみた。出かける予定も何もないのに、だ。心の中では子どもみたいにはしゃいでいる自分に苦笑する。いい歳して、自分で買ったアクセサリーにこんなに興奮してるなんて。
 鏡の中の自分を、自分の左耳を、じっと見つめる。切り揃えられた茶色の髪に隠れてほとんど見えないけれど、そっと髪を持ち上げれば、涼しげな青色が顔を出す。はっきりと見えるのはなんとなく恥ずかしくて、髪はいつものまま。風に吹かれでもしない限り見えないだろうけど、それでよかった。
 夕飯を終えて食器を片付けていると、ソファで楽譜を読むカイトが「機嫌いいね」と笑った。そう?ととぼけてみせたけれど、きっと彼は気付いているのだろう。だって、私がピアスを買ったと知っているから。
 家事を終えてリビングに戻ると、こっちを見ていたカイトと目が合った。ぽんぽんと、自らが座っている右隣を叩く。誘われるままにそこへ座ると、待ってましたとばかりに軽いキス。
「……どうしたの?」
「んー、したかっただけ」
 頬にゆっくりと触れた彼の左手。もう一度キスされるのかと思って目を伏せたのに、その手は髪を梳いて。
「ご機嫌な理由はこれ?」
 髪を耳にかけられて、露になったブルートパーズ。バレてしまった恥ずかしさと、カイトのあまりにも自然な動作に、頬が一瞬で熱を帯びた。
「似合ってるよ」
「……っ!」
 ふにふにと耳たぶに触れながら、その青色も撫でる。ときどきずるいのだ、こいつは。普段からかっこいいことをするわけじゃないのに、たまに不意打ちで恥ずかしいことをしてくる。無意識なのかそうじゃないのかはわからないけれど。
「メイコって青も似合うんだねー。知らなかった」
「……私だって。あんまり身につけたことないし、自信なかったけど」
「似合うよ、ホントに。……けど」
 はい。と、テーブルの上にあった小さな袋が渡される。見たことある……というより、昨日ピアスを買った店のものだ。
「これ……」
「俺からのプレゼント。似合いそうなの選んでみたんだけど……」
 まさかメイコが自分でピアス買うと思ってなくてさー。そう言って笑う彼。袋を開ければ、出てきたのは紅色のピアス。見ていたのとは若干違うデザインのものだが、こちらのほうがかわいかった。なんでもない日にプレゼントをもらえることだけでもうれしいのに、通じるものがあったような気になって、ますますうれしくなる。
「つけていい?」
「もちろん」
 左耳につけていた青色のピアスを外し、もらったそれと取り替える。替えていない右耳は髪で隠したまま、左耳だけ見えるようにして。鏡がないから、自分ではわからないけれど。
「どう?」
 子どものように笑みを浮かべながら尋ねれば、カイトはふっと目を細めて。彼女の耳元で、似合ってる……と囁いた。耳たぶとピアスに、唇が触れるか触れないかの距離で。
「……っ、あんたってホント……!」
「いやー、メイコの反応がかわいくて、つい」
「つい、じゃないわよ!バカ!」
 ぎゅうっとメイコを抱きしめながら、からかうように笑う。だけどそれは本心で。
「似合ってるよ、どっちも」
 舌先で転がすように触れられて、ぞくりとした感覚が背中を走る。このまま流されてはいけない、と一応の抵抗を見せたものの、それはほとんど意味を為さなくて。
「メイコって、そういう色のイメージ。キツすぎない赤」
 だけど、俺の色も似合うね。ちょっとうれしいかも。
 さらりと、でも少しだけ照れたように言ってのけるから。流されてもいいかなって気になっちゃうの。ゆるりとした動きで彼の背中に腕を回すと、右耳のピアスが揺れた。




11.03.03.(耳の日)
ゆらゆら揺れるピアスに男は寄ってくるらしいですよ




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