instability(恋人設定) 喧嘩って、こんなに静かなものだっただろうか。ガンガン言い合って、もめて、バカみたいに泣いて。そっちの方がよっぽど楽だっただろう。今の状態は、苦しい。 (冷戦だな、まるで……) 的確な言葉ではないだろうか。酷いことを言い合うわけでもなく、騒ぎ立てるわけでもなく。ただ静かに、気まずい時間だけが過ぎていく。 きっかけを作ったのは、たぶんルリだ。うちでのんびり過ごしていたかと思えば、急にだんまりを決め込んで。なに、と聞いても答えない。なんでもない、と言うわりには、あからさまに不機嫌なんだ。そんな彼女の態度にイライラしてしまうのはしかたがないだろう。 あまりの気まずさに、耐えかねて一度だけ部屋を出た。アパートの階段から下を眺める。けれど視界に入ってくる人たちに注意を向けることはできず、ただただ考え続けていた。 (わかってんだよ……) ルリが、あまり気持ちを言いたがらないこと。肝心なときに限って言おうとしないこと。 気付いてほしい、わかってほしい、何も言わなくても理解してほしい……なんて、そんなの無理な注文に決まってる。言われなきゃわからないものなんだ。なんのために言葉があるんだよ。 ふと空を仰げば、清々しいくらいの青空が広がっていた。オレは舌打ちをひとつして、自分の部屋へと戻る覚悟を決める。言ってこないなら、言わせればいい。オレが言わせてやればいいんだろ。 ガチャ、とドアを開けると、変わらずルリの背中が見えた。泣いてはいない……と思う。強いというか、強がりというか。だってその背中は、あまりにも頼りない。 オレは正面に向き合う位置、ベッドに背を預ける形で腰をおろした。相手は目を合わせようとしないけど。 「……なあ」 「……なによ」 「なに、じゃねぇだろ。文句あるなら言えって」 「別に、ないよ」 「じゃあなんでそんな態度とってんだよ」 「……」 「……ほら、黙る」 ため息をつくつもりはなかった。ただ、自然と出てきてしまったのだ。やべ、と思うのと同時に、ルリの肩がビクリと揺れた。 「言ってくんなきゃ、わかんねぇよ……」 不満でも、不安でも、なんでもいい。素直にぶつけてほしい。黙って溜め込まれるのが困る。それで泣かれたりなんかしたら、もっと困る。 「……でも、言えないってのも、わかってるつもりだ」 まだまだ付き合いは短いから。おまえのことは全部わかってる、なんて嘘でも言えないけど。 「大事なことに限って、うまく言葉にできないのは……そういうやつだってのは、わかってる」 だけどおまえは気付いてんだろ?オレがイライラしてること。言ってほしいって思ってること。 「言わなきゃって思ってんのに言えないくて、苦しんでるのもわかってる」 オレがわかってるのはここまで。これ以上はわかんねーんだ。 なんで言えねぇの?言っちまえばいいのに。苦しまなくてすむのに。 「なぁ、ルリ……」 「……うん」 うん、じゃわかんねーよ……そう言おうとして、彼女の声が震えてるのに気付いた。同時に、口元が微笑んでいることにも。相変わらず、俯いたままではあるけれど。 「うん……うん……」 「……ル、」 「ありがとう、孝介くん……」 そんなしかめっ面しないでよ、と涙目で笑う彼女はきれいだった。でも、しかたねぇだろ。お礼言われる意味がわかんねぇ。 「言ってくれたとおり、だよ」 言わなきゃって思ってたの。不安なこととか、黙ってちゃいけないってことはわかってる。だけど言えなくて。嫌われたくないとか、重い女になりたくないとか、そういうきちんとした理由はないけど、言えなかったの。 「言わなくても通じたらいいのに、って思ってて。バカみたいでしょ?」 そういうのも全部含めて、わかってくれてるとは思わなかった。すごいね、孝介くん。ありがと。 「……ごめんね、急に黙っちゃって」 「まったくだ。オレんちで勝手に気まずい空気作りやがって」 「ん。たぶん、もうしないから」 「はは、たぶんってのがオレららしいな」 珍しくルリからぎゅうっと抱きついてきたものだから、安心して両腕で抱きとめた。不安に思ってたのは、オレの方だったのかもしれない。彼女の背中に回した腕が、情けないことに安堵感で震えていた。肩口に顔を埋めれば、彼女が愛用している香水のにおい。 「でも、……うん」 「……んだよ?」 「んー……」 一瞬の間の後に、すき、という声が耳元で小さく響いて。いろいろな感情をごまかすように、抱きしめる腕に力を込めた。 10.05.22. 強気な二人なので喧嘩というか言い合いは結構頻繁にあると思うのですが、本気で修羅場になったらこわいくらい静かなんじゃないかなと 修羅場というか、相手を想うあまりなかなか行動できない 付き合い始めの瑠里は不器用なところがあるといいな →back |