甘く融けた 昼食後、子どもを寝かしつけてリビングへ戻ると、エドがココアとクッキーを用意してくれていた。あたたかいココアの上に、真っ白なマシュマロが2,3個浮かんでおり、それは熱で融けかかっている。ちらりと壁にかかっているカレンダーを見れば、今日は3月14日。納得して、彼の隣に腰掛けながら礼を述べた。 ホワイトデーというものを、あたしは知っている。エドも、きっと知っている。だけど、あたしが知っているということを、エドは知らない。 結婚して1年目の冬。ソファーで本を読んでいるエドが、小さな声で「くだらねー」と呟いた。なになに?と隣から覗き込むと、バレンタインデーという文字が目に入る。 「……バレンタイン?なにそれ」 「恋人たちの愛の誓いの日、だとよ。国によって違うらしいけど、花とかケーキとかチョコとか、何かしら贈るらしい」 「へー、ロマンチックじゃない!」 「でも、もともとは司祭の処刑日なんだぜ?」 「え、そうなの?」 「だから結局、恋人たちの日だなんだって理由付けて儲けようっていう会社の戦略なんだよ、どうせ」 「ふーん。ロマンチックの欠片もないあんたらしい言い方ね」 「んだと?」 そして2月14日、あたしはチョコレートケーキを焼いてエドを迎えた。ハッピーバレンタイン!と言えば、ちょっとだけ驚いたような、呆れたような顔。 「いいじゃない。戦略に乗ったんじゃないの、あたしがエドにあげたかっただけ」 アップルパイもいいけど、たまには別のケーキも食べてもらいたいたくて。それだけ言うと、少しだけ頬を染めて納得してくれた。この日のためにこっそり練習しておいたガトーショコラは、エドも気に入ってくれたらしく、コーヒーとともに二人で食べ切ってしまった。半分以上が彼の胃に収まったという事実が単純に嬉しくて、来年も何か作ろうとこっそり誓った、思い出の日でもある。 それから一ヶ月後、珍しくエドがココアを用意してくれた。隣にクッキーも添えて。 「……明日は嵐かしら」 「失礼なやつだな!」 「冗談よ、ありがとう」 そう言いながらも、やっぱりあたしはエドの行動に疑問が残っていて。どうしたんだろう。珍しいな。そんなことを思いながら、ふと目についたのがカレンダー。 (……あ) もしかして、ホワイトデーだから……?あたしの中に浮かんだ、ひとつの可能性。 エドが読んでいた本の、バレンタインデーに関する記事のすぐ下に、ホワイトデーというものについても書かれていたのだ。横から覗き込んだあたしでさえ目にしていたのだから、きっとエドも見ていたはず。もしかしたら、一ヶ月前のあのときから、お返しを…ホワイトデーのことを、考えていたのかもしれない。 ちらりとエドに視線を送ったけれど、何も言うつもりはないらしい。でも、少しだけ顔が赤い。そんなぶっきらぼうな姿がなおさら彼らしくて、あたしはこっそりと笑みを深くした。 それから、もう2年経っている。あたしたちは相変わらず、「あげたいだけのバレンタイン」と「こっそり渡す3月14日」を過ごしていた。もしかしたら偶然かも、なんて思っていたけど、こんな3月14日が3年も続いたら、さすがに偶然とは思えない。 マシュマロが浮かんだホットココアと、添えられたクッキー。どちらがメインかはわからないけれど、これはきっと、彼なりの「1足して返す」なんだと思う。あたしは難しいことなんてわからないし、気持ちの問題なんだから別にいいのにって思うけど。だけどこれが、彼なりの気持ちの表し方なのだとすれば、それはそれで嬉しかった。だから別に、今日が何の日か問いつめるつもりはなかったんだけど。 「ねえ、エド」 「ん?」 「……ホワイトデーって、なに?」 それは、ちょっとした悪戯心。どんな反応するのかなって、見てみたくなっただけ。 エドはビクッと体を震わせたあと、ジト目でこちらを見てきた。「……知ってたのかよ」と呟く声は小さくて。秘密がバレて恥ずかしがる子どものような、悪戯に失敗して悔しがる子どものような……とにかく、子どもっぽい表情をしていた。 子どもが産まれてからも、エドは二人になる機会をうかがっては甘えてくる。それが可愛くもあり嬉しくもあるのだけれど、それとはまた違った子どもっぽさが、今の表情からは窺える。 「ねえってば」 「んだよ……知ってんだろ?」 「……でも、エドの口から聞きたい」 金色の瞳をじっと見つめる。エドも、あたしをじっと見ている。どうして今年は聞いてみようと思ったのか、あたし自身もよくわからないけれど。 ふっと目元を緩めたエドは、やさしい笑みを浮かべながら言った。ああ、これも好きな表情だ。 「……おまえと一緒。」 俺も、あげたかっただけ。耳元で告げられたその答えは、なかなか素直になれない彼の、精一杯の答えだった。 一口啜ったココア。融けたマシュマロの甘さが一緒になって口の中に広がった。あまい、あまい、エドからの気持ち。 11.04.14.(一ヶ月遅れのホワイトデー) コトノハ倉庫のともさんが『バレンタインにウィンリィがホットチョコ渡すのはみるけど、ホワイトデーに兄さんがココアにマシュマロ浮かべてさり気なくさり気なく渡そうとしたつもりがバレバレとかでも美味しいと思うの』と呟いておられたので、ネタをいただいてしまいました 一ヶ月遅れのこの日はオレンジデーであり、『花嫁の喜び』という意味があるそうです →back |