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「え? 兄さん出掛けたの?」
「うん」
 思わず振り返ったアルフォンスとは対称的に、ウィンリィは食器を洗いながらさらりと答えた。それは、いつもと変わらない光景。あまりにも見慣れた日常で、アルフォンスはポニーテールが揺れる背中に向かってため息を吐いた。
 この光景は好きだけど――今日は、特別な日だというのに。
 盛大に吐き出されたため息に、苦笑しながらウィンリィが振り返る。視界に入るのは、珍しくぶすっと頬を膨らませた彼の姿だった。何やらぶつぶつ聞こえるのは、大方兄への小言だろう。
「いいのよ、別に。今更特別なことしてくれなくても」
「そうかなぁ……」
 今更ってことはないんじゃないの。
 そう問われれば、曖昧に頷くことしかできないけれど。でも本当に、今更なのだ。あいつがいない誕生日なんて。
 十数回繰り返された誕生日。ばっちゃんとデンはいつもそこにいてくれたけれど、旅を始めたエルリック兄弟はその日にいないことの方が多かった。そんなの当たり前なのだ。彼らには目的があったから。そのために旅をしていたのだから。
 今、旅を終えた二人は、当然リゼンブールに住んでいる。これまでとは違い、たしかに、誕生日を祝おうと思えば祝えない距離ではない。
(……まぁ、アルが言いたいのはそういうことじゃないんだろうけど……)
 濡れた手で無意識にピアスを弄りながら、ウィンリィもバレないように小さく息を吐きだした。
 今日は、あいつらが帰ってきて――エドと恋人同士になって、初めての誕生日。

「そりゃあさ、僕だってここに来てる時点で兄さんのことをあまり信頼していなかったのかもしれないけど。それにしたって、プレゼントの一つくらい……おめでとうって言うくらいしてから行けばいいのに」
「あはは。エドってば忘れてたのかもね」
「さすがに忘れるってことはないと思うけど……ああでも、言うつもりだったのに家出てから思い出したとかはありそう」
「うわぁ、想像できるわ……」
 エドだもんね。兄さんだからね。
 二人で言い合えば、どうしたって可笑しくなる。アルフォンスからのプレゼントを机の上に置いたまま、二人はそこにいない人物の話をぽつりぽつりと続けていた。綺麗な包みを開けてしまえば、きっと話題はそちらに移る。今はもう少し、まったくバカよねと笑っていたい気分だった。
「……でもね、今更っていうのも本当なのよ」
「え?」
 丁寧に結ばれた金色のリボンを指先でくるくると弄りながら、ウィンリィは小さく零す。ほとんど独り言のつもりだったそれは、有能な弟の耳にはきちんと届いていたようで。言葉にはせずとも、まっすぐな瞳で「どうして?」と尋ねてくる。
「だって……」
 言いかけて、ウィンリィは一旦口を噤んだ。これは、もしかしたら、思っていたよりもずっと恥ずかしいことを言わなければならないのかもしれない。
「だって……今更、特別なことをされても恥ずかしいじゃない……エドのくせに」
 だから、いいの。
 言うつもりのなかったことを口にしてしまったのは、もしかしたらやっぱりどこかで期待していたからなのかもしれない。寂しかったのか浮かれているのか、どちらともいえない感情。恋人という関係がまだしっくりとこなくて、なんだか落ち着かないのだ。
 綺麗にラッピングされた箱の縁をなぞるウィンリィに、アルフォンスは柔らかく微笑みかけた。彼女の視線はその箱に注がれたままだけれど、きっとどこかをほっつき歩いているであろう兄に向けられている。
(ウィンリィは、兄さんがいないときにこそいい表情をするよね)
 兄さんに見せてあげられないのが残念だなぁと、何度思ったことだろう。まぁ、兄さんの前でしかしない表情もあるんだろうけど。早く帰ってきてあげなよね、と心の中で呟きながら、時計を見上げた。

 バンッ! と勢いよくドアが開かれたのはそのときだった。びくりと肩を震わせたウィンリィとアルフォンスは、音がした方を振り返る。
「っ、ただいま!」
 飛び込んできた人物に、二人は思わず顔を見合わせた。そして、一拍置いて同時に吹き出す。
 口をへの字に曲げて、眉を吊り上げて。走ってきたのか、肩で息をする彼の手の中には、大きく真っ赤なバラの花束。片手では支えるのがやっとの大きなそれは、いつにも増した仏頂面のせいで、あまりにも不釣り合いだった。




16.7.31.
お友達の誕生日祝いに
兄さんは赤が似合うけど、バラの花は絶対に似合わなくて、それがとてもいいなぁと思いました




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