君を知る人 | ナノ


君を知る人




 なんとなく、いつもより支度に時間がかかっている気がするなァと思いながら、銀時はぼんやりと時計を見ていた。もちろん実際に時間を計っているわけではないから、本当になんとなくではあるのだが。別に急いでいるわけではない。妙の出勤に合わせて、銀時も万事屋へ帰ろうとしているだけだ。遅刻を心配するような時間じゃないし、そもそも自分にそれを心配する義務はない。身支度に時間をかけすぎて遅刻しました、なんてヘマはしない女であることぐらい知っている。だからただ、やることもなく時計の針を見ていた。
 それから数分経っても妙が来る気配はなく、訝しげに思いながら、銀時は妙がいるであろう部屋へと向かった。そっと襖を開けて中を見遣ると、仕事用の紫色の着物に身を包んだ女が、三面鏡の前に座っている。ちょうど、高い位置で結い上げられた髪に、簪を挿しているところだった。
「……おまえ、今日なんか違くね?」
 背後に立ち、鏡越しに目が合ったとき。最初に掛けた言葉は、銀時が当初予定していたものではなかった。
「あら意外。銀さん、お化粧の違いに気付けるんですね」
 彼女は本当に驚いているのか、それとも単なる皮肉か。どちらとも取れる声色で、鏡の中の紅い唇が弧を描く。銀時は、目を離せなかった。いつもより濃く色づいた、紅色から。
 妙もそれをわかっているのだろう。銀時の方を振り返ることはせず、鏡越しに一度視線を合わせたあとは、何事もなかったかのように淡々と化粧道具を片付けていった。一つ一つ丁寧にポーチの中へと戻していき、最後に手に取ったのが口紅だ。すぐにしまい込むことはせず、妙はそれを見つめながら、静かに口を開く。
「これ、お客さんにもらったんです」
「客?」
「ええ。最近よく来るお客さんなんですけど、気に入られちゃったみたいで」
 まぁ、お金はあるみたいなのでいいんですけどね。お店としては。
 独り言のように零された言葉を聞きながら、銀時は彼女の弟の愚痴を思い出していた。最近、姉上のファンがまた増えたみたいなんですよね、と。ゴリラほど熱心なストーカーではないのだが、よほど金を持て余しているらしい。たまにひょっこりと顔を出しては、大量の酒を入れ、高級菓子を渡して帰るのだという。
 初来店時には、複数名で接客をした。彼はそのときから土産を用意しており、応対したキャバ嬢全員に老舗の高級菓子をプレゼントしたという。ルックスは悪くない。酔い潰れることもなければ、必要以上に距離を詰めてくることもない。紳士的というべきか、キャバクラという単語が似合わない、育ちの良いお坊ちゃんという印象だった。
 次に来店したときから、彼は妙を指名するようになった。店の女の子たちはキャアキャアと囃し立てたが、妙はいつもどおりの笑みで応対する。そして彼はまたきっちりと、十分な時間を楽しんだあとに菓子を渡して帰る。それだけだ。中身は和菓子であったり洋菓子であったりと様々だったが、どれも名の知れた店のものであった。妙としてはあまり物を受け取りたくはなかったが、相手は上客である。機嫌を損なわせないようにというのは、オーナーからの指示でもあった。それに、お菓子ならみんなで食べてしまえばいい。そう思って遠慮しながら受け取ったその態度が、かえって彼には控えめな女性として映ったのだろう。すっかり妙のことを気に入ってしまったというわけだ。
「いつもはお菓子なんですけどね。今月誕生日だって聞いたから、ってくれたんです」
 妙の手の中にある、いかにも高級品といった口紅。そのブランドを、銀時は名前すら知らない。世の女たちはこういう物を好むのだろうかと鏡越しに見遣りながら、それでもやはり、彼女の手の中では少しだけ浮いて見えた。
「この色、似合わないでしょう?」
 はっとして顔を上げれば、妙はくすくすと可笑しそうに笑う。その声を聞いて、なぜだか安堵感を覚えた。
 真っ赤な紅は、まだ幼い彼女には似合わない。それが銀時の正直な印象だったのだ。彼女自身にも自覚はあるようで、やけに目を引くその色は、どうしても浮いてしまっている。たとえばそう、お登勢のような女なら似合うのかもしれないが、妙の普段の雰囲気を知っている銀時からすれば、正直あまり好ましくはなかった。
「今日、彼がお店に来るみたいだから、一応つけてみたんですけどね。自分でも可笑しくなっちゃって。お化粧を全体的に濃くしてみたんですけど、やっぱり似合わないなって困ってたんです」
「もらったものだからちゃんと使うって? 偉いねェ」
「普段使う気はないですよ、似合わないってわかってるのに。今日はしかたなく、です」
 せめて本人の前ではね、と笑う彼女は、なんだか少しだけ楽しそうだ。それは悪戯を思いついた子どものようで、やっぱりその紅色は似つかわしくない。
「でもね、その人、日にちは聞かなかったの。今月ってことしか知らない。だからこんなに早く渡されちゃったのよ。勝手にプレゼントを用意しちゃうなんて、浪漫がないと思いません?」
「……なに、おまえそいつに気があんの?」
「まさか」
 相変わらず背を向けたままの彼女とのやり取りは、表情を読み切れない。時々鏡越しに大きな瞳と目が合う、それだけだ。手にしていた口紅をしまい込んだ妙は、けれどそこに座ったまま、動こうとはしない。鏡の中の自分自身を見つめながら、いったい何を想っているのか。無邪気に揺れるポニーテールに、銀時はため息を吐いた。
「……じゃあ、その簪は?」
 それは、最初から気付いていた。いつもより濃い化粧。大人びた色の着物。それらとは不釣り合いな、可愛らしくも安物の簪。彼女が動く度に、桜の下でラインストーンが揺れているのは、嫌でも目に入ってしまう。
「これですか? これを付けて行ったら、どんな反応するのかなぁと思って」
「うわぁ、悪趣味ですねオネーサン」
「そんなことありませんよ。こっちはちゃんと、私に似合っているもの」
「……ふうん」
 それは、妙が日常で使っている簪だ。仕事の際に付けているところは、銀時が知る限り見たことがない。
 きっと褒めてくれるわ、と微笑む表情は伏せられていてよく見えないが、声だけは優しく届いた。なんでそんなに自信満々なんだ、と銀時の方が苦い表情になる。少なくとも、今の姿に似合っていないことくらいわかっているだろうに。彼女はどこまで本気で言っているのか。
「誰かさんが誕生日当日にラッピングもせず渡してくれたんですぅ、って言ってこようかしら」
「やめとけやめとけ。何も知らないやつにンなこと言ったって、おもしろい反応返してくれねェよ」
 普段のピンクの着物になら似合うだろう。彼女がうさぎ柄の傘を持っていると知る者なら納得するだろう。どんなに大人ぶっても、まだ若い娘であると知る者ならば、きっとその簪に違和感はない。けれど今は、ただそこに存在を主張するばかりだ。
 そろそろ行きましょうか、と立ち上がった妙が、銀時の横を通り抜ける。真っ赤な唇よりも目につくのはゆらゆらと揺れる簪で、なぜだか自分が牽制されているかのような、なんともやりきれない気持ちになった。今年も楽しみにしていますね、という無言の圧力は、きっと当日までそこから放たれるのだろう。





2015.10.17.
銀妙10月祭、今年も開催ありがとうございます




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