雨のち晴れ(現代パラレル) 学校の図書室は、エドワードにとってたいして惹かれる場所ではない。小説や、あまり興味のないジャンルの専門書、歴史書など、数はそれなりにあるとはいえ、手に取ろうという気が起こるものは少なかった。セントラルにある大きな図書館に通い詰めているのだから、図書室程度では物足りなくても仕方がない。 それでも、何か文献を探すためではなく、暇つぶしにふらりと寄るにはちょうどよかった。様々なジャンルの棚を歩き、背表紙を眺めて歩く。気になったタイトルのものはパラパラと中を見て、特に興味がなければそのまま棚へ戻すだけ。結局、今日も借りようと思う本はなかったけれど、なんとなく時間を潰してから帰りたい日の過ごし方としては間違っていない。 と、いつもならそれなりに満足した気持ちで帰るのだが、今日に限っては窓の外を見た瞬間に後悔した。 (……帰ればよかった) 雨が降っているだなんて、まったく気が付かなかった。 図書室を出たエドワードは、教室へと戻るために歩いていた。教室のロッカーには折り畳み傘を入れてある。あまり好きではないのだが、こんな日に使わなければ置いている意味もなくなってしまう。めんどくせぇ、と思わずため息をついた。傘が、とか、雨が、とか。何というはっきりしたものはないけれど、どんよりとした空を見上げるだけでそれは自然と零れた。 急ぐ気もなくのんびりと歩いていくと、自分の教室の一つ手前で、ハニーブロンドのポニーテールを見つけた。 「よお」 「あ、エド。まだいたんだ」 机から目を離してくるりと振り向いたのは、幼なじみのウィンリィ。ウィンリィとは小学校以前からの長い付き合いの中で、高校三年の今年、初めてクラスが離れた。もっとも、小さな村の小中学校出身であり、一学年一学級だったことを考えればたいした記録でもないのだが。 「それ、日誌?」 「うん。今日日直だから」 「日直って……授業終わってからもうだいぶ経ってんじゃねーか」 「うっさいわね。いろいろやらなきゃいけないことがあったのよ、いろいろ」 「ふーん」 前の席にどっかりと座り、それを見れば、まだ半分も書けていないようだった。 「そんなのテキトーに埋めればいいのに」 「あたしはあんたとは違うの」 くるくるとペンを回して、ウィンリィはまた日誌に視線を落とす。何て書こうかな、と独り言のような言葉が聞こえた。 高校生活最後の年が始まって、約一ヶ月。正直に言えば、クラスが違うだけでこんなにも会わなくなるものかとエドワードは驚いた。家は近く、クラスも隣。会おうと思えばいつでも会えるのだが、会おうと思わなければ会わないということに戸惑いを覚える。たった一週間会わなかっただけで、思わず「久しぶり」と声を掛けてしまいそうになったほどだ。 「エドは何してたの?」 「図書室」 「……ほんっと飽きないわねー」 どうせまた何も借りてないんでしょ? と呆れたように笑う。一瞬上げた顔をまた元に戻して、ウィンリィはペンを動かした。その途中で一言二言、そっちの担任はどうだとか、模試の結果はどうだとか、ぽつりぽつりと言葉を交わす。こんなふうにたわいもない話をするのも久しぶりで、思わず緩みそうになる口元を引き締めた。 幼なじみへの気持ちは自覚していた。けれど、だからどうということもない。今のところは。 「……あれ? そういやおまえ、傘持ってんの?」 「……あたしが置き傘しないの知ってるくせに……」 だから時間潰しも兼ねてのんびり書いてるの、とウィンリィはちょっとだけ拗ねたような顔をした。 「通り雨だろうし。あんたももうちょっと付き合ってよね」 「いや、まぁ、それはいいけど」 窓の外を見れば、雨足は強くなってきたような気がする。 「止むのか? これ」 「……どうだろ」 「このままだったらどうすんだよ」 「えー、うーん……」 考えているのかいないのか、会話はそこで止まる。エドワードはもう一度、外に目をやった。 傘はある。ただし、一本だけ。 エドワードはいわゆる相合傘というものを想像して、すぐにそれを打ち消した。家の方向は同じだから、問題はそこではない。ロッカーに仕舞われたままの折り畳み傘は、高校生が二人で入るにはおそらく狭いということだ。悲しいことにウィンリィとは身長も大差なく、肩がぶつかり合うところや顔の近さは容易に想像できてしまった。 身長に関してはともかく、その想像した相合傘とやらが嫌なのではない。むしろ、嫌じゃないから困る。今更、緊張してしまう。 そしてそれ以上に、「傘があるなら言ってよね! 一緒に帰ろう」と何も考えていないウィンリィからの返事が想像できてしまうのが憂鬱なのだ。 恋心を自覚しながらも何もしないのは、まったく脈がなさそうだからという理由に他ならない。こんな中途半端な時期に、今の適度に居心地の良い関係をわざと壊す理由は見つからなかった。そのくせ、一丁前に独占欲だけはあるものだから、我ながらめんどくさい男だと思う。そんなところまで、一応自覚はあるのだ。 「……書き終わっちゃった」 小さく零れた言葉に、エドワードははっと意識を引き戻された。丁寧な文字で書かれた日誌は、さらっと見た限りたいした内容ではなく、本当に時間潰しのためだけにのんびり書かれたというのが見て取れた。何がオレとは違うだ、と内心苦笑いを零す。 ウィンリィは窓の方に視線を向けると、やっぱり止まなかったかぁと残念そうに呟いた。 (……ほら、な) 相合傘を少しでも期待したのは自分だけなのだと、嫌でも自覚させられる。 日誌出してくるね、と背中を向けた彼女の、揺れるハニーブロンドを見つめる。教室に入る時も、それに目がいった。背中まで伸びた髪は、幼い頃にはなかったもの。どうして伸ばし始めたのかは知らない。そうやって少しずつ知らないことが増えていくのだと、柄にもなく思ってしまった。 「おい、ウィンリィ」 そんな不意に浮かんだ想いに、どうしようもなくイライラした。幼なじみとはいえ他人同士、知らないことなんてたくさんあって当然のはずなのに。そんなことでイライラしてしまうのは、きっとこの天気のせいだ。 「傘、入れてやる。取ってくるから待ってろ」 宣言するかのような唐突なエドワードの言動に、振り向いたウィンリィはぽかんと口を開けた。 (……ま、そりゃそうだよな) もやもやした想いと、若干残る緊張を悟られまいとするあまり、平静を装うどころか不機嫌さが滲み出てしまったのだ。ウィンリィが混乱するのも無理はない。それどころか、いきなりなによ、と文句の一つや二つ言われてもおかしくはない――はずだった。いつもなら。 「……ウィンリィ?」 もしや、顔に出てしまっていたのだろうか。それとも、自分に都合のいい妄想か。こちらを見たまま固まっているウィンリィの表情もまた、照れているような緊張しているような、見たことのない女の顔だった。 15.05.03. エドウィンの日おめでとう! →back |