純真な夢 レッスン室から出てきた男の後ろ姿に、那月は嬉しそうに声をかける。 「トキヤくん!」 自分を呼び止める声に振り向いたトキヤは、相手の姿を確認するとフッと表情を緩めて立ち止まった。大事な同期の一人だ。 「新曲の練習ですかぁ?」 「ええ、まあ。新曲と……あとはそうですね、今度のテレビ番組に向けて」 「あ、来週のソングステーション、トリで歌うんですよね。楽しみだなぁ……頑張ってください!」 「ありがとうございます」 それじゃあ、と歩き出した那月を、思い出したように呼び止める。 「あの、四ノ宮さん。この後、仕事入ってますか?」 「えーっと……午後は二時からだったはず……」 ちらりと腕時計を見れば、まだ正午にもなっていない。 「……もしよかったら、一曲だけ聴いてもらえませんか?」 レコーディングルームが空いていることを確認すると、一時間だけ予約を入れて二人で向かう。その間に那月がいろいろと質問を投げかけたが、どうやら本当に「聴いてほしい」だけで、ソングステーションの練習だとかそういった意味はないらしい。 トキヤに誘われるのは珍しいことだった。彼は、率先して人に聴いてもらうタイプではなかったはずだ。 「聴いてほしいのはこの曲です」 部屋に入ると、トキヤはCDを手渡す。 「このCDの、二曲目」 「ああ! 僕、この曲好きですよぉ。とってもトキヤくんらしくて」 「……そういえば、人前で歌うのは初めてかもしれませんね」 オフボーカルのCDをセットしながら、トキヤは懐かしむように目を細める。 「聴いていただきたかったんです。……あなたと、もう一人の四ノ宮さんに」 その言葉に、那月は思わずびくりと肩を震わせた。不意打ちで出されたのは、トキヤとの間で話題になることはほとんどなかったはずの名前。あまりにも唐突でかける言葉が見つからないまま、ブースへと入っていく後ろ姿を見送る。 一ヶ月くらい前に発売されたこの曲は、当然聴いたことがあった。二曲入りのシングルCD。今から歌うというIndependenceは、これまでのシングルで築いてきたトキヤのイメージを一新したと当時評判になっていたはずだ。 (だけど、どうして、さっちゃんが……) 那月は、自分の心の奥へと問いかける。 ねぇ、さっちゃん。一緒に聴いてほしいんだって。珍しいよね、トキヤくんがそんな風に言ってくれるの。 「四ノ宮さん、お願いします」 「はぁい。じゃあ、流しますね〜」 曲を再生すると、ゆったりとしたメロディから始まり、トキヤの「Come on」の声に合わせてビートを刻み始める。色っぽく、そして切なげに。本能のままにと歌いながらも、正確に音程とリズムをとる辺りがトキヤらしい。 那月はその歌声に耳を傾けながら、ゆっくりと目を閉じた。甘いバラードを歌い上げてきた一ノ瀬トキヤとは違う一面。けれどやっぱり、この曲は彼らしい。 彼の歌い方は次第に激しさを増していく。それはCDでも同じことであったが、こうやって生で聴いているとまた違った熱さを感じた。場所はレコーディングルームでも、曲はたった一曲でも、ライブのように背中がぞくぞくと粟立つのがわかる。努力型の彼は、こんなにも進化し続けているのだ。 最後は吐息たっぷりに、「Independence day」と囁いて曲が止まる。スッと訪れた静寂。一拍置いて、那月は聞こえないのを承知で大きく手を叩いた。その様子を見つけたトキヤは、思わず笑みを零す。那月の、子どものような純粋な瞳は嘘をつかない。 ブースを出ても那月の拍手はまだ続いており、さすがに苦笑しながら「ありがとうございます」と目を細めた。 「……この曲を、私らしいと言ってくれる人はあまりいませんでした」 「え?」 「今まで出した曲のタイプとは違いますからね。それは狙ってのことですし、そう思われても構わないんです」 トキヤはCDからブックレットを取り出すと、歌詞を指でなぞる。 「……覚えていますか? HAYATOのライブに乗り込んだこと。これは私なりの、あの曲への答えなんです。……砂月さん」 「!」 「あのとき歌ってくれた曲……あれは、四ノ宮さんに向けた曲だったのでしょう。あるいは、自分自身に問いかけていたか」 「さっちゃんが……」 「そうだとしても、あのときの私に響く歌でしたから……いつか答えが見えた時に、歌いたいと思っていたんです。ずっと。一ノ瀬トキヤと、そしてHAYATOとして」 あまり私情を持ち込みたくはないのですが、とトキヤは照れたように視線を逸らした。 ライブは、まだ那月と砂月が完全に意識が分裂していた頃の話であり、那月自身にはっきりとした記憶は残っていない。人づてに聞いた内容と残っていた当時の映像でだいたいは把握しているが、トキヤと砂月がどんなやりとりをしていたのかまではわからない。できればここは砂月の意識が出てきてくれた方がいいのだろうが、恥ずかしがり屋の彼にどうやらそのつもりはないらしい。 「だから直接聴いてほしかった。……私らしいと言ってくださったのも、嬉しかったです」 「ふふっ。僕、ますますこの曲が好きになりました。……さっちゃんも、今は照れて出てきてくれないけど、喜んでますよぉ」 砂月は、自分自身のことを那月の影だと言う。そんな彼のことを大事にしてくれている人が、ここにもいたことが、那月は嬉しかった。 (あの歌には、僕も僕なりに答えを返したけど……ちゃんと、さっちゃんに届いてるかな?) 本当に聞いてしまったら、そんなことわざわざ聞くな、と怒られてしまいそうだけど。 部屋の使用時間は半分程残っていたが、午後の仕事の都合も考えて二人とも出ることにした。お互いの歌を聴きたいという気持ちはあったし、めったにない機会だったが、それよりも仕事に向けて準備を万全にしておくことの方が今の二人には必要だった。まだまだ駆け出しのアイドルだからこそ、だ。 「……そういえば、この間プラネタリウムに行ってきたんです」 「トキヤくんが?」 「ええ。ああいう静かな空間は好きなんですよ」 変装していたとはいえ、さすがに端の方のあまり良くはない席に行くしかありませんでしたが。 そんなトキヤの様子を想像して、小さく笑みを零す。那月としては、地元の空に浮かぶ自然の星の方が断然好きではあるが、見える星は地域と時刻によって限られているからこそ、肉眼では決して見られることのない星を見られる夢のある空間だとも思える。 「そのときに聞いたんです。あなたが卒業オーディションで歌った曲のタイトル、サザンクロスにまつわる話」 サザンクロス――南十字星も、日本ではほとんど見ることが出来ない星の一つだ。那月の地元、北海道であればなおさら。 「星座の中では一番小さいけれど、二つの一等星を持つ立派な星座だと、聞きました」 「二つの……」 「ええ。それを聞いたとき、真っ先に四ノ宮さんのことが浮かんだんです。意図的だとしても、無意識だったとしても、あなたの最初の歌に込められた想いがそこにある。……素敵なことだと思いますよ」 歩みを止めることなく、まっすぐ前を向きながらそう言ってくれた彼の横顔が優しくて、胸の辺りがぎゅうっと苦しくなった。トキヤとHAYATO、那月と砂月の関係は同じではないけれど、四人それぞれが少しずつ関わり合って、今がある。それがこんなに嬉しいことだとは思っていなかった。 「トキヤくんっ!」 「はい」 「ぎゅ〜ってしてもいいですか?」 「……は? いやそういうのは翔にして……って、痛いです! やめてください!」 「ぎゅ〜〜〜〜〜〜っ!」 トキヤくんと、彼の中のもう一人のアイドルに、感謝を込めて。 15.2.3. Independenceがオリオンのアンサーソングだと考えたら萌えて燃えてしかたがなかったので 2000%ドルソンは総じて、ヒロインへのラブソングというよりも他のキャラであったり自分自身であったりファンであったり、そういう愛以外の強い想いを感じてすごく好きです ASASで公式解釈出る前に書きたかっただけなので完全なる自己満 話というよりは解釈文でした →back |