はじまりの夜 | ナノ


はじまりの夜




 時計の針が夜の10時を示すのを確認したあとに、何度も繰り返し見たカレンダーを、もう一度ちらりと見る。シャイニング事務所のアイドルたちのカレンダーはとても豪華なもので、同期生や先輩方が笑顔を浮かべていた。アイドルの顔だ。来月は翔が担当ということもあって、待ちきれずに何度か紙をめくったりもした。もちろんすぐに今月に戻すのだが。
 しかし、今春歌がカレンダーを気にしている理由はそれだけではない。
(今日、だ……)
 カレンダーに付けた赤い丸印を見ては、口元が緩むのを必死で堪える。自分の部屋なのだから我慢する必要もないけれど、ふるふると頭を振って目の前の楽譜に集中した。
 今日、ようやく、彼が帰ってくる。
 年末年始の特番に、シャイニング事務所のアイドルたちは引っ張りだこだった。元々自分の番組を持っているにも関わらず、他のバラエティーにも参加している人もいた。生放送の番組もあった。いったいいつ寝ているのだろう、と心配するのは春歌が彼らの生活の慌ただしさを知っているからであって、一般のファンが見たらそんな心配をすることもないであろう、笑顔を見せている。
 もちろん、翔の姿も何度も目にした。テレビだけではない。ライブだってあったし、ラジオ番組ももっている。あちこちで目にした『アイドル来栖翔』はいつものようにキラキラと輝き、みんなに元気を与えてくれる。春歌だって、例外ではない。……はずだった。
 簡単に言えば、寂しくなってしまったのだ。『恋人である来栖翔』に会えないことに。身体がもたなければ仕事にならないため、一応寮には毎日帰ってきているらしい。ただ、その時間がとことん合わない。そして、短い。春歌自身もこの時期はCMやドラマなどの新しい仕事が多く、ゆっくりとはしていられなかった。外での打ち合わせに出かけ、帰ってからは譜面と向き合う毎日。だからこそ、翔が出演している番組を休憩代わりに見ることにしてはいたが、そこにいるのはアイドルとしての彼なのだ。その姿はもちろん好きで、惹き付けられるものがある。だけど、でも……と、もやもやしたものが心に残るようになってしまったのは、自分が贅沢になったせいだ。
 カレンダーに付けた印は、年末年始の特番の、最終収録日。何時までかかるかはわからないが、ようやく会えるんだ、と考えると、やはり心臓が高鳴って集中などできそうにない。そんな心境を見透かしたかのように、携帯がメールの受信を伝える。
「翔くんっ!」
 慌てすぎて携帯を落としそうになりながらも画面を開くと、『今から帰る!』と簡素な文章。それだけなのに嬉しくて、帰る先が自分の元であることに胸が熱くなる。『待ってます!』と春歌もすぐに返事をした。まずはお風呂でゆっくりしてもらおうか、それともお腹を空かせているだろうか。それか、一度ゆっくり寝たいかもしれない。
(ああ、でも……)
 たぶん、きっと、我慢できずに抱きついてしまうのはわたしだ。
 そんな想像は容易くて、恥ずかしくて、けれど甘い痺れをもたらした。
 それから40分程して、玄関の呼び鈴が鳴った。
「翔くんっ! おかえりなさい、お疲れ様です」
「おう、ただいま!」
 そう言ってドアを閉めると、一瞬の躊躇いのあとで身体を引き寄せられる。
「っ!」
「あー……春歌……」
「……翔くん……?」
「ごめん、ちゃんとシャワー浴びてからの方がいいと思ったんだけど、我慢できなかったっつーか……」
 肩口に顔を埋めるようにした形で、彼は「充電」と呟いた。
「……わたしも、です」
 春歌は彼の背中に手を伸ばすと、ぎゅう、としがみついて大きく深呼吸をした。頬をくすぐる柔らかい髪も、力強い腕も。まるで身体がその存在を求めているかのように、ぴたりと合わさる。本当はこんな玄関の傍じゃなくて、暖かい部屋の中に入ってもらいたいのに、どうしても離れがたかった。
「……なあ」
 翔は、少しだけ顔を上げて春歌を見つめた。
「今更だけど、初詣行こうぜ」
「わあっ、いいですね!」
「ここの裏にあるの知ってるか? 目立たない場所だし、時間も時間だから、たぶん二人で行っても問題ねーよ」
「……え、今から? でも、翔くん疲れてるんじゃ……」
「いーのっ。俺がおまえと行きたいんだから。……あ、でもおまえも仕事大詰めで疲れてるよな……」
「ううん、行きたいっ!」
 やっぱり明日でも、と翔が提案する前に遮った。その勢いには翔の方が驚いたが、キラキラと光る彼女の瞳には思わず笑みが零れた。アイドルとして、ではない。来栖翔個人として。
「よし。じゃああったかい格好しろよ。外寒いから」
 ぽん、と頭の上に手を置けば、さらに彼女の口元がほころぶ。
(……あ、キスしたい)
 けれどそれよりも先に、春歌は支度のため部屋へと引き返してしまった。苦笑混じりに息を吐いたが、彼女の足取りの軽さにさえ頬が緩む。外はもう暗い。少しの間だけなら、手を繋いで歩いても許されるだろうか。




14.01.18.
お正月特番ラッシュがあけた翔春ちゃんというテーマをいただきました
アイドルとしての笑顔が作り物なわけじゃなくて、春ちゃんだけに向ける笑顔が特別だってことだといいなあと思いながら
夜道を歩きながらようやく「はっ!あけましておめでとうございます」ってなる翔春ちゃん




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